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第6話 理由

◆◇◆ 「で、父さんは百合子に操られてるってことだよね? もしかして、それって結構前からなのかな。俺のことを殴るのも、それが関係あったりするのかな……」  コンビニから帰ってきたタカトは、ドアを開けてすぐの場所で綾人が人を踏みつけていたので驚いた。  しかも、それが自分の父であったため、一瞬綾人の足を払い除けようとしたのだが、綾人が意味もなくそんなことをするわけが無いと思い直して手を止めた。  それから綾人に事情を尋ね、陽太がいなくなっていることを確認すると、「父さんは俺が見ておくから」と言い、綾人と水町に座って休むように促した。そして、二人が朝食をとり、コーヒーを飲み始めるのを確認してから、綾人に訊ねた。 「ないとは言い切れないよな……俺、前から思ってたんだけど、あの人……百合子って、多分貴人様の事が好きだよな? それなのにヤトが結婚相手としてやって来たのが、許せなかったんじゃ無いかなって。それに、相続人も全部ヤトに変わってたって、一度夢の中で見たことがあるんだよ。そりゃあキレるんじゃない? 百合子的には、後から来たヤツに何もかも全部奪われたって感じなんだろ? そういう意味では貴人様自身も恨まれてんだろうから、その子孫も幸せだと憎いかもしれない。家族仲を引き裂いて面白がってたりはするかなーとは思う」 「あーありそう。後から来た人に奪われるなんて最悪だよ。どうして私じゃないのよ! ってなるってことでしょう? 私なら間違いなく思うな」  水町が腕を組み、うんうんと頷きながら、心底納得しているという反応をしている。 ——いや、お前は思うだけじゃ済まさないだろうけどな。  綾人は、頭の中に鉄拳制裁する水町の姿が浮かんでいたのだが、自分の身を案じてそれを口に出さないようにと気をつけた。今はそうやってふざけ合っている場合ではない。  綾人が、いつもの軽い調子を振り切るために被りを振って水町を見ると、彼女はやや寂しそうに組んでいた腕を解いた。 「あのさ、貴人様の子孫も恨まれてるかもしれないってことなら、穂村くんがそうだってことだよね。ねえ、おじさんに殴られるようになったのって、いつくらいからだったかとかハッキリ覚えてる?」 「え? えーっと、いつだったかっていうと……」  雅貴は、元来とても優しい人物で、昔は親子三人でとても幸せに暮らしていたのだと、以前タカトが話していたことが有った。  その時の話では、貴人様がタカトの体を使うようになった頃から、急に人が変わったように連日暴力を振るわれるようになったように思う、ということだった。  その変化が起こった時期がもっと正確にわかれば、雅貴についての理解が深まるのではないかと、水町は考えていた。 「正確な時期だよね? えーっとそうだなあ……俺が高校に合格した時までは何も無かったと思う。すっげえ喜んでくれてたから。初めて殴られた日は……あ」 「ん? 何か覚えてた?」 「あー、うん。そっか……あれだ……いやあ、結構ハッキリ覚えてた」  タカトはその日のことを、唐突に全て思い出した。  そして、綾人の顔をチラッと覗き見ると、やや顔を赤た。そうかと思うと、途端に青ざめ、くるくると表情を変えていく。話すべきかどうかと、かなり考え込んでいるようだ。  水町はそれを見逃さず、「なになにー? そんな風になるってことは綾人絡みだね? 白状しろー」と、タカトの背中を軽い調子でバシバシと叩いた。  タカトは、首を傾げながらやや考え込んでいたが、割とアッサリと観念した。はーっと息を吐いて、チラリと綾人へ視線を送ると、照れながらその日のことを話し始めた。 「その日、高校の入学式だった。殴られた理由は……」  そこまで口にすると、綾人の目をじっと見つめた。タカトの深淵の瞳に、光が揺らめている。綾人の目には、それが「自分が話すことを、悪い方に取らないでほしい」という願いが込められているように見えた。  どういう理由であっても、今は少しでも情報がハッキリしていることが大事だと思った綾人は、タカトに向かって小さく頷いて先を促した。タカトはそれを見ると、僅かに悲しそうな微笑みを浮かべた。 「俺一人っ子なんだけど、親から溺愛されて育ったんだ。夫婦仲も良くて、親子仲も良い、すごく明るくて楽しい家だった。だから、高校の入学式も両親そろって来てくれたんだ。俺、特待生だっただろ? 入学式で代表挨拶をして、その事をすごく誇らしく思ってくれてて。だから、その日はめちゃくちゃ幸せな日になると思ってた」  胸にしまって置いたのだろうか。タカトは遠い目をして、ゆっくりその日を思い出し、ポツリポツリと話していく。だんだん言葉に力がなくなり、消え入りそうな小さな声に変わっていった。 「入学式終わって、一通り説明が終わった後に、どこかで昼食を食べて帰ろうって話しながら、三人揃って廊下に出たんだ。そしたら、ちょうどその時、目の前を綾人とお母さんが通り過ぎて行ったんだ。俺、その時二人に目を奪われて……。立ち止まって見惚れちゃったんだよね」  その時、廊下の先には、柔らかな春の日差しがあった。それが校庭の背の高い木々の合間を縫って、廊下を歩く二人へと降り注いでいた。  その時の綾人が、タカトの目には、この世のものとは思えないほどに美しく見えたのだと言う。初めて見た綾人のその美しさに、タカトは一瞬で心を奪われてしまった。 「綾人、金髪でしょ? その髪に後ろから差した陽が、まるで後光が差してるみたいでさ。しかも二人ともすごく穏やかに笑ってて。なんとも言えない気分になっちゃったんだよね。俺、多分あの時にはもう、綾人のことを好きになってたと思うんだ」  タカトは、恥ずかしそうに耳を触りながら、俯いて苦笑していた。あまりに簡単に恋に落ちてしまい、戸惑った日のことを思い出して、所在なさを感じているようだった。それに、どうやらあまり積極的に話したい事では無いように見える。 「そんな最初の頃から、俺のこと好きだったのか? 全然知らなかった!」  綾人は目を丸くして驚いた。ハッキリ好きになったのは、不良に絡まれているのを助けてもらった時だと、以前はそう聞いていた。それなのに、実際はもっと早い時期に一目惚れしていたのだという。 「へー、そうなんだ。でも確かに綾人の金髪って、陽に当たるとすごくキレイだもんね。顔もキレイだし、穏やかに笑ってたなら見惚れてもおかしくないでしょ。……でも、なんでそれで殴られるようになるの? 別に悪いことなんて何もなくない?」  水町のその言葉を聞いて、タカトがグッと唇に力を入れるのが見えた。 ——そんなに言いにくいことがあるのか?  綾人は少し怖気付いてしまった。しんと静まり返った室内では、桃花と凛華の寝息だけが聞こえている。  タカトは桃花の顔を見ていた。 『そんなに悲観しないで。色々ちゃんと上手く行くし、雨野さんもちゃんと幸せになれるよ』  清水寺からホテルまでの道中、叶うことが無くなった思いを抱えても前に進もうとしている桃花に、偉そうにそんな励ましの言葉を放った自分を軽蔑した。 ——俺だって大事なことが言えないくせに……。  そう思っていた。 「大丈夫だよ、タカト。言ってよ」  それでも綾人が、背中に手を当てて先を促してくれた。その温もりが、そっと自分を肯定してくれる。綾人はいつも、こうやってタカトの心を温めてくれている。そうしてくれることで、タカトは次第に孤独から抜け出せるようになっていた。  今もまた、温もりがタカトを支え、少しずつ気持ちが前を向く。小さなことにこだわらず、話を先に進めるべきだと思えるようになっていった。  ふーっと長く息を吐き出すと、雅貴から言われて最も嫌だった言葉を口にした。 「父さんはね、俺が立ち止まって綾人に見惚れてるのが気に入らなかったらしくて、そこから全く話さなくなったんだ。予定してた昼食もやめて、すぐ家に帰って。詰問されたんだよ。どうしてあんなだらしない顔で男を見ていたんだ、って」 「え? つまり、なんで男に見惚れていたんだ? って訊かれたってこと? 怒られたの? 見惚れただけで?」  コクンとタカトは頷いた。それは、雅貴らしい質問ではあった。雅貴は、同性愛者を毛嫌いしているように見える。タカトは、男に見惚れていたのを父に見られ、それを否定された。  それは、思春期の少年には強烈な体験だったのだろう。タカトの憂いはこの出来事が大きく影響していた。親から自分を否定されて、明るくいられる人は、そういない。 「その時、結構言い合いになって。その日だね、初めて拳で殴られたの。そのことで母さんがものすごくショック受けちゃって。それ以来、家の中がぐちゃぐちゃになってしまったんだ。母さんは俺を責めなかったんだけど、俺はそれが余計に辛かった。特待生で入ってたから学費免除されてたし、そこから家族とはなるべく離れて生活するようにしたんだ。俺も忘れたかったんだろうね。入学式のこと、今まで思い返すことが無かったよ」  そう言って、寂しそうに笑った。あまりに寂しい、悲しそうな笑顔だった。  右目のあざは、怪我ではない。これは神がここに存在する証。そうわかっていても、虐待される哀れな青年に見えてしまうほど、タカトの笑顔は悲しかった。 「家を盛り立てた人は同性愛者だったのに、子孫はそれを嫌うんだ。なんか勝手な感じがするんだけど、そんなものなのかなあ」  水町が納得がいかないようで、腕を組んで憤っていた。そのあまりに男らしい姿を見て、タカトは吹き出してしまった。 「えっ? 何? 私、今何か面白いこと言った?」 「ごめん、あまりに頼り甲斐のある姿だったからさ。でも、ありがとう。水町さん、いつも俺に優しいよね」  そう言って、ふわりと笑う。その笑顔がとても優しかったからか、水町は目を丸くして顔を赤た。激しく動揺したのか、その顔を背けてタカトを見ないようにしている。  明らかに照れている姿を見て、綾人がそれに反応した。 「……水町ぃー。お前、タカトに惚れるなよー。恋人が目の前にいるんですけどー」  綾人がそう言ってむくれて見せると、水町は両手をブンブン振って「違うから! 笑顔が素敵だと思っただけだから!」と大慌てで否定した。 「だからそれが惚れてるってことなんじゃねえの?」  真っ赤な顔の水町が、どこかから聞こえてきたツッコミに怪訝な顔をした。それは、明らかにタカトや綾人の話し方ではなかったし、声も違った。低く、とても通る耳あたりの良い美声だった。  でも、声の主は見当たらない。聞き慣れない声が聞こえる時は、あまりいいことが待っていない。水町とタカトの二人は少々身構えてしまった。  すると綾人が「あ!」と間抜けな大声をあげて、ベッドの反対側に駆け寄って行った。そして、両手を合わせて誰かに謝っている。 「ごめん! 二人が帰ってきたら話すって言ってたのに……ずっと待たせてたよな……ホントごめん!」 「いや、俺寝てたみたい。こっち実体あると疲れやすくて、眠くなりやすいな」  綾人が、誰かと繰り広げている不思議な会話を聞きながら、二人はずっと怪訝そうな顔をしていた。そして、そこにスッと立ち上がったのは、二人にも見覚えのある人物だった。 「え!? 佐々木恵斗!? え!? なんで!?」 「実は……」  目を丸くして驚く二人に、綾人は恵斗が戻ってきた理由を説明した。

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