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歌舞のくに

 こうして、一年を平穏無事に過ごしても思い出の中で一切曇ることなく、むしろ拗らせ、僕の演じる女形の想い人は全部ちゃーんだと思っていた。 祖父の若い頃にそっくりだと言って随分と年配の方がご贔屓にしてくれるようになっていた。チャーン様々である。  そんなある日、何枚もの写真が一気に届いた。東京で買い食いをするチャーのセルフィーだった。ドキドキしすぎて、頭がガンガンしてきた。そして、家を飛び出していた。  千駄ヶ谷に居たかと思えば、原宿に居たり、原宿に居たかと思えば渋谷に居て、追いかけっこの様になったが、ついに新大久保で発見する事に成功した。  しばらく話しかける事が出来ず、チーズホットクを食べて、タピオカを飲み干して、何かよくわからない丸いものを食べ始めると遂に向こうが折れた。  「話しかけてよ!」  「……ごめんなさい!」  「おないっぱいだよ……半分あげるね……良かった、会えて」  「どどどうして……?」  「母さんの親戚に会うためだよ」  「そうなんだ……」  「ね、今日は予定ある?」  「無い」  「じゃあ、来てくれたお礼、させて」  そうして、日本に慣れているらしいチャーンに引きづられて歌舞伎町に至ったのだ。  チャーンと抱き合って、夜になったら親戚と食事をするからと言って一人で夜の街に消えて行った。銀座の方に行く様だった。  青天の霹靂というのはこういう事を言うのだろう。桜姫東文章で権助に再開した桜姫はこんな気分なのだろうか……  翌日から舞台が開演し、出番は少なかったが自分の思っている以上にしっかりと務める事が出来た。チャーンに会えた事の影響に違いなかった。  そして、楽屋で挨拶をして支度をして……外に出たときに、チャーンの姿が目に入って狼狽した。  「賀朝お兄さん!」  と、僕の役者名をチャーンが呼ぶのだ。後から来た父親の方が先に声を上げた。  「志乃くんか!?ああ、ああ、懐かしいなあ!凄く大きくなったな!当たり前か……ほら、お前のニ度目の舞台、團十郎さん襲名の時の助六の禿を一緒にやったんだよな、初舞台は出来たお前が何でか知らんが急に出来ないってびーびー泣くもんだから大変でな!歳下で初舞台の志乃くんが宥めてくれてたな〜懐かしいなあ!」  「賀朝お兄さんは、あの頃からずーっと僕のお兄さんだったんです、お稽古を続けていたのもあの日の賀朝お兄さんとまた舞台に立ちたかったから……」  「お母さんの三恵さんと俺も禿をやったんだ。次はお前たちの子供が一緒に舞台に上がるんだろうなぁ!楽しみだ!」  あまりのことに、何も言えなかった。大好きな人が、目の前に居て、絶対に気付かれたくない父と話している。冷や汗なんてものは、驚きを通り過ぎると出ないものだ、考える余地が無いときは冷や汗などでないのだ。  「お父さん、僕この後用があるから……」  「え?母さんに一緒に帰るって言っちゃったぞ」  「じゃぁ……」  僕は足早にその場を後にした。そうだ、祖父の従弟に当たる香梅おじ様の姪っ子は日舞の師範であり、何処か外国の舞踊家と結婚していた。香梅おじ様は結婚しておらず、子供がいない。志乃はお稽古を続けていたと言ったのだ、香梅おじ様は養子にするのかもしれない。いや、するからあすこに居たのだろう。  総てが理解出来て、カッと顔が熱くなる。志乃は、チャーンは、僕の事を賀朝兄さんと呼んだ、認識していたのだ。きっと最初から。していて、知らぬふりをして僕は……恥ずかしい……苦しい……恥ずかしい……バレたくない……僕は、苛まれた。  わざわざ外国に行って、コールボーイを買い、初めての……そして、恋をしたのだ、幼い頃の、仲間に。子供が居ない香梅おじ様の養子候補に……  その事が頭に浮かぶ度に、軽い悲鳴の様なものが喉元に湧き上がる。何日も何日も悩まされた。三味線は刺々しく、唄いは歌詞が飛び、鼓は調子が外れた。  そして、舞踊のお稽古にチャーン……志乃はやってきた。  「本日は特別にご指導頂けるとのこと、まことにありがとうございます」  きちんと正座をし、扇子を前に置き、叔母に頭を下げている。生意気過ぎず謙虚過ぎず堂々とした言い方だ。  「はい、今日はよろしくね、久しぶりねえ、再びお会いできて嬉しいです。お好きときいてるので藤娘を見せてくださいね」  「はい。ずっと母と二人きりでお稽古していたので、賀朝お兄さんとご一緒出来るのも嬉しく思います」  志乃は、扇子をこちらに向けて頭を下げる。  「あ……えっと……あの……」  条件反射で扇子を前に置き頭だけは下げる。志乃は、温かくその、何も言えない僕を愛おしそうに見えてしまう顔で見上げてくる。僕は、また、誂われているかもしれない、いつかバラされるかもしれないと、思っているのに、それでも大好きなチャーンの姿に泣きそうになった。志乃としての浴衣姿は、オリエンタルでたまらなかった。今すぐに、抱いてほしかった。  志乃の藤娘は、それはそれは見事だった。天性の物もあるだろうが、それ以上に向き合ってきた踊りだった。型と型の間が柔らかく、雰囲気は独特で、妙にエロティックなのだ。  「結構ですね、少し個性が過ぎる所はありますが、その上でお稽古を重ねて行きましょう。今どきですから、何もお師匠様の生き写しである必要はありませんし、香梅お兄さんからもそう言われています。でもね、せっかくいらしたのだから賀朝さんのお稽古を参考にしてみてちょうだい、真面目で保守的で古典的な所が今どきには新しくて魅力ですよ」  「はい!」  ベッドの上では、僕のたどたどしさを全てリードしてくれたチャーンが、志乃として、僕をお兄さんと呼ぶ。タオヤーンと呼んで欲しい。いつも僕のリーダーであってほしい。そんな気持ちは、とても切なかった。ん?お兄さんって事は年下……?何歳下なのだ……?小さい頃凄く小さかったはずだ。  「結構です。今日はしつこいわね……?」  「そうですか……?」  「あとは腰がちょと高すぎますよ、背が高いですから、しっかりと落として」  「はい。ありがとうございます」  しつこいらしい……しつこいってなんだ……目の前に今まで想い人として設定してきた人が居るのだ。仕方あるまい。時に裏切られ、時に永遠の誓いを交わし、時にお姫様として、時に町娘として、時に敵として、時に遊女として、時に身分違いとして、時に精霊として、時に妖怪として……幽霊として……この一年間常に想ってきたのが、目の前のチャーンだ。  今は藤がチャーンかお酒がチャーンか……全部チャーンだ。  「妖艶な藤娘でした……遭遇したら勝てる気がしません」  うっとりのした顔を隠さないから、僕は俯いてしまう。  「都合の良い女の子、元気な女の子、わかってる女の子、貞淑な女の子、色んな藤娘が居ますからね、そこが楽しみですね」  みっちりとお稽古をして、子供のお稽古にまで参加して、ぐったりとしてお稽古場を後にする。それはそれは、そそくさと。話しかけられる前に……と思ったのだが、話しかけて欲しい気もして、どうしたらいいのか分からなくなって、お稽古場を飛び出した癖にもたもた歩いていると、後ろから、ちゃんと声をかけてくれた。  「タオヤーン、ごめんね。言い訳をさせてくれない?」  「うぅ……」  既に泣いてしまった。上質で透けない麻の半袖シャツにスラックスのクラシックお坊ちゃまスタイルのチャーンが素敵だ。香梅おじ様のお好みだ。少し走ってきてくれたのか、汗ばんでいる。  チャーンは涙を拭いてくれる。  「浴衣かわいいね」  僕は近所なので真夏は浴衣で来て浴衣でお稽古をして浴衣で帰る。  「こ……ここで話せないから……何処かホテル……」  「いいよ」  頷いて、タクシーを拾える大通りに向かう。ご近所過ぎて、すれ違う人すれ違う人が会釈をしてくれる。  「モテモテだね」  「小さい頃から知ってるだけだから……」  「いいな、僕は外国で育ったから誰も知らない。たまに観劇やお稽古で来てたんだけどね」  「そうだったんだ……」  「お兄さんの舞台も観ていたよ」  「うん……」  恥ずかしくなる。  「きっと、今から足を踏み入れたところで、経験が足りなくてどうにもならないけど、それでも来たかったんだ」  「香梅おじ様は、見込みが無かったら引き受けないと思う」  少しゾッとするほど、芸能に厳しい方なのだ。先ほどのオリエンタルな雰囲気がおじ様の琴線に触れたのだろう。  「そういえば、志乃くんは何歳なの?」  「今年で十八歳だよ」  「十七歳ってあんな事していいの……?」  「ダメに決まってる。逆サバ読んでたよ」  破天荒な生き方だと思った。それも似合ってしまう。

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