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第2話

「明、部活なんか入る?」 後ろから肩を叩かれ、明は振り返る。 先ほど配られた部活動入部届の紙を基依が気怠そうな顔で眺めていた。 部活動は強制ではないので、最初から入る気のない生徒はさっさとその紙をしまっている者もいる。 明はまだ迷いがあり手元に持ったままだ。 「中学の時バスケ部だったから続けてもいいかなとも思ってるけど・・まだ考え中」 「へぇ。明バスケ部だったんだ!いいじゃん!」 「基依は?なんか入るの?」 明が聞くと、基依は渋い顔をして頭を掻いた。 「うーん・・俺部活の固っ苦しい感じ向いてないからなぁ。でも・・」 「うん?」 「明がバスケ部入るって言うなら俺もやってみようかなぁ」 「えっ?!」 驚いて明は少し後ろにのけ反る。 「な、なんで?」 「中学の時バスケ部に友達いたから試合は時々見に行っててさ。楽しそうだなぁとは思ってたんだよ」 「へぇ・・そうなんだ」 中学時代の試合のことを思い出しながら明は頷く。 「基依Y中学だよな?俺試合したことあるよ」 「えっ!マジ?じゃぁ俺明のこと見たことあったんかな?!」 「あー・・でもどうだろう。俺スタメンじゃなかったし、正直言うとほとんどベンチ温めてただけっていうか」 「ベンチメンバーに入ってるならいいじゃん?」 「いや、部員数少ないから・・三年になれば全員ベンチ入りだから」 明は遠慮がちに手を横に振る。 「この間会ったさ、背の高いやついたろ?昴って言うんだけど、あいつが本当上手くて。昴のおかげでいいところまでいけたって感じ」 明はそう言いながら中学時代の写真をスマホで探す。 それから全員でユニホーム姿で撮った写真を見つけ基依に見せた。 「あー、あの時の。確かに一人だけずば抜けて背高いなぁー。高校でもバスケやんの?」 「うん。多分ね」 昴に直接聞いたわけではないが、おそらく入るだろう。 幸が昔「バスケの応援に行くのが好き」と言っていたから。 「ふーん」 基依はその写真をもう一度一瞥すると、明の方を見て笑った。 「なぁ!今日の放課後バスケ部見学行ってみようぜ!」 「え?!今日?」 急な話に明は驚く。 「おう!入るなら早いほうがいいじゃん!な?」 「う、うん、わかった・・」 明は戸惑いながらコクンと頷いた。 —— 「やっば!めっちゃ汗かいたわー」 びしょ濡れになったシャツをパタパタと仰ぎながら基依が笑う。 明も顔を紅くして水道の蛇口から水を飲んだ。持ってきていたペットボトルはとっくに無くなってしまっている。 「見学だけのつもりだったのになぁ〜!でも先輩達も厳しくなさそうだしいいじゃん!明、どうする?」 明はそう聞かれ、うーんと腕を組んで考えた。 見せてもらうだけのつもりだったが「混ざっていいよ!」と気軽に先輩に声をかけられ、基依と一緒に練習に参加した。 運動着など持ってきていなかったので、シャツのままでだ。 先輩達は終始明るく、誰が二年で誰が三年かも分からないくらい仲が良さそうだった。 「そうだなぁ。楽しかったし入ってもいいかなぁ」 そう言いながらチラリと基依に目を向ける。 「おっ!じゃぁ俺も入る!明日入部届出しに行こうぜ」 「・・うん!」 明は明るい声で返事をした。 基依が一緒に入ってくれるなら心強い。 それに、幸や昴がいないのに一緒に何かをやってくれる友人がいることが何よりも嬉しい。 これまで『幸がいるなら』『昴がいるなら』という理由で、みんな明と一緒にしてくれることばかりだった。 明がいる=幸か昴がいる。 自分は幸や昴のオマケのようなものなのだ、そう明は感じていた。 ー幸や昴と違う高校にしてよかった・・ 自分の判断は間違っていなかったと、明は思った。 ーー 「え?明K高校受けないの?!」 中学三年の冬。 願書の提出後、幸に違う高校を受けることを打ち明けた。 「うん、やっぱ俺にはK高校無理そうかなって思ってさー!」 「なにそれ・・だから明も夏期講習受ければよかったんだよ。俺何回も誘ったのに・・」 中学三年の夏休み、幸は昴と一緒に塾の夏期講習を受けに行っていた。 母親は当初、幸と明の二人で通わせるつもりだった。家から近くのK高校は県内でもレベルの高い学校に分類される。 明も幸も今のままでは合格する可能性は五分五分といったところだ。母はそれを危惧し、駅前の塾の夏期講習を勧めた。 しかし明が夏期講習を拒んだ事で、幸は一人では行きたくないと渋り、結局昴が一緒に行くことになった。 昴はαなだけあって学年でもトップの成績で、本来なら塾に行く必要はない。 昴には申し訳ないことをしたかなと思ったが、結果的には夏休み中ずっと幸と居られたわけだし、夏期講習で他校の仲の良い友達もたくさん出来たようだ。 夏期講習が終わった後も、そのメンバーで時々遊んでいたのを明は知っている。 この頃から、明は少しずつ二人と距離を置き始めた。 高校からは、自分の道を行く。 今まで、なにかと幸と同じ道をいっていた。 それは幸がどんな時も「明も一緒だよね?」と言ってきたからだ。 幸は兄だけれど、どこか儚く頼りない。 弟として側で支えなくてはという思いがあった。 けれど年齢を重ねるにつれ、側にいることで幸と比べられることが苦痛になってきた。 果たして幸は自分が守らなくてはいけない存在なのだろうか。 自分が守らなくても、幸を守りたいと思う者は沢山いる。 現に最近、新しい彼氏ができた。 ついこの間まで別の人と付き合っていたはずなのに。 どうやら一つ下の後輩に熱心にアプローチされて、そちらに心が動かされたらしい。 幸のことを好きだというものはいつも絶えず現れる。 そして、そんな気持ちをずっと昔から秘めたまま側に居る人もいる。 彼は誰よりも幸のことを理解し守ってきた。 それが幼馴染の昴。 『明、Y高校受けるって本当?』 幸に別の高校を受けると打ち明けた日の夜に、昴から電話がかかってきた。 『幸すごい泣いてたよ。明が秘密にしてたことショックだって言って』 「あー。ごめんなぁ」 どうやら幸がすぐに昴に言いに行ったらしい。 何かあれば昴に言うのは昔から変わらない。 「なんか言い出しにくくてさぁ。ほら、K高校受からなそうっていうのもなんかカッコ悪いし」 そう適当なことを言ってなんとなく誤魔化す。 すると昴が声のトーンを落として言った。 『俺も・・明と高校でもバスケ出来ると思ってたんだけどな』 「えっ!K高バスケ部強いから俺なんか無理無理!高校でバスケ続けるかもまだ分かんないしさぁ」 『・・そうなの?』 「まぁ、Y高受かってから考えるよ。他にも部活って色々あるし。でも昴は俺のことは気にせず続けろよな」 『え?』 「幸言ってたじゃん。バスケしてる時の昴が一番カッコいいって。応援行くの楽しいってさ」 『・・あぁ。うん、そうだね・・・』 好きな人からの言葉に照れているのだろうか。 昴は小さな声で返事をすると黙ってしまった。 「まぁ!学校違くても家隣りだし!悩みとかあったら聞くから言えよな!」 明は明るくそう言って、昴との電話を終わらせた。これ以上何か言われても上手く返せる気がしないからだ。 幸のことはこれからは昴に任せればいい。 幸にとって昴は唯一無二の存在だと、幸もきっとわかってくれるはずだ。 そうしていつか、昴が選ばれたらいい。 明はそっと心の中で祈った。 ーー 朝七時十分。 明が家を出る時間だ。 Y高校は電車で二つ隣の駅まで行き、そこからさらにバスで少し山を登った所にある。 この時間に家を出ないと間に合わない。 「行ってきますー」 ガチャンと玄関の扉を開けて外に出ると、目の前に昴が立っていた。 「おぉ!おはよ昴」 「おはよう、明」 「幸ならいつも通りまだ寝てるよ」 「もう、幸は本当にしかたないなぁ」 そう言いながらも昴の表情は柔らかい。 幸は朝に弱く明が家を出る時は大抵まだ寝ている。 中学生までは明が根気強く幸を起こしていたが、今はそれをやっていては明が遅刻してしまうため昴が代わりに起こしにきてくれることになった。 昴達は八時に家を出れば間に合うので、まだこの時間なら余裕だ。 「あっ!そういえばさ、昴は高校もバスケ部入るよな?」 明は履き掛けの運動靴のつま先をトントンと鳴らしながら聞いた。 「え、なんで?」 「俺もバスケ部入る事にしたからさ!昴が入るならそのうち試合とかで会えるかもなって!」 「え・・」 昴は目を丸くして明を見つめる。 「明、バスケ部入るの?続けるかわからないって言ってたのに」 「いやぁ、迷ってたんだけどさ。友達と一緒に見学行ったら雰囲気良さそうだったし。友達も入るって言うし俺も入る事にした!」 「友達?」 「そう!あっ、この間誕生日の日俺カラオケ行ったじゃん?その時最後にプレゼントくれたやつなんだけど」 「あぁ・・あの人か・・」 昴が視線を上に向けて呟く。 それから一瞬昴の口元が動きかけたが、それより先に明が叫んだ。 「あ、そろそろ行かなきゃ!じゃぁまたな、昴!」 明はそう言うと、昴に背を向けて急足で歩き始める。 「行ってらっしゃい」 後ろから昴の声が聞こえ、明はチラリと振り返って大きく手を振った。 先ほど、昴は何か言おうとしていたかもしれない。 今度会った時に、聞いてみよう。 明はそう思いながら駅までの道を小走りで駆けて行った。 ーー 「幸、起きて。朝だよ」 昴は毛布にくるまって眠る幸の体を揺さぶる。 「うーん・・おはよぉ」 モゾモゾと動きながら、眠そうな声で幸が言った。 「今何時ぃ?」 「もうすぐ7時半」 「りょうかーい」 そう答えながらも、幸が起き上がる気配はない。 昴は小さくため息を吐くと、幸のベッドに腰掛けたまま部屋をぐるりと見回す。 シンプルでオシャレな小物が好きな幸の部屋は、綺麗に整理されている。 隣の明の部屋とは正反対だ。 明の部屋は統一性がなく、謎のポスターが貼ってあったり、漫画と教科書が同じ本棚に雑に置かれていたりする。 明に言わせれば、それが一番使いやすい配置だそうだ。 それに比べて幸の部屋は整理はされているが、自分のプライベートに関わるものはほとんど見える所には置いていない。 オシャレな小物が棚に綺麗に並べられていたり、肌触りの良いクッションが置かれているだけだ。 簡単に恋人をこの部屋にあげるのに、全てを晒す気は全くないというのが伝わってくる。 その匙加減がまた、彼を夢中にさせる魅力でもあるのだろう。 「うぅん・・」 気怠そうな声をあげて幸がコロンと向きを変えた。 昴はもう一度幸を起こそうとそっと手を伸ばす。 その瞬間、鼻の奥をくすぐるような甘い『匂い』を微かに感じた。 心臓がドクンと強く鳴る。それは興奮と警戒の音だ。 昴は慌ててパッと手を引き戻しベッドから立ち上がった。 それから幸の寝ているベッドから離れて部屋の扉を開ける。 ー発情期だ。 今朝から始まったのか・・ 幸はちゃんとピルを飲んでいる。自分で発情期の周期はわかっているはずだ。 「幸!幸!!」 昴は扉を開けたまま大きな声で名前を呼ぶ。 「うぅん・・なぁに、昴・・」 まだ眠たそうな幸が薄らと目を開けて昴に目を向けた。 「抑制剤飲んで!発情期きてるから」 「あれぇ・・本当?」 ゆっくりと起き上がると、幸は自分の身体に手を当てる。 「あぁ、そう言えばそうだった。明日からだなぁと思って昨日寝る前に薬飲むつもりだったんだった。でもスマホ見てたらそのまま寝落ちしちゃったみたい」 そう言ってイタズラっぽく舌を出す。それからベッドの横の机に手を伸ばすと、引き出しからピルケースを取り出し小さな白い錠剤を口に入れた。 「ごめんね、昴。もう大丈夫だからもっと近くおいでよ」 「いや、まだダメよ。俺下に行ってるから、早く着替えて準備しな」 昴はそう言うと、幸の部屋を出て下のリビングダイニングへと向かった。 まだ少しだけ心臓の鼓動が速い。 まったく・・何を考えているのだろう。 毎朝、αの自分が起こしに来ることをわかっているはずなのに・・ Ωのヒートに当てたられたら、αの理性がどれほど脆いか。それを彼は痛いほど知っている。 それなのに・・ まるで、試されているみたいだ・・ 「おはよう〜母さん、昴」 学ランの首元を緩く開けた状態で、幸がゆっくりと降りてきた。 「おはよう幸。早く飲んじゃいな」 そう言って幸の母がイチゴのヨーグルトスムージーの入ったコップを置く。 幸は朝はほとんど食べない。 コップ一杯のスムージーが彼の朝食だ。 「いただきまーす」 「幸、抑制剤飲むの忘れてたんだって?気をつけるんだよ。外でヒート起こしたら大変なことになるんだから。今日の帰りにうちの店寄って薬も買い足しておきな」 幸と明の母、光さんは男のΩだ。 日中は近くの薬局で働いている。 「わかってるって。もう、昴はすぐ告げ口するんだから」 ツンと口を尖らせながら、幸はゴクゴクとスムージーを飲み込んだ。 「行ってきまーす」 幸が玄関のドアを開けると、昴はその後に続いて外に出た。 時刻は八時ちょうど。 いつもの朝と同じペースだ。 「そう言えばさ・・」 昴はそこまで言って一瞬言葉を飲む。 「うん?何?」 幸はスマホの画面を見ながら聞き返した。 「明がバスケ部に入るって聞いた?」 「え、そうなの?」 スマホから目を上げ、幸が綺麗な茶色の瞳をこちらに向ける。 「らしいよ。さっき聞いた。友達も一緒に入るからやるって」 「友達?」 「この間の、誕生日の日に一緒にカラオケ行った人だって」 「ふーん」 面白くなさそうな顔をして幸が応える。 明が自分の知らない誰かと仲良くなっていくのがつまらないのだろう。 「じゃぁ、昴も入りなよ。バスケ部」 幸がすっと鋭い視線を向ける。 「え・・」 「昴がバスケ部入ればまた試合の応援行けるし、明の学校と当たることもあるでしょ?ね、だからよろしく、昴」 「・・・」 断らせる気なんてさらさらない言い方だ。 確信しているのだ。 幸の言うことを俺が断ることなんてないということを。 「・・うん。俺バスケ部入るよ。せっかく今までやってきたしね」 「ふふ。練習も時々見に行くね。応援してる、昴」 「・・うん」 いつだって幸のために動く。 あの日、俺は幸のために生きると決めたのだから。 もうそれを変えることは出来ない。 たとえ、明をこの手で汚してしまっていても・・

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