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散歩道

今朝好きだと言った時も、カフェテリアで一緒に帰ろうと言った時も、悠斗の返事の予想はついていた。 都築は、出会ったころから悠斗が他人に対して非難したり拒否をしているところを見たことがない。 都築からしたら取り合う必要もないだろうと思われる珍妙な意見や、不快な態度に出くわしても、悠斗はいつも凪のようにかわしたり真摯に向き合ったりしていた。 そしてさらに、人を邪険にするという術を知らないということに加え、押しにとにかく弱いという性格も今回は大きく都築を助けてくれた。 「付き合ってほしいなんて言ってない。ただこれからは、そういう目でおれを見て欲しい。」 そう告げた後、悠斗は都築の予想通りの答えを口にした。 「分かったよ。」 もしも自分が悠斗だったらと、都築は考える。 何年も後輩として接してきたのに、彼氏と別れた途端いきなり好きだと言い出した。 正直七年も何の感情も持たなかった相手の気持ちなど、傷心の今かまっている余裕なんか全くないだろう。 就活も差し迫っているというのに、これが迷惑でなくてなんというのだ。 冷たくとは言わなくても、やんわりと、けれど確実に断る。 でも違った。 彼の優しさに付け込んでいるような気がしないでもないが、都築にとってももう、これが最初で最後のチャンスだ。 悠斗を振り向かせるために、少々狡くてもしょうがないと考える。 絶対に、次は自分だけのものにしたい。 ガラス扉に映った自分へ、都築は心の中で声をかけた。 待ち合わせたの図書館前。 レンガ造りの二階建てのその建物は、アーチ型の窓がレトロでかわいらしい。 壁沿いを飾る植栽にはヤマモミジやオタフクナンテン、セキショウなど和を感じる植物が採用されており、四季を通して美しい雰囲気を見せている。 もちろん蔵書数も素晴らしく、ここへ調べものにきて見つからなかった本は今までなかった。 司書の選んだ漫画や雑誌もたくさん置かれていたので、一年中多くの生徒に利用されている。 「お待たせ。」 ふいに、窓には映らない角度から悠斗が現れた。 「待ってません。」 すかさず答える。 今日の悠斗の格好は、グレーの開襟のシャツに黒のタックパンツだ。 どちらも大きめの作りに加えて、柔らかな素材の所為で悠斗の体を一層華奢に見せている。 みんなに心配されるからといって細いといわれることが好きではないくせに、大抵こういう服を選んで着ていた。 「行きましょうか。どっちの道で駅まで行きます?」 「別にどっちでもいいよ。」 「じゃあ、散歩コースで。」 都築たちの通うこの学校は、広い敷地内に中等部、高等部、大学までがすべてまとめて集結している。 場所は元々は山、というには低すぎる小さな山を拓いて造られた。 最寄り駅から学校までは、その駅名に学校名が使われているくせに歩いて10分ほどかかる。 その最短距離のコースが正式に通学路とされているルートで、正門へと続く道までは道幅も広くきれいに舗装されており、途中からは御影石が敷き詰められた石畳に変わる。美しく整備されたその道は、学校のパンフレットにも大きく掲載されている。 無論多くの生徒はこちらの道を使う。 しかし、都築が言ったように道はもう一つあった。 正門とは別に校舎西側のテニスコートの裏から出る散歩コース。 ぐねぐねと迂回しながら林の中を歩いていく道で、駅までは20分ほどかかり、道幅も狭く塗装もされていない。 一応遊歩道と案内はあるので、学校側の認めている道とされているが、それにしては人が通り続けたがために出来たとしか言えないような歩きづらい道をしていた。 けれど、なにより穏やかに移り変わる植物の様子が美しく、聞こえてくる小鳥や虫の音心地いい。 あえてこちらの道を使って登下校する者も少なからず存在している。 校舎を抜けて、テニスコート裏の遊歩道入り口とおかれた看板の前を悠斗と連れ立って歩く。 春がもう通り過ぎようとしている今、日ごと木々の緑は自由に濃淡をつけ、風が吹くたびに形を変える。 「すみませんでした。」 二人並んで歩くのがやっとな道幅で、すぐそばの悠斗へ都築が声をかけた。 その言葉が予想外だったのか、悠斗は目を丸くして都築を見上げた。 「え、すみませんって言った?」 「はい。」 「・・・何が?」 怪訝そうな顔で見てくる悠斗を一瞥しただけで視線は前へ戻す。 「あまりにも悠斗さんの話を聞かなさ過ぎたなと思って。いや、聞いたところで結局悠斗さんの意見は関係ないし。って多分言っちゃうんですけど、それにしてもちょっと悪かったなと思って。すみません。」 「何それ。結局おれの意見は聞かないけどってこと?」 「それはまあ、はい。そうですね。」 息の漏れるような笑い声の後、ずっと硬かった悠斗の頬がゆるんだ。 融通の利かない子供のわがままを言っているような都築に可笑しさがこみ上げたのだ。 「なんだよそれ。じゃあもう謝らなくたっていいよ。」 今度は声をたてて笑った。 「うん。謝るのはたぶんこれが最後です。」 「うん。・・・ん?」 「今朝も言ったけど、これからはおれのことを自分に好意を持ってる人間だと思ってみて欲しいです。悠斗さんに優しくするのも、そばに行くのも、触るのも、全部深い意味しかありません。」 散歩コースに人の気配はなく、それは都築がこの道を選んだ大きな理由だった。 周りの様子など気にせずに、自分の思いを聞いてほしかった。 「悠斗さんの気持ちも、体も、悠斗さんの物です。だから、おれと話したくない時は話さなくていいし、おれがそばによって嫌だと思ったら離れてもらっていい。でも・・・でも、もうそうなっても謝らないです。おれの気持ちもおれのものだから。」 ずっと我慢してきた。 ずっとあの人の物だったから。 あの人のことしか見ていなかったから。 だからもう、待ってなんていられない。 「それから、おれは悠斗さんと柾さんのこと、人に話したこととかありません。おれが悠斗さんを好きなことも、学校内の誰にも言ってません。だから、おれに近づくことで悠斗さんの、その・・・大切にしてることがばれるとか、明かされるってことはないから。それは絶対だから、嘘じゃないから、信じて欲しいです。」 言い切ってから、都築は後悔した。完璧に焦ったような切羽詰まった話し方になっていただろうと思う。 柾のように、穏やかで余裕のある話し方とは、まるで違っていたことに話しながら気づいていた。 けれどもう、途中から修正することなどできなかったのだ。 恐る恐る隣の悠斗を見やると、先ほどと変わらずにこちらを見ている。 「思ってない。」 悠斗は都築から視線を逸らさずに言った。 「都築がおれと柾のことを誰かに話してたのかとか、そんなこと最初から思ってない。都築がそんなことするような奴じゃないって、知ってるよ。」 なだめるようにやさしい口調で話す悠斗に、都築が追って話し出そうとする。 しかしふいに腕をつかまれて制された。 「待って。さっきおれの話も聞かなくて悪かったって言ってなかった?じゃあちょっと聞いて。」 悠斗は一度目を伏せて、ゆっくりと息を整えた。 「朝からびっくりしてることばっかりで、都築の気持ちが嬉しいよ、とかありがとう、とかは言えない。けど、都築の気持ちは分かったよ。それはもう、充分わかったから。」 そういって都築の背中をゆっくりを撫ぜた。 都築は喉の奥で、何か固いものでも詰まったように息がうまく呑み込めない。 林を抜けていく風が、行きすがら悠斗のシャツを膨らませる。 ひらひらとなびくそのシャツを、引っ掴んで引き寄せて、加減も分からないくらい抱きしめたい衝動にかられたが、必死で堪えて、かわりに出来るだけ平静を装うように努めて言った。 「じゃあもう、明日から・・・今日からは遠慮しないんで。」 気を抜くとすぐに滑りそうな砂利の下り道。 気を付けて、と言いながら悠斗には合わせずにゆっくりと歩いた。 今この瞬間がもったいなくて。 できるだけ続いて居て欲しいと思っていた。

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