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嫌いな男
冷気を逃すまいと締め切っている夏のガラス窓はそれでも、溢れる緑でけたたましくなく蝉の声は容易に室内へと通した。
もうすぐ大学でも夏季休暇となる七月中旬。
都築は悠斗とあと一人、この春大学に進学した後輩とカフェテリアで話していた。
恒例の夏合宿は、内部進学してきた大学一年の生徒が幹事を担うことになっている。
数年前一番上のメンバーが大学へ進学した頃から、合宿は中高生は宿泊なし。
彼らは朝から来て夕方には帰宅。
大学生のみ一泊二日の宿泊へと変わった。
学校敷地内の宿泊施設は飲酒厳禁の決まりで、敢えてそれを破ろうとする生徒もいなかったが、中高生の保護者への配慮というわけだ。
大げさに幹事と言っても、毎年のタイムスケジュールはほぼ同じで考え直すようなことは特にない。
当日までに使用する折り紙や、ソフトドリンク、お菓子などの買い出しなどが主な仕事だ。
なので大体活動内容を理解している内部進学の一年にその役割を振っていた。
しかしとはいえ多少の疑問は出てくるので、こうして幹事経験者で話し合うことはよくあることだった。
「お菓子っていつごろかって運んでたんですか?寮って事前に開けてもらって食品入れといても良いんでしたっけ。」
宿泊施設はもともとは寮として使われていたので役割を終えた今でもそう呼ばれている。
「去年は2日くらい前なら開けてもらえたけど。今年はどう?俺らの前にどっか使用してるところあった?」
「いや、無いですね。」
「じゃあ買ったら先に入れちゃっていいよ。当日運ぶのめんどくさいじゃん。」
都築と悠斗の前に座った一年生は、言われたことをスマホに流れるように入力していく。
両耳のピアスとほぼすべての指にはめられた指輪が目にやかましい。加えて着用しているシャツもいろんな色の入り混じった賑やかな色合いだ。
細くかけられたパーマは丁寧にオイルでほぐされて、今どきのスタイルが完成されている。
これがモテんのか。
都築は、いつか液晶画面を割ってしまうんじゃないかというごつごつした指輪を眺めながら思った。
彼らの通う学校は中高と男子校だが、大学からは共学となる。
内部生は一年生だとしても勧誘活動に駆り出されるが、この目の前のじゃらじゃらした男(苗字は加瀬という)が初日で7、8人ほどの女生徒を連れて、あっという間に入会させた。
その彼女たちは、加瀬に会うために律儀に活動に参加してくれている。
女子生徒は男子生徒と同じ施設は宿泊不可なので、希望者は他学年の女生徒も一緒に最寄り駅前のホテルに泊まってもらうのだが、その予約も幹事の仕事だ。
「ホテルの予約は終わった?」
都築が尋ねると、加瀬はスマホを操作していた指がぴたりと止まり、明らかに面倒くさそうな表情で顔を上げた。
「取りましたよー。もうこれが一番大変だったんですよ。
最初は自分の家に帰るからホテルは良いですーとかいう子何人かいたからそれで予約取ったら、後からやっぱり泊まりたいとか、やっぱり泊まりませんとかコロコロ予定が変わるんですよ!もーなんなのあれ。」
今度は頭を机に突っ伏してイヤイヤと頭を左右へ振った。
「うんうん。でも態度に出さずにやってあげてたじゃん。偉い偉い。」
悠斗が苦笑しながら声をかける。
その煩わしそうなやりとりは都築も悠斗も、全体でのメッセージや同好会の教室内でのやりとりで実際に見ていた。
確かに日ごと変わる彼女たちの予定に、見ているだけの都築も大変そうだと思ったが、加瀬はいつでも笑顔で気軽く対応していた。
そういうところもモテるんだろう。
「偉い?本当に思ってます?じゃあもっと褒めてください!おれを労って!!!」
加瀬が手を伸ばし、悠斗の腕をつかんだ。
内部進学生は先輩後輩の距離が近く、わりとみんな仲が良い。
縦割りの行事が多いことや、部活動も中等部から大学まで一緒みんな一緒に行うこと、また校風としてそこまで上下関係を重んじていないことが理由だろう。
まだ思春期も入りかけの少年期の頃から、気心の知れた幼馴染という感じだ。
折り紙同好会だって、そもそもは部活動に入りたくなかった者が始めたはずなので、その必要のなくなる大学生になれば辞めてしまえば良いものを、居心地の良さに何となくみんな続けている。
「分かった分かった。全部無事に終わったらご飯でも食べに行こうか。」
悠斗が苦笑しながら加瀬に言った。
「え!やったー!おれ焼肉がいいなー。亘さんも一緒にいってくれるでしょ?」
人懐っこいおねだり顔で加瀬は都築の方にも視線を向けた。
この学校の風習として、上級生は下級生に対し呼び捨てで苗字を呼び、下級生は上級生に対して下の名前をさん付けで呼ぶ。
理由は分からないが、都築の父の代からそういう風らしいので、もう昔からの決まりごとのようなものだろう。
「おれはいいけど、悠斗さんは就活大丈夫ですか?何個か面接あるって言ってませんでした?」
「ああ、あるけど・・・。でも大丈夫。そんな根詰めてたら逆にしんどいし。息抜き息抜き。」
「本当ですか?加瀬のためなんかに無理しなくて良いですよ?」
「ちょっと!なんかってなんですか?ひどいなー。じゃあ亘さんなんか、もう来なくていいです。おれと悠斗さん二人で行くんで。ねー。」
言いながら加瀬は掴んでいた悠斗の手を自分の方へ引き寄せた。
「うるさい。大体お前なんなのその指輪。いったいどこで買うんだよ。」
先ほどから動くたびにゴツゴツと机に音を立てていた加瀬の手を、都築が悠斗の腕から取り上げる。
五本中三本の指に指輪は嵌められていて、大きな石と分厚いシルバーの所為で持ち上げた手は鬱陶しいほどに重い。
「えー適当に入った服屋とかアクセ屋です。亘さんも似合いそうですけどね。悠斗さんは・・・指輪に食われちゃいそう。」
「うん、それはまあ。そうだな。」
「おい、どういう意味だよっ」
大げさに不機嫌そうな顔を作り、悠斗は二人へ叩くような仕草を向けた。
三人で声をたてて笑いあう。
都築が悠斗に自分の思いを打ち明けてから一か月ほど経っていた。
その間、悠斗は都築を避けるようなことはなく、今までと同じように接してくれていた。
話しかければ応じてくれ、スマホで連絡を取ればすぐに返信をくれたし、帰りにカフェに誘えば付き合ってくれて、昼食を一緒に食べることも普通にあった。
きれいで優しい、都築の大好きな今まで通りの悠斗だ。
「あれ?」
何者かの気配に気づいて加瀬がじゃれ合う手を止めた。
向けられた視線の先を、残りの二人も自然と追う。
チッ。出た。
都築は心の中で舌打ちをした。
そこには別の先輩と連れ立って歩く柾がいたからだ。
都築が世界で一番嫌いな男。
「柾さん!!」
嬉しそうに加瀬が手を振ると、柾もそれに応えてそのまま三人のいるテーブルへ歩いて来た。
柾も都築と同じく高校で部活はやめたはずなのに、まだ現役のバスケ部員だと言っても誰も疑わないほど均衡のとれた体つきをしている。
さらに履いているソールの厚いスニーカーの所為で、実際の身長よりも一段と大きく見える。
「三人でどうしたんだ?」
悠斗とのことなど何事もなかったように振舞って話す。
「合宿の話です。もうすぐだから。あ、っていうか悠斗さんと柾さんは合宿保留になってましたよね。部屋のことは当日でもどうにでもなるんですけど、飯だけは三日前には人数決定して言わなきゃなんですよ。もう分かりそうですか?」
四年生はこの時期は毎年就活で忙しい。大体不参加になることが多かった。
「別に飯の時居なくても、寝に来るだけとかでも良いんですけど。悠斗さんは?どうです?」
「んー・・・。ちょうどさっきここに来る前予定見てたけど、行けそう・・・かな。」
「本当ですか?やったー。じゃあ、柾さんは?」
聞かれた柾が考え込む。
来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな
来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな
都築が心の中で何度も唱えた。
「えー、ちょっとだけでも良いんですよ?何なら来ても折り紙折らなくてもいいし。ずっと就活のことしてくれてて良いんで。ねー。」
「そんなにまでして、居たって意味あるか?」
「あるある!だってみんないた方が楽しいじゃないですか。それに来年には居ないんだし・・・ね、亘さん。亘さんも来てほしいですよね?」
ね、と言われても、柾の参加について都築は全く同意しなかったが、しかし都築は今まで柾とは比較的仲の良い後輩を演じてきていたので、そんな態度をここで出せるはずがなかった。
「うん。おれも柾さんに来てほしいなー。でも、無理もしてほしくないですけどね。」
最後の一言は苦し紛れに付け足した。
全く伝わらないだろうことは予想して。
「んー。そうだなー。」
またしても考え込みスマホを操作しだした柾に、都築も再度念を唱える。
来なくていいし。なんなら今日からもう学校にも来るな。
ニコニコと後輩らしい笑顔の裏で、正反対のことを考える。
ずっと七年間、こんな風にしてきた。
かわいい後輩を演じていれば、いつでも悠斗のそばに居られたから。
その成果はしっかりと出ていて、それはこういう時に裏目に出る。
後輩思いの優しい先輩は、後輩のお願いを断れない。
「じゃあ、夕方から参加する。夕飯は一緒に食うよ。」
「やったー!楽しみにしてますね!ね、亘さん。」
「うん。柾さんが来れたら他のみんなも喜びます。」
都築は従順な後輩を演じてきた自分に嫌気がさした。
じゃあな、と立ち去る後ろ姿を恨めしい心の目で見送る。
大嫌いだ、本当に。
悠斗は、都築が気まずくならないようにと今まで通り優しくしてくれていた。
告白したはずなのに、あの時以来、何の動揺も見せないいつもの都築の好きな悠斗だ。
なのに、さっき柾が現れた瞬間悠斗の体に緊張が走ったこと、目元が笑えていなかったこと、口数が減ってしまったこと、加瀬には気づかない程度だったけれど、確実に都築には知れてしまった。
それはどうしようもなく都築を苛立たせる。
自分の告白なんてひとつも悠斗の心を動かせはしないのに、たった数分現れたもう終わったはずの男が、一瞬で彼を惑わせていくなんて。
都築の握られた手のひらに、爪の先が深く食い込んで痛々しく痕をつけた。
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