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 高一の一年間は、おかげで安穏と過ごすことができた。  なんというか、胡南は立派な柱に支えられた頑丈な建物の中にいるような心地だった。雨が降っても風が吹いても、台風が来ても竜巻が来ても絶対安全なところにいる安心感が、ずっとあった。永嶋のおかげだ、と常々、胡南は思っている。永嶋がいなければ今ごろ、いったいどうなっていたか。  本当を言うと二年に上がるさいのクラス替えなどなければいいと思っていた。三年間ずっと同じでも良かったのに。  でもまあ、瀬尾が一緒だったから良しとする。黒崎は羽柴と一緒のクラスで、松本と永嶋は別々になった。  毎日一緒にいたときから比べればもちろん、顔を見る回数は格段に減った。だから今回だって、久しぶりに永嶋とゆっくり話せると思って胡南は嬉しかったのだ。 「屋上でさ、一緒に昼ごはん食べない?」  そう誘ったとき、通りすがりの廊下で振り返った永嶋は、一瞬意外そうな顔をした後、ほころぶように笑った。 「いいけど。なんだよ」 「うん。後で」  そう言って、胡南はごまかした。  永嶋に聞いてみなよ、と言ったのは瀬尾だ。永嶋なら俺よりいろいろ知ってんじゃない? と言うから、そうすることにした。本当のところ、話の内容よりも永嶋に会う口実ができたことが胡南の気持ちをはやらせた。 「あのさ、俺、カノジョができたんだ」  屋上の隅に半身が向き合うように座って弁当を広げたところで、胡南は言った。 「でも俺、カノジョができたの初めてだからさ、永嶋にいろいろ教えてもらえないかと思って」  前日のことだった。放課後、教室を出たところで見覚えのない女子に呼び止められた。ちょっと来てほしい、と言われておっかなびっくりついていくと、授業のあるときしか人けのないリーダー室へ上がる階段の踊り場に、見覚えのある女子がいた。一年のときに同じクラスだった小泉繭香(こいずみまゆか)だった。 「あの、わたし、胡南くんのことが好きだったの」  そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。 「わたしと、つき合ってくれないかな?」  繭香のことはもちろん同じクラスだから知ってはいたが、はっきり言ってそれほど印象には残っていなかった。大人しくていつも友人の影に隠れているような子で、しゃべったことも数える程度だったように思う。  それでも、うつむきかげんでもじもじしながらそんなふうに言われたら、オッケーするに決まっている。  初めて、カノジョができた。その事実に興奮して、ひとまず翌朝、教室で瀬尾に会うなり報告した。 「でもさ、カノジョってどうしたらいいのかな。俺、よくわかんなくて」  ひとしきり共に喜びを分かち合ってくれた後、胡南の戸惑いに、瀬尾は真摯に応じてくれた。 「どうしたらいいか、って言われてもなあ。俺の場合、なんとなくだったしなー」  瀬尾には幼なじみの彼女がいて、一緒にいるのがあたりまえになっていて自然とつき合うようになったのだと言う。それで、永嶋の名前が出たのである。  永嶋も、胡南の初めてのカノジョというニュースに驚いたり、一緒に喜んだりしてくれるだろう。そう、胡南は思っていた。  でも、永嶋の第一声は予想を大きく裏切るものだったのだ。 「俺さ、ゲイなんだよな」  風が、すいと吹き抜けた。  永嶋の後ろには金網ごしによく晴れた空が広がっている。 「……え?」 「だから俺、そういうのよく、わかんねえんだよ。悪いんだけど。ごめんな」  視線を落とした永嶋の顔は、いつもと変わらない、いや、いつもよりもそっけないくらい、淡白だった。 「いや、別に、ごめんとか、そんな」 「俺なんかより羽柴とかに聞けよ。あいつなら女子の扱いに慣れてるだろうし」 「そ、そうだね」  その相づちが適切だったかどうか、動揺しながら胡南は考えた。でも思考はあっちへこっちへ跳ねまわり、糸の切れた凧みたいにくるくると回っている。 「じゃ、俺行くな」 「え?」  いつのまに食べたのか、永嶋の弁当箱は空になっていた。手早く片づけて立ち上がる。胡南はまだほとんど手をつけていないというのに。 「次、体育だから着替えねえと」 「あ、そっか。そうだよな」 「じゃな」 「うん」  遠ざかってゆく後ろ姿のかたちのよい背中を見送りながら、胡南はどうにか平静を取り戻そうとゆっくり深呼吸をした。  っていうか、なんで?  疑問が頭の中で浮かんでは消える。  そんなこと、言わなくてもよかったように思うのだけれど。  永嶋の大事な秘密を、自分なんかが知ってしまっていいのだろうか。  もしかしたら、冗談とか? 胡南を、からかっているとか?  でも、永嶋はそんなことをしそうにはない。なにより、する理由がない。  わからない。わからないからただひたすら胡南は、動揺するしかないのだった。

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