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第9話 本当はわかってるはずだ

◆◇◆ 「うわ。あの部屋だけゴッソリ無くなってるんだけど……」 「瀬川(ウル)がいなかったら、全員消滅させられてたな」  間一髪、部屋が潰れる寸前にウルが空間ごと全員を移動させた。百合子を自爆させても良かったのだが、最善策を取りたいと貴人様から頼まれていたので、百合子も一緒に救出した。  百合子は移動に際してダメージを受けてはいないようだったが、秘密の露呈のによるそれが大きかったようで、俯いたまま口を利こうとしなかった。空間を圧縮し続けたことも影響して、疲労が色濃く出ている。 「百合子、お前が幸せそうにしている同性愛者を嫌っているのは知っていた。お前、その可能性がある使用人を悉くクビにしていただろう? クビならまだ軽い方だったのも分かっている。その背負っている罪の数が、転生後の綾人の比では無いからな。それでも、ヤトほど恨んでいる人はいなかったはずだ。なぜなんだ? どうしてそこまでヤトだけを目の仇にしているんだ? 会ったその日に殺してしまうほど憎む理由はなんだったのか、ちゃんと話してくれ」  そんなの貴人様のことをヤトに横取りされたからだろうと皆が思っていると、百合子が不気味に反応し始めた。俯いたまま肩を揺らし、痙攣するような引き攣った笑いを漏らしていく。 「そんなの……そんなの、お父様の隣にあの陰間がいたからですよ。他に理由なんてありません! あなたの隣に立っていいのは、体を売る下賤の男じゃなくて、私のような商才のある人間だけよ!」  高慢な顔をしてそう言い切った百合子は、ゆらりと立ち上がると、のそりと顎を持ち上げ、視線を下に落とすように首を擡げた。そのまま視線をぐるりと回して一同を冷たく睨め付けると、当然のことを語るように、訥々と言葉を繋げていく。 「だって、お父様が隣に置く者が男でいいなら、別に私でも良かったじゃ無いですか。私は必死で女のフリをして……秘密を守り抜くために何人も殺したんです。それなのに、なぜ何の苦労もしていないそいつを選んだのですか。納得なんて出来る訳が無いでしょう? 私は、初めてちゃんと愛してくれた人を突然奪われたんです。そのまま黙っていられるほど、大人しく出来てはいなかったのですよ」  嘲笑うような視線を落としたかと思えば、急にボロボロと涙を流す。精神的に不安定な状態で、百合子は綾人を見ていた。綾人はその姿を見ながら、自分は直接関わっていない出来事の話なので、どう反応すべきなのかがわからずにいた。  自分が殺されたわけではない。自分が恨まれていたわけではない。まともに顔を付き合わせたのは、今がほぼ初めてのようなものだった。それでも百合子は綾人の中のヤトを見て殺そうとしてくる。  その執念が、憐れに思えて仕方がなかった。もういっそ自分が百合子に殺されてあげれば、全てを綺麗に終わらせることができるのではないかとすら思い始めていた。 ——どうせ俺はもうすぐ死ぬんだから……。  それでも、そうすると百合子の罪がさらに増えることになってしまう。貴人様は百合子の罪を清算して、魂に新しい生を与えたいと願っている。  だから、ここで出来る限りの説得をして、それでもダメなら浄化するしかないと言われていた。 「そうよ、私は間違っていません。人のためを思って遠慮したって、自分が傷つけられるだけじゃないの! だからこちらが奪う側になっただけよ。それとも、私はいつも奪われてばかりじゃないといけないんですか? 他の者は与えられるだけなのに!?」 「もう、引っ込みがつかなくなってるのね」  水町がそう言うと、ウルが顎を引いた。あれはどう見ても、自分の行いが招いた業に振り回されている。    百合子は、想いを言葉にすればするほど、必死になって自分を肯定していく。その言葉に禍々しさが増えるほどに、彼女の周りの空間がブウンという低周波を伴って、少しずつ歪んだり亀裂が入ったりするようになっていた。  貴人様は、そんな百合子の様子を黙って見ていたかと思うと、重苦しく長い息を吐いた。目を伏せ、眉間を押さえて押し黙っている。その様子は、予想外の事に肩を落としていると言うよりは、予想通りの事が起きて落胆していると言った方が適当だろう。 「やはり、突きつけなければならぬということだな」  本当は、下手に感情を刺激しない方が身のためではあるが、もうここまで来たら全てを百合子の目と耳に晒してしまわなくてはならないだろう。貴人様は、この数百年の間敢えてはっきりとは言わなかった点を、ようやく伝える心を固めた。 ——そうしないとずっと百合子はこのままだ。  この負の転生ループを断ち切らない限り、怨霊としてこの世に残り、多くの人を巻き込んで、破壊の限りを尽くしていくだろう。  少しでも被害者を少なくするためにも、そして百合子自身を楽にしてあげるためにも、今自分が終わらせないといけないと貴人様は覚悟を決めた。  悲壮に閉じた瞼をゆっくりと開くと、ふうと一息吐く。開いたその目は、父としてのそれではなく、一人の男としてのものだった。   「百合子、お前はそれが間違っていると思ったことは無いのか?」  唐突に投げかけられた疑問に、百合子は目を丸くして固まってしまった。「それ」が指すものがなんであるのかが、全く理解が出来ていないようだった。そして、それはそこにいた貴人様以外が、一様に抱いた疑問でもあった。 「貴人様……それは、どういう意味ですか?」  百合子の代わりに口を開いたのは、ウルだった。自分が流行病で死んでから、ずっと貴人様と人間界を繋ぐために働いていた。おそらく貴人様の事を最も理解しているのは、ウルだろう。  しかし、今のこの会話の流れは、そんなウルにも理解出来なかったらしい。  貴人様は、ウルのその問いに答える代わりに、綾人の隣に立つと、その腰に手を回してグッと近くに引き寄せた。 「た、貴人様?」  綾人はその思いがけない行動に驚いて、どういうつもりなのかを問おうとした。ただ、それをすることは出来なかった。自分を見ている貴人様の目が、これまで自分を見ていたそれとは全く違っていたからだ。  その目は、綾人を体の底から蕩かしてしまいそうなほどの、性愛に満ちたものを含んでいた。あの紅蓮(ぐれん)(あおぐろ)の瞳が、綾人がこれまで見てきた貴人様の表情とは程遠い、欲に濡れた炎を宿していた。 ——え? え? え? この状況で何するつもり!?  まっすぐ見つめることも出来ないほど、その雅な顔が眼前に迫ってくる。それも、その瞳の向こうに雄が潜んでいるのがわかるように、あえて色気を全開にして迫って来る。  貴人様は、照れてしまって全く目を合わせることが出来ない綾人の片腕をぐいっと引くと、隙間なく密着するように抱き寄せた。 「……俺は、ヤトが良かったんだ。他の人ではなく、ヤトが良かった。男なら誰でも良かったわけではない」  そう言いながら綾人の頬に手を添え、親指でそれを愛おしそうに摩る。綾人の金色の髪を指で梳くと、さらさらと流れ落ちる様を見て微笑んだ。綾人の中のヤトの記憶が、その貴人様を見て思い出したのか、僅かに下腹の奥に疼きが走った。 「貴人様っ……ぁ、ン」  状況についていけずに狼狽えたままの綾人の唇に、貴人様はゆっくりと口付けた。側から見ていた水町とウルは、それを見てはいけないものだと判断し、すぐに目を逸らした。 「ふ……あ、はぁ」  腰と頭を支えられ、角度を変えながら深く強く吸い上げられる。綾人は、ゆっくりと優しいのに、どこか貪るような深いキスをする貴人様に、とても動揺していた。  しかも、今は友人たちがいる前だ。こんなことになろうとは、夢にも思わなかった。緊張の意図が張り詰めた場に、濡れた音と二人の吐息が響く。口内の交わりが、だんだんと綾人の体から力を奪っていった。 「……ん、あっ」  浄化ではない口付けに翻弄され、乱れる呼吸に軽くパニックになる。それでも、貴人様が今このタイミングで無意味にこんな事をするはずが無いということだけは理解していた。  このキスを通じて、百合子に何かを気づかせたいと思っているのだろうということだけは、ぼんやりと理解していた。   ——俺もちょっと応えた方が説得力あるかな……。  そう考えて、貴人様の背中にそっと手を回すと、力を込めてぎゅっと抱きついた。すると、貴人様は目を開き、綾人の意図を確認すると、穏やかに微笑んで見せた。  そして、腰を支えていた腕にさらに力を込めて、綾人をぎゅっと抱き竦めた。その力の強さに、綾人は思わず「んっ」とやや大きめに声を漏らした。  それまで呆然と目の前の光景を見ていた百合子は、その綾人の艶のある声を聞くと、ハッと我に返った。 「何を、しているのですか……」  百合子は、わなわなと怒りに震えていた。その不気味な目をカッと見開き、ギラギラと光らせて睨め付ける。痙攣を起こしそうなほどに怒り狂い、目だけではなく身体中が真っ赤に燃えているようになった。 「私の……私の目の前で……何をしているのですか! どうしてその陰間にばかりそのようなことを……。私が……私がいるのに……!」  百合子の怒りは、空間を圧縮する。その場にある脆いものから、ゆっくりと静かに潰れ始めていた。このままここにいると全員が巻き込まれ、良くて肉塊、悪くて消滅という危機に晒され始めた。  それでも貴人様は綾人の体を離さず、唇だけは故意に派手に濡れた音を立てて、百合子へ見せつけるようにゆっくりと離した。二人の唇は、透明な糸で繋がっていた。それは百合子の怒りを最大限に刺激した。  綾人の方も、浄化のための口付けとは訳が違ったため、なかなか呼吸が整わない程度には動揺していた。対照的に、貴人様はとても落ち着いている。その冷め方は、やや恐怖すら感じるものがあった。 「百合子。私はお前を愛していたよ。いや、今も愛している。でもそれは家族愛だ。性愛ではない。私の中のその感情が向かう先は、ヤトだけだ。私にはヤトが必要だ。お前じゃない。それが一番の理由だよ。それにその意味は、本当はお前にだってわかってるはずだ」  百合子は何も言わなかった。身体中の血が抜け落ちたように、真っ白な顔をして震えていた。その血色の悪い体の中で、赤と黒だけになった目が、異様なまでに存在感を放っていた。  そして、背中を丸めて頭を抱えると、目を大きく見開いたままぶつぶつと「わかりません。わかりません」と言い続けた。 「わかるはずだ。お前が正男を気に入っていたのに夫にしなかったのは、お前にとって正男が本当に欲しい相手じゃなかったからだろう? お前が欲しかったのは私だった。私にも同じことが言えるということだ。私が本当に欲しいのは、ヤトだけだ。それはこれからも変わらない」  百合子は貴人様をじっと見ていた。貴人様は申し訳なさそうにしていたが、その目は父としての慈愛に満ちた目をしていた。 「あ……」 ——私は、お父様の性的対象になれないんだ……性別ではないんだ……私だからダメ……。  百合子は膝から崩れ落ちた。これまでそのことを一度も考えなかったわけではない。それでも、貴人様の口から出た言葉として受け止めたことで、その言葉の重みを本当の意味で理解できたようだ。 ——正男の話を持ち出されたら、わからないわけはない。  しかし、百合子はそこで自重気味に小さく笑った。 ——本当はこれまでも分かっていたのかもしれない。認めたく無かっただけで……。  そう思い始めていた。それでも、どうしても貴人様が良いという気持ちが消せなかっただけだったのだろう。そういう意味では、百合子も苦しみを味わっていた。  愛する人の最愛の人を殺してでも、手に入れたかった。それなのに、いくら願っても、何度生まれ変わっても、その人を手に入れることはできない。 「私だから……ダメ」  それを本人の口から直接言われてしまった。それは、百合子にとって、決定的な喪失の瞬間だった。

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