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第5話 いいイレモノと

◆◇◆ 「ふざけんな! そんな言い訳聞いてられるほど暇じゃねーんだよ! 出来ないなら辞めちまえ!」  怒号と共に蹴り上げた椅子が、壁に当たって耳をつんざくような音を立てる。それを聞いて、スタッフの子達が悲鳴をあげながら、散り散りになって逃げていった。  俺はどう見ても時間も体力も余裕があったのに、与えられた課題をこなして来なかったメンバーに腹を立てていた。そこへ運悪く業務ミスを報告してきたスタッフに、思わず八つ当たりをしてしまった。 「ちょっとー、薫次(くんじ)さあん。機嫌悪すぎやしませんかー? あの子達だって、めっちゃくちゃ練習してたんだからさあ」  それを見咎めたバックのメンバーにも、キリキリと引き絞られて、今にもぷつりと千切れそうになっている精神のままに、思い切りぶつかってしまう。 「うるさい! これはお前が口を挟むことじゃないだろう? いや、お前だってダンサーとして問題があるんだ。言われたことを完璧に出来てるわけじゃないんだから……」  そいつは俺が病弱な頃からずっと味方をしてくれていたやつだ。かつては何をしても壊れてしまう体を持て余していた俺を、ずっと変わらず支えてくれていた。そいつに対してさえも苛立ちが収まらず、俺は常に何かに吠えていた。 「まだやれるはずなのに、言い訳ばっかりしてる意味がわかんねーよ。ハコだってメンツだって、いつもベストな状態でいられるわけねーのに」 「だからさあ。あんたならわかるだろう? 本人が何を辛いと思ってるかなんて、他の人にはわからないって。あんたには簡単そうに見えても……」 「そんな事言ってたら何も出来ないだろう! 大体お前だって……」  かつての俺なら、泣いて許しを乞うような内容のことで、今は他のメンバーが俺にそうするようになっていた。それに慣れてしまえば、自分の轍など見失ってしまうものなのだろうか。俺は俺と同じような子達を、全く許せない狭量な人間になってしまっていた。 「ちょ、ちょっと。俺にまで八つ当たりしないでくださいよ。本当に人が変わったみたいになっちゃいましたね。もうバックの子達逃げまくってほとんど希望者が集まらないんですよ。ちょっとは周囲の都合も考えてあげて下さい」  自分でもそれに気がついてはいる。でも、昔の自分がどう思っていたのかなんて、もうわからない。 「そんなに不満があるなら、俺は一人でやるよ。お前ももういらねーよ!」 「はあ? いやいや、さすがにそれは聞き捨てならないでしょ。あーあ、やってらんね。そーですか、そーですか。前のあんたなら、そんなこと絶対言わねえんだよ。今のあんた本当にダメだわ。もういいわ。っつーわけで、俺も辞めますからね。手続きは、代理人通して下さい。じゃ、さよならー」  そう言ってずっと俺を支えてくれていた男が出ていった。 「勝手にしろよ。俺は変わってなんかない。ずっと自分に厳しくしてただけで……」  ハクトに体を作り変えてもらって以降、俺は踊れる喜びを手に入れてしまい、気が狂ったように練習した。どれほど練習しようとも体は壊れず、数日眠らなくても倒れる事もなかった。  何より、胸にいつも抱えていた痛みと爆弾がなくなったことで、いくらでも跳べて、いくらでも体を反ることが出来た。表現の幅が広がり、持久力がついたことで、公演の演目も幅が広がり、寄ってくる人間の数が異様に多くなった。  そうすると、いつの間にか俺を祭り上げようとする者達が出て来始め、病弱で世間知らずだった俺は、頑丈で世間を知らない愚かな男へとシフトした。  身近な人間の忠告を嫉妬と見做し、馬鹿にして遠ざけた。その間に会社も辞め、今は自分で事務所を構えている。俺に経営能力などあるわけがなく、ダンサーが離れ始めると同時に、経営陣も同様に去って行った。  丈夫な体さえあれば幸せになれると思い込んでいた俺は、その願いに反してより不幸になっていた。 「煽てるだけ煽てて、要らなくなったら捨てられて、それを繰り返して人間不信になった。そして短気になって……。バカにも程があるよな」  そう独言ながら、姿だけは美しいのにまるでつまらない様相になってしまった自分を見ていた。艶も華も無くただ手足を動かしているような、味気ない舞踊。最近ではそう形容されることが増えた。 「せっかくいいイレモノを手に入れたのに、中身が腐ってたんじゃ台無しだな」  息が白むほどの寒さの中、一人寂しくそう呟きながら帰路につく。周りには幸せそうに笑っている人がたくさんいる。今日は、カップルなら共に過ごしたいであろう、あのイベントの日だからだ。  俺も本当は、一緒にいるはずの人がいた。でも、そいつも今の俺は嫌いだと言って去って行った。 「欲しいものを手に入れても幸せになるとは限らないなら、要らなかったのに……」  絶望感に苛まれ、寒さに目を擦る振りをしながら涙を拭った。 「人がついてくる時は体がついて来ない、体がついてくる時は人がついてこない。どうすりゃ良かったんだよ……」  重い足をなんとか前へと出して、体重を前にかけるだけのような力ない歩みを進める。真っ白な雪の積もった道を無感情のままにひたすら踏み締めた。  今日は特別に寒く、足早に通り過ぎていく人々の中を、目にたまる悲しみの雫をそのままにぼんやりと歩いた。そんな状態では前方への注意が足りず、勢いよく走って来た人が見えず、正面からぶつかられてしまった。 「わっ……!」  体が丈夫に変わっても、不意にぶつかられた場合は反射神経が鋭くないといけなかったのだろう。俺は咄嗟のことに対処できず、道路へと転げ落ちた。 「きゃー!!!」  周囲の悲鳴が聞こえると同時に、俺の目の前にクリスマスの荷物を運んでいる大型トラックが見えた。真っ直ぐに自分の方へと向かって突っ込んでくる。 ——あ、だめだ。  そう思って、目を閉じた。 ——ハクト……。もう一度だけ会いたかった。  そのままふっと暗闇に包まれた俺は、すうっと眠りに落ちて行った。

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