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第20話 どうかもう一度2

「俺もね、一応メンバーに戻ってからのファンの反応は気になってるんで、公式へのリアクションとかは逐一チェックしてましたよ。好意的なものもそうで無いものも、意見はあって当然です。ただ、こういうコメントが増えた時期が不自然に思えたんですよ。だから、色々な方面に手を回して調べました。仁木さん、俺がいる会社がどういうところなのかは、良くご存知でしょう?」  俺がそう問いかけると、仁木さんははっと何かに気がついたように目を見開いた。 「まさか……、そんな危険なことをしたんですか?」 「あいつに勝とうと思ったら、そうするしかないでしょう? でも、これ全て言質取ったって言えば済むことばっかりです。めちゃくちゃ恨まれてるんですよ、やっぱり。ある程度地盤固めて反撃すれば、すぐ勝てます」  誰に対する何の話をしているのかということを、明言してしまうには多少躊躇いがある。なぜなら、ここは事務所のあるビルの貸し会議室だからだ。利用者は会社の人間に限られているが、その社内に敵がいるとすれば、決してここは安全ではない。 「えっ、その書類って石田さんに頼んでたやつでしょう? その書類があるってことは……チルカに関することを調べさせてたってこと?」  俺は驚く孝哉に向かって頷き、手元の会社の後輩プログラマーである石田からもらった紙の資料を全員に見えるように掲げた。 「ちょっと前に、孝哉のところに幼馴染の子から連絡が来たんですよ。大学構内に孝哉のことを探してる若い不審な男が急に増えたらしいんです。明らかによからぬことを企んでそうな奴ららしくて、心配して連絡をくれました。だから、こいつ今休学してるんですよ」 「え、休学? でも、そんなことは聞いて ……」  驚く仁木さんに、俺は 「すみません。こいつが裏で糸を引いてるってわかったからには、あなたに連絡するのも危険だと思って言えませんでした」  と頭を下げた。  本来なら、この人には話しておかないといけないことだという事ははわかっている。こんな形で知らさせれる彼の気持ちを考えると、俺も胃のあたりが重くなっていった。  ただし、あいつがどこでどう俺たちの情報を手に入れているかもわかっていない状態だったため、事務所に関わる人間には話さずに動くことにしていた。それこそ、メンバー、特に同居している孝哉にさえ話していない。 「ごめんね、仁木さん。……お前らもな。あなたが戦おうとしている人を、俺は復帰当初から疑ってたんです。うまくは言えないけれど、何かがおかしいってずっと引っかかっていました。だからあなたにも内緒で、その書き込みをしている奴らを特定してくれって、そういうのが得意な奴らに頼んでたんですよ。うちの会社でコード打ってるやつで、人付き合いが壊滅的に出来ない奴がいるんですけれど、俺の頼みなら割と何でも聞いてくれるんです。そいつが探して、裏まで取ってくれてます。……これ、使って下さい」  仁木さんは俺の手からその紙の資料を受け取ると、パラパラとめくり、内容を確認していった。そこには、闇バイト希望者を募り、新木孝哉を襲うようにと指示している文面があった。そして、それとは別にチルカが内部分裂するようなコメントを残すように指示しているものもあった。 「これはもう犯罪の域ですね。ここまで証拠を揃えられていては、言い逃れもできないでしょう。隼人さん、もう確信されていますよね。私も社内外でいろんな方から相談を受けていまして……この依頼主は、条野さんで間違い無いと思います。全てがそうだとは言い切れないのですが、彼がきっかけを作らせて、悪ノリしたファンたちが拡散させていったと考えるのが妥当だと私も思っています。こういうのは、一度火がついたらなかなか鎮火しません。ですから、本当はチルカの活動自体をしばらく休止した方が……」  仁木さんは声を震わせていた。  彼としては、今日のミーティングでは、最初から活動休止の提案をするつもりだったのだろう。孝哉の身を守ろうとするなら、それが最善の選択であることは疑いようも無い。  ただし、それをするということは、孝哉はまた生きる屍のような生活を強いられることになるということだ。身は守れても、精神は死ぬことになる。  そうなると結局、孝哉はまた死のうとするだろう。それも、二度目ともなると躊躇いは薄れる。俺が一瞬でもあいつを見失えば、すぐにいなくなってしまうに違いない。 「いやです」  孝哉もそう考えているのだろう。仁木さんへ詰め寄ると、彼に縋りついた。無駄なものを嫌う彼のタイトなスーツを鷲掴みにして、力の限り揺さぶっている。力のこもらない左手の方は、ほぼ添えられているだけであることが、それを躊躇いなく見せているという事実が、孝哉の切迫する様子を表していた。 「俺、歌えないと死んだみたいな生活しか出来なくなるんです。何をしても楽しくないし、何を食べても美味くない。誰といても、歌う時にだけ流れる電流みたいな喜びを感じることは出来ないんです。あれがないと、生きてる実感が無くなってしまう……」  色田はそんな孝哉を見て、瞬時にその気持ちを理解したようだ。同じボーカリストとして、歌うために人生の全てを注ぎ込んでいるものとして、共通する意識に心を乱されていた。不安から自分の体を守るために、自らを抱きしめるように体に手を回し、ギュッと締め付ける。二人の必死さに、ボーカリストから歌うことを取り上げるという事実の持つ罪の深さが見てとれた。 「でも孝哉さん、このままステージに立つと何をされるか……」  仁木さんは、あくまでもアーティストの身を守らなければならないマネージャーだ。その立場と役割と考えると、この言葉と決断には何の問題も無いだろう。少なくとも、社会人経験のある俺には納得のいく話だった。  ただ、孝哉は成人しているとはいえ、現役の学生で、そういった社会の柵の中に身を置いた経験が無い。加えて、生きる希望を与えてくれる唯一のものを奪われるとあっては、必死に抵抗せざるを得ない。それもまた仕方のない事だと思えた。 「生きてるって……生きてるって思えることをして、何が悪いんだよ! 面白がってる奴らがどれだけいたとしても、そいつらに取っては小さなことのうちの一つでしょう? 闇バイトでそんなことをしてるのなら、他に割のいい仕事があったらそっちにいくでしょう? その程度のことでしょう? でも、俺にはこれしか無いんですよ! 唯一生きていけるものが歌うことなのに、そのためにしか生きていないのに……俺から歌をとらないで下さい! このバンドで歌えなくなるのは、それだけは、絶対に嫌だ!」  それは、魂の叫びだった。  いつもは癒しを与えるような、芯がありつつも柔らかく、時には甘さも孕むように柔らかく響き渡るその声は、まるで身体中から血を流しているかのような、空間をも壊してしまいそうなほどのエネルギーを放つ、硬質で棘のあるものへと変貌していた。そしてその声を放つ体は異常な興奮状態になり、紅潮した体の中で、あの深い傷だけが白く抜けるように輝いて見えた。 「孝哉さん、でもこれは一時的なことで……」 「仁木さん、ダメです。この話は一旦やめましょう。今日は解散して、もう一度……」  切羽詰まった表情で、色田が仁木さんへと詰め寄り、泣き崩れた孝哉を彼から引き剥がした。そして、俺へと預けると、 「ハヤト、このままここにいたらダメだろう? 今日は一度帰れよ。録りかけの曲のギターレックは別日にしてもらっておくから、その時にまた話そうぜ。な?」  そう言って、俺たちを部屋から外へと送り出した。

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