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第18話 新参者

◆◇◆  配信デビューから一年が過ぎた。孝哉が大学三年になったことで、その後の道をどうするかと思い悩む日々を迎えている。事務所は孝哉を手放す様子も無く、メンバーもこれから先もともにやっていくものだと思っている。  孝哉本人も色々な選択肢を考えていると言ってはいるものの、今最も生きている実感が持てるというチルカを辞める理由を、積極的に探そうとはしていなかった。 「以前立ち消えになっていたツアーなのですが、小規模でもいいので今のうちにやっておこうと条野さんから言われています。孝哉さんが秋になると就職活動が始まると思うので、それまでには今後どうしたいのかを決めていただかないといけなくて……。就職されるのでしたら、チルカは四人に戻すか、別のメインボーカルを探すことになります。隼人さんはそのまま残っていただいて……」  ミーティングでの仁木さんの発言に、俺は違和感を覚えた。孝哉は元々音楽の仕事をするつもりではいたが、それがたまたまミュージシャンになったようなものなので、今後どうするかは慎重に話し合わないといけない。それはわかっている。ただ、どうして俺の去就がついでのような言い回しになっているのかと、少々寂しい思いをさせられていた。 「ねえ仁木さん、その言い方じゃあ俺は孝哉のついでに雇ってもらってるみたいなんだけど。俺の扱い悪くない?」 「え、そんなふうに聞こえましたか? それは失礼しました。でも、あの、孝哉さんがいないと、あなたはベストパフォーマンスを行えないのではないかと思いまして。そうなると抜けることを選ばれるのでは無いかと勘繰っておりました」  仁木さんは、俺の拗ねたような反応に、慌てて両手を振り回しながら否定した。本当はそんな風には少しも思っていないのだけれど、たまには仁木さんを慌てさせたい。密かにそう思って楽しんでいると、それを見抜いた純がさっと間に入り、仁木さんを守るように俺の前に立ちはだかった。 「ちょっと隼人! 真面目なマネージャー揶揄っちゃダメだろう? ほら、気にしないで大丈夫だよ、仁木さん。隼人なんて、一度抜けてもしれっと戻って来れるようなやつだからさ。孝哉がいない間にベストパフォーマンスが出来なくても、しぶとく居残るに決まってるよ。なあ、そうだろう?」  純が、仁木さんに甘えるように腕を組みながら言う。まるで猫がじゃれつくように仁木さんにまとわりつきながらも、その目は俺をじっと見据えていて、執拗に何かを伺っているようだった。 「何だよ、純。何が言いたいわけ……」  純はいつもこうやって人に絡んでくるけれど、それにしては言い回しに熱が入っていることに気がついた。その言葉の中にあるものが一体何であるのかを、俺はきちんと知らなければならない気がして、その瞳をじっと覗き込んでみる。  そして、それが何であるのかが伝わると、俺は申し訳なさに身を切られるような思いをすることになった。 「純、俺はあの時、弾けなくなったから辞めたんだ。今はもう大丈夫だから。孝哉が自分の道を歩くために抜けるだけなら、俺に影響は無いよ」  純は、俺がまたいなくなってしまうのかもしれないという不安な思いを抱えていた。今となってはそれは絶対に起こり得ない事だということを、どうにかして伝えてあげなくてはならない。  たとえチルカでの活動が思うように行かなくても、家に帰れば孝哉と二人で歌える場所がある。それがあるだけで、俺は信じられないほどに強くなれる。ベースが固まれば、人はブレることがない。俺にとっては、それが孝哉と一緒に歌う時間だ。その時間を奪われない限り、他に影響を与えるものは何も無いと言える。  そのことを三人に正確に伝えなくてはならない。俺がいなかった間の三人の苦労は、計り知れないものがあるのだ。少しでも不安を払拭し、安心させてやれる方法があるのなら、それをしないという手は取れない。 「……本当だな? あの時やめたのは、俺たちとじゃつまらないとかいう思いは全くなかったと思っていいんだな? 孝哉がいなくても、俺たちと一緒にまたやってくれるんだよな?」  そう訊ねる純の顔は、怯えの色に染まっていた。俺は怪我をして、そのトラウマから弾けなくなり脱退しただけであって、彼らが嫌いになったことは一度も無い。しかし、それは俺しか知り得ないことであって、三人はずっとその思いに苛まれていたのかも知れない。 「そんなの当たり前だろう? 俺がお前たちと演るのがつまんねえって言った事があったか? 絶対無いはずだぞ。そもそもチルカへの復帰の時も、最初は孝哉を入れるって話なんて無かったじゃないか。色田が孝哉を気に入って、一緒にやりたいって言うからこうなっただけだろ? 俺は、チルカはお前たちさえいれば成立すると思ってる。そこで演るのはめちゃくちゃ楽しい。そこに孝哉がいたら、もっと楽しい。ただそれだけだ」  俺の言葉で納得してくれたのか、純は涙を拭うと「わかった。信じる」と呟いて、耀の方へと走った。純は気持ちを落ち着けるために、耀の力が欠かせない。抱きしめてもらって安心している姿を見ながら、俺は仁木さんに「ミーティング始めましょうか」と言った。 「では、始めましょうか。ただし、あまり面白い話では無いのです。まずはこれを見ていただけますか」  仁木さんはそう言うと、タブレットに幾つかのSNSの一部を撮影したものを表示した。メンバーは皆、仁木さんの近くへと集まり、その画面の中へと注意を向ける。そこに写っていたのは、衝撃的な言葉の数々だった。 「なんだこれ……」  俺たちは、既に起きているという『チルカの問題』を、俄には信じられなかった。 「これは、事務所へ寄せられている苦情の一部です。最近、一部のファンの間で衝突が起きているという報告がありました。それがこのデータなのですが、どうやら今のチルカの体制に関しての不満が原因のようです」  そこに書いてある内容は、チルカがダブルボーカルになった事と、俺が戻って来た事への不満が殆どだった。  四人の時からのファンが、孝哉の存在を疎ましく思っているという内容の恨み事が一つ。そして、俺に見捨てられて辛い時期を過ごした三人の元へ、恋人の孝哉を連れて勝手に戻って来た俺が身勝手過ぎると批判されていた。  そういったことが、ありとあらゆるSNSに書き込まれていた。公式のアカウントには、ほぼ連日のように 『チルカモーショナは四人』 『孝哉はいらない』 『色田がかわいそう。一人でも十分上手いのに、ダブルボーカルにするなんて酷い』 『裏切り者の隼人はいらない』 『五人になってからの音が嫌い』  様々な角度から、俺たちへの不満がぶつけられていた。その中で、最も動揺が走ったのが、 『隼人、色ボケも大概にしろ。公私混同するな。ずっと頑張って来た三人に謝れ』  というものだった。 「隼人さんと孝哉さんがお付き合いをしていることに、ファンの皆様が気が付かれたようなんです。ただの同居でしたらそこまで勘繰られなかったかもしれないのですが、和哉さんと同じお宅で暮らしていると、やはりそれ相応の間柄なのだろうと思われたようでして……」  latchkeyがリリースされてからの俺たちは、禁止されている場所での出待ちや付き纏いという問題行動を起こすファンに困らされていた。ただ、それも人気や知名度があってこそだと割り切って、ある程度は見ないふりをして来た。そのうちに、孝哉と俺が孝哉の実家で同居していることを突き止められてしまったのだ。古参のファンには、それが許せなかったらしい。 「そっか、父さんが有名だから、あの家が実家だってわかっちゃったんですね。そりゃ実家で一緒に暮らしてたら、ただの同居とは思わないだろうなあ」  孝哉はそう言って、画面をじっと見据えたまま黙り込んだでしまった。  言葉を失くしたまま、幾つかのデータをスワイプして、誹謗中傷の内容をチェックしていく。険しい表情と共に動いていたその手が、ある文面を前にピタリと止まった。その視線の先には、画面の中で、あいつが歌を奪われるほどに苦しめられた経験を思い出させるような言葉が、冷たく光を放っていた。 『孝哉ってさ、歌ってるとめちゃくちゃエロいよな。あいつならヤれそう。もしかして、そのためにいるんじゃないの?』  そのスレッドには、他にもそいつに賛同する意見が多く見られた。驚くほど多くのコメントが書き込まれており、中には試しに襲ってみようかという馬鹿げたものまであった。それを見ている孝哉の手は、絶えず震えていた。放心したようにじっと先を見つめたまま、その震えは次第に身体中へと広がっていった。 「俺……、まだこんなことを言われないといけないの?」  絶望に襲われ、パニックの淵へと落ちそうになっていく。でも、あいつに何の非があるというのだろう。ただ真摯に音楽と向き合い、ひたすらにいいパフォーマンスを目指している孝哉を、ただ楽しんで悪く言う人間が貶めるなんてことは、あってはならないことだ。例え他のものが許したとしても、俺にはそれを許すことは到底出来ない。 「孝哉」  俺は孝哉の後ろに周り、いつもギターを弾く時のようにそっと抱きしめた。俺が触れた瞬間、その体はぴくりと弾かれたように反応した。触れているのが俺だとその体が理解すると、だんだんそれは弛緩されていく。 「隼人さん。俺、やっぱり……」  俺は孝哉の言葉を遮るようにして、震えている彼の肩に額をつけた。そして、 「大丈夫だ。俺がずっと一緒にいるから。誰にもお前に触らせたりしない。傷つけさせたりしないからな」  と囁いた。  孝哉のただならなぬ様子を見て、仁木さんが怪訝そうな顔をしている。メンバーも似たような顔をしていたので、改めて孝哉がされていたことを説明することにした。 「ちょっと聞いてもらってもいいか?」  俺がメンバーにする説明を聞きながら、孝哉はそのストレスに耐えるために、小さくスワングダッシュを歌い続けていた。

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