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第7話 戦闘開始

「そんなことがあるんだ。なんか、司法取引みたいだね。……うん、話は理解できた。だけど、でも……俺、あんたに目の前で綾人を刺されてるんだよね。だから、そう簡単には受け入れられそうにないんだ」  タカトはそういうと、俯いて唇を噛んだ。  あのライブハウスの暗闇の中、瀬川を助けようとして奔走していた綾人を、刺してすぐに去った人物。顔は見えなかったけれど、去っていく背中は見ていて、綾人が知り合いにあったのかと思っていた。  隣にいたのにケガをさせてしまったことへの罪悪感、傷口に触れた時の生暖かくてぬるりとした感触、鉄臭い匂い。その全てが、綾人を失う恐怖を煽り立てていった、あの時の犯人。 ——その人と、仲間になれって?  綾人は、ヤトの記憶が戻っているから、イトを歓迎することはそう難しくは無いんだろう。  でも、タカトは違う。元々なんの関わりもない人物で、自分の最愛の人を傷つけたという、憎むべき対象でしかない。 ——ただ、シュウを思うと……。  異母兄弟であるシュウのことを思うと、恵斗が戻ってきてくれた方がいいに決まっていると、タカトは考えていた。あの必死な姿を思うと、それが叶いそうなチャンスを奪うのは、どうにも忍びない。  それに、確かに戦える人が必要だ。タカト自身は、戦闘には向いてない。  長く悩みながら、両手でシャツの裾を握り締めていった。どうしても拭えない恨みが、心にこびりついている。  ただし、恨みに取り憑かれて悪霊になった人物を相手にしているからか、その気持ちを押し込めて完全にコントロールしてやりたいという気持ちがあることもまた、事実だった。 ——そうだ、俺は百合子とは違う。  そう思い、腹を決める。 「俺個人的には受け入れられない。でも、井上家でシュウに会った時に、必死にあんたを求めていたことが忘れられない。シュウは、呪い(まじない)すら跳ね返してしまうほどに、あんたのことが好きなんだよ。それに、あんた知ってた? 俺さ、シュウの異母兄弟なんだよ。父親が同じで、幸野谷の血を継いでるんだ。だから、しっかり俺たちに協力してもらうことで、あんたは禊になって、俺たちは過去との決別が出来る。その上で完全にこっちに戻って来てもらえたらいいなっていう気持ちもある。俺、シュウには幸せになってもらいたいんで」 「それ本当か? シュウが、俺を? それに、シュウが幸野谷の子孫だって?」  ケイトは、信じられないとばかりに目を見開き、喜びと驚きを交互に滲ませた。  切り捨てるように別れて行方をくらませることで、酷いやつだと思って嫌われようとした恵斗。そうしたのは、別れた後のシュウが心配だったからだ。  可愛い顔をしているのに、ドラムのために鍛え上げて筋肉質な体を持っていて、寂しがりやな癖に甘え下手で意地っ張り。ケイトはそんなシュウを一人で置いて行くのが忍びなくて、最後は冷たくあしらった。  その後、イトとして地獄へ送られた後に感じた心の痛みは、その場での行の苦しみなど可愛らしいと思えるほどに酷かった。だから、シュウが忘れずにいてくれたことが、求めてくれていた事実が、ケイトの胸を詰まらせた。 「はい。だから、ちゃんと協力してしっかり……」  そう話している時だった。ベッドの上に、僅かに動きがあるのが見えた。モゾモゾと掛け布団が動いている。桃花と凛華、どちらかが目を覚ましたようだった。 「……構えておけよ」 「うん……」 「了解」  全員、警戒した。貴人様が戻るまでは、絶対に二人は眠り続けるようにしてあるはずだったからだ。それなのに、どちらかが目を覚ましている。 「タカト、貴人様呼べるか? 多分お前なら心で名前呼べば来れるはずだけど」  恵斗がタカトに言うと、タカトはそのことを知らなかったようで、素っ頓狂な声をあげて驚いた。 「え、本当に? 知らなかった。わかったやってみる……」  そう言って目を閉じたタカトの隣に、一瞬で真っ赤な影が飛んできた。それは、本当に瞬間移動だった。人の力を超えた行動が出来ると言うことは、それ自体が人ではないものに操られているという事態の証明になる。  禍々しい空気を纏った、真っ赤な髪の人物が恵斗に擦り寄って来た。猫撫で声で迫って来た人物。それは、凛華だった。 「ケイト酷いわぁ。私のこと、忘れちゃったの? 私のことは、要らないの?」 「……この話の流れで凛華を選ぶとは、やっぱり嫌なやつだなぁ、あんた」  目の前の凛華に向かって、恵斗は悍ましいものでも見るかのように冷たく言い放った。  しかし、その扱いは間違っていなかった。今恵斗の目の前にいるのは、凛華の体を乗っ取った百合子だったからだ。わざとらしく品を作り、媚を売るようにして恵斗に触れた。 「ケイトぉ、私だって会いたかったんだよー!? シュウは幸せにしてあげたいのに、私のことはどうでもいいのぉ?」  凛華の姿で白々しいまでの芝居を仕掛けてくる百合子に、その場にいた全員が冷めた視線を投げかけた。  本当に凛華であれば、さくら様が呪い(まじない)を解かない限り、目が覚めることもないはずだ。こうやって自由に動き回っている時点で、今目の前にいるのは人間では無いということを表している。  それに何より、凛華は語尾を伸ばしたり、必要以上にクネクネと気持ち悪い動きをしたりしない。恵斗と二人の時にどうしていたのかはわからないけれど、少なくとも友達の前でそういうことをするタイプではない。  仲間を侮辱されているような芝居の低レベルさに、全員が冷めた視線をぶつけていた。 「芝居が下手だな、百合子。なあ、あんたなんでそんなに綾人に執着するんだ? 貴人様があんたじゃなくてヤトを選んだのがムカつくとしても、ちょっと執念深すぎない? さっさとお勤め果たして生まれ変わったら?」  恵斗が、百合子を鋭い目で睨みながら言い放った。それは尤もなことで、誰もがその方が楽になれるだろうと考えていた。  しかし、百合子は吐き捨てるように笑うと、凛華の服の前をはだけさせ、恵斗に体をすり寄せた。そして、下から覗き込むように、媚びた視線を送ってくる。  それは、その中に込められている意図を思うと、悍ましい行動としか思えないものだった。 「かわいそうねぇ、イトちゃん。何度生まれ変わっても男しか好きになれなくて。どうやっても子孫が残せなくて、それが悔しくてよく無いものにばっかり手を出してきたんだもんね。神たちだってさぁ、わざわざあの寝てる女と幼馴染で育つ環境あげてたんでしょう? それなのに、まーた男をとるんだ。どこまで頭が悪いのよ、あんた」  まるで、言葉で恵斗を言葉で嬲っているような口ぶりだった。辛辣な言葉を投げつけ、その心を砕こうとしている。百合子の顔を見てみると、楽しくてたまらないといった顔をしていた。  かつて高嶺の花だと噂された美人は、醜く顔を歪ませて、悪意を垂れ流す汚物へと変化していった。 「……なんてことを言うんだ、こいつは」  タカトは、堪えきれずにそう零した。タカトの口から「こいつ」という言葉が飛び出しても、誰も驚くことは無い。百合子は、そういう扱いを受けても仕方が無いのだと思えてしまう。  彼女の心の中には、悪意しか存在しないのだろうかと、その場にいた誰もが思っていた。綾人は、水町が服の袖を掴んで止めてくれなかったら、凛華の顔を殴っていたかもしれない。 「どこまで身勝手なんだ! いちいち人を傷つけ無いと気が済まねーのかよ!」  掴みかかりたくなる気持ちを必死に抑え、なんとかその場に止まった。そして、悪霊の身勝手極まりない言葉を黙って聞こうと努力した。  なぜか気をよくした百合子は、嬉々として恵斗を痛めつけようとし始めた。気力を削がれるような、嫌な言葉が次々と並べられていく。 「ねえ、あんたわかってるの? シュウは書類上、幸野谷の三男の子孫だけど、血統としては幸野谷の次男の直系なのよ? 直系の長男だったお父様が亡くなった後からは、次男の直系が幸野谷の正式な後継でしょう? あんたみたいな過去も現在もロクデナシだった男を、あの家がパートナーとして認めてくれると思う? シュウのパートナーは家柄のいい女性じゃないとダメに決まってるじゃない。いい加減にさっさと諦めなさいよ。そのために呪玉の作り方教えたじゃないの。この女あげるから、貰えば? シュウだと思って抱けばいいのよ。……こんな無意味な戦いやめて、大人しく子供作って幸せにおなりよ」  恵斗の肩に凛華の手を滑らせながら、毒々しい言葉を吐いていく。その毒素と女性に触れられているという現実が、恵斗の顔から血の気を奪い、体を震わせていた。  しかし、恵斗も黙っているわけではない。短い期間とはいえ、神々のもとで贖罪の日々を過ごしていたケイトは、以前よりも悪霊に耐性がついていた。  隙を狙うため、無言でがっしりと凛華の手首を掴むと、「人間に害は出ないから安心しろ」と凛華の体に一言断った。そして、反撃に出る。 「百合子、今の俺の使命は、お前を冥府に送ること。それを果たせば、俺はようやくずっと求めていた『相思相愛の相手と宿命を生き切る』という幸せを手に入れることができる。子孫? それがどうした。そんなもの、今の自分が幸せでないとなんの意味も無い。それよりも欲しいものがあるからな。今の俺に、迷いはカケラも無いぞ」  そう言うと、背中に手を回してぶつぶつと何かを呟いた。遠くの方から、小さな耳鳴りのような音が聞こえ始めた。それと同時に、恵斗の背中に、丸くて赤い光の玉が現れた。  それは、優しく穏やかな色味の光で、瞬間的に大きく光ったのちに手のひらほどの大きさに収束していき、恵斗の手のひらへと収まった。その光の中には、小さな金色の棒のようなものが現れていた。  恵斗はそれを持つと、百合子から離れ、間合いをとった。素早く半身で構え、先端を百合子へ向けて煽り、挑発した。 「大人しく潰れるイトちゃんは、一度死にました。残念だったな、俺も今回はちゃんと成長したんだよ。悪ぃんだけどさ、全力でぶん殴らせてもらうからな」  そう言うと、手にした棒をぐるんと素早く回転させた。それは一回転すると、一瞬にして恵斗の身長よりも長いものへと変わった。  ゆらりと大きくその杵を構えると、「さっさと成仏しろ」と言いながら突きを放った。技と同時に杵はさらに伸長し、百合子の予想よりも早く凛華の腹を打つ。 「うげ、ぇっ……」  鳩尾を突かれた百合子は、そのままぐらりとバランスを崩して倒れかけた。恵斗はそのまま杵を構え直すと、思いっきり凛華の頭上に向けてそれを振り下ろす。 「っしゃー!」  杵は、骨が折れるような派手な音がするほどに、激しく、正確に命中した。そして、恵斗が構え直して相手を見遣ると、既に凛華は頽れていた。 ——倒したか?  そう思って、やや気の抜けた刹那、ドーンという音と共に激しい爆発が起きた。 「うわっ、なんだ!? おい、恵斗! 大丈夫か!?」  爆発と同時にもうもうと巻き起こった白煙が、部屋中を漂い視界を遮っている。綾人は、あの殴られ方をした凛華の体の無事を確かめたいのに、それも叶わないほどに視界は悪かった。  それに、あの百合子が一撃を喰らった程度で倒されるのだろうかという懸念もある。恵斗の無事を確認できるまで、安心することは出来なかった。  綾人は、白煙がなかなか収まらないことに痺れを切らし、電撃を利用して消滅させることにした。白煙が消滅するイメージを頭に描いてカッと目に力を込めると、仕掛け花火のようにバリバリと音を立てて電撃が走り、白煙はだんだんと消滅していった。 「凛華!」   最初に目に入ったのは、倒れている凛華だった。派手に殴られた割には外傷は見えず、再び眠っているように見えた。水町は凛華の姿を確認すると、すぐにその体をベッドの上へと引きずりあげた。 「……お前ら無事か? さっきの白煙、呪玉だったぞ。綾人がすぐ消してくれたおかげで殆ど吸い込まなくてすんだけど」 「恵斗! お前は? 爆発の衝撃凄かったけど、ケガしてないか?」  恵斗は立ち上がって服についた埃をはたき落とすと、「大丈夫だ。地獄の炎に比べたらなんてことないな」と苦笑いをした。綾人が恵斗の肩を「よかった」と言いながらポンと叩くと、ケイトは勝気な笑みを浮かべて「サンキュー」と答える。  だんだんと息が合うようになる。そうしてお互いの無事を確認したのも束の間、背後にズル……と不気味な音が響いた。 ——まずい。またアレがくる……。  百合子が攻撃を仕掛けてきたとなれば、あの空気が潰されるような圧迫感が来るだろう。 「気をつけろ。また仕掛けてきそうな気配がある」  そう思って気を張り詰めていても、一向に何も起こら無い。百合子も、多少なりともダメージを受けているのかもしれない。 「……倒れてるな、ほら、あそこ」  恵斗が指差す方へと目を向けると、そこには負傷して倒れている百合子の姿があった。そして、それを見て、一同は愕然とする。 「あれ……どう言うこと?」  恵斗の打撃と綾人の電撃は、百合子へ物理的ダメージを与えることが出来たらしく、着物が裂け、埃と血に塗れていた。その体の特徴を見て、全員が百合子の恨みの深さを初めて本当の意味で理解した。 「あいつ、男だったのか……。息子が陰間に義父を取られてそこまで許せないと思うってことは、貴人様の性的な意味で愛してたってことか?」 「……自分は貴人様を好きだけど、子供として引き取られてる立場上我慢してるのに、わざわざ男を見受けするなんて! ってこと?」 「多分そうなんじゃないか? 同性を身請けするなら、義理の関係なんて解消して自分を妻にしてくれと思ったのかもな」 「それでヤトが邪魔だったから、殺したってことか……。だからって、そこから先がしつこすぎる事に変わりはないけど」  陰間だった二人は、その気持ちを魂の奥深いところで、僅かながらに理解してしまうのだろう。ほんの少しだけ、百合子を気の毒に思っているようだ。 「もしかして、だからなのかな。……その思いが叶わないままに亡くなってるから、幸せそうな同性愛者に嫌悪感を示すのかな。ヤンが唆されたのも、ヤンがウルを亡くした後に、喪失感を乗り越えて前向きに生きていこうとしてたからみたいだもんな。自分には叶わなかったことを叶えている人たちが羨ましくて……とか」  そうわかったような口ぶりで話しながらも、俄かには信じられなかった。  何度見ても、百合子は女性にしか見えない。体つきも所作も声も、女性として何も疑いようのない人物だった。それが男だとこの目で確認しても、全く理解が追いつかなかった。 「でも、なんでわざわざ女として生きてるの? この人は陰間じゃなかったんでしょ? あの時代って女性にはあまり自由がなかったはずだから、男に生まれたなら、そのまま生きていた方がよっぽど楽だったはずなのに。女性として生きた方が都合がいい何かがあったのかな」 「どうなんだろうな」  恵斗はそういうと、百合子へ憐れむような視線を送った。 「親戚の話でどれほど酷い悪口が出てきても、この人が男だって話は一度も聞いたことがないよ。アレだけ悪評流されてるんだもん。少しでも疑いがあったら『男女(おとこおんな)』とか色々言われそうなのに……。完璧に隠し切ってたんだろうね。それはそれですごい執念だよ」  タカトはそう言って、百合子の着物の破れた部分に、予備として置いてあったシーツをかけた。完全に気を失っているようで、肌に直接シーツがかかっても、百合子はピクリとも動かなかった。

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