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just memories 2

 入学して二週間ほど経った頃、新入生たちは部活や同好会へ入部届を出しに行く。 都築は昨日すでに陸上部への届けは提出していた。 今日はあの、折り紙同好会へ参加希望書を持っていくことにしていた。 フライヤーに書かれてあった場所は、中等部校舎二階、高等部校舎へつなぐ連絡通路のすぐ手前にある教室とのことだ。 一年生の教室がある一階から階段を上ると、踊り場にガラス張りのFIX窓があり、北向きに開かれているそれは丁度よい柔らかな光を招き入れている。 折り返すようにしてまた階段を上っていく。 先に連絡通路が目に入り、それから当該の教室を見つけた。 ひと気の消えた校舎では、ささやく声さえ響きそうなものなのにその教室からは全く音がしなかった。 誰もいなかったら明日来るか。  届け出提出の期間は一週間。陸上部も始まるまでは余裕があった。 私立校のくせに何年も前から変えていないだろう古びた木製の扉に手をかけて、がらりと戸を引く。 ノックすれば良かった。  都築がそう思ったのは、開けた瞬間に廊下からの風が教室へと吹き込み、そのせいで何枚もの色とりどりの折り紙が宙を舞うようにして床へ落ちたからだ。 その中の一枚が、都築の靴に当たって止まった。 「すみません。」 慌てて拾い上げ、皴にならないように気を付けて手で表面を払った。 今度は足をかがませて、床に落ちた折り紙を拾おうと手を伸ばす。 「気を付けて。手を切るよ。」  かけられた声の持ち主がだれか、都築は一瞬で察することができた。 入学式の翌日、あの数分しか言葉を交わさなかったのに、彼の中でずっと耳に残っていた声だ。 顔を上げると、やはりその人物が立っていた。 薄茶色の髪に、白い肌。目じりと口角が形よく上がり気味になっているので、その表情は猫を思い出させる。 今日は髪を少しセットしているのか、前回よりも少し全体がふわふわとしていた。 「大丈夫。良くあることだから。廊下側の方が風がきついんだよね。」 言いながら悠斗もひざを曲げて折り紙を拾い出す。 細くて白くて、長い指先。 皮膚の薄そうなその指の方があっというまにスッパリと切れてしまいそうだと都築は思った。 「こないだも誰かやってたよ。ほんとしょっちゅう。だからさ、ここの折り紙種類分けとかしてないんだよね。適当に集めて籠に入れて終了。」 だから気にしないように、と念を押すように都築に笑いかけた。 慣れた手つきで拾い集める悠斗に倣い、都築も手早く集めていく。 そして本当に種類も大きさもばらばらに集めた折り紙をトントンと気持ちだけ角をそろえてひとまとめにし、机に置かれていたプラスチックの籠にバサッと入れてしまった。もちろん都築もそうして籠に戻した。 「一年生だね。入会希望?見学?」 作りかけだっただろう折り紙もすっかりどかしてしまい、悠斗が席に座るように促した。 改めて都築が教室を見渡すと、そこには悠斗しかおらず、真ん中に四つの机と椅子が四角になるように集められておかれていた。 それとは別にあと5、6席の机と椅子が壁際まで下げられている。 教室に設置された黒板と、壁には今まで作ったのであろう様々な折り紙の作品が飾られていて、動物だったり、どこかのお寺のような建物だったり、大きな花だったり。 質感も変えてあるのか、冷たい雰囲気のものもあれば柔らかな温かみを感じるものもある。 最初に気軽く説明をしていた割には、本格的に活動しているような風情だった。 そういえば、あの時に言っていたアイスの入っていると思われる小さな冷蔵庫も、教室の隅に置かれている。 促されるまま向かい合うように座りきょろきょろと周りを見渡す都築を、悠斗は質問の答えをせかさずに待っていたが、その視線に気づいた都築が慌てて返事をした。 「あ、入会です。」 「え、入会?」 聞いてきた癖に驚く悠斗に、かまわずこくりと頷いた。 「いいの?」 「はい。あ、でも陸上部にも昨日入ったんです。だから練習のない日に参加することになるんですけど。」 「そっかそっか。全然良いよ。だって見て、今もおれしかいないじゃん。」 同意を求めるような表情を作った悠斗に、都築も笑顔で応じた。 「じゃあ、入会届もらうね。持ってきてる?」 言われて都築は胸ポケットに四つ折りにして入れていた入会届を悠斗へ渡す。 「ありがとう。えーっと、都築・・・ごめん、これ下の名前は何て読む?コウ?」 「ワタルです。その亘でワタルです。」 「つづき わたる君ね。了解。」 名前を読み上げられただけなのに、胸をつかまれたように苦しくなる。 あの時声をかけられてからずっと感じていた予感が、まぎれもなく当たっていることを都築は確信していた。 どうして?だの、なんで?だのとは思わない。自分がそういう嗜好の人間だということはとっくに承知していたから。 「ちょっと待ってくれる?いろいろ説明したいんだけど、その前にこれ大事だから名簿ファイルに入れるから。」 名前を呼ばれた余韻に浸っていると、そういって悠斗が机の中をごそごそと探り出した。 「うーん。あれ?無いな??」 体を傾けて覗き込むようにして探している。 なかなか見つからないのか、どんどんと姿勢が悪くなっていく。 柔らかな前髪が、体の動きに倣って横へ流れる。 悠斗の形の良い目を縁取る上睫に、ちらちらと前髪が引っかかるのを都築は見とめた。 少しだけ。 都築は椅子から体を持ち上げて、悠斗の髪へ手を伸ばした。 指先を少しずつ彼の前髪へ近づけると、必然的に都築の顔も近寄った。 悠斗からわずかにシトラス系のにおいがすることに気づく。 何の匂いだろう。 そう思った瞬間、ガラリと音がして教室のドアが開けられた。 同時に悠斗が顔を上げたので、都築も指先を引っ込めて開かれたドアの方を見やった。 「柾。」 そこには、この間悠斗の行動を諫めた生徒と同じ人物が立っていた。 振り向きざまに目が合った時、柾といわれた男の顔が怪訝そうな表情を作ったように見えたけれど、すぐにそれは気のせいだったかと思い直す。 瞬きほどの瞬間に、彼の表情はなんてことのない顔をしていたからだ。 「見学希望?」 後ろ手でドアを閉め、柾が中へ入ってきた。 「いや、入会希望。すごいだろ。今年は二日目にもう来てくれた。」 「ああ。去年は最初の一人は三週間後だったもんな。」 三週間といえば、所属する部を決める期間をとうに過ぎてしまっているころだ。 誰も希望者がいなくて、必死で勧誘をかけたのだろう。 笑いあう二人を見て、来なくても良いのにと恨めしい気持ちで柾のことを思った。 「それより柾、名簿知らない?ここに無いっぽいんだよね。」 「名簿なら昨日先生に言われておれが渡した。確認したいことがあるって。」 「なんだ、そうだったんだ。」 ほっとしたような顔になり、悠斗は都築から受け取った入会届を柾へ手渡すような恰好をした。 「これ大事だからさ、職員室に言って先に先生に渡してきてよ。おれはその間に都築にここのことについて説明するから。」 はい、といってさらにその腕を伸ばす。 「待て。説明って、お前が?」 「え、なんだよ。」 「やめろ。説明ならおれがする。お前が説明してたらただの世間話になっていつまでも終わらないだろ。それはお前が持っていけ。」 柾は丁度胸元あたりに差し出された紙を、体をずらして拒否をした。 「おれのことなんだと思ってんの?失礼な奴。」 言いながら、それでも悠斗は素直に椅子から立ち上がった。 そのまま柾の肩へ手を伸ばす。 「ごめん、じゃあ説明はこの人がしてくれるから。おれと同じ三年で、 名前は七井柾っていうから。顔は怖いけど、中身は普通に良い人だから。」 「普通ってなんだよ。いいから、早く行けよ。」 悠斗に手を置かれていた肩を、そのまま彼の体へ倒すようにしてゆっくりと押した。 柾は中等部三年ですでに170センチ後半くらいありそうだ。 何かスポーツをしているようだが、それがすぐに見てわかるような体形ではなく、 整った骨格がそれを表していた。 ツーブロックに切りそろえられた黒い髪に、涼しげな眼。 悠斗とは違い、まだ四月だというのにその肌はすでに日に焼けているようだった。 まだ声変わりの完了していない都築が聞くと、柾の声はまるで大人と同じだ。 二年違うというだけで、姿かたちから何もかも自分と違うのだなと、都築は柾を見て思った。 「じゃあ、うちのことについて説明しようか。」 柾に体を押されるようにして教室を出た悠斗を確認して、都築が今度は席に着く。 向かい合うと、都築は自分の体の小ささをより一層感じて、言いようのない焦燥感に襲われたのだった。

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