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待ち合わせは、カラオケボックスのロビーだった。
受付は先に済ませておくからと瀬尾が言ったので、制服を着替えてのんびり家を出てきた胡南は時間どおりに到着した。外から見たガラス越しの店内にはすでに、瀬尾と黒崎と羽柴の姿がある。永嶋はまだのようだ。
自動ドアを抜けて入ってゆくと、ソファに座っていた黒崎が手を上げた。
「おーっす」
その横にいた羽柴も、久しぶりーと声をかけてくる。いつもの面子だ、と胡南は嬉しくなる。松本がいないのは残念だけれど、こうしてみんなが揃うことに胡南はけっこう高揚していた。おかげで、立ったままの瀬尾の後ろの人影になかなか気づかなかった。というより、目に入っていなかった。というか、入っていても気にしなかった。ロビーには他の客もいるのが当然だからだ。
「あ、胡南くんだ」
男子にはない、軽やかな高い声に呼ばれて胡南はたじろいだ。恐る恐る、振り返る。
「……え?」
瀬尾の後ろには、私服姿の女子たちがいた。見知った顔も、知らない顔もある。五人だか六人だかいる。直視できないので人数が数えられない。女子を前にすると胡南は、苦手意識が先に立って緊張してしまうのだ。
「あ、どうも」
思わず会釈などしてしまう。女子たちは一斉に鈴が転がるような笑い声を上げた。胡南はますますいたたまれなくなる。
「な、なに? 偶然?」
黒崎に近づいて訊くと、羽柴から返事が来た。
「そんなわけないでしょ。今日はクロのための合コンだからね。永嶋が来るっていったら女子が集まる集まる。俺だけじゃだめなのかね」
「えっ?」
「はっしーはどこにでも出没すっからありがたみがねーんだよな。その点、永嶋はレア感があるっつーかな」
「え?」
困惑する胡南に、瀬尾が近づいてきて耳打ちした。
「いやー、胡南が永嶋を説得できて助かったわ。永嶋が来るってもう言っちゃってたからさー。メンバーは争奪戦だったらしいよ。やっぱレアキャラは違うね。さすがだね」
「ちょっと待ってよ瀬尾、俺そんなの聞いてない。永嶋にも言ってないし」
「言ったら永嶋が来るわけないじゃん。胡南だって、それを聞いてたら絶対嘘つけないでしょ。だから内緒にしてた。ごめんな」
悪気なく、瀬尾がにひ、と笑う。ちょっとしたいたずらみたいなノリで言うけれど、胡南はそんなつもりで永嶋を誘ったのではなかった。そんな、まるで騙すみたいな。
「あ、永嶋くん来た」
自動ドアの開閉する音と同時に、女子が色めき立つ。たぶん一人でいたらそんな黄色い声は上げないのだろうが、大人数になると人目をはばからず盛り上がるのは女子の悪い癖である。
初夏が近いとはいえ、夜になるとまだ少し肌寒かった。オフホワイトのブルゾンをはおった永嶋は、入ってくるなり予定外の歓声を浴びて、一瞬にして眉をしかめた。
「よっす永嶋ー。お疲れー」
「瀬尾、なんだよこれ」
「まあまあ。クロがさー、胡南に彼女できたのに触発されちゃって、どうしても彼女欲しいっていうからさ。協力してやってよ」
「……協力ってなんだよ」
不服そうなその目が、瀬尾の背後にいた胡南に向けられた。あきらかに、非難しているまなざしだ。
「違っ、俺、知らなくて」
弁解しようとして、胡南は瀬尾の前に出ようとした。その矢先、小さな声にはばまれる。
「胡南くん」
「え?」
そこには、ラベンダー色のカーディガンに若草色のスカートを合わせた小泉繭香が立っていた。髪型も普段と違って丁寧に結いあげていて、学校で見るのとは雰囲気がずいぶん違っていた。
繭香とは、告白されてつき合うことになったものの、まだ二人きりで会ったことは一度もなかった。ゴールデンウィークは胡南が遠方で行われた姉の結婚式に家族で出かけていたため、繭香と予定が合わなかったし、一緒に帰ったりということも、胡南から誘ったりはできなかったし繭香から誘われることもなかった。メッセージアプリでささやかなやり取りをいくつかしたくらいである。
「小泉さん」
「胡南くん、合コンとか、来ちゃうんだ」
「……え? あ、いや、あの、違くて。知らなくて、俺」
思わずあわてる胡南に、ふふ、と繭香は小さな笑い声をたてる。
「冗談だよ。知らなかったんでしょ? 瀬尾くんから聞いてる」
「そうそう。彼女いるのに合コン来てるなんてバレたら大変だろ? だから誘っといたんだ」
瀬尾が隣に来て、胡南の肩に腕を回しながら補足説明した。
「せっかくだからさ、胡南は小泉さんとペアってことで」
キャー、とどこかからにぎやかな声が聞こえる。女子のテンションがやけに高くて、胡南はドギマギする。こんな環境に身を置いたのは初めてのことなのだ。
「よし。じゃあ案内しまーす。はぐれないようについてきてねー」
羽柴に誘導されて、一行は大部屋まで移動した。
最初は別々に座っていた男子と女子も、料理や飲み物が運ばれてくるとバラバラになり、平均的に混ざり合う。その中で胡南はずっと、端っこで繭香と並んでいた。
「胡南くん、何飲む?」
「何か食べる?」
「胡南くん、何歌う?」
繭香は、いろいろと気を使ってくれたし、よく話しかけてくれた。最初は緊張して何をしゃべっていいかわからなかった胡南も、少しずつ打ち解けられるようになった。
「小泉さん、何か歌ったら?」
「あたし、あんまり上手くないの。音痴だから恥ずかしくって」
「そうなんだ。俺も、歌はちょっと苦手で」
「胡南くん、映画とか見る?」
「えっと、流行りのやつとかは見るかな」
「じゃ、あの、今度一緒に行かない?」
「そうだね」
ぎこちない会話を交わしているのは胡南と繭香くらいで、他の面々は大騒ぎだった。
ふと、目をやった先に永嶋がいた。両脇を女子に挟まれている。その様子は、無愛想でも不機嫌でもなく、普通に女子とにぎやかにしゃべり、歌いこそしないけれどよく笑っていた。
なんだか意外な気が、胡南はした。永嶋は、こういう場は苦手だろう、と勝手に思っていたのだ。苦手どころか、慣れていそうでもある。
ゲイだって言ったけど、もしかして、永嶋は女子でも、かまわないのかも。
今日だって、胡南は前みたいに男だけで集まりたかったのだけれど、もしかしたら永嶋も、こういうので良かったのかもしれない。
部屋の外にあるトイレに向かいながら、騒々しさから解放されて胡南は、ぼんやりとそんなふうに思った。
永嶋はモテるのに、全然彼女を作らない。理想が高いのかも、と瀬尾は言っていた。それならそれで良い、と胡南はずっと思っていた。
だって、永嶋に彼女ができてしまうと、胡南は相手をしてもらえなくなる。永嶋がいなくなると、胡南は一人になってしまう。
実際は別に、瀬尾もみんなもいるから一人にはならないのだろうけれど、一緒にいるのはやっぱり、永嶋が良かった。だから、永嶋には申しわけないけれど、胡南にとっては永嶋に彼女ができないほうが良かったのだ。
自分は彼女ができて喜んでおいて、永嶋に彼女ができないほうがいい、なんて、勝手な話ではある。それは重々承知している。
でも、さっきのように永嶋の隣に女子がいて、永嶋が楽しそうに話しているのを見るとなんだか、妙に胸がざわついている。
端的に言うと、嫌な感じがするのである。永嶋の隣に誰かいるのが嫌なのである。
変なの、と胡南は自分のことなのに、他人事のように思う。
トイレから戻る通路は人っ子一人いなかった。並んでいる個室からは前を通るたびかすかに歌声が漏れ聞こえてくる。誰もかれも楽しそうだ。では自分はどうかというと、よくわからなかった。そんなに楽しくはないかもしれない。大人数でにぎやかでも、繭香としゃべっていても。やはりまだ恋だの彼女だのいうのより、男だけで騒いでいるほうが楽しいかもしれなかった。
通路に面した個室はいくつか扉が開きっぱなしのところもある。使用されていない空き部屋だ。中は照明がついていないので暗い。
小泉繭香と、いったい何の映画を見ればいいだろう。そんなことを、考えるともなしに歩いていると、突然腕を引かれて体が傾いだ。
暗がりへ、引っ張りこまれる。空き部屋の一つだった。入るなり、扉が閉まる。
「え、何?」
顔を上げると、永嶋がいた。暗がりに、向かい合わせて立っている。
と思うと、唐突に永嶋は、胡南の顔の横の壁にバン、と強く手のひらを押しつけた。これは、まるで。
壁ドンとか、やっぱされたいよねー。永嶋くんとかにさー。きゃー。
などと女子が騒いでいた、あの。壁ドンではあるまいか。
俺、今、女子の憧れの、永嶋の壁ドン、されてる?
なんて浮かれたことを考えている場合では、とうていなかった。
壁ドンの性質上、永嶋との距離はとても近い。隣に並んでいるときでも感じることはあったが、こうして上背のある永嶋に立ちふさがれるととても迫力がある。春の身体測定で一八〇を越えたと言っていた。一七〇に届かない胡南とは十五センチほどの差があることになる。
その永嶋の顔が、上方からぐっと迫ってきた。美しいラインを描く眦 が、見たこともないほどつり上がっている。永嶋のこんなに怒った顔を、胡南は初めて見たかもしれない。
薄暗がりの張りつめた空気の中で、永嶋の低くイラだった声が胡南の鼓膜の奥へと滑りこんできた。
「俺、ゲイだっつったよな?」
その声音の思わぬ冷たさに、胡南は足がすくんだ。背すじがすうっと冷えてゆく。
「う、うん」
「なんでさ、こんなことになってんだよ」
「あ、俺、知ら、知らなくて、ごめ」
だんっ、と今度は拳で、永嶋は壁をたたいた。それほど強くはなかったが、胡南は思わず肩を震わせた。永嶋は顔をわきへとそらせて大きなため息をつく。
どうしよう。
胡南の頭の中は真っ白だった。永嶋が、とてつもなく怒っている。それはあきらかに胡南のせいだった。胡南がここへ永嶋を誘ったからだ。
どうやって謝ればいいだろう。どうやって謝れば、永嶋は許してくれるだろう。
「ごめん、俺、そんなつもりじゃなくて、ほんとに永嶋と一緒に、カラオケ、いや別に歌とか、歌わなくてもいいんだけど、いろいろ話、したくって。女子が来てるなんて思わなくて。ほんと、ごめん、俺」
「……違う」
ぽつ、と永嶋は言葉をもらした。
胡南は戸惑う。
違う、というのは、どういう意味だ。
永嶋はわずかに後ずさり、片手でわしゃわしゃと髪をかき乱した。扉にはめこまれたガラスから射しこむ通路の明かりで、永嶋の眉が苦しそうに寄せられているのが目に入る。
永嶋?
そう声をかけようとしたとき、聞き取れないほどの大きさでつぶやくように永嶋は言った。
「なんで、見せつけられなきゃなんねんだよ」
「……え?」
永嶋はさらに一歩、後退する。
「永嶋? 今、なんて」
「俺、おまえが好きなんだよな」
今度ははっきりと、永嶋は発音した。その内容の甘さとはうらはらに、言いようは厳しく表情は険しかった。
「ふざけんなよな」
突き放すようにそう言って、永嶋はドアを開けて廊下へ出た。
「俺もう帰るから。みんなに言っといて」
言葉だけを残して足音が遠ざかってゆく。
胡南は壁に背をつけたまま、一歩も動けなかった。足はまだすくんでいて、気を抜けば崩れ落ちてしまいそうだ。
頭の中は混乱が最高潮に達している。
え?
テストのときに、詰めこんできた知識が一瞬にして真っ白になったみたいに、動揺が静まらない。
ええ?
永嶋、今、なんて?
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