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 永嶋は、はやばやと後悔していた。  なんであんなふうに言っちまったんだろう。  どうにも胡南に対しては、衝動的になってしまう。冷静に物事をとらえられなくなって、早とちりしてしまう。  教室へ帰ると、桐谷に言われたのである。 「永嶋ー、クイズ研究会の部室行かなかったのか?」 「行ったけど。なんで」 「青柳がさ、おまえのこと探してたんだよ。急用だっていうからそこにおまえがいるって教えたんだけど、いなかったって言うからさ。まあいいや。青柳から伝言。現国の田宮が、おまえのノートが出てないっつってたって。今日中に持ってこいだってさ」  青柳由美子はもう一人の日直だ。ということは、さっき部室に来ていたのは青柳だったのか。永嶋の居場所を、桐谷が教えていたのだったか。冷静に考えてみれば、もし胡南が画策したのであれば隠れる必要はないのだ。  はあ、と大きくため息をついた永嶋を、桐谷はめずらしいものでも見るみたいな目で眺めた。 「どうしたよ。なんか元気ないじゃん」 「俺は繊細だからおまえみたいにいつも元気いっぱいってわけにいかねえんだよ」 「俺だって元気じゃないときありますー。こないだライブで歌詞とんでものすっごく落ちこんだんですー」 「それでも盛り上がったんだろ?」 「なんでわかる」 「おまえ見てりゃわかるよ」 「えー! 永嶋、俺のこと大好きじゃん。今度ライブ来いよー、見に来てよー」 「気が向いたらな」  放課後、学校を出てすぐに、上がっていた雨がぱらつき始めた。それで、学校に傘を忘れてきたことに気づいた。まだ小雨だったが、そのうち強くなってきそうでもある。まあいいか、と永嶋はそのまま歩き続けた。家まで走るのも面倒だ。  商店街を歩いていたら、スーパーから出てきた彼方(かなた)と出くわした。手にエコバッグを提げている。長ネギの先が飛び出して、いかにも夕飯の買い物帰りといったところだ。 「京ちゃん。どうしたの、傘持ってないの?」  そう言って、たった今広げたばかりの赤い傘の下に入れてくれた。 「学校に置いてきた」 「忘れてきたんでしょ。京ちゃんってときどき抜けてるわよねー」  子どものころから知られている彼方には、何を言われても否定のしようがない。 「ちょうど京ちゃんちに行こうと思ってたの。智恵ちゃんがね、お友だちと飲み会になったんだって。だからあたしが夕飯作ってあげる」 「そうなんだ。夕飯なに」 「すき焼き」 「夏だぜ。暑くね?」 「だって食べたいんだもん。京ちゃんは食べたくないの?」 「食べたい」 「じゃあいいじゃない」  すき焼きは、好きだ。普段ならテンション爆上がりなのだったが、どうにも乗り切れないのが残念なところである。このすっきりしない気持ちのまますき焼きに臨むのは、本意ではない。 「彼方ちゃんさ、ノンケの男好きになったことある?」  歩きながら、永嶋は隣のやや下方にある顔へと視線を向けた。彼方も、身長は低いほうではない。小さいころはずっとずっと高いところにあると思っていた、小さな顔だ。 「あら、なあに? 恋愛相談?」 「別に、そういうんじゃないけど」 「まあね、あるわよ。世の中の男のだいたいはノンケだからね」 「……うまくいったことある?」  彼方はちらりと永嶋を仰ぎ見た。口元がわずかに笑っている。 「なんだよ」 「ううん。それを聞いてどうするのかなって思って。うまくいった例があったら、安心するの?」  永嶋は口をつぐむ。そう言われると、そうかもしれないと思う。 「恋愛なんて人それぞれだし、人のことなんてどうだっていいのよ。京ちゃんは京ちゃんの、好きって気持ちを大事にしなさいよ」 「……でもなー」 「何よ。はっきり言いなさい」 「キツイこと言っちゃったしな」 「あら」  あらあらあら、と彼方は弾んだ声を出す。 「いいわねえ。なんだか初々しい。あたしもそういう時代があったわー。気持ちとはうらはらのこと言っちゃうのよね。素直になれないのよねー」 「うっせえなあ」 「でもね、京ちゃん。意地はっててもいいことないわよ。気持ちをちゃんと伝えるって、大事よ」 「んなこと言ってもなー」 「ね、どんな子? 写真見せて」 「やだ」 「いいじゃない、見せてよ」 「写真なんか持ってない」 「えー、クラス写真とかあるでしょー」 「絶対やだ」 「つまんないわねー。じゃあ、どういうところが好きなのかくらい、教えなさいよ。すき焼き作ってやんないわよ」  相談にのってもらったからか、ここまで話したからそれくらい別にいいかという気になった。そんなことを考えたこともなかったが、永嶋は素直に頭の中に胡南の顔を思い浮かべる。俺はあいつの、どんなところが好きなんだろう。 「……気持ちよさそうに笑うところ、かなあ」  いやーん、と彼方が高い声を上げる。 「いい! そういうの、いいわ! なんかきゅんきゅんしちゃう」 「おい。絶対、智恵には言うなよ」 「言いたい」 「言ったら絶交」 「それは嫌。絶対言わない」  真剣な顔でそう言って、彼方はすぐににやにやし始める。その顔があんまりしつこいので、永嶋は早足になって傘から出た。 「あ、ちょっと待ってよ。濡れるわよ」 「先帰ってる」  アパートまでそれほど距離はない。水溜まりを避けるように走りながら、永嶋は思い出す。  そういえば、胡南の笑うところをめっきり見ていない。  見てえな。  小粒の雨が空から落ちてきては、永嶋の制服に黒く染みをつける。

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