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just memories 1

きれいな人だな。 折り紙同好会という訳の分からない集まりのフライヤーを渡されながら、都築は思った。 ここの中等部を受験した理由は特になかった。ただ、兄が先に通っていたので自動的に受けさせられたのだ。 小学校の時、明るく友人の多かった都築にとって自分だけ私立へ進学することは気乗りしなかった。けれど、わざと落ちるようなことをするほど愚かでもない。入ればそれなりに楽しいこともあるだろうと、言われるままに入学した。 大した感動もない入学式の翌日、都築が登校すると中等部一年の下駄箱前の広場では上級生たちが朝から溢れかえっていた。みな、自分たちの部や同好会の勧誘のためだ。 その存続のために、どこの所でも多くの新入生を欲しがる。 小学校では陸上部に所属し、記録会にも積極的に参加していた都築は、新たに何か始める気もさらさらなかったので、こちらでも陸上部に入ろうと思っていた。 次々と話しかけてくる先輩たちを愛想笑いでかわす。 どの先輩の顔もろくに見ず、渡されるままにフライヤーを受け取っていった。 うざ。 あともう少しで下駄箱につく。 ただ着いたとしても、校舎内にもまだ見える絶対話しかけてくるだろう上級生の姿に辟易しながら歩いていた。 そんな時、声をかけられたのだ。 「折り紙同好会に入りませんか?」 うつむき加減に、誰とも目を合わせずに歩いていたはずなのに、その声の主には引き寄せられるように顔を上げて応じた。 その変な名前の同好会名の所為もあったのかもしれない。 けれど、それまでにも初めて聞くような変わった名の部活は何個かあった。 流れ作業のような一瞬の中で、その声だけが都築の耳に心地よく響いたのだ。 「あ、指きれいだね。折り紙折るのにぴったりじゃん。」 相変わらず変なことを言っているのに、そんなことよりもその声の主に気を取られてしまった。 おそらく地毛だろう茶色く薄い髪、白い肌に濃い茶色をした瞳は目じりが少し上がっている。身長は都築より10センチは高そうだったが、その線の細さゆえに、ぱっとみだと都築よりも小柄に見える。 初めて声をかけてきたというのに、親密そうな笑みを浮かべたその人の、形の良い薄い唇がまた動いた。 「全然部活動と兼任で大丈夫だよ。絶対出なくちゃいけない日とかもないし、折り紙も折れなくていい。自由自由。」 楽しげに話すその人を見て、都築は目が離せなくなった。 それまでは一刻も早く教室へ行きたいと思っていたのに、今は立ち止まって動けない。 彼が生きてきた中で紛れもなく一番きれいな人。 「あ、それから、」 そのきれいな人はおもむろに都築の肩に手を置いて、小さな声でいう必要もないことを頭を寄せてわざわざ耳元へ囁いた。 「冷蔵庫にいっぱいアイスもあるよ。」 そのまま視線を重ねてくる。 同時に今度はいたずらっぽく微笑んだ。 一瞬一瞬がまるでスローモーションのように感じて、唇を寄せられた耳からは熱が広がりその奥でいつまでも彼の声が響いている。 何か答えなければと、ふわふわとした意識の中でやっと考え出した瞬間、紗がかかっていたような目の前がいきなり現実的な色味に変わった。 誰かが、都築の肩に置かれていたその細い腕を取り、そのまま引き離したのだ。 よろめき、体制が崩れそうになっていたのを、都築がとっさに腕を伸ばして支えようとしたが、その必要はなかった。 そのまま、背後にいつの間にか現れた大きな身体へもたれかかる格好になったからだ。 「柾。」 きれいな人が名前を呼んだが、柾といわれた方はそれに返事はしなかった。かわりに都築へ声をかける。 「びっくりしただろ。ごめんな。」 そう言って詫びた柾という男は、都築よりも背の高いそのきれいな人よりも更に高い身長をしている。骨格も肩幅もしっかりしていて、ついこないだまで小学生だった都築には、すっかり大人の男に見えた。 柾が、今度は胸元で寄り掛かったままのその人へ視線を落とす。 「距離が近いんだよ。新入生だぞ。」 「え、そう?」 言われて、きょとんとした顔で柾を見上げている。 腕をつかまれ、背中も肩も触れ合っているのに、当たり前のように胸元に収まったままだ。 「ごめんね?」 「いえ・・・別に。」 「おれはね、中等部三年の早島悠斗です。」 目をやると、胸ポケットに留められた名札の校章が深緑で刻印されていた。 一年生は臙脂色、二年生は芥子色、三年生はこの深緑が中高共通の学年カラーとなっている。 「それね、おれが折ったの。」 悠斗はいつの間にか自由にされていた手で、先ほど都築に渡したフライヤーを指さした。 はがきサイズのペラペラの紙の端に張り付けられた、普通折り紙の八分の一サイズで折られた青色の車。 白くてきれいな指先が、青い折り紙の上をすべる様子が、都築の頭の中で再生された。 「なにこれーって感じだと思うけど、やってみたら意外と楽しいし、もちろんやんなくってもいいし。すごいゆるいとこだから、良かったら来てみて。」 ね、と最後に付け加えて悠斗が覗き込むようにして笑った。 行くぞ、と柾に促されて悠斗も並んで歩きだし、バイバイと振られた手がひらりひらりと宙を舞う。 そうして、都築は人ごみに紛れていく二人の背中を見えなくなるまで見送った。 ―あの時、悠斗さんがおれに声をかけた理由なんて、何もないですよね。  だけどそれでも、あの大勢の新入生の中からおれに話しかけてくれたこと、 悠斗さんに会えたことが、何よりこの学校を受験したことの意味だと思ってる。―

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