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※市長オフィス・ウィズ・モー その1
「おい、モー! これは幾ら何でもあんまり酷すぎるよ」
スマートフォンで写したものを手当たり次第にテキストツリーへアップロードし、既読マークが付いたのが1分後、着信があったのが3分後。ヴェラスコは電話越しに、憤懣やる方ないと言わんばかりな声を張り上げる。
「こんなのインスタグラムに載せたら、あっという間にSNSで広がるぜ。『子供嫌いの市長に、児童福祉の政策は望み薄』ってさ」
前者に関しては事実なのだから仕方がない。それに、恐怖や怯懦を感じている姿はあって、流石に嫌悪までは態度に表していないのでは……画像フォルダを改めれば確かに数枚は、害虫へ飛びかかられているとでも言わんばかりな、表情の引き攣り歪んだ決定的瞬間を捉えてしまっている。
今日の午前中、ハリーは市内にある幼稚園へ視察に入った。貧困世帯へモンテッソーリ教育を施す事、州の草分けとされる高名な施設への訪問を勧めたのはゴードンだ。「ヤンファンがこの分野では、かなり大胆な公約を発表しましたからね。牽制の為に一度くらい顔を出しておいてくださいよ」
「僕は本当に子供が苦手なんだ」と一週間前から訴えていたハリーを宥め、「黙って笑顔を向けていれば、それで良いんですよ」と慰めるのは、主に己の仕事だった。
ささやながらアドバイスは、残念ながら全く役に立たなかったらしい。お遊戯の発表を見ている間は戸惑い笑顔で拍手をする位に落ち着いていた。だが園を50年以上かけて発展させてきた柔和な理事長に、百聞は一見にしかずと善意の提案された時、化けの皮は剥がれる。
幼児が蔓延する教室の真ん中に放り出されたハリーは、ワッと明るい歓声が押し寄せてきた時点で、既に悲壮で震えていた。服を引っ張られ、お絵描きを強要され、積み木をぶつけられる。
モー自身、子供は嫌いではない。寧ろ好きと言ってもいい。幼い頃は妹の面倒をよく見ていたし、今でも兄の子供達と会う時は、それなりに上手く相手をしてやっている自信がある。
だからこそ言えるのだが、子供は大人の機微を驚くほどよく見ているものだ。あんな腫れ物へ触るような扱いをせず、堂々としていれば、少なくとも玩具にされることはなかったに違いない。
「やっぱり僕は子供が嫌いだ」
まるで暴走するバッファローの大群へ踏み潰されたかのように、ハリーは満身創痍でやつれ果てている。こんな彼をすぐさま職務へ戻すなんて酷な真似、とてもじゃないが。
コーヒーと皿一杯のスノーボールを携えて市長室へ戻ってくると、モーはソファへ呆然と座り込むハリーの隣に腰を下ろした。
「市長、ハリー……前から気になっていたんですが」
「何故こんなにも拒否感を示すのかって?」
ブラックコーヒーは笑い声を、益々乾いた音色に劣化させる。
「ここまでくると、もう恐怖症の域ですよ」
「まあ、それに近いのかも知れないな」
自らよりも高い位置にある肩へ頭を凭せかけられても、慌てる必要はない。もう4年近く、この男の側で働いているのだ。彼が甘えたいと思っている時は察知し、あらかじめ部屋の鍵を掛けてある。
ハリーもそれを知って、秘書の腕を取り、己の肩に回させる。大きい大きいと常から褒める手を取って、頬に当てさせたり、指の関節を甘噛みしたりと、さながら彼自身が5歳児になってしまったかのようだった。
「昔話しただろう。僕の両親はお互い完璧に自立してるのに、自分達が一心同体だと思い込んだまま、仲良く暮らしてるって」
「ええ。彼らの無償の愛が怖かったと」
「うん、そうだ……それと同時に、この仕事を続けて、気付いた事がある。僕はきっと、ありえない位に欲張りなんだ」
薬指に軽く歯を立てたと思ったら、煮立ったコーヒーで熱を持つ舌でちろりと舐める。明らかに性的な含みを持たせながら、まるで司祭へ告白するような口ぶり。自らが正気と狂熱の境目へ転落していくのを、モーはただただ受け入れていた。恐怖を覚えないのが逆に恐ろしい。戦場ですら、こんな心理状態になったことはなかった。全て、ハリーが変えたのだ。
「君も含め、僕の部下は優秀だから、僕の希望を何でも叶えてくれる。僕が命令すれば、君達は全てを擲ってくれるだろう。ゴーディには娘さん達を犠牲にするよう強いた。ヴェラはご両親どころか、自分の尊厳まで捨てようとした。エルは、あのルームメイトと仕事を両天秤にかけて、僕を選んだんだ。そして君も……」
「ハリー、それは貴方のせいじゃありません。俺達の選択です」
「そして僕は、君達がそうやって僕に尽くしてくれる度、喜びを覚えるんだ」
懸命に、真心を込めてモーが覗き込もうとした顔を、ハリーは弾かれたように背ける。
「最低だろ。僕は、子供達に嫉妬してる。愛されることが当然だと思っていて、きっと将来、間違いなく誰かに愛されるだろうと無邪気に信じている子供達を見てるのが、とても怖い……何よりも、僕だってちゃんと、彼らと同じものを与えられえて、享受していたはずなのに、こんなにもおかしな事になってしまったのを突きつけられると」
「違うんです、ハリー、違います」
渾身の抱擁が、ハリーに痛みを与えることは知っていた。それでもモーは、口にせざるを得なかった。そうしないと、今後彼は……その想像は、自らの身へ危機が襲い掛かるよりも、激しい苦痛をもたらす。
「あなたは、人の愛し方を知らなくて苦しんでるんじゃない。人があなたしか愛せないから、傷つけられてるんです。俺も、他の仲間も、皆勝手な自己犠牲や、理想の押し付けで、あなたを追い詰めてる」
「そうじゃない、そうじゃなくて、僕は……」
あれほど饒舌なことで知られた弁護士が、まるで喉を詰まらせたかの如く、必死に言葉を飲み込んでいる。赤らんだ眦を真正面から見つめられるのが恥だと言わんばかり、血の気の引いた十指は、不意打ちでモーの頬を捉え、引き寄せた。
短い接吻は、ハリーが切れ切れの呼気を吐き出す事により寿命を迎える。結局、口付ける前よりも遥かに、エメラルド・グリーンの瞳を潤ませたまま、彼は囁いた。
「君のことを愛してるよ、モー。例え僕の未来に転がるのが、君の屍だったとしても、それだけは忘れないでくれ」
決して忘れるものか。誓いの言葉はだが、気付けば嵐のように渦巻いていた思考の中へ飲み込まれ、姿を見失う。血肉になったのだ。まるでそれを目撃したかのように、ハリーは恍惚と口元を笑ませ、かぶりつくモーの唇を受け入れた。
「僕と寝る時、君は四旬節に入る司祭みたいに厳粛な顔で挑むんだな」と以前揶揄されたことがあった。あの時よりも、己は更に真面目腐った空気を発散しているはずだ。
ソファに横たわったハリーは、薄皮を剥がすように一枚一枚、丁寧に服を脱がされても、されるがままになっていた。身を委ねることが愛情で、彼がモーに授ける愛情は、すなわち信頼という形をしているのだろう。
「今日は午後から、誰と会うんだったか」
「16時から『銃所持の権利を是正する性的少数者の会』の幹部とミーティングです」
「そうだった。君が窓口を務めてくれてるんだったな」
「もしもお疲れになっても、俺がサポートします」
4年前ならこんなこと、堂々と胸を張ってなど到底言えやしなかったはずだ。幼稚園訪問ほどでは無いと言え、消極性を隠しきれないハリーは「頼む」と従順に頷いた。
ここのところ、精力的に仕事へ励む部下達に煽られて性欲が亢進しているのか、いや、それともあれは、彼自身が部下を焚き付けているのだろうか。ハリーの素肌に刻みつけられた情事の痕跡は、どれもつい先程付けられたかのように生々しい。
烈しく愛された証左である青や黄色の鬱血に、恭しく唇を落としていけば、「や」と力なく首が振られる。
「君のやり方で、愛して欲しい」
「俺は彼らみたいに、創造性へ富んでいる訳ではないんですよ」
「随分、難しい言葉を使うんだな」
ならば、と触れる手で誘導されるまま顔を寄せると、そのまま唇が重ねられる。最初こそハリーは誘いかけたものの、すぐに舌を引っ込めようとするものだがら、モーは本能に促されるまま追いかけた。喉元に手を添え、軽く顎を逸らさせることで、混ざり合ったお互いの唾液を飲み込ませる。ぐじゅ、と卑猥そのものの水音が絡む舌から響き、脳まで犯されるかのようだった。
「は、ん……モー」
「ハリー……」
さっと赤みの上った喉元から、鎖骨を通り、そして胸から腹へ。手のひらが滑り落ちていく中、ハリーはびくりと体を跳ねさせることで、急所を教えてくれる。弛緩して柔らかい筋肉群の中、最も締まりの良い奥まった場所へ指を滑り込ませれば、酩酊したような眼差しを向けられた。
「いいですね?」
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