13 / 18
2-6
冗談やめてくれよ。
バックヤードで、永嶋は頭を抱えていた。
面倒だから、バイトを始めたことは誰にも教えていない。瀬尾や黒崎や羽柴に言ったら絶対にひやかしに来るに決まっている。それなのに。
白シャツに黒ベストの制服は、格好つけてるようで不本意だったがしかたがなかった。それで、常連の女性客から名前や連絡先を聞かれることがあっても、まだやり過ごせた。
でもなんでよりによって。
日曜日の開店直後だ。バイト先のイタリアンレストランは満員御礼だった。
普段は桐谷が一緒にホールに入っていたが、今日はライブのリハーサルだからと言って休んでいた。おかげで人数が足りずに目が回るほど忙しい。特定の客の接客をしたくない、なんていうわがままは口に出す気にもなれなかった。
「……永嶋?」
メニューを持っていったテーブルで、胡南は見るからに動揺していた。胡南の向かいに、小泉繭香が座っていたからだ。
「永嶋くん、ここでバイトしてたんだ」
「ピンチヒッターな。人が足りないからって。ずっとやるわけじゃない」
「その制服、似合ってるね。女子が見たら喜びそう」
繭香は高一のときに同じクラスだったが、こんなことを言うタイプだっただろうか、と永嶋は記憶を探る。もっと大人しくて口下手なイメージだったが、正直なところあまり覚えていない。
「ご注文が決まりましたらお呼びください」
メニューを渡すと、繭香ははーい、と笑って受け取った。胡南はうつむいたままだった。
イライラする。なんだかとてもイライラする。でも小泉繭香は悪くない。胡南だって、ここに永嶋がいると知っていたらきっと来なかっただろう。だから自分が悪いのだ。それはわかっている。でもイライラする。
本当はあれからずっと後悔していたのだ。胡南に、一方的にイライラをぶつけたことを。
ゲイだと打ち明けた後、気色悪いと避けられてもしょうがないと覚悟していたのに、胡南は普通だった。戸惑っているようではあったけれど、無視されたりはしなかったのでほっとしていた。これで、今までどおり友だちでいられる、と思っていた。
でもだめだ。こうして目のあたりにしてしまうとイライラする。素直に、ムカつく。
女連れてきやがって。なんて、見当違いの文句を言いたくなる。
そんなことばかり考えていたら、永嶋はミスをいくつか繰り返した。
「どうしたの? めずらしいね」
オーナーに、叱られるより心配されて、反省した。仕事に集中しなくてはいけない。
本当はわかっている。永嶋が腹を立てる道理などどこにもない。永嶋は胡南のただの友人で、胡南に彼女ができようと、永嶋の前で彼女と仲良くしていようと、永嶋が文句を言える権利などどこにもないのだ。
さすがにレジは打ちたくないから、胡南たちが席を立ったのを目にしてバックヤードの作業に入った。ホールは混雑が一段落して、永嶋がいる場所から壁一枚挟んだ向こうにレジを待つ列ができている。乾燥から上がってきたコーヒーカップやグラスを所定の位置に戻していると、今はあまり耳に入れたくない声が届いてきた。
「永嶋くん、いないね。帰っちゃったのかな」
「さ、さあ。どうだろうね」
「でもびっくりしたよね。ここでバイトしてたなんて。みんなに教えてあげなくちゃ」
教えてあげないでくれ、と思う。
「そういえばね、あたしの友だちで、永嶋くんと話してみたいって子がいるの。連絡先知りたいらしいから、胡南くん知ってるよね? 教えてくれない?」
「永嶋の連絡先?」
「うん。IDでもいいし、電話番号でも」
「あの、そういうのは一応、本人に聞いてからじゃないと」
「そう?」
そうに決まってるだろう。グラスを握りしめたまま、永嶋は胡南が正常な判断をしてくれたことに安堵する。
「じゃあ、連絡先を教えてもいいか、胡南くんから永嶋くんに頼んでみて」
「え」
「ね、お願い。すっごく知りたがってるの。頼んでね。お願い」
繭香の邪気のない顔が目に見えるようだった。そんなふうにお願いされれば、きっと胡南は断れないだろう。案の定、気圧 されたような胡南の返事が聞こえてくる。
「う、うん。でも、期待しないで」
「そんなこと言わないでよ。絶対よ。約束だからね」
「う、ん。あ、レジ空いたよ。行こう」
両手にグラスがあることにようやく気づき、永嶋はそれをそっと棚に置いた。
しょうがない、と自分に言い聞かせる。
胡南が悪いわけじゃない。繭香が悪いわけでもない。
自分が悪いのだ、と思う。
ともだちにシェアしよう!