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約束

校舎裏の雑木林に向かってガラス窓が造られたカフェテリアは、緑が目に鮮やかで枝葉の間を縫ってキラキラと漏れ入ってくる光が美しい。 中高生の使うカフェテリアと大学生のそれは分かれていて、風紀の観点から通常両社は行き来できない。 同好会や部活動は中高大と一緒になって活動するのに、カフェテリアだけが別なことが不思議ではあるが、決まりなのだからしょうがない。 しかし悠斗と二学年離れている都築にとってこれは頭の痛い問題だった。 高校二年から丸二年間、カフェテリアで悠斗に話しかける機会が奪われたのだ。 たとえ気持ちが伝えられなくても、仲のいい後輩の一人だと思われていても、出来るだけそばに居たかった。 悠斗の顔が見たかった。 「悠斗さん」 一番窓際の席。今はもうタイミングが合えばここで会うことができる。 昼時だというのにアイスコーヒーだけしか飲んでいない彼に声をかけた。 極端に小食なくせに、悠斗が風邪を引いた所を都築は見たことがない。 都築が考える悠斗の謎の一つだ。 「またそれしか飲んでない。お腹すきません?」 悠斗とは正反対に、おかずもご飯もすべて大盛りで注文した皿をトレイに乗せた都築はそれを悠斗の目の前のスペースに静かに置いた。 「食べます?」 「・・・要らない。」 悠斗はアイスコーヒーのストローに口をつけて、そのまま一口二口と飲んだ。 ストローを持つ細い指先を、アイスコーヒーが通過していく喉元を重ねて見る。 何気ない一瞬が、都築にはいつもスローモーションに見えた。 「もしかして緊張してます?」 おかしそうに都築が尋ねる。 「緊張なんかしてない。」 「そうですか?おれはしてるけどなー。」 「は?」 「悠斗さんと話すときはいつも緊張します。」 大きく見開かれた目に、自分の姿が映っているのを都築は見とめた。 その茶色い丸い瞳が、すぐに戸惑うように左右へ揺れたことも、見逃さない。 「大丈夫。おれらの話なんて聞いてる人いないですよ。こんな混んでる時間に。 大体、今の話聞かれたくらいじゃ誰も何にも思いませんって。 おれらが二人でここで飯食うなんて今までにも何回もあったでしょ。 それより、ほら、そんな顔してる方が良くないですよ。笑って?」 合わせていた悠斗の不安げな目から手元の食事へ目線を落として都築が言った。 箸を取り、いただきますと小さく言って食べ始める。 都築は、悠斗と柾がその関係を知られないように注意深く接していたのを知っていた。 現実、二人のことに気づいたのはたぶん自分だけだったろうと思う。 二人は必要以上に校内で近づくことはなかったし、二人だけでいることも少なかった。 完璧な友人関係を装っていた。 時折かわす優しい視線のやり取り以外は。 だから、悠斗が自分はそういう性的嗜好の人間だと不用意に他人に知られたくないということを都築は承知していた。 「朝ごはん、米食べました?」 「・・・え?」 突然された謎の質問に、悠斗が怪訝そうな顔で返す。 「悠斗さん、朝ごはんが米だとお腹いっぱいになっちゃって昼ごはん絶対それだけになるでしょ。だから朝はなんか米でも食べてきたのかなと思って。米じゃなくても・・・餅とか?」 「お餅なわけないじゃん。」 咄嗟にそれは否定したが、朝食が米だったことに間違いは無かった。 中学から同じ敷地内の校舎へ通う悠斗は、もちろん今も実家暮らしで今日も彼の母が用意した朝食を摂ってきた。 メニューに決まりはなく、あるものが適当に出される。 お茶碗に一杯のごはんとお味噌汁と卵焼き。どこでも見慣れた物だった。 都築の言う通り、小食の悠斗は朝に腹持ちの良いもの食べると、夕方ごろまでまるでお腹が空かない体質をしていた。 パンやシリアルの日はそれなりに昼食をとることはできるが、それでも軽食のみで充分となる。 それはもう小さな頃からそうで、それでも身長は175センチまで伸びたのだから遺伝に感謝だ。 そんなことよりも、悠斗はそんな自分の食生活まで把握し、さらりと口に出した都築に驚いていた。隠さずに表情にも出してしまう。 「怖っ!って思ってます?」 「・・・うん、ちょっと。いや、だいぶ。」  ハハ、とうつむきながら都築が短く笑った。 そのあとに何か続いて話し出すように見えたが、気のせいだったのかそのまままた食事を再開しだした。 つかの間の間に、先ほどよりもカフェテリア内に人が増え始めている。 ここは基本的に10時から16時の間であればいつでも開いているが、今はちょうどお昼時となり、一番込み合う時間帯だ。 都築と悠斗が着席しているのはちょうど二人用で、みるからに定員を満たしているその席に近づく者はいなかった。 そばを通るざわめきは小さくなったり大きくなったり、その持ち主はみな自分たちの話題に精一杯という風に歩いていく。 「今日はバイトないですか?」 食べながら都築が聞いた 「バイト?無いけど。」 本当のところ、今日悠斗にバイトがないことはすでに予想していた。 何年も何年も、悠斗を見てきたから、その生活サイクルやそれに伴うバイトの入れ方の好みまで完全に把握している。 けれど、先ほどの話題の直後にこのことまで明らかにしてしまったらさすがに嫌われるような予感がして、都築は言葉にしなかった。 あえて本当に尋ね聞くような言い方をした。 「じゃあ、今日一緒に帰りません?」 今朝の告白もそうだったように、出来るだけ落ち着いて、切羽詰まったような言い方にならないように気を付ける。 冷静に、穏やかに、余裕をもって。 心の底から悔しいけれど、考えたくもないあの人物の雰囲気を真似る。 いまは、できるだけ悠斗の好みに装うことにする。 少しでも気持ちをこちらに向けて欲しいから。 二人は最終の居住地区は違っていたが、使っている電車の沿線が同じだった。 駅までは確実に、そこからも数駅分は一緒に過ごせる。 「どこかに寄るわけじゃないですよ?いつもと同じで歩いて駅まで行くだけ。」 もう数えきれないほど偶然を装って一緒に下校したのだ。 けれど今日は、約束をして帰りたかった。 「ね?」 にっこりと笑いかけた笑顔が、うまくできているだろうかと都築は不安に思った。 どうか本当の気持ちが透けて現れていないようにと願う。 悠斗は、つい昨日までただの後輩だった男の顔をじっとみている。 姿かたちは何も変わっていないのに、昨日までとは明らかに違っていることにと途惑っている様子だ。 何かを思案するように眉根を寄せた後、数秒俯いてそれからまた顔を上げて短く息を吐いた。 「いいよ。」 短く答えたその声は、都築の大好きな声をしていた。

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