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19. 大好きな匂い ③
「気にするな。……俺の匂いで安心してくれるのは嬉しいし、麻琴の役にも立てるんだし。謝ることなんてない」
気のせいだろうか。蒼人の声が少し嬉しそうに聞こえるのは。……いや、そんなはずはない。自分の都合の良いように考えているだけだ。
おれが蒼人の匂いで安心してよく眠れたという事実を、蒼人に喜んでほしいと思ってしまった、おれの勝手な妄想だ。
婚約者のいる人に、そんな感情は持ってはいけない。そう何度も思っているのに……。
「……そっか……。蒼人が、そう言ってくれるなら、良かった。……なんか、申し訳なく思っちゃったけど……。ごめんな、入院してる間だけは、服、借りるよ……」
今だけ、蒼人の優しさに甘えよう。
「昨日は、眠れなかったんだ?」
蒼人はごく自然に話題を変えながら、おれの好きなレモンの飴と、レモンティー、個包装になっているレモンケーキを棚の上に並べた。
「なんか、色々ありすぎて、考えてたら眠れなくなっちゃって」
「そうだよな……。考えるなって方が無理だけど、少しでも気分が紛れるかと思って、麻琴の好きな物をいくつか持ってきた。あとで一緒に食べよう」
おれの好物のひとつが、レモン系の物。
……最近になって蒼人への思いを自覚した後に気付いたんだけど、レモンは蒼人のフェロモンの香りに似ている。だからきっと、昔からおれはレモン類が大好きなんだ。
改めて考えると、おれ達二人の距離感のことだって、好みの食べ物や香りだって、全てが蒼人だった。
もっと早くに気付いていたら、違う未来が開けたのだろうか。
無自覚すぎた自分を、こんなに悔やむことになろうとは思わなかった。
朝食後、少し病院の敷地内を散歩しようということになった。そして先生の許可を得て、中庭で蒼人が持ってきたレモンケーキを食べることにした。
蒼人の衣類のことについては、おれの説明だけで納得してくれたらしい。それ以降は特に話を広げることもなく、いつものような他愛もない話を振ってくれた。
つかの間の安らぎというのだろうな。
退院したら、こんな時間も取れなくなるのだろう。
そんな事を考えてしまったら、甘くて爽やかなレモンケーキが、まるでレモンの皮が混じってるかのように、少し苦く感じた。
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