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 緊張で胃が痛みそうだった入学式当日、教室の指定された番号の席で一人、胡南は周囲に漂うよそよそしい空気に身を縮こませながら机の表面の木目をじっと眺めていた。  友だちってどうやって作るんだっけ。  どうやって話しかければいいんだっけ。  またぞろ、三年前の不安の再来だった。全然、成長していない。  周囲はすでにいくつかのグループができていて、まるでみんな元から知り合いだったみたいにしゃべっている。自分一人だけ、置いてけぼりをくわされたみたいになっている。  どうしよう。このままずっと一年間、一人ぼっちだったら。  そんな被害妄想じみた不安にとらわれていたら、頭上から降ってきた思わぬ呼びかけに胡南は耳を疑った。 「胡南だよな?」 「……え?」  恐る恐る顔を上げると、自分と同じ制服に身を包んだ永嶋が立っていた。相変わらずの長身で、相変わらずの無造作に伸びた髪で、顔つきは少しだけ精悍になっていた。制服が変わったからそう感じたのかもしれない。学ランより、ブレザーのほうが永嶋には似合っている。そんなことを考えるくらいには、しばし胡南は呆然としていた。 「やっぱり胡南だよな。目が合ったのに無視するんだもんよ」 「え? 俺? え、目、合った?」 「なんだ、気づいてなかったのか。っていうか、クラス分け見てねえの? 俺、おまえの名前あったからマジでびびったんだけど」  事態をうまく把握しきれていない胡南をよそに、永嶋は隣の席のイスをひくと横向きに腰かけた。 「おまえもここ受けてたんだな。同じクラスってすげえな。席も隣だし。すげえ偶然」 「すごい、……偶然」  そんなこと、あるものだろうか。胡南は唖然としたまま、永嶋を見つめる目をしばたたかせた。  確かに胡南は、志望校を変えたことを永嶋たちには言っていなかった。もし落ちたときに恥ずかしかったからだ。でも、永嶋がここにいるということは、まさか私立に落ちたってことだろうか。とてもじゃないが、怖くて訊けない。  知ってる人がいるとは思いもしなかったから、クラス分け表でも自分の名前以外ろくに見なかった。入学式でも緊張して、周りの生徒の顔を見ていなかった。  長い脚を組んで頬杖をつき、感心したように永嶋が言う。 「すげえなあ。浦辺たちに教えてやろ。てっきりおまえ、市南だと思ってたからさ。あ、浦辺も杉戸も志望してた高校受かったぜ。……どうしたんだよ、ぼうっとして。あ、まさか俺が同じ学校で同じクラスなの、嫌なわけ?」 「ぜ、全然! むしろ、嬉しい。というか、ありがたい。俺、知らない人ばっかでめっちゃ緊張してて。永嶋がいて、助かった。ほんとに」  勢いこんで胡南が言うと、一瞬面食らったような顔をした永嶋は、ほどけるように笑みをこぼした。 「ま、一年間よろしくな」 「こっ、こちらこそ」  その返答にまた、永嶋は肩を震わせてくつくつと笑った。  永嶋が一緒にいてくれるおかげで、胡南は高校生活を順風満帆に始めることができた。  そう安堵したのもつかのま、休み時間、永嶋としゃべっているところへ唐突に声をかけられ胡南は慌てた。 「なーなー、おまえらよくつるんでっけど、もしかして同中? 同中?」  細いつり目のツンツン頭で、胡南の友人にはいないタイプだった。一瞬何を言われたのかさっぱりわからず戸惑っていると、永嶋が頬杖をついたままかったるそうに答える。 「そうだけど」 「え、何、同中ってどういう意味?」 「同じ中学出身かってことだろ」 「そうなんだ」 「俺らも同中。よろしくー」  そう言って差し出された手を永嶋がぼんやり無視していたら、ツンツン頭の後ろから人影が現れて言った。 「悪ィな、こいつアホだから」  こちらはまだ胡南が接しやすそうな、人あたりのよさげなタイプだ。見るからに明朗闊達で、最初のクラス委員決めのときに積極的に手を上げていた生徒ではなかったかと思い出す。確か、文化委員か何か。 「そうか、アホなのか」  そう永嶋が返すと、アホって覚えんじゃねえ、とツンツン頭がキーキー言い、文化委員の彼は声高く笑った。 「こいつ、黒崎。クロっての。俺、瀬尾。俺ら中学一緒だったんだよ。そっちも?」 「おう。同じ中学で塾も一緒。こっちは胡南。俺は永嶋」 「食堂、もう行った?」 「いや、まだ」 「俺らも。明日行ってみねえ?」 「瀬尾は弁当なんだけど俺いっつも売店のパンばっかで飽きててよー、そんで明日食堂行くから瀬尾は弁当持ってこねえんだけどおまえらも弁当だったら明日は持ってくんのやめて食堂行こうぜー」  と、いつのまにか足元にしゃがみこんでいた黒崎が永嶋を見上げている。 「どうする?」  永嶋が顔だけを胡南に向けて訊いた。自然、瀬尾も黒崎も胡南へと視線を向けた。急に注目されて、胡南はひるむ。 「いや、俺は別に、どっちでも。食堂、一回行ってみたかったけど」 「だってよ」 「よっし、じゃ、決まりな!」  きゃっほう、と黒崎が声をあげながら立ち上がり、じゃそういうことで、と瀬尾が手を上げ離れてゆく。あんまり自然で、まるでずいぶん前から友だちだったみたいで、こういうのってなんていうか。 「どうした?」  呆然としていた胡南は、永嶋に顔を覗きこまれて我に返った。 「あ、いや。その」 「ん?」 「なんか、簡単だなって」 「何が」 「いや、えっと、ほら」 「ん?」 「……友だちになるのって」  ひどく言いにくそうに言う胡南に、永嶋はくっ、と笑みをもらす。なんだか気恥ずかしいことを言っている自覚は胡南にもあった。だから、控えめに抗議する。 「笑うなよう」 「だっておまえ、友だちになる、とかさあ」 「だって俺、そういうの苦手だからさあ」 「ま、いいんじゃねえの」 「え?」  まだ笑い顔のまま、永嶋が言う。 「おまえらしいよ」  なんとなく、うなずいて返した胡南だったが、果たして自分らしいとはどういうことだろうと思う。そもそも、らしいと言えるほど永嶋は、胡南のことを知っているのだろうか。まだ入学して間もないし、中学のときだって一緒に過ごした時間は多くない。  それでも、胡南は永嶋の言葉が素直に嬉しかった。揶揄するのでも適当に受け流すのでもなく、認めてくれる。そういうことはたびたびあった。そのたび、胡南は思う。  永嶋って、いいやつだよなあ。  なんで、俺なんかと一緒にいるんだろう。ていうか、なんで一緒にいてくれるんだろう。俺なんか、一緒にいたって面白くもなんともないだろうに。一緒にいてくれるおかげで助かっているのはきっと、俺だけなのに。 「なあなあ、明日食堂行くの? 俺も一緒に行ってい?」  そう訊いてきたのは斜め後ろの席でさっきまでつっぷして寝ていた羽柴という生徒で、いわゆる俗にいうイケメンの部類だった。柔和な顔立ちで接し方も優しく、たいてい女子に囲まれている。 「別にいいんじゃね? な?」  と、永嶋が訊いてくるので胡南はあわててうなずいた。 「でもさあ、おまえいつも女子と行ってんじゃねえの?」 「そうなんだけどさ、なんか上級生の目が怖いんだよね。すっごく睨まれるっていうかさあ。だからしばらく一緒に行ってよ」 「無条件で腹立つやつだな」 「そんなこと言わないでさあ」 「な、英語の課題やってるか?」  突然、会話に割り込んできたのは松本という長身のいかにも硬派のサッカー部のやつで、こちらも羽柴のようにわかりやすくはないが女子に人気があるイケメンだった。  なんでこんなにイケメンばっか集まってくるんだ。胡南はたじろく。 「やってっけど、間違ってないって保証はできないぜ」 「いい。貸してくれ」  永嶋は机の中を探るとノートを出して渡した。サンキュ、と松本は自分の席に帰ってゆく。胡南は入学してからずっと永嶋と行動を共にしているが、永嶋が松本としゃべったのはこれが初めてではないかと思う。 「……なんで永嶋に借りにきたんだろ」 「さあ」  ともかく、そんな感じでなんとなく、この面子でつるむようになっていったのだったが、そこに自分が含まれていることに胡南は、いつまでたっても慣れないのだった。  羽柴や松本に劣らず、永嶋もけっこうモテていた。その事実を胡南はだいたい、本人からではなく黒崎から知らされた。 「ちょっと聞きました? 胡南サン」 「え?」 「永嶋のやつ、また告白されたらしいじゃん」 「そ、そうなんだ」 「キーッ! 悔しいぜッ! 俺もモテてえー。あ、永嶋! おまえ隣のクラスの女子から告白されたらしいじゃんかよ。なんで断ったんだよ」 「おまえなんでそんな情報通なんだよ。ヒマを持て余す主婦なのか?」 「うっせえッ。俺にも女子をわけろ。紹介しろ」 「知らねえって。自分でなんとかしろ」 「キーッ! 悔しいなあ、胡南。俺らもがんばろうな。こんなやつに頼らずによ」 「う、うん」  そうやっていつも黒崎が仲間のように扱うので、胡南も早く彼女が欲しい同盟の一員のようになっていた。確かに胡南だって、彼女というものには憧れがある。ただ、中学のときはずっと自分みたいなのに彼女なんかできるわけないと思っていたし、一緒にいた友人たちとの間でもそんな話題は出なかった。  それに、マンガの話をしたりくだらないことで笑っているほうが楽しくて、気になる女子の一人もできなかった。高校に入ってからだって、黒崎がしょっちゅうそんなことを言ったりしなければ意識することもなかっただろう。 「断ったんだ?」  前の席に勝手に座って大きなあくびをしている永嶋に、おずおずと胡南は訊いた。告白なんかされたら胡南は舞い上がってしまって、相手が誰だっておつき合いを始めてしまいそうな気がする。  あー、と永嶋は目尻に浮いた涙を拭いながら、ちらりと胡南を見た。 「……だって、全然知らねえやつだったし、いきなり好きだとか言われてもなあ。めんどくさくね?」 「めんど、くさいかなあ」 「あ、そういうのって相手に悪いか。でもしょうがないよな、本心だし。嘘ついてつき合うってのもな、悪いしな」 「それはまあ、そうだよな」 「何だよそれカッコつけやがってむかつくーッ、キーッ!」   横に立ってキーキー言ってる黒崎をわははとあしらう永嶋は、やっぱりカッコいいなあと胡南は思った。羽柴のように女子に優しく接するのでもなく、松本のようにスポーツが得意なわけでもないが、胡南から見ても永嶋はカッコよかった。  俺もいつか、永嶋みたいに告白されてみたいな。  そう思ってすぐ、永嶋みたいにというのはムリか、と自嘲する。永嶋みたいになんてなれるはずがない。だいいち、胡南はまだまともに女子と話したりできなかった。なんだか緊張するのである。女子とおつき合いしたいのならまず、そこからどうにかしなくてはならない。

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