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※バスルーム・ウィズ・エリオット その1
「風邪ひくぞ、帰ったら熱い風呂に入れよ」
市長の労りも、ゴードンは最後までツンと鼻を突き上げて無視したきり、車に乗り込む。なるほど、一番被害が甚大なのは間違いなく彼だった。ほぼ全員から雪玉の集中攻撃を受けて全身濡れ鼠、あれはダウンジャケットの下にまで染みていることだろう。わざと騒がしくエンジンを噴かし、スタッドレスタイヤをみぞれでじゃりじゃり言わせながら夜道を去っていくクライスラーが通りの角を曲がっても、ハリーは腹を抱えて笑っていた。
雪合戦を最初に始めたのは、他ならぬハリー・ハーロウだった。本人は「ヴェラがぶつけてきたんだ」と異議を申し立てていたが、そうでなくても追い込みに掛けられいたヴェラスコが、そんな悪ふざけを敢行する訳もない。
「散歩に行ったら少しは頭も冴えて、打開策が浮かぶかも」なんて、渋る部下を引っ立てたハリーが閉店間際のスターバックスへ買い出しに向かったのは夜中の10時前。それから45分、なかなか戻ってこない2人を心配したモーが市長付職員オフィスに顔を出したのと、こんな夜更けに騒いでいるのはどこのクソガキだとゴードンがブラインド越しに窓の外を覗いたのは、ほぼ同時の出来事だった。
周囲には警備員の姿もないし、通りを挟んだ第二市庁舎の灯りも殆どが消えている。今年4度目の雪は幸い夕方に止んでいたものの、深く積もったから、遊ぶのに打ってつけ。中庭一面の白銀が、冷涼とした月明かりを反射して、周囲は昼間のように明るかった。
劣勢のハリーを助ける為に慌てて駆けつけたモーや、窓ガラスに礫を幾つもぶつけられて挑発に乗ったゴードンを子供っぽいと笑う権利はない。ソイラテがこれ以上冷める前に回収するべく、下へ降りてきたエリオットを誤射したのはモーだ。うっかりとは言え、握り拳のように固められた一球を、顔に直撃させられては堪らない(後で聞いたところ、海兵隊ではこんな時、野球ボールだろうが椅子だろうが、サインペンで『雪』と書き込んだものは、どんな危険物でもぶつけていいというルールがあるらしい)
ずぶ濡れになった眼鏡を毟り取り、走ったり転んだり、これだけ激しい運動をこなしたら間違いなく明日は筋肉痛だ。
「まさか君が、あんなにも大暴れするなんて」
こちらの方が近いから、とエリオットのアパートに招き入れられたハリーは、コートを脱ぎながらまだ肩を震わせていた。
「モーがあれだけ本気で謝りながら、全力で走って逃げる姿、初めて見た」
「認めるよ、体を思い切り動かすことは良いリフレッシュになる」
バスタブに湯を溜めている間、コーヒーでもどうかと尋ねたのだが、どうやら聞こえなかったらしい。風呂場から顔を覗かせると、居間の暗闇の中、テレビ脇のシェルフを熱心に覗き込む丸められた背中を認めることができる。
ルームメイトが引っ越して以来、部屋はがらんとしているから、その後ろ姿は殊更目立った。
とは言っても、ヨルゲンセンは衣類を始めとした最低限の荷物しか持っていかなかったので、ぱっと見だと大きな変化は感じられない。だが、部屋に他人がいた気配というものは目にも見えず音も聞こえないのに、食洗機に二つ並んだマグカップよりもずっと存在を主張する。
「ランブルフィッシュか、そういう題名の映画がなかったっけ」
照明をつけないまま、けれど分かりやすく足音を立てて背後から歩み寄ったエリオットに、ハリーはひそひそと囁いた。
「綺麗だ。王子様は、彼を……それとも彼女かな。持っていかなかったなんてな」
「魚を飛行機に乗せるのは手間だしね」
貴婦人が身につける夜会着のドレープさながらに、青い鰭を翻る魚は、狭いブランデーグラスの中で心底満足げに見える。ハリーが薄いガラスを指先でつつけば、一層誇示するよう、すっと全身をくねらせながら彼らの前を横切って見せた。
向き直り、前触れもなく与えられたハリーの口付けは、黙って受け取った。目測を誤ってぶつかったお互いの鼻先は氷のように冷たい。軽く吸うだけの愛戯と共に、エリオットを思わず笑み溢させるには十分だった。
「すっかり冷えてるよ。早く温まっておいで」
「君も一緒に入ろう」
これまた悴んだ手を引く力は、誘う口調の蠱惑と裏腹、幾分遠慮気味だった。「そうだね」とエリオットが頷けば、安堵の吐息をすら漏らす程なのだ。
「人恋しい?」
「それは君だろう」
ゆっくりと光の中へ歩み入りながら、ハリーは返した。
「独寝で寂しい君を、温めてあげようと思って」
バスタブは男2人で入るのに手狭だが、ハリーは身を伸ばしたエリオットの脚の間に割り込んで凭れかかり、至極満足げに息をつく。
「この広さじゃ、王子様と一緒に入るのは難しかったろうな」
「彼とこんな真似をしたことは一度もないよ」
セックスどころかキスもまともにしなかった。全く、己はどこまでお人よしの間抜けだったのだろう。額を押さえて天井を仰ぐ姿がおかしければ、存分に笑え。ハリーはくっくと喉奥で含み笑いを転がし、エリオットの脇腹を肘でつついた。
「可哀想なエル・エリオット。ハンサムな男に捨てられて」
「その代わり、こうして君と思う存分楽しめる」
「強がるなって」
身を捻る動きは、ざぶりと湯が波打つ勢いで、丸い尻が湯から見え隠れしている。脚で太腿を跨ぎ、壁のタイルに両手を突いて囲い込んだハリーを、エリオットは見上げた。バスソルトのピンクっぽい湯気を掻い潜るエメラルドの瞳は、既にしっとりと濡れている。
「今日は、彼にしたかったことを、全部僕にしていいよ」
彼が本気でそう言っていると分かったから、エリオットは思わず笑い声を立てた。
「悪いけど、ハリー。それは無理な相談だ」
「我慢しなくて良いのに」
「だって彼と君は、余りに違い過ぎる」
容姿だけではない。内面も、更には自らが求めた役割も、何もかもが違うのだ。
己は確かに、ヨルゲンセンのことが好きだった。けれどそれは、いつ導火線が燃え尽きるかも知れない花火と戯れる、最悪な火遊びのようなもの。
最初から分かっていたのだが、もういい加減、認めなければ。自らに、ヨルゲンセンを責める謂れなど、これっぽっちもないのだと。
「代わりに、君がめい一杯乱れるのが見たいな」
「随分欲がない」
再び、今度は控え目に水面が振れる。頬に子供のようなキスを落とすと、ハリーは壁の棚へ手を伸ばした。
「なら、君も落ち込んでないで、僕に協力するんだぞ」
以前ハリーが家を訪れた時に買ってきたローションは、まだ十分量が残っている。自らの腰へ垂らしただけで肩を跳ねさせるハリーへ手伝おうかと申し出たが「いいから」と断られる。
「最初位は、良いもの見せてやるよ」
重力に従って垂れ落ちる液体を追いかけるよう、手のひらが滑ってぬめりを下半身に広げる。最終的に指先が尻の奥へ到達した時、ん、と漏らされた声は、既に甘さを含んでいた。
ハリーの体は、もうじゅうぶん温まっているらしい。くち、くち、と音を立てながら含ませた指を、奥へと滑り込ませるまでの時間は短い。
「う、ぁ、何度、やっても、自分の体の中へ触るって、なんだか、へんだ」
「私はもっぱら相手を触る方だから、貴重な意見として拝聴するよ」
「あれ、そうだっけ……? 王子様も、掘るつもりだった?」
「彼は嫌がっただろうね。別に私は、どちらでも良かったんだ」
そもそも、そこまで深く彼との未来を考えたことがなかった。ふっと束の間意識を逸らした間に、ハリーはもう一本、アナルに指を足す。
「ふ、あぁっ、や、エル、見て、僕のこと……」
恐らくはぴっちり指を咥え込み、ぐじゅぐじゅ粘液が泡立っているのだろう窄まりを窺うことは、残念ながら叶わない。だが激しく掘削する為に精一杯折り曲げられた手首と、そこから伸びる震える腕、何よりも、自らの頭上で息を乱れさせるハリーの悶えたような表情は、この世のものとは思えない淫猥さだった。
「もう、ちょっと、ぁ、く、んんっ、も、ちょっとだけ、まって」
こんなにも魅力的な媚態を披露してくれているのだから、少しはお返ししなければ。指の動きが激しくなり、浅いところの前立腺を突き潰すことで、腰が前後にしなる。腕を回すと、敏感になった肌が、寒さ以外の要因で粟立った。
「ん、っ……」
興奮と湯船から身を乗り出している寒さから、すっかり尖っている乳首を口に含む。
「あ、ああぁ、エル、それ……!」
芯を持った粘膜を舌先で抉り、軽く歯を立ててやれば、ハリーはたちどころに悲鳴をあげ、狼藉者の頭を豊かな胸筋へぎゅっと抱き込んだ。
「ぅ、きもちいい、そこ、もっと、っ」
南国の花じみた芳香の湯気と埋没した柔らかな肉体、ぼやけ響く甘美な喘ぎ声。眩暈がする。
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