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just memories 3
柾から受けた折り紙同好会の説明は単純で、
何らかの部に所属している場合、そちらが優先で良い。
週に何回でも、何時に来ても良いし何時に帰っても良い。
同好会存続のため、文化祭への作品出展は絶対で、その参加だけは協力してほしい。
とのことだった。
三つ目の作品出展のための協力については、夏季休暇期間学校敷地内の元々は寮として使用されていた建物で行われると言われ、一泊二日の泊まり込みでひたすら折り紙を折り続けると説明を受けた。
どうしても部活動との予定が合わない売位は参加不可で良いとのことだったが、六月中旬に配られた陸上部の夏季休暇中の練習日程に、陸上部では夏季休暇中の練習は平日のみと記されていたので、早々に折り紙同好会の合宿への参加は可能と返答していた。
入学してから三か月、都築は陸上部の練習の方が忙しく、折り紙同好会へはなかなか行けず、やっと時間ができて顔をのぞかせても、悠斗は居ない時の方が多く、居たとしても一時間もしないうちにじゃあねと帰っていく。
もっと話したいと思うのにいつも叶わずにいたので、合宿の連絡が来たときはすぐに参加の返事を出した。
時間が合わないことは多かったけれど、顔は一応覚えてもらえていて、廊下ですれ違えば笑いかけてくれた。
今日は会えるか、声を聴けるか、前よりも長く話せるか、朝起きてから下校するまで、都築はそんなことを考えていた。
それでも思い返せば、この時はまだ憧れのような、アイドルを推すような感情で悠斗を見ていたと思う。
一年生にとっての三年生とは異次元に大人で、付き合うなんて想像もできない存在だった。
見た目が好みで、優しい先輩。
ほかの後輩たちよりも、認知されていたら嬉しいと思うくらい。
ここからどんどん悠斗しか見えなくなるなんて、この頃の都築には予想できていないことだった。
夏季休暇に入って割とすぐの七月下旬、折り紙同好会の合宿が行われた。
午前9時に集合から全体への挨拶なんてもちろんなく、折り紙同好会で一番上の学年である高等部一年の生徒から、この合宿中に作り始める作品の説明書きがなされたプリントを配られた。
今年は折り紙で何色ものバラを折り、組み合わせて大きなモザイクアートのようにするというものだった。
最終的に浮かび上がってくる絵は校長の愛車という謎のチョイスだ。
しかし都築にとても誰にとっても、そんなことはどうでも良かった。
一泊二日、ただ折り紙を折り続ければいい。
もちろん合宿中には終われないので、この後は各自持ち帰って振り分けられた折り紙を折ることになるだろう。
都築は今日初めて折り紙同好会のメンバーが集まったのを見た。
いつ教室に行っても多くて3人ぐらいしかおらず、一回見ただけでその後全く会わない生徒もいた。
でも今見てみるとざっと数えただけでも20人は居そうだ。
「こんなに居たのか・・・。」
配られたプリントをめくっていくと、同好会会員の一覧名簿がある。
全員で25人。
中等部一年は続きを入れて5人だったけれど、その誰の名前も分からなかった。
「おはよう。」
その耳触りの良い声で、それが誰だかすぐにわかる。
都築はプリントから顔を上げた。
「おはようございます。」
七月の朝九時は、もうすでに蒸し暑い。
けれどそこに立っている人物は、白のTシャツにグレーのスウェットという淡い色合いの服を、色素の薄い体に着用しているせいで、やけに涼しそうに見える。
「陸上部の練習は?今日無いの?」
「あ、はい。土日は無いんです。」
「そうなんだ。あれ、でも月曜日は?練習?」
「はい。」
「え。大変じゃない?・・・休んじゃえばよかったのに。」
ふいに近づいて来て、耳元で聞こえないように囁かれた。
頬をかすめた柔らかな髪からはわずかにシトラスのにおいがして、都築は身長差が縮まったような気がした。
言い終えて合わせてくる視線に、睫の色も薄いんだな、と全く関係のないことに気づく。
「悠斗、絡むなよ。」
諭すような声がして、声の主へ目をやると数人の友人と一緒に柾が立っていた。
「別に絡んでないけど。」
「余計なこと言って困らせるなよ。」
「困らせてないって。心配してただけだし。」
言いながら、悠斗は当たり前のように柾のそばへ移動した。
黒の張りのあるトップスに濃いベージュのパンツという柾の格好は、悠斗の着ている服の色とは対照的で、二人並ぶと悠斗の華奢な体が一層目立った。
「わかんないことあったら聞いて、無理するなよ。」
そう言って、友人たちと一緒に移動していく。
部活とは違い、同好会に先輩後輩という意識は低い。
つきっきりで教えてあげようとか、打ち解けられるよう積極的に話しかけるとかいう意識がないのだ。
一応何らかの部や同好会に所属しなければいけないという校則の中では、その気楽さが助かるのだが、都築にとってはいつまでたっても悠斗と仲良くするチャンスがないので、物寂しく感じていた。
けれどだからといって、こちらからどんどん話しかける気概もないので、4月からずっとこんな調子だった。
楽しそうに話しながら宿泊施設の中へ入っていく悠斗たちの背中を見送る。
鼻先にはシトラスの香りだけが残った。
本当に一日中折り紙を折り続けた。
モザイクアートの雰囲気をより出すために、一色だけの折り紙だけではなく、柄の入った折り紙や、質感や素材の違ったものでも折った。
耳にイヤホンを付け、何か聴きながらでも黙々と作業していれば良いので楽なのだが、折り続けている指の先がかさかさとしてきて辛い。
救いだったのは、同じ一年生の生徒たちと話してみると意外と気が合ったので、多少なりとも雑談しながらできたことで、なんでもそれなりに良いことはあるものだなと参加したことの意味を感じていた。
昼食と夕食は宿泊施設を使用予約した時点で、その時だけ調理してくれるように人の手配が行われていて、施設内のランチルームで食事を摂る。
各自シャワーを浴びて午後11時には完全就寝。
翌日は8時起床で午前11時まで作業をして解散予定だ。
全部終わらなさそう。
一日中折ったにもかかわらず、3分の一は持って帰ってやることになりそうだと、ベッドに入り目を瞑りながら都築は考えた。
モザイクアートにするので、ひとつひとつをそこまで丁寧に折る必要はないと言われていたが、都築の性格上そこを柔軟にできず、どれもしっかりと端がずれないようおこなっていたら時間がかかってしまったのだ。
悠斗さんたちはもう終わったかな。
常に視界の端でとらえていた悠斗の姿を思い出す。
楽しそうな笑う声がずっと聞こえていた。
ケホ、
寝入ってからしばらく経った頃、喉に何かが突っかかるような感じがして小さく咳が出た。
それがスイッチとなり、続けてケホケホと咳が出てくる。
しまった、と都築が思った時にはもう遅かった。
都築は軽いハウスダストアレルギーなのだが、人より気管支が細いせいで、一度咳が出ると大げさに咳が出てしまう。
清潔に管理されているだろう宿泊施設でも、やはり老朽化は否めずどうしても埃っぽさは出てしまう。
確実にこうなると分かっていれば都築も予め薬を飲んだりして対応するのだが、多少浮かれていて忘れてしまっていた。
ケホケホと連続で出てくる咳に、都築は一緒に寝ていた生徒を起こさぬようそっと部屋を出た。
お湯をもらおう。
そう思い、消灯された廊下を歩いていく。
キッチンは一階だ。
咳もそうだが足音も響かせないように慎重に進んだ。
森林に囲まれたこの学校は、夏でも夜はひんやりと肌寒い気温になっていた。
コンクリート造りであることがそれに拍車をかけている。
キツ。寝られるかな。
廊下の先にある階段横は、一部天井までガラス張りになっている。
そこから入ってくる月明かりのおかげで舎内はうっすらと明るい。
電気をつけずに階段を下ろうとした時、その気配やかけられた声よりも先に、身に覚えのある香りに振り向いた。
同時に相手が口を開く
「大丈夫?」
立っていたのは予想通り悠斗で、ブラウンのTシャツにラフなベージュの長ズボン姿だ。
「咳?喘息?」
心配そうな顔をして、都築のそばへ寄ると背に手を当ててゆっくりとさすった。
「いや、大丈夫です、」
言いはしたものの、やっぱり続けて咳き込んでしまう。
「お湯取りに行こうとしてた?」
「・・・はい。」
「うん。じゃあ一緒に降りよう。」
そういって都築の背中を軽く押し、並んで歩こうとする悠斗に、都築はいやいやと体を引いた。
「大丈夫です。お湯飲むだけなんで。部屋に戻ってください。」
「でも、お湯飲んだだけですぐには止まらないよね?」
「・・・それは。」
「まあ、おれが居たところで早く咳が止まるわけじゃないんだろうけど、誰かと話してた方が止まるまでの気休めにはならない?あ、おれ夜長く起きてるのとか全然平気だから、早く寝てもらわないと!とかも思わなくていいよ。ね、ほら。」
次は都築の腕をとって、行こうと引っ張った。
都築も今度は並んで歩きだす。
「すみません。」
「なんで謝んの。おれが勝手にしてるんだよ。」
悠斗が階段の腰のあたりに設置されたスイッチを押すと、手すりに明かりがつき足元が照らされた。
そんな機能があるとは知らず、都築は覚えておこうと思う。
階段をくだりながらも続けざまに出る咳に、悠斗は何も言わず背に手を当ててくれた。
本来なら友人にだってそんな風に触られたら鬱陶しいと思いそうだが、悠斗に触れられるのは嬉しかった。
到着したキッチンでは悠斗がお湯を沸かして出してくれた。
それをゆっくりと喉へ通すと、イガイガとしていた場所が潤っていくのが分かる。
「ありがとうございます。・・・あと、すみません。」
先ほどの手前遠慮がちに謝ると、悠斗はやはり謝るなよと言った。
「本当はさっき咳が出た時どうしようと思って。キッチン使って良いのかなとか、咳が止まらなくてほかの人起こしたらどうしようとか。」
「そりゃそうでしょ。初めての場所だったら尚更そうじゃん。おれはトイレに行ってたの。一回部屋戻って寝ようかと思ったら咳が聞こえて。良かった、気づけて。」
そう言って悠斗も白湯を一口飲んだ。
肌寒い夜に丁度良い。
「陸上部、頑張ってるね。」
思いがけず続けられた言葉に、都築が驚く。
「え?」
「うちの教室からグラウンドが見えるから。
放課後練習してるの。ハードルでしょ?」
「そうですね。」
「うちのクラスにも陸上部の奴居てさ、言ってたよ。ハードルにすごい速い一年生が入ったって。」
「どうですかね・・・。」
そう答えたものの、今年入部した一年でハードルの選手は都築だけだった。
知らぬ間に見られていたと聞いて、最近の練習を思い出す。
小学生から続けているハードルも、中学生に変わると高さも距離も変わるため、走る歩幅や飛び方に苦戦していた。
思うように出来ず、何度もハードルを倒していたはずだ。
「おれは陸上のことよく分からないけど、すごいキレイに走るなーって思ってたよ。あんな風に走れたら気持ちいいだろうなって。」
屈託のない笑顔で告げてくるので、気恥ずかしさと嬉しさが相まって、上手く話せなくなる。
白湯を飲むフリをして、視線を逸らせた。
「試合とかは?ある?」
「秋に一応。記録会があります。」
「そっか。近くでやる?」
「多分。あ、聞いときます。」
「うん。行けるとこなら行こうかな、応援。」
変わらずにニコニコしている。
その口ぶりに付き合いのような素振りはなく、本当に来そうな言いようだ。
どう返事をしたら良いか思案しているうちに、さらりと悠人は話の話題を変えてしまった。
返答がないことを気遣ったというより、さっきの話はもう彼の中で終わってしまったのだろう。とりとめも無く話し出す。
都築の4つ上の兄とは図書委員で一緒だっということや、悠斗に年の離れた妹がいること。
数学の教員の口癖やカフェテリアの裏メニュー。
入学してから今まで、全く接点がなかったのを埋めるかのように色々と話した。
どれくらいか時間が経った頃、悠人が壁掛け時計に目をやり、それから続きへ視線を戻した。
「咳、どう?」
聞かれて、いつのまにか止まっていることに気づいた。
「大丈夫そうです。」
「うん。良かった。冷めると思うけど、お湯沸かすからマグに入れて部屋に持って行きな。常温の方が冷たい水よりマシだろ。」
そういうと悠斗はもう一度お湯を沸かし直し、大きめのマグに並々と注いで都築に渡した。
キッチンの電気を消して、部屋までまた並んで歩き出す。
少し前をあるく悠斗の後ろ姿を見ながら、さっきまで色々と話したばかりなのに、もっとたくさん彼について知りたいと、都築は思うようになっていた。
階段を登っていると。、網戸にしている窓から、風が吹き込んできた。夏にしては涼しすぎる風が、2人の髪を揺らす。
「悠斗さん、髪の毛何使ってますか?」
気づいた時には口に出していた。
出会った頃から、良い匂いがすると思っていたシトラスの香りの正体を尋ねる。
「髪?トリートメントのこと?」
「分かんないんですけど、いつも柑橘系の匂いがするから。」
「あー、これは柾にもらってるやつ。」
予想外の答えに返答が遅れた。
「あいつの家、美容院とかに卸すのヘアケア商品の会社してるから。なんかいつもくれるんだよね。それかな。そういえばオレンジっぽい匂いするね。この匂い好き?」
好きかと聞かれれば悠斗から香ってくるので気になっている程度でこの香り自体がどうしようもなく好きなわけでは無い。
けれどなんと返して良いか分からずに頷いた。
「そっか。じゃあ柾に言っとくよ。すぐ教えてくれると思う。
咳、無理しないで。どうしようもなくなったら連絡して?グループLINEのおれのことわかる?これね。」
そう言ってスマホ画面を操作し、悠斗は自分のアイコンを都築に見せた。
「おやすみ。お大事に。」
「おやすみなさい。」
パタンと最小限の音がして、悠斗の部屋のドアが閉められた。
都築はこの時から、夏休みの始めにはいつもこの夜のことを思い出だして胸がザワザワと忙しなくなった。
恋の始まりを自覚する心臓の高鳴りと、それを一瞬でさらわれた悔しさが、混じり合った胸をすくような切ない夏の夜の思い出。
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