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07 婚約者

「……婚約者?」 「ああ、違うんです! 太陽(たいよう)さん!」 「違うって、なんで? 凛太郎(りんたろう)くんは僕のこと嫌いなの?」 「詩音(しおん)、お前ちょっと黙っててくれ。話がややこしくなるから」  オレがびっくりして言葉を失っているうちに、凛太郎はいつもと違う口調で、詩音と名乗った小柄な男性……というか、よく見ると高校生くらいに見える。下手すると中学生に見えるかもしれない。  そんな子の口から飛び出た『婚約者』というパワーワード。今どき珍しい『子どもの頃からの許嫁(いいなづけ)』か『政略結婚』? そんな言葉が脳裏をよぎった。さすがに、漫画やアニメの見過ぎだろと心の中でツッコんだけど。 「すみません、太陽さん。こいつ……詩音の家族が迎えに来るので、それまで一緒に待っていてもいいですか?」 「あ、ああ……。いや、今日はオレ1人で行ってくるから、凛太郎は家まで送り届けてあげろよ」 「え? 大丈夫ですよ。ちょっと待っていれば迎えが来ますし」 「なぁ、凛太郎。この子……詩音くんだったかな? さっきから、不安そうにお前の腕を掴んだままだ。……何かあったんだろ?」  ちょっとびっくりしたけど、凛太郎と詩音くんのやりとりを見ているうちに、だんだん冷静になってきたオレはあることに気づいた。  初めは、オメガによくある行動だと思ったんだ。自分の意中の人にべったりくっつき、他の人に『自分のもの』アピールをするというあれだ。  でも、表面上は明るく振る舞っているようなのに、どうも、時々キョロキョロと視線を泳がすんだ。 「……僕、知らない人に声かけられて、ついて来られて……怖かったんです」  オレが一言声をかけた途端、詩音くんの眉は下がり、目には涙が浮かんできた。そして声を震わせて、何があったかを教えてくれた。 「そうなんですよ。詩音はこういうことが、昔からよくあって……。だから俺……あ、僕が、留学するまではずっと一緒に過ごしてたんですよ」 「凛太郎くんは、僕とずっと一緒にいて守ってくれるって。だから僕、留学も寂しかったけど、我慢して待ってたんだよ? だからやっと帰ってきて嬉しかったのに、凛太郎くんは大学のことばかりで……」 「俺が留学後は、ちゃんとボディーガードつけてもらっただろ? 今だって近くにいるじゃないか」 「僕は、凛太郎くんがいいの! 婚約者なんだから、一緒にいてもいいでしょ?」  言っても引かない様子の詩音くんに、凛太郎は困った様子で天を仰いだ。 「凛太郎、お家の方が迎えにきたら、そのまま家まで付き添ってやればいい」 「でも……」 「こんなに不安がっているのに、お前は放っておけるのか?」  オレの言葉に、凛太郎は言葉を詰まらせてしまった。  この2人の関係は正直わからない。詩音くんの言っていることと、凛太郎の態度が噛み合わないからだ。  だけど、婚約者と言うくらいだし、小柄で見た目も庇護欲をそそられるようなタイプだし、詩音くんはおそらくオメガなんだと思う。  いくら家の人が迎えにくるからと言って、この状況を見過ごすわけにはいかない。 「オレがちゃんと、キッズスペースに合う材料を見繕ってくるから、心配すんな」 「せっかく……太陽さんと2人きりで、出かけられると思ったのに……」  凛太郎は、わかりやすく落ち込むと、消え入るような声でボソボソとつぶやいた。  ごめんな。オレだって、楽しみにしてたんだぞ? 柄にもなく、いつもより服を選ぶのに時間がかかったくらいだ。  でも、バース科の看護師としては、このまま黙っているわけにはいかないんだよ。 「凛太郎は、ちゃんと詩音くんを守ってやれよ。……詩音くん、気をつけて家に帰るんだよ?」 「はい、ありがとうございます!」  さっきまでの、どこか不安げに視線を彷徨わせていた表情と違って、安心し切った笑顔でぺこりとお辞儀をした。  うん、素直で良い子じゃないか。  オレは、じゃあなと手をあげると、車へ戻り、中からそっと凛太郎と詩音くんを見た。  絵になるっていうのかな。2人で並んでいるのがとても自然に思えた。  凛太郎も初めこそは驚いたけど、とても真面目で素直な子だ。詩音くんも、まだ少ししか話してないけど、きっと純粋でまっすぐな子だ。 「お似合いだな」  思わず口から出た言葉に、なぜか胸の奥がズキッと痛んだ。  オレはその後、1人でホームセンターへ向かった。  事前にネットで検索していた置き畳を見つけたので、寸法に合う枚数をカートに入れた。  ここのホームセンターのある場所は、複数店舗が集まっているため、キッズスペースで遊べるちょっとしたおもちゃや、絵本も購入した。 「これでよし」  2人で持ち帰ることを想定していたので、1人では持ちきれず、結局何度か往復して車に積み込んだ。  ここには、美味しい和菓子と抹茶を中心に、洋菓子も取り扱っているお店がある。  オレ1人じゃ行きづらいけど、意外にも甘いものが好きだという凛太郎を、連れて行ってやりたいと思ってたんだ。  今日はタイミングもいいし、帰りに寄れたらと思ってたんだけど、予定が狂っちゃったなぁ。  オレは時計を見て、ため息をついた。  夕飯も一緒に食べ、甘味を楽しみ、ゆっくりして帰るつもりだった。なんなら、そのままぶらりと買い物をしてもいいと思っていたんだ。  でもまだ時計の針は、帰宅予定時間よりもだいぶ早かった。 「まだ早いから、これ置いてくるか」  月曜日の朝、クリニックに持って行けばいいと思っていたキッズスペースの材料を、今から置きに行くことにした。  裏口でIDカードを機械にかざし、警備員さんに軽く挨拶して中に入った。  アルファ用の待合室まで行くと、邪魔にならない場所に買ってきたものを並べて置く。一回では運びきれないので、何回か往復し全てを運び終えた。 「配置は月曜日早めに来てからにするか」  思ったより量のあった荷物を前に、ふぅとため息をついた。  帰りもIDカードをかざし、警備員さんに挨拶をして、なんとなく重い心のままクリニックを後にした。

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