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第7話

ーー幼い頃、家ではいつも笑えなかったから明といる時が一番楽しくて幸せだった。 「すーばーるー!みてみて!!」 保育園の教室で明がニコニコと笑いながら昴に近づいてきた。 それから変身ヒーローのポーズをしてみせたかと思うと、そのままの流れで流行りの芸人のモノマネをする。 その流れがあまりにも自然で面白く、昴はお腹を抱えて笑った。 「あはは!!すごいにてる!!」 「やった!じゃぁつぎは!」 そう言って今度はよく見るCMのモノマネをしだした。 それも面白くて昴が「次は?次は?」と聞いていたら、いつの間にか明は沢山のモノマネをしてくれるようになった。 そんな些細な楽しさが、あの頃の昴には何よりも大切なものだった。 物心ついた頃から家の中では両親の喧嘩の声が響き、昴はその度に黙り込んでそれが収まるのを待った。 どちらが一方的に悪かったわけではない。 二人の相性が悪かったのだ。 同じα同士の夫婦で、どちらも優秀で譲ることを知らない。意見が違えば必ずぶつかり合う。 昴にとっては母も父も大好きな存在だったが、それ故にどちらの味方にもつけずただ無表情でその場をやり過ごす日々が続いた。 「あのさ、すばるのパパとママにしょうたいじょうおくるのはどう?」 昴がもうすぐ六歳になるという時、明がクレヨンを持ってそう提案してきた。 保育園では毎月、生まれ月の子達の合同お誕生日会が開かれ保護者も参加できる。 けれど仕事が休めず来れない親も多い。 昴の両親も参加したのは二歳の時の一度きりだ。 この頃にはもう両親の仲は完全に冷めていて、二人が並んで歩く姿を見ることもなかった。 昴がどこかに出かける時は、いつも父か母どちらかとだ。 『家族三人で出かけたい』 そう言ったら明がお誕生日会の提案をしてきたのだ。 『お誕生日会に来てもらってそのまま一緒に帰ればいいんだよ』と。 明が不器用な手でせっせと折り紙のチューリップを折る。 昴はその横で二つに折った画用紙にひらがなで招待状の文を書いた。 「めい、おりがみしてるの?」 向こうで先生と絵本を読んでいた幸が近づいてきて言った。 「うん。すばるのパパとママにおたんじょうびかいのしょうたいじょうつくってるの」 明がそう言うと、幸は「えー・・」と眉毛を下げる。それから昴の方をチラリと見た。 「ぼく、すばるのパパとママこわいからやだなぁ」 「え・・」 昴のクレヨンを持つ手が止まる。 「だっていつもこわいかおしてるんだもん。すばるかわいそう」 幸はそう言って昴の手を握った。 昴は黙ったまま書きかけの招待状を見る。 怖いのはわかっている。 いつも、両親は不機嫌そうで不満そうだ。 けれど・・ それでも昴にとっては大好きな父と母に代わりはない・・ 目頭がジワジワと熱くなる。 泣いちゃだめだ・・ そう思った瞬間、横から明が折り紙を幸に渡して言った。 「ゆき!チューリップのみほんおって!おねがい!」 「えー、めいチューリップおれないの?」 「むずかしいんだよー!」 「わかったよ、かして」 幸はそう言うと、綺麗に折り紙を折ってチューリップを作り始めた。 「あっ!じょうず!さすがゆき!」 明がニコニコと笑う。 さっきまでの空気が嘘のように明るくなる。 昴はその様子を見ながら、止まっていた手を再び動かしクレヨンで招待状の続きを書き始めた。 結局、お誕生日会には昴の父だけが来た。 それでも昴は嬉しかった。 招待状を送らなかったらきっとどちらも来なかっただろう。 「めい、ありがとう」 お誕生日会の後、昴は明のもとに行きお礼を言った。 「え?なにが?」 明は笑って首を傾げる。 きっと、本当にわかっていないのだろう。 それでもいい。 明がしてくれたことが嬉しかったのだから。 昴が両親のことを好きなことを、明はわかってくれている。 自分が両親を好きなように、昴もそうだと。 側から見れば、喧嘩が絶えず雰囲気の悪い家族に見えるだろう。 それでも昴にとってはかけがえのない家族だと、それは他の子と変わらないのだと、明だけがわかってくれている、そんな気がした。 けれど、そんな家族も次の年には終わりをむかえた。 母と父、どちらと暮らしたいか。 その選択は昴に委ねられた。 母は家を出る。そのことを聞いた日から昴の答えは決まっていた。 「昴君、ご飯食べようね」 昴の前にカレーが置かれた。 フワフワと白い湯気が出て、いい匂いが漂ってくる。 明達の母が優しく微笑んでくれた。 両親が今後の最終的な話し合いをするため、昴が明達の家に預けられていた日のことだ。 家でどんなことを話してるのだろう。 また喧嘩をしてるんじゃないか。 お母さんは明日からもういないのかな。 色んなことが頭を駆け巡り、昴は目の前のカレーをただぼんやりと見つめた。 すると横からひょっこりと明が顔を出して聞いた。 「昴!ご飯食べた後もまだいる?アニメ見る?」 明は昴がなぜこの時間までいるのかを知らなかったのだろう。 無邪気にニコニコと笑いかけてくる。 昴はその笑顔を見て思った。 ー明は、俺の家がバラバラになっても仲良くしてくれるかな? これからきっと今までと違う生活になってしまうけど、それでも変わらないままずっと・・ これからの予想のできない未来を不安に思って、昴の瞳からポロリと涙が溢れる。 一度溢れだしてしまうと止められず、昴は声を殺して静かに泣き始めた。 明はその様子をポカンと見つめる。 普段明の前で泣いたことはないから驚いているのだろう。 明の前ではなるべく笑っていたいのに・・ そう思っても涙が止まらない。 すると、すぐそばで別の啜り泣く声が聞こえてきた。 「え?幸、泣いてるの?」 明の声に反応するように前を見ると、目の前に座っていた幸がワァと声をあげて泣き始めた。 「だって、だって昴が可哀想なんだもん〜」 その言葉に胸がズクンと痛くなる。 昔も『可哀想』だと幸に言われた。 そう言われると、自分はそういう不幸な人間なのだと思わされる。 不幸な家に生まれた可哀想な子どもなのだと・・ 「僕も、この家の子どもになりたかったな」 ポツリとそんな言葉が出てしまった。 明が目を丸くしてこちらを見てくる。 きっとなんて言ったらいいかわからなくて困っているのだろう。 無理なことなのに。 自分のことを不幸だと思い、つい仲の良い両親のもとで育つ明と幸を羨ましく思ってしまった。 せっかく面倒を見てもらっているのに、こんな重い空気にしてしまってはダメだ。 平気な顔をしなくては・・ そう思った瞬間、幸が大きな声で言った。 「じゃあ僕と結婚しよう!そしたら本当の家族になれるよ!うちだってパパもママも男の人なんだから、僕達だって結婚できるよ」 その幸の言葉で、重かった空気が少し和らぐ。 幸と明の母は幸の言葉が嬉しかったのか、幸の頭を優しく撫でた。 幸の瞳からはさらにポロポロと涙が溢れてくる。 自分よりも泣いてくれる幸を見ていたら、涙はいつのまにか引っ込んでいた。 結婚・・そんなこと考えたことなかった。 けれど、家族じゃない人と家族になる方法はあるのだと幸の言葉が気づかせてくれた。 そうだ・・大人になった時、自分が一緒に居たいと思う人と家族になれればいい。 そしてその相手は、やっぱり・・ 「・・ありがとう」 昴は小さな声でお礼を言うと目の前のカレーを食べ始める。 自分で選べる未来のことを考えたら、少しだけ心が軽くなった。 「昴!一緒に帰ろう?」 あの日から幸の様子が変わった。 それまでは明にベッタリだった幸が、昴にくっついてくるようになったのだ。 『結婚しよう』と言ったことを、気遣ってくれているのかもしれない。 「うん。あれ、明は?」 昴が周りを見ながら聞く。 「明なら小田君達とゲームの話してたよ。うちゲームないから明だって話わからないはずなのにさぁ」 「ゲーム?」 「そう!何の話かわからなくて置いてきた。だから先帰ってよ!」 そう言って幸が昴の腕を引っ張る。 「え、でも明待ってた方が・・」 「僕、小田君達のグループ苦手なんだ。うるさいし。一緒に帰ることになったら嫌だから先行こう?お願い!」 「・・・」 そう言われてしまったら、幸のことを考えると待っているわけにもいかない。 昴はそのまま幸と共に先に帰ることにした。 それから、そういうことがだんだんと増えていった。 幸は昔から体が弱く繊細だ。そんな彼は人見知りもあって頼れる相手が少ない。 だから幸にお願いされると断りずらいのだ。 気がつくと昴は幸といる時間が多くなっていた。 春になり、進級と共に明とだけクラスが別れてしまったこともそれに拍車をかけた。 「幸、新しいクラス大丈夫そう?」 廊下ですれ違いざま、コソッと明が聞く。 「うん、少しずつ話せる子は増えてるよ、大丈夫」 「よかった!まぁ、幸なら心配ないよな!昴がそばにいてくれるし!幸のことよろしくな!」 そう言って明はニコッと笑った。 「・・うん」 昴は少し寂しそうに微笑む。 「しじまめーい!!」 廊下の奥から明のフルネームを呼ぶ声がした。 「今行くー!」 明は大きく手を振って答える。 「これから校庭でドッチボールするんだ!昴も幸が大丈夫だったらおいでよ!」 「え・・」 「じゃあな!」 明はそう言うと軽快に走って行ってしまった。 昴はポツンと廊下に残される。 昔なら明の後を追いかけて一緒に行ったのに・・ でも今は、それが出来ない。 明に、幸のことをお願いされたから。 「昴、どこ行ってたの?」 教室に戻ると幸が駆け寄ってきた。 「トイレだよ。それより幸、今から校庭行かない?まだ休み時間ちょっとあるし」 「校庭?」 幸は不思議そうな顔で首を傾げる。 「うん、明がクラスの子とドッチボールやってるんだって。一緒にやろうよ」 「えぇ?僕はいやだ・・」 眉間に皺を寄せて幸が言った。 「明のクラス知らない子多いし、ドッチボールもやりたくない。昴、一緒に図書室行こうよ」 「で、でも・・」 「読みたい本があったんだ!一人は怖いからついて来てほしい。だめ?」 「・・・わかった・・」 昴は言いたいことを飲み込んで頷く。 まだ新しいクラスになって間もない。まずは幸がこのクラスに馴染むまで、そばに居よう。 「幸君と昴君てお家が隣なんだって!だからいつも一緒にいるんだ!」 「昴が幸を守ってるんだろ?幸体弱いもんな」 「二人は本当仲良いね」 いつの間にか、周りからはそういう風に言われるようになった。 その度に「違うよ、本当に仲がいいのは・・」と心の中で呟く。 しかし反論の声は喉に引っかかって出てこない。今否定すると幸を傷つけてしまうかもしれないからだ。 大丈夫、自分達が分かっていればいい。 分かっていれば・・ 「そうそう!昴と幸は仲良いんだ!昴は俺より幸のことわかってると思う!」 明が笑って友達に言う。 その場を偶然見てしまい、昴は思わず言葉を失って立ち止まった。 ・・どういうこと? 違うよね?俺が仲が良いのは・・ そう思いながら、手のひらをキツく握る。 けれど、最近では幸といる時間の方が長いのは事実だ。 いつの間にか、逆転してしまった。 昴の隣にいるのは、明ではなく幸になった。 なぜこうなったのだろう。 それは・・ そう、明が望んだから・・ 明がそうしてって言ったから、だから・・ 「あのさぁ、今度友達の家でゲーム大会するんだけど」 学校からの帰り道、昴、幸、明で並んで歩いている時に明がボソリと言った。 「昴と幸も誘ってって言われてさ、二人とも来れない?」 「ゲーム?誰の家でやるの?」 幸が聞き返す。 「戸島君の家。戸島君ゲームすごい持ってるんだって!」 「・・戸島君?喋ったことないや・・昴、どうする?」 幸はチラリと昴を上目遣いで見つめた。 昴は悩むことなく答える。 「俺は行きたいな。楽しそう!」 明と遊べる。そう思ったら迷う必要などなかった。 しかし幸は浮かない表情でボソッと言う。 「・・僕はなんか怖い。知らない子の家なのに行っていいのかなぁ」 「・・幸と昴にも来て欲しいって、みんな言ってたから大丈夫だよ」 明は笑って言う。 「・・なら、明と昴は絶対隣に居てね。わかった?」 二人を交互に見ながら幸が言うと、明と昴はコクンと頷いた。 それから数日後、戸島の家でゲーム大会が開かれた。 集まった人数は昴達を入れて十人ほどだ。 「四十万と矢野もやろうぜ!」 幸と昴だけ違うクラスだったが皆明るく話しかけてくれる。 「うん!」 昴は渡されたコントローラーを手にすると、隣の幸に目を向けた。 「ほら、幸も」 しかし幸は動かない。 それからぶっきらぼうに言った。 「僕、こういうの難しくてよくわかんない・・」 「・・・」 一瞬周りがしんと黙り込む。 すると幸を挟んで昴の真反対に座っていた明が笑いながら言った。 「じゃぁ、幸は俺と一緒にコントローラー使おう!やっていくうちにわかってくるから!」 「・・・うん」 明に言われて幸は渋々と言った顔で返事をする。 昴もそれを見て胸を撫で下ろした。 「あっ!やった!!」 最初こそつまらなそうな顔をしていた幸だが、やり方がわかってくると笑顔を見せるようになってきた。 「四十万!ここ!ここに爆弾置けばいいんだよ!」 「そうそう!うまいじゃん!」 幸の雰囲気が柔和されたのを感じて、みんな幸の周りに集まってアドバイスをしだした。 「本当だ!うまくいったー。ありがとう!」 幸はニコリと笑ってお礼を言う。 その笑顔に照れくさそうに鼻の頭を掻く者もいた。 「矢野!勝負しようぜ!次は絶対負けないから」 昴は初めてやったゲームにも関わらずすぐにコツを掴み、ドンドンと連勝を続ける。 その様子を見て、みんなが昴に勝負を挑み始めた。 気がつくと幸と昴の周りに人が集まっている。 昴はふと明のことが気になり辺りを見回した。 明は昴のちょっと後ろでゲーム画面を見ていた。 昴と目が合うと、ヘラっと笑う。 『昴!頑張れ!』 そう口パクで言ってくれたような気がして、昴はコクリと頷くと再び前を見てゲームを始めた。 「楽しかったね!」 帰り道、幸がニコニコしながら言う。 「また誘ってくれるって!明の友達みんな優しいね」 「・・幸が楽しくてよかった」 明もニコリと笑って言った。 その様子を見て昴も嬉しくなる。 これできっと、前みたいに戻れるんだ。 これからも明と一緒に遊べるんだ。 そう思ったからだ。 その考えは当たった。 それからというもの、明を通して新しい友達が増え大人数で遊ぶことが増えた。 それは学年が上がってクラス替えがあっても変わらなかった。 何人かメンバーは入れ替わりはしたが、放課後は集まってみんなで遊ぶ。 幸も最初こそ人見知りをするが、慣れれば明るく笑顔で接する。 そうしてるうちに友人の中には分かりやすく幸贔屓の者も現れ始めた。 「幸はこっちのチーム!」 「俺とペア組んで!」 そんなちょっとしたいざこざもあったが、そういう時は昴や明が間に入ることで収まっていた。 幸は人を惹きつける魅力がある。 それに気がついたのもこの頃だ。 幸といることで嫌味を言われることも増えた。 しかし昴にはそれはあまり響かなかった。 幸を守ろうとする人間が増えることはいいことだ。 自分だけがその役目を負わなくてよくなれば、明といる時間が増えるのだから・・ 「幸、夏のお祭り一緒に行かない?」 あと二週間で夏休みという小学六年生の時。 掃除の時間、教室で一人の男子に幸が話しかけられていた。 幸は指を口に当てて考えるような仕草をする。 「うーん。何人くらいで行くの?橘君の他にもいるの?」 そう聞かれた橘はギクっとしながら答える。 「えっ、あーそうそう!ほら!この間の林間学校の班のメンバーでどうかなって!」 林間学校は六年生になってすぐに行われた。 二泊三日の行程で、オリエンテーリングや登山など班行動がメインになっている。 そんな重要な班分けは先生が決めたため、昴は幸とは別の班になった。 最初は幸を心配していたが、幸の班のメンバーはみんな明るく頼もしい男子ばかりで幸もすぐに打ち解けていた。 橘もその時の班の一人だ。 二人の様子を箒で床を掃きながら見ていた昴は思った。 ー橘は幸と二人で行きたいんだろうな・・ けれど幸はそんなことには気づいていない顔をして笑って言う。 「いいね、林間学校の班楽しかったもんね」 「あっ、だろ?!じゃぁ俺他のやつにも声かけてみるよ!」 橘はそう言うとそそくさとその場を離れて行った。 幸は何事もなかったかのように掃除の続きに戻る。 幸は十二歳になって、また一段と綺麗に成長した。 背はあまり高くないが、細い腕と足がスラリと伸びている。 相変わらず人見知りはするので近づき難い雰囲気だが、それがまた高嶺の花のような魅力になっている。 「この間の保健の授業の時さ、思わなかった?」 「うん、思った思った」 先ほどの橘と幸の様子を見ていたらしい女子がコソコソと話している声が聞こえた。 「幸君さ、絶対Ωだよね?」 「絶対そう!Ωの特徴に当てはまるし。橘君ああいう感じが好きなんだねぇ」 女子二人はチラリと幸を見ながら言う。 成長するにつれて、幸に対して負の感情を持つ者も少しずつ現れるようになった。 人を惹きつける魅力を持っていると同時に、そのことに嫉妬する者もいる。 特別な感情を持たれやすいということは良いことばかりではない。 「昴、一緒にゴミ捨てに行こうー」 幸が教室の大きなゴミ箱を抱えてやってきた。 「うん、俺反対側持つよ」 昴はそう言うと、幸と二人でゴミ箱を持つ。 「って言うか、矢野君いつも独り占めしてるくせにね」 「本当。だったら他の子とは仲良くしないでほしいよね」 先ほどの女子達の会話がまた聞こえる。 昴はチラリと幸を横目で見たが、幸は前だけを見つめてさっさと教室を出て行った。 「・・幸、大丈夫?」 廊下を少し歩いたところで聞いてみる。 幸は凛とした顔のまま言った。 「俺、何も悪いことしてないよね?」 「・・・うん」 「だったら、今ここで泣いたら悔しいから泣かない」 「・・・」 幸は傷つきやすい。けれどそれを見せる相手は限られている。 「・・今日、放課後久々に家で遊ぼうか?明も誘ってさ」 昴がそう言うと、幸は「うん」と小さく頷いた。 「俺のクラスでも幸のことよく聞かれるよー!」 明がゲーム画面を見つめながら言う。 「幸君は何して遊ぶのが好き?とか好きなタイプはー?とかさ。みんな幸が好きなんだよ!」 明は能天気に笑うと、持っていたコントローラーを置いた。 それからテーブルに置かれたお菓子に手を伸ばす。 「イジワルなこと言うやつのことなんて気にすんなよ!どう考えたってそんなヤツらより幸の方がいいヤツなんだから」 「・・そうだけどさ、やっぱり悲しいじゃん」 幸はしょんぼりした顔で膝を抱えた。 「うーん、じゃあさ!次、これやろ!」 そう言って明が指差した先には、モグラ叩きのおもちゃがあった。 昴が小さい頃買ってもらった物だ。 「ストレス発散!な!」 「えー。モグラ叩きで?」 「なるなる!ほら!」 幸は明に促され、小さくため息をつきながらおもちゃのスイッチを入れる。 賑やかな音楽と共にモグラがヒョコヒョコと顔を出し始めた。 幸は手に持った小さなハンマーでそれを叩きながらボソッと言った。 「・・やっぱり、この三人が落ち着くな」 「・・・幸」 昴はそんな幸の横顔を見つめる。 「あっ、くっそー!」 次第に速くなるモグラの動きに幸も真剣な顔つきになっていく。 少しずつ笑顔になっていく幸を見て、昴も明もホッと胸を撫で下ろした。 「あー、保健の授業ね。俺のクラス昨日やったよ」 それからモグラ叩きが落ち着くと、再びテレビゲームをしながらの雑談が始まった。 「第二次性ってやつでしょ?難しくって眠くなっちゃった」 「もー。明、ちゃんと聞かなきゃダメだよ。俺達の両親のことなんだから」 幸が呆れた顔で言う。 「一応聞いてたって!母さんはΩで父さんがαだから俺達は生まれたってことだろ?男はΩじゃないと子ども産めないってのは初めて知った」 「俺は、なんとなく知ってたよ。うちは両親二人ともαで、小さい頃からそう言う話は教えられてたし」 昴の言葉に明は驚いて目を丸くする。 「えっ!昴の家、父ちゃんも母ちゃんもαなの!?じゃあ昴も?すげえー!」 「俺がαかどうかはわからないよ。検査するのは14歳になってからでしょ?」 「けど・・両親二人ともαならその可能性はすごく高いよね」 幸がカチャカチャとコントローラーを動かしながら言う。 「それにうちだって父さんαなんだから、αの可能性あるよ?」 「えー。俺自分がαだとは思えないなぁ。だってαって優秀な人が多いんだろ?俺勉強全然出来ないもん」 明はそう言ってほっぺを膨らましたが、すぐにコロッと笑って続けて言った。 「まぁ、でも性別検査楽しみだなー!!なっ!」 明のその同意を求める言葉に、幸は複雑そうに笑う。 『幸君さ、絶対Ωだよね?』 あの女子達の言葉が引っかかっているのだろう。 授業ではΩだからといって今は不利益になることはないと言っていた。 けれど、社会的な地位に問題がなくてもΩというだけで色眼鏡で見られることはなくならない。 幸はすでにそれがわかっている。 だから無邪気に性別検査を楽しみにはできない。だってαとΩの子なのだから、Ωになる可能性だってあるのだ。 昴はゲームに夢中になる明を見つめた。 保健の授業で習った『番』というもの。 『番』になれるのはαとΩだけだ。 もし・・もしも明がΩだったら・・ そして、自分がαだったなら・・ 結婚のような制度よりももっと強い繋がりを持つことができる『番』に、明となりたい・・ 第二次性について勉強してからというもの、そんな欲望がずっと沸々と浮かんでは消える。 明がΩならいいと望みながらも、Ωでは嫌な思いをするからと望んではいけないとも思う。 明と、ただ一緒にいたいだけなのに・・ 「幸、夏祭りみんなOKだって!」 休み時間、橘が幸の席に来て行った。他の友人も集まってくる。 林間学校で幸と同じ班だったメンバーだ。 「祭り楽しみだなー!いくら持ってく?!」 「待ち合わせ何時にしよっか?!祭りの前にちょっと遊べたら遊ぼうよ!」 みんなが幸を囲んで楽しそうに話している。 幸もその中心で楽しそうだ。 K神社の夏祭りはこの地域では一大イベントだ。たくさんの屋台が並び、昼から夜にかけて町中の人が集まってくる。 家からも近く顔見知りも多くいるため、小学生になってから毎年明と幸と三人で行っていた。 しかし今年はどうやらそうはいかないようだ。 幸はクラスの子達と行く。 それならば・・ 「えっ!幸、他の子達と行くの?」 昴は二つ隣の教室に行き、明を呼び出すと夏祭りの話をふってみた。 「うん、そうみたい。だから・・今年は二人で行く?」 チラリと明の表情をうかがいながら聞いてみる。 すると明は眉尻をさげながら昴を見つめて言った。 「俺はいいけど・・昴はいいの?」 「え・・いいって何が?」 「幸がいなくて。昴も本当は幸と一緒に夏祭り行きたいでしょ?」 「・・・」 そんなことを聞かれるとは思わず昴は口をポカンと開ける。それから言葉を選ぶようにして言った。 「え、と・・そりぁ、幸がいたらいいとは思うけど・・でも幸は今回はクラスの子と行く話してるし、そのメンバーには俺入ってないし・・」 「・・昴入れてもらえないの?」 「林間学校の班のメンバーで行くみたいだから。幸の班すごい仲良くなってたんだ」 「あぁー。確かに幸も楽しかったって言ってたなぁ・・」 それから明は少し考えるような顔をしたが、切り替えるようにニコリと笑うと昴の肩をポンと叩いた。 「よし!じゃぁ、俺達は俺達で楽しもう!!夏祭り楽しみだな!」 「・・う、うん!」 昴はホッとした顔をして頷く。 しかし心の中には小さな不安の種が生まれた。 幸のことは大切な友達だと思っている。 けれど・・そういうつもりじゃない。 明は何か勘違いしているのかもしれない・・ その誤解を解くためにも、幸だけが特別だとは思われないようにしよう・・ それからあっという間に夏休みに入ったが、神社のお祭りの話題が三人の間で出ることはなかった。 幸が明や昴がいない状況で他の友人達と遊びに行くことは滅多にない。ましてや昼から夜にかけての長時間は初めてだろう。 きっと幸にとっても新しい挑戦だ。 明に心配されたくなくて黙っているのかなと昴は思った。 「幸ならもう出かけたよ。結局俺には祭りの話してくれなかったなぁ。友達と遊ぶとだけ言ってた」 お祭りの日の当日、昴が明を家まで迎えに行くと、明がそう言いながら出てきた。 「そっか。まぁ、神社で会うかもしれないしその時声かけてみようよ」 「そうだな!昴何食べるか決めた?!焼きそばは絶対買うよね!!」 明がウキウキしながら横に並ぶ。 その距離感に胸を弾ませながら昴はゆっくりと歩き始めた。 神社に行くとすでにたくさんの人達が参道を埋め尽くしていた。 この町の住人がみんな集まっているのではと思ってしまうほどだ。 「昴!とりあえず先にお参りしちゃおうよ!」 明はそう言ってグイッと昴の腕を引っ張る。 「うん・・!」 昴は嬉しそうに笑うと明の後をついて行った。 それから二人は参道に並ぶ屋台を一つずつ見ながら、気に入ったところで買い物をしたりゲームをしたりした。 「おっ、明君いらっしゃい!大盛りにしといてあげるよ」 近所の定食屋のおじさんがやっている焼きそばの店ではおまけをしてくれた。 「ありがと!おじさん!」 「今日は幸君はいないのかい?」 「幸は他の友達ときてるはず!」 「そうかい。また家族で食べにおいで!」 「はーい!」 明は元気に返事をすると焼きそばを受け取る。 それから二人は境内の端の方へと移動して行った。 「ここで買ったもの食べようぜ!」 「うん!」 明が立ったまま、焼きそばの蓋をパカっと開ける。 「ほい!昴口開けて!」 「え・・うん」 明は割り箸で焼きそばをつかむと、そのまま昴の口の方へ差し出した。 その行動に戸惑いながらも、昴は恐る恐る口を開けてパクりと焼きそばを頬張った。 「・・美味しい、ありがと」 「おう!」 明はニコリと笑い、自分も同じ箸で焼きそばを食べ始める。 昴はそんな明を見ながら、自分で買ったかき氷をサクサクとつついた。 明が隣で笑っている。 すごく、楽しい・・ そんな気持ちを噛み締めている時だった。 「明?昴?」 か細く可愛らしい声が二人の名前を呼んだ。 「あっ!幸!」 昴がそちらを向くよりも前に明が嬉しそうに声を上げる。 人だかりの中で幸が橘達と屋台で買ったものを食べながら立っていた。 「会えてよかったー!」 明はそう言いながら幸に大きく手を振る。 幸は周りの友人達に何か言うと、こちらの方にゆっくりと歩いてやってきた。 それから目の前にくると二人を交互に見つめ眉を顰めながら聞いた。 「・・明、昴と二人できたの?」 「うん、そうだよ!」 「・・なんで?なんで俺に言ってくれなかったの?」 「・・え、だって幸、クラスの友達と約束してたんだろ?」 「お祭りには誘われたけど、でも明にはそれは言ってなかったでしょ?お祭りはいつも3人で行ってたからどうしようか迷ってたんだよ」 「え・・」 幸が悲しそうな顔でそう言ったので、明は戸惑いの表情を見せた。 「明が今年もお祭り行こうって言ってくれたら断るつもりだったんだ。でもいつまでも明が言ってこないから・・だから今年は行かないのかなって思って・・だからクラスの子達と行くことにしたんだよ」 「・・・」 明は口をポカンと開けたまま幸を見つめる。 それから少し震える声で話し始めた。 「ご、ごめん・・昴から幸はクラスの子と行くって聞いたから、もう決まってるんだと思って・・」 「昴?」 幸の眉間がピクリと揺れる。それから睨むような視線を昴に向けて言った。 「昴、そう言ったの?俺が他の子と行くって」 「え・・だってそういう話をクラスでしてたでしょ?」 昴も戸惑いながら答える。 「お祭りの話はしてたけど、俺は行くとは言ってなかったよ。昴が勝手に思い込んだんでしょ」 「・・でも」 「俺は3人で行くお祭りを楽しみにしてたのに。昴ヒドイ・・昴は俺と行きたくなかったんだ・・」 「・・・」 項垂れる幸の瞳が赤く滲んでいる。 自分の勘違いで幸を仲間外れにしてしまった? 本当はいつも通り三人で行くはずだった? でも、行くことが決まったかのように話してたじゃないか・・ 「おーい幸、どうしたんだよー?」 昴が何も言えず黙っていると、幸の周りに橘達が集まってきた。 「えっ、幸泣いてる?!」 「うそ!?なに?矢野なんかしたの?」 幸の瞳に涙が滲んでいるのを見つけて、橘達が騒ぎ出す。 すると幸は鼻を啜りながら橘達に声をかけた。 「・・ごめん、なんでもないから行こう」 「えっ、でも幸泣いてんじゃん!?」 「いいの。俺大丈夫だから・・」 幸はそう言うとこちらの方は見ないでスタスタと歩き始める。 橘達は昴と明をチラリと睨みつけるように見たが、幸がどんどん行ってしまうので急いでその後をついて行った。 取り残された昴と明はポカンとした顔で立ちすくむ。 しかし明はすぐに首を傾げると、困ったような顔をして笑った。 「なんか、色々ごめんな昴。帰ったら俺から幸にちゃんと説明しておくからさ」 「・・いや、俺が・・勘違いしたのが、原因だし・・」 「だから、昴は勘違いしただけだってちゃんと言っておくよ。本当は幸とお祭り行きたかったんだっていうのも」 「え・・」 「このままじゃ今度は幸が勘違いしたままになるだろ?昴は幸と行きたかったんだってちゃんと伝えておくから!」 「・・・」 「大丈夫!心配するなよ!ほらっ、気取り直してあっち行こう!」 明はそう言うと、昴の腕を引っ張って歩き始める。 「あ・・明・・」 誤解されている。弁明しようと思ったが、ここで『そうではない』と言ってしまったら明はどう思うだろうか・・ 明は幸のことを守るべき大切な兄だと思っている。その幸を蔑ろにするようなことを言ってしまったら、明は落胆するかもしれない。 昴はそう思い黙ったまま明の後ろをついて行った。 その後のお祭りはまるで小石が胸に詰まっているような、小さな息苦しさを感じながら過ごした。 幸の悲しそうな顔を見るのは昔から苦手だ。 なぜだか不安な気持ちになる。 自分からもちゃんと幸に謝ろう。 昴はそう決心して拳を強く握った。 けれど、次の日から幸はあからさまに無視をするようになった。 三人で登校していても、幸は昴のを方を全く見ない。 「幸、拗ねてるんだよ。ごめんな」 明が軽くため息をついて言う。 「もうー、来年は三人で行こうって!な?」 場を和ませるように言う明の言葉を聞いても、幸はプイッと昴から顔を背けるだけだった。 そんな幸の態度は教室でも続いた。 そしてそれは、幸の周りにまで伝染した。 「矢野が幸を仲間外れにしたんだって」 「え、矢野君こわいー」 「幸可哀想だよな」 コソコソと自分のことを囁く声が聞こえる。 昴は教室の居心地が悪くなり下を向いて過ごした。 結局、それが終わったのはお祭りから一週間ほど経った頃だった。 「昴、俺がどれだけ悲しかったかわかった?」 図工の授業でペアを作ることになり、一人下を向いていた昴に幸が話しかけてきた。 「・・え」 「一人にされるってさみしいでしょ?俺も同じ気持ちだったんだからね」 「・・・うん。本当にごめん」 「わかったならいいよ」 幸はそう言ってスッと昴に手を差し出す。 「ほら、昴一緒にやろう?」 クラスメイト達はその様子を見て再びコソコソと話し始めた。 「幸君優しい〜」 「別に許さなくてもいいのになぁ」 「でも、やっぱり矢野君には幸君なんだよ」 昴はそんな声を聞きながら幸の手を取る。 その手はひんやりと冷たい。 幸の顔に目を向けると、幸は口もとだけあげて微笑んでいる。 幸は一体今、何を考えているのだろう。 本当に許してくれたのだろうか? 「幸はさ、本当に傷つきやすいんだよなぁ。でも今回みたいに怒ってるのを見せるのは甘えられる相手にだけだよ。昴は特別なんだって」 学校の廊下で幸が許してくれたことを明に話すと、明はそう言って眉毛を下げて笑った。 「だからさ、昴は誰よりも幸のこと優先してあげてよ。な、お願い」 「・・・うん」 明にお願いされてしまっては、そう返事するしかない。 『幸を傷つける』ことは絶対にしてはいけないのだ。 もしそれをしてしまったら、また今回のようなことが起こるかもしれない。 それは、嫌だ・・ 昴の中に幸への小さな畏怖の念が生まれる。 しかしそれが何なのか。まだ十二歳の昴にはわからなかった。 中学生になると幸はますます綺麗になり、彼に惹かれる人物もさらに増えていった。 「さっき、知らない人から連絡先渡された」 一年生も残りわずかな冬の帰り道、手袋をした幸がピラっと小さな紙を見せる。 「え、大丈夫?変な人?」 明が不安そうな顔で聞いた。 「違うよ。三年の先輩。上履きの色緑だったから。でも知らない人だし。急に渡されても困るよね」 「連絡するの?」 「うーん。まだしない。どんな人か見てからにしようかな」 「うんうん、それがいい!な、昴!」 明に話をふられ昴もコクンと頷く。 そんな昴を見て幸は口を尖らせて言った。 「昴だって、クラスの子に告白されてたじゃない?あの子とはどうなったの?」 「え・・」 「えっ!昴告白されたの?すっげー!」 「あ、いや・・」 昴は戸惑った顔で首を振る。 「別に何もないから。それに断ったから気まずいし」 「あー。なるほど。それはそうかぁ」 明は腕を組みながら首を傾げる。 「しかし幸も昴も中学入ってからすっげーモテるなぁ。いいなぁ〜」 「えー。別にいいことないけどなぁ」 幸は小さくため息をつく。そんな幸を見てから、明は昴に目配せするようにして言った。 「まぁさ!幸が一番一緒にいて安心する人と付き合えばいいんだよ!な!昴!」 「・・うん」 結局、あれから明の勘違いはそのままになっている。 直接明に『幸が好きなのか?』と聞かれるわけでもないので、否定する機会がないのだ。 それにあの日をキッカケに幸の気持ちを優先して行動するようになったことも、明の勘違いを確信に変えることになった。 明の目には昴は自分の兄に片想いする幼馴染とでも映っているのだろう。 いっそのこと、明に好きだと言ってしまえば・・ しかしそれをしたら、また幸が『仲間はずれにされた』と思ってしまうかもしれない。 だからきっと、今はこのままの状態が一番望ましい形なのだろう。 「そういえばついに紙もらったな!」 明が急に何かを思い出だしたのか、ワクワクした顔で言った。 「紙って?」 「性別検査のお知らせだよ!2年生になったらすぐみたいだな!」 「あぁ。それね。明は前からすごい楽しみにしてるよね」 幸は少し呆れた顔で言う。 「だって知りたいじゃん!自分が何なのか!」 「そう?じゃあ明は自分がΩだったらどう思うの?」 「え、母さんと一緒だーって喜ぶかな?」 その答えに昴も幸も目を丸くする。 「Ωとかαは特別なんだろ?かっこいいと思うけど」 「・・・」 能天気なことを言う明に昴と幸は言葉が出てこない。 やはり、明は第二次性のことをあまりよく理解していないようだ。 「はー。まぁ明はそのままでとりあえずいいんじゃない」 幸が諦めたかのようにため息をつく。それから違う話題を振った。 「ね、それより明日の休み、遊ぶって言ってたよね?うちでいい?」 「あっ!そうだった!どっか行く?」 明も遊びの話題に嬉しそうに飛びつく。 「明日雨って言ってたよ。明、天気予報見てよね」 「はーい」 幸に怒られて明はつまらなそうに返事をする。 「そんじゃうちで遊ぶかぁ。昴もそれでいい?」 「うん。大丈夫」 「よっし!じゃあ昼前に集合な!」 休みの日、遊ぶのはいつだって三人でだ。 中学生になり明と昴は勧誘されるがままにバスケ部に入ったが、幸は運動は苦手だからと仮入部だけで辞めてしまった。 しかし幸を気に入っていたバスケ部の部長は、入部しなくてもいつでも見学可能と幸を特別待遇したのだ。 それから幸は部活の日には体育館の隅に座って練習を見ていた。 それでも放っておいてしまう時間が出来てしまう。気がつくと幸がつまらなそうな顔をしていることもしばしばあった。 そんな幸の機嫌を取るため「休みの日は3人で遊ぼう」と提案したのは昴だった。 幸はその提案にとても満足そうに笑った。 それを見て昴も安堵する。 幸を傷つけないように、顔色をうかがう。 いつのまにかそれが癖のようになってしまっていた。 ーピンポーン 昴はいつものように家のチャイムを鳴らした。 しかし誰も出てこない。 普段なら明か、明達の母親が勢いよく玄関のドアを開けてくれる。 しかしなぜか今日は出てこない。 ・・どうしたのだろう。 「昼前には集合って明言ってたよね・・?」 昴はなんとなく不安になり、明達の家の玄関のドアノブに手を掛ける。 開くことはないだろう・・ そんなことを頭の中で考えながら手前に引くと、ガチャリと音を立ててドアが開いた。 「え・・開いてる?」 不用心だな、などと思いながらソッと中を覗く。 玄関から続く廊下もその先のリビングも電気が点けっぱなしだ。 「明?幸?」 玄関から声をかけたが返事はない。 けれど誰かがいる気配はする。 微かだけれど音が聞こえるのだ。 「・・・」 昴は迷いながらも静かに玄関から上がった。 普段とは何かが違うのは確かだ。 もし、誰かが倒れていたら・・何か悪いことでも起こっていたら・・ ここで迷って入らなかったらきっと後悔することになる。 昴は決心すると、ゆっくりと家の中を進んでいった。 リビングを覗いたが誰もいない。 ということは二階だろうか? リビングから廊下に出て二階へと続く階段を上がる。 二階の部屋の扉はどこもピタリと閉じられていた。 「明?幸?いないの?」 不安になりながらも声をかける。 その時、カタッと小さな物音がした。 明の部屋からだ。 「明?明、どうかしたの?」 昴は勢いよく扉を開ける。 その瞬間、初めて嗅ぐ甘くてむせかえるような匂いが昴の体を包んだ。 「っ?・・え・・なに?」 ドクンと心臓が大きく揺れる。それは初めての感覚だ。 鼓動はどんどん速くなり身体が熱くなっていく。 ブルリと震える身体を押さえて部屋の中に目を向けると、ベッドの上で掛け布団にくるまって震えている人影があった。 「めい・・・?」 昴が声をかけるとビクッとその影が揺れた。 「めい?なに?・・どうしたの?何なのこれ・・」 昴はゆっくりとベッドの方へ近づいていく。 その間にも先ほどの匂いは濃くなっていき、その匂いに酔うように昴の頭はクラクラと回り始めた。 ーもしかして・・これは・・ 「めい・・ねぇ、もしかして、ヒート?」 その言葉を自身で口にした瞬間、先ほどよりも身体が熱くなり呼吸が苦しくなってきた。 いや・・苦しいというよりも、正しい呼吸をする余裕がないくらい興奮しているのだ。 今、目の前のこの熱に齧り付きたいようなそんな衝動が襲ってくる。 「めい・・ねぇ、めいはΩなの?」 ベッドの前に立ち今にもその体に掴み掛かりたい気持ちを抑えて聞く。 「・・・」 しかし返事はない。荒い息遣いが聞こえてくるだけだ。 「ねぇ・・俺おかしいんだ。この部屋に入った瞬間から体が熱くって・・これって俺が・・その、αってことだからかな・・」 「・・・」 「・・めい、俺・・こんな状態で言っても信じてもらえないかもしれないけど・・」 そこまで言ってゴクリと唾を飲み込む。 「・・明のことが好きだ・・だから、だから・・」 昴はグッと手を伸ばすと掛け布団に包まれたままの身体を後ろから抱きしめた。 「俺がαなら明と番になりたい・・!」 「・・・っ」 ピクリと布団に包まれた身体が揺れる。 身体が熱い。 今すぐに、この気持ちを受け入れてほしい。 昴は後ろから抱きしめたままベッドにその身体を押し倒すと、布団の隙間からチラリと見えた首筋に背後から唇を這わした。 「っ・・・!」 我慢するように声を押し殺しながらもその身体がビクッと跳ねる。 「・・ハァ・・めい・・」 ・・この・・明の身体を隅々まで貪りたい。 そして自分のものにしたい。 そんな凶暴な感情を持つなんて・・ これも全部α故のものなのだろうか・・ そう頭の片隅で冷静に思いながらも、一度熱を持った衝動は抑えられない。 昴は首筋を這うように愛撫しながら、後方から左手で下の方をまさぐっていく。 すると熱く膨れ上がったものにトンと手が触れた。昴はそれを覆っている下着の中に手を入れると、直接そこを弄り始める。 「っ!・・ゃぁ」 か細い喘声が聞こえた。 しかし興奮している昴の耳には届かない。 「ハァ・・・めい・・めい」 「・・・っふぅ・・ぁあ」 捩らせてなんとか抵抗しようとする体を、昴は後ろから強く抱きしめる。 それから前を弄っていた手をそっと後ろに回して、後孔に触れた。 ヒートのせいかそこはすでにトロトロに濡れている。 ツッと指先で入り口に触れてみる。簡単に中へと入ってしまいそそうだ。 ゴクンと昴は唾を飲んだ。 明の中に・・入る・・ それで明は俺のものに・・・ ジジっとジッパーを下げた。 これから自分が何をしようとしているのか。 ちゃんとした知識なんてまだないはずなのに、本能がわかっているようだ。 頭で考えるより先に、身体が動いている。 昴が下着に手をかけようとした、その時だった。 「昴・・・!」 自分の名前を呼ばれ、昴はハッと我に帰る。 そして、名前を呼んだ人物が震えながらゆっくりと振り向いた。 「え・・・」 その顔を見て、それまで熱に浮かされていた身体が急激に冷えていく。 「・・ゆき・・?」 幸が目に涙を浮かべ睨むようにして昴を見つめていた。 「・・・え、ゆ、幸・・ごめ・・」 昴は慌てて幸から離れると、ベッドから起き上がる。 幸も肩に布団をかけたままゆっくりと起き上がると昴と向き合うようにして座った。 先ほどまで漂っていた甘い匂いはいつの間にか薄くなっている。 「ご、ごめん・・本当にごめんなさい・・・」 昴は口を押さえ肩を震わせながら謝る。 そんな昴を幸はじっと見つめた。 なんてことだ・・ 幸を・・幸を襲ってしまった・・ 「ゆ、幸・・ごめ、大丈夫・・?」 昴がそっと手を伸ばすと、幸はビクッとしながら身体を反らせた。 「あ・・・俺、本当にごめん・・」 昴はどうすればいいのか分からず頭を突っ伏した。 「本当にごめん、幸・・俺身体が熱くなっちゃって・・止められなくて・・む、無理やり・・」 「・・・」 「俺・・その、もう絶対幸には近づかないようにする!幸の部屋にも・・ううん、この家にも入らないようにするから・・俺、幸になんてことを・・・」 「・・・ねぇ・・」 それまで睨むような視線で話を聞いていた幸がボソリと言った。 「昴は・・やっぱりαってこと?」 「え・・・」 昴は顔を上げて幸に目を向ける。 幸は肩に掛けていた布団をスルッと落とすと、両腕で自分の身体を包むような仕草をした。 「・・俺、明の部屋で漫画読んでたんだけど・・なぜか急に身体が熱くなりはじめて・・まるで自分の身体じゃないみたいで、すごく怖くて・・」 「・・・」 「どうしたらいいのか分からなくてパニックになっちゃって・・布団被って耐えてたんだ・・」 「・・明やおじさん達は・・?」 「母さん達は出かけてる。明は家にジュースがないから昴が来る前に買ってくるって慌てて出て行った」 「・・それで、一人の間に・・」 なんていうタイミングで来てしまったのだろう・・ 明やおじさん達がいれば上手く対処できたかもしれないのに・・ 幸は自分の腕をさすりながらハァと小さくため息をついた。 「・・そうかなとは思ってたけど・・やっぱり俺Ωなんだね・・性別検査する前にわかっちゃった・・」 「・・・」 「ついでに昴も、ね」 そう言って昴をチラリと見た幸の眼光は鋭い。 「・・っ」 昴は思わずビクッと身体を強張らせた。 「・・ねぇ、さっき昴は自分が何したかわかってる?」 「・・・ぅん」 昴は消え入りそうな声で頷く。 「俺、すごく怖かった・・昴がいつもの昴と全然違くて・・まるで別人みたいだった・・」 幸は視線を下に落として言う。 「ご、ごめん・・」 「あれが・・αのラットだって言うなら・・俺はこれからヒートになる度にあんな怖い思いをするのかな・・」 「そっ、それは大丈夫だよ・・授業で習ったでしょ。今は抑制剤でヒートは抑えられるんだって。だから普通に生活できるって・・」 「でも、今日みたいなことがあるかもしれないでしょ?ヒートが始まるのは15歳くらいからだって習ってたのに・・今日みたいに急にヒートになってもしその場にαがいたら・・」 「・・・」 昴は気まずい顔をして俯く。 自分もその本能に抗えず襲ってしまった。 まったく制御が効かないということの恐ろしさを、その身を持って知ってしまった。 これから、いつどこであの強行に襲われるかもしれないとしたら・・ Ωであることの恐怖を昴はこんなにも早い段階で幸に植え付けてしまった。 「・・本当にごめん・・幸・・」 昴は手のひらを強く握りしめて謝る。 今はただ謝ることしか出来ない。 「・・・本当に悪いって思うなら・・」 幸の小さな声が聞こえて昴は顔を上げる。 「俺のこと、これから守ってよ」 「え・・」 昴が困惑した顔を見せると、鋭い視線を投げかける幸と目が合った。 「・・俺を他のαから守って欲しい。βじゃΩのヒートには気づきにくいし、能力もαより劣る人が多いでしょ。でも昴なら・・出来るよね?」 「・・・」 「守るって約束してくれるなら・・今日のことは無かったことにしてあげる。俺達の間には何もなかった。これからも何も変わらない。どう?」 「・・・」 自分が幸に、どれほどの酷いことをしてしまったのか・・ 目の前の幸は、傷つきながらも自分を許そうとしてくれている。 けれどそれに甘えていいのだろうか。 自分の罪を隠すようなことを・・ 昴が俯き黙っていると、幸はフゥと小さくため息を漏らして言った。 「もし明が・・このこと知ったらどうするかな?」 「・・え」 明の名前が出て思わずビクンと背筋を伸ばす。 「明はきっと、俺と昴の間で迷うと思う。でも、きっと俺を選ぶよ。そしたら・・昴は明ともいられなくなるね」 「・・・」 「ね、さっきの約束、守ってくれれば何も変わらないんだよ。これからも今まで通り3人で登校して遊んだりできる。明に知られなければね」 「・・・ぁ」 ガクガクと顎が震え、昴は押し潰されたような声を出すのがやっとだった。 明に知られる・・ そのことを想像したら、なんて絶望的なのだろう。 幸の言うとおり、きっと明は幸を選ぶ。 そうしたら、あの明るい笑顔を二度と向けてはくれないだろう。 「・・わ、わかった。約束する・・」 昴は両の掌をキツく握りしめ、幸に目を向けて言った。 「俺が・・幸を守る。絶対に・・二度とこんな怖い思いはさせないから。ずっと幸のそばに・・」 幸はその答えに満足したのか、目を細めて笑う。 「うん。絶対だよ。約束、破らないでね」 「・・うん。幸、本当にごめん・・ありがとう・・」 項垂れてそう言う昴の頭を幸の手が優しく撫でた。 幸にこんな風にされるのは初めてかもしれない。 これからも変わらずにいられるようにしてくれた、優しいこの手を俺は守っていかなくてはいけない。 αという自分の性に振りわされないように、自分だけは幸の信頼を得られる人間でいるのだ。 そのために、明への気持ちは封印する。 あんなことをした自分は、変わらずに一緒にいられるだけでも十分なのだから。 ーーー 初めてのラット状態で身体が疲れたのか、それとも許されたことで安心したのか、昴は突然グッタリと幸の肩に寄りかかるようにして眠ってしまった。 スーッと気持ちの良さそうな寝息まで立てている。 幸はそんな昴の背中をトントンと優しく叩いた。 こちらだって初めてのヒートで身体が怠い。 さらに秘部まで弄られたのだ。 本当だったらこのベッドに大きく身体を投げ出したいくらいだ。 けれど、それをやってもきっと心も身体も楽にはならないだろう。 『俺がαなら明と番になりたい』 あの時、興奮する昴の熱い吐息まじりに聞こえた言葉を思い出し幸はグッと眉間に皺を寄せた。 ラット状態で言った言葉だ。 そんな時に発した言葉に誠実性なんてきっとない。 けれど、それが誠実性の中に隠された本心であることも事実だ。 トントンと昴の背中を叩く手に、少しずつ力が入っていく。 「・・昴は、俺だけのαでいなくちゃダメなんだよ・・」 気がつけばいつの間にか手のひらは握り拳になっている。 「俺を傷つけたんだから、俺が本当に許すまで盾になってよね・・」 その拳で昴の背中をドンと一回、力強く叩いた。 昴は「ぅん・・・」と声を漏らしたが起きる気配はない。 幸はそんな昴の額にそっと唇を這わし、それから明が帰るまで昴の背中をさすっていた。

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