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 胡南は、途方に暮れていた。  本当に、永嶋を怒らせてばっかりだ。たちが悪い、と言われてもしょうがなかった。何がいけないのか、わからないのだ。  ゲイのことをわかっていない。  それは本当のことかもしれない。胡南はゲイじゃないから、ゲイのことはよくわからない。でも、永嶋のことは知っているつもりだった。高一の一年間、ずっと一緒にいたのだ。  なのに。  傷つけてしまったんだろうか。  しまったんだろうな、きっと。  ほとほと、自分が嫌になる。  胡南はがっくりとうなだれて、こつんと額をテーブルに乗せた。辺りはざわついている。ほかほかのポテトフライの、いい匂いがしていた。  ホームルームが終わった後、当番が掃除を始めるからさっさと退室しなくてはいけないのに、胡南はなかなか立ち上がれずにいた。昼休みのことが重くのしかかっていて、気分が打ち沈んでいたのだ。 「胡南ー、まだ落ちこんでんの? もう行こうぜー」 「へ? 胡南どうした。腹でも痛えの?」  瀬尾と黒崎が、胡南の机を囲んでいた。何か言わなくてはと思うけれども、何を言っていいかわからない。瀬尾が代わりに答えてくれる。 「永嶋と仲直りできなかったらしいぜ」 「え、こいつらまだケンカしてんの? あのカラオケんときからだろ? 騙されたことまだ根に持ってんのかー。永嶋もけっこう心が狭いな」  厳密に言うと、永嶋はそれで怒っているわけではなかった。でもじゃあ、なんで怒っているのか、はっきりと言葉にして説明はできない。でも薄ぼんやりと、自分が悪いのだということは理解している。  でも、胡南だってちゃんと、考えたのだ。  普段なら使わないあたりの脳まで使って、できる限り考えて出た結果は、まったくシンプルの一言に尽きた。  これまでどおり、永嶋と友だちでいたい。  くだらない話をしたり、バカみたいなことで笑ったり、みんなで遊びに出かけたりしたい。つまり、永嶋と一緒にいたいのだ。  だから、永嶋が怒っているというのなら、その理由が知りたい。そして胡南が悪いのならちゃんと謝りたい。だから、面倒かもしれないけれど話をしてほしい。そして永嶋が嫌じゃなければ、これからも一緒にいてほしい。そう、頼むつもりだった。そのために、昼休みに永嶋を呼び出したのだった。 「胡南ー、うまくいかなかったのか?」 「……いかなかった」 「しょうがねえなー。この俺さまがおごってやるからなんか食いに行こうぜ」 「……行く」 「よし、じゃあ立て!」  瀬尾と黒崎に両脇を抱えられて、まるで連行されるみたいに胡南は教室を出た。そういう経緯で、今ファミレスにいるのだった。 「胡南ー、ほれ、ポテトもピザも来たぜ。そんなとこで死んでないで食えよー」 「……うん。ちょっと、後で」 「アホだなー、食わねえと元気出ねえんだぞ。頭回んねーぞ」 「うわ、どうするよ胡南、クロにアホって言われてるぞ」 「うっせ、瀬尾、この」 「そもそもさ、永嶋はほんとにカラオケのことだけで怒ってるんだろうか」 「そこなんだよなー。つか、なんではっしーがいんだよ。言っとくけど俺は胡南にしかおごんねーからな」  そういえば、途中で羽柴が合流したのだった。なんだかずっとぼんやりしていたから胡南も忘れていた。みんながいるから頭を持ち上げたいけれど、重くて上がらない。 「それは別にいいけどさ。でもめずらしいよな、クロが誰かにおごるなんて」 「まあバイト代入ったし。胡南はさあ、なんつーか、おごってやってもいいって気になるっつーか。ちょっと心配なとこあるっつーか」 「クロに心配されたら世も末だな」 「おいこら瀬尾てめ」 「あーでも俺ちょっとわかるかも。胡南ってなんか危なっかしい感じするもんな。世話やきたくなる感じ。瀬尾も思うだろ?」 「まあな。なんかほっとけないんだよな」 「そういやクロってなんのバイト?」 「ラーメン屋。今度来いよ」 「おごってくれる?」 「絶対やだ」  バイトかー。永嶋もバイトしてたな。  突っ伏したまま、胡南は思い出す。  デート、というものをしたことがなかった胡南は、とにかく普段は行かないような店にと思って少し背伸びをした。そのレストランに、永嶋がいたのだった。女の子と二人きりでお店に入るということに少なからず緊張していたので、永嶋の顔を見たらほっとした。でも、ほっとしている場合じゃなかった。カラオケのとき、永嶋はすごく怒っていた。その理由というのがつまり、小泉繭香だった。だからどう考えても非常によくない状況なのだけれど、永嶋の顔を見たらやっぱりなんだか、安心するのだった。  永嶋は白シャツに黒ベストという、いつにない格好をしていた。小泉繭香が似合ってると言っていたが、胡南もそう思った。似合っているし、すごく、かっこよかった。  永嶋って、やっぱかっこいいよな。  ウエイターだから、仕事の性質上ひっきりなしに店の中を歩きまわる。近くを通るたび、胡南は横目にその姿をとらえた。思わず見とれそうになって、しばしば繭香の存在を忘れそうになった。  でも永嶋は、制服姿だってかっこいい。今日だって、久々に近くで永嶋を見た。  近く。そうだ、近くだ。  すごく、近かった。  隠れるのに必死だったし、暗闇で何も見えなかったから気にしていなかったけれど、少し動いただけでこめかみが永嶋の肩あたりにあたった。  ――おまえさ。  声が、すぐ耳元でした。  こんな近くで人の体温に触れることなど、そうそうあることじゃない。小さい子どもだったとき以来、家族とだって触れ合う機会もない。  それが。  あんな近くに、永嶋がいたのだ。永嶋の肩にあたったこめかみを、胡南はそのまま動かさなかった。なんだか、そうしていたいと思ったのだ。  今思えば、何してたんだろうと思う。思い出せば出すほど、顔が熱くなってゆく。胡南は急いで、テーブルに額や頬を押しつけた。冷やりとしていた表面は、たちどころにぬるくなってゆく。 「おい、胡南が真っ赤になってんぞ。熱でもあんじゃねえか?」 「胡南、どしたー? 具合悪い?」 「だ、だいじょうぶ」  そうは言ったものの、まだ顔を上げられる状態ではない。とにかく今は早急に、記憶の中の掃除道具入れから出なくてはいけない。  ――おまえのことなんか、もう。  唐突に、画面が切り替わる。永嶋の、冷たい声が響きわたる。  ――好きでもなんでもない。  とたん、頭がすうっと冷えた。胸の中に暗いものが広がってゆく。  好き、というのが通常の状態でないのだとしたら、好きではないというのは普通ということだ。普通でいけないことはない。でも、永嶋にそんなことを言われるのは。  とても悲しい。  そんなふうに言わなくたって、いいじゃないか。好きでもなんでもない、なんて。  悲しい。悲しくて、泣きたくなる。 「うー」 「おいどうした胡南、泣いてんのか?」 「泣いでない」 「情緒不安定だな。しっかりしろ、胡南」 「元気だせ。コーラ入れてきてやろうか?」 「うー」 「泣くなって。しょうがねえな。俺らがなんとかしてやるから」  みんな、優しい。心配させて申しわけなく思う。せっかくおごってもらうんだから、すぐに起きてポテトとピザを食べよう。でも、もう少しだけ。 「うー」 「大丈夫だって。泣くなよ胡南ー」  泣いてない。泣いてはいないのだが、なんだか呻きたい気分なのである。

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