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 進学する公立中学校は、第一小と第二小の二つの校区から生徒が上がってくると聞いて、永嶋は少し期待していた。  もしかしたら、こみなみに会えるかもしれない。  隣どうしの校区だけあって、第一小の話題は事あるごとに耳に入ってきた。自由研究発表会だの陸上競技会だの、小学校の代表や選手どうしは顔を合わせる機会が多いからだ。第一に負けたとか勝ったとか、第一のやつらは乱暴だとかメガネ率が高いとか、噂とも負け惜しみともつかない話題ばかりだったが、そういうのを聞くたびに永嶋はこみなみを思い出した。  あいつ、どうしてんのかな。  別に、探してみようとか会いに行こうなどとは思わない。ただ思い出すだけだ。  だから真新しい制服に身を包んで中学校の入学式に挑んださい、少なからずきょろきょろと辺りを見渡した。こみなみはいるだろうか。  中学受験なんかして、この公立校に来ていないという可能性もある。まあ、もしいるなら三年のうちにどこかで会うだろう。そう思っていたが、結局こみなみとは一度も同じクラスにならなかった。  中三の夏休み、塾の夏期講習のエアコンの効いた涼しい教室で、浦辺の横に見覚えのない男子がいたときも、わからなかった。 「永嶋、コナミくん、第一小だったんだって。同じ中学なんだって。知らない?」  浦辺に言われてちらりと見たけれど、名前にも顔にも覚えがなかったから知らないと言った。気づいたのは幾日も経った後で、コナミの机の上にあったノートをなにげなく見たときだった。端っこに名前が書いてある。ノートを提出する機会があるためだ。その漢字の連なりに、永嶋は既視感を覚えた。  胡南育。  古いという字が入っているから、こみなみだろうか。 「……これ、おまえの名前? これでコナミって読むのか?」 「え? あ、うん。そう。読みにくいよね。ちゃんと読まれたことないんだ」  うつむきがちに、胡南は答えた。  こみなみだ。  永嶋は驚いた。驚きすぎて固まってしまったが、胡南は気づかなかった。  永嶋の記憶にあるこみなみと、まるで変わってしまっている。こみなみは、初対面の永嶋をまっすぐに見た。キャップを差し出しながら、良かったね、と無邪気に話しかけた。なんのためらいもなく、全開の笑顔で永嶋に相対した。  胡南は、永嶋と目を合わせない。長い前髪がそのつぶらな瞳をおおい隠しているせいもあるだろうが、基本的に永嶋の顔をなるべく見ないようにしているのではないかと思う。発言に自信がないのか、声は小さくぼそぼそとしゃべる。なにより、永嶋のことを少々、怖がっているように見える。  永嶋の出会ったこみなみとは、別人だった。同じ中学にいても気づくはずがなかった。胡南自身が、誰からも気づかれないようにしているみたいだった。  おまえ、あのときのやつだよな?   そう、永嶋は訊いてみようかと思ったが、訊いてどうなるというわけでもない。あのときのことなんて胡南は覚えていないかもしれないし。それで結局、こみなみと胡南は別人だと思うことにした。  とはいえ、日を追うごとに胡南は少しずつ打ち解けてきて、慣れてくると目を合わせられるようにもなったし、同級生のように気安く話せるようにもなった。浦辺とはマンガの趣味が合うようで、休み時間にはよく笑い声をたてたりもした。笑うと、やはりこみなみの片鱗が見え隠れする。  永嶋も、マンガは読む。二人の話に混ざりたい気もした。だがしかし、浦辺や胡南の好むようなシュールなやつはちょっと苦手だ。あんまり面白いとは思わない。それで、しかたなく杉戸と将棋を打った。将棋も好きなもののひとつではある。幼いころから母方の祖父に仕込まれて、なかなかの腕前なのだ。ただ、浦辺と胡南の話題に耳をすませていて、将棋のほうが若干おろそかになりがちだ。 「あ、王手!」  向かいで杉戸がはずんだ声を上げた。 「え? は? ちょっと待てよ」 「待てはなしの約束だろ。やったね! 永嶋に勝ったぞ。ねえねえ、俺、永嶋に勝った! すげえ、初めてだ」  やるじゃん、と浦辺が感心し、良かったね、と胡南が杉戸に笑いかける。永嶋はむっとする。杉戸が勝って良かったのはいいが、永嶋は負けたのである。しかもかなりかなり格下の杉戸に。ぼんやりしたのは自分のせいではあるが、なんだか気分が悪い。 「おい杉戸。もう一勝負だ」 「えー、勝ち逃げしたいな、俺」 「許さん。さっさと駒並べろ」 「へーい」  すごいなー、と、胡南がわきから覗きこんできた 「俺、将棋とか全然わかんない」 「……教えてやろうか?」 「ムリだよー。ムリムリ。永嶋の時間をムダにするわけにいかない。ちょっと横から見学しとく。永嶋、次、がんばって」  なんの他意もない笑顔を向けられ、永嶋は少しだけ、気分が良くなった。 「よし、じゃあ本気でやる。ハンデなしな」 「えっ、ちょっと待ってよー。ハンデなしで勝てるわけないじゃん」 「俺に勝った罰だ」  意味わかんねー、と杉戸が泣き言を言い、胡南はまた楽しそうに笑った。

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