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第8話

高校生になって初めての夏休み。 色々と楽しい事を期待していたが、どうやらそれは肩透かしだったようだ。 溶けるような暑さが連日続き、明は部活以外の日は冷房の効いた部屋でゴロゴロと過ごしている。 「あれ?明は今日も出かけないの?」 幸がガチャっと扉を開けて、ベッドの上で寝転がっている明に声をかけてきた。 「部活今週は一昨日だけだから。今日も家でダラダラしてる」 「友達と遊びに行ってくればいいじゃん?」 「気軽に遊びに誘うにはちょっと遠いんだよ。こんだけ暑いと外出るのもキツイじゃん」 夏休みに入る前、予定がない日はみんなで遊ぼうと基依達と約束していた。 けれど皆住んでいるところはバラバラで気軽に会う距離ではない。 遠くの学校に通う難点というものが最近一つわかった気がした。 それでも勇気を出して、一昨日の部活終わりに基依に「今週遊ばないか」と聞いてみたのだ。 しかし基依からは「今週は地元の奴らで集まろうって話しててさ」と断られてしまった。 近所の友人の方が会いやすいのは当たり前のことだ。 だからへこんではいけない。 そう自分に言い聞かせて、明はあまり考えこまないように部屋で漫画を読んだりして過ごしている。 「ふーん。まぁいいけど。じゃぁ俺は行ってくるね」 幸はフゥと軽く息を吐くとピラっと手を上げて言った。 幸は今日はデートのようだ。 「おう。気をつけろよー」 明は幸の方を見ずに返事をする。 「・・・」 すぐに去るかと思ったが、幸は扉の外から明をじっと見つめている。 その視線に気がつき明はチラリとそちらに目を向けた。 「なに?」 「暇なら昴に聞いてみたらいいのにと思って。夏休み入ってから会ってないでしょ?」 「昴は部活忙しいらしいじゃん。さすが強豪校だよなー」 明は再び漫画の方に視線を戻して答えた。 「明が遊ぼうって言えば1日くらい休むでしょ」 「いーや。昴は真面目だからちゃんと部活出るって」 「・・ふーん。まぁいいや。じゃ今度こそ行ってきまーす」 「おー」 バタンと部屋の扉が閉まる音がする。 耳を澄まして聞いていると、そのままリズミカルに階段を降りていく音が聞こえ最後にはガチャンと玄関の鍵が閉められた。 明は読んでいた漫画を傍に置き、ベットの上に両手を広げて仰向けに寝転ぶ。 それからハァーと長いため息を吐いた。 どうやら、幸には昴とのことはバレていないようだ。 あの日以来、幸の口から昴の名前が出ると緊張してしまう。 幸は繊細なだけに人の機微に敏感だ。 ちょっと暗い顔をしたら「どうしたの?」と心配そうに声をかけてくる。 話せるようなことならいいのだが、流石に今回のことは絶対に悟られてはならない。 きっと昴もそれはわかっているはずだ。 あれから、昴とは顔を合わせても当たり障りのない会話だけをしている。 もちろんあの事には何も触れない。 先ほど幸にも言った通り、夏休みに入ってからは昴は部活が毎日のようにあるらしく会う機会もなくなった。 幸もおそらく会ってはいないだろう。 幸は三日に一回程度、増田と遊びに行っている。 家に連れてくる事は今のところない。 それにも明は安堵している。 明はゴロンと再びうつ伏せになると、傍に放っていたスマホを手に取った。 それからメッセージのアプリを開く。 誰からも連絡は来ていない。 特に用事がなければそんなものだ。 必要のないメッセージを送る必要はない。 明は基依とのトーク画面を開いた。 最後の連絡は三日前だ。 部活の時の昼食をコンビニで買うかどうかの相談をしている。 基依からの「昼抜けてコンビニ行こうー」というメッセージが最後だ。 明は「ひ」「ま」と二文字を送信欄に打ち込んでみる。 しかしすぐに削除をするとグッとスマホを握りしめた。 これが幸だったら・・ 「夏休み暇過ぎ」とでも送るのだろうか。 そして、特に意味のないメッセージに基依はちゃんと返信するのだろうか。 「あーーー」 明は頭を掻きむしりながら思わず声を出す。 知らない間に幸と基依が連絡を取り合う仲になっていた。 しかも、必要のないメッセージを送るほどの。 その真実を知った次の日、つまり昴とセックスをした次の日。 なるべく平静を装いながら、幸に基依とメッセージのやり取りをしているのか聞いてみた。 すると幸は「うん、してるよ。基依君て結構口悪いよね。明と話しててもそうなの?」と特に表情を変える事なく言った。 「え・・別に、普通な気がするけど・・」 あまりにもサラッと言われてしまい、明は戸惑いの表情を浮かべる。 『なぜ、基依にメッセージを送るのか?』 それを聞きたいのに、聞いたら嫉妬しているみたいに思われるのではないかと思って言葉にできない。 「でも悪い人じゃなさそうだしそれは安心。明の仲良し君が変なやつだったら嫌じゃん?」 「・・う、うん・・」 結局そう返事するのがやっとで、その話題はそこで終わってしまった。 今も二人の間でやり取りがあるのかは分からない。 幸のように気軽にメッセージを送れるような性格なら・・ そう思いながらもそれを決行するまでの決心はつかない。 「ハァァァ」 明は再び長いため息を吐くとスマホを持ったまま目を瞑った。 ブブっと手に振動が伝わり明はパッと目を覚ます。 いつの間にか寝落ちしてしまったようだ。 ぼんやりとスマホの画面の時刻を見ると夕方の四時になっている。 1日を無駄にしたなぁとちょっと悔しい気持ちになったがそれはすぐかき消された。 スマホの画面に基依からのメッセージの受信を知らせる通知が来ていたからだ。 明はガバッと起き上がると、ベッドの上に胡座をかいて前のめりになってスマホを操作する。 メッセージは今届いたばかりだ。 すぐに既読が付いたら暇なのがバレちゃうかな・・ そんなことを一瞬考えたが、内容が気になり明はすぐにメッセージのアプリを開いた。 『おつー』 最初に一言だけの挨拶。 それから本題に入るのがいつもの基依のパターンだ。 『今週末のK神社の祭りっていく?俺地元の友達と行こうって話になってさ』 「え・・」 そうか。今週末は神社のお祭りがあるのか。 夏休み前に色々あったのですっかり忘れていた。 幸も昴もその話題を出してこないのを考えると、二人も忘れているのかもしれない。 どしようか・・と明はスマホを見つめて考える。 行くのならばまずは幸に相談だ。 それは小学生の時のことで学んでいる。 彼氏と行くと言うかもしれないが聞いておかなければいけない。 もし彼氏とは行かないとなれば一緒に行くのだろうが・・・ 「うぅん〜」 明は頭を抱えるようにして丸くなる。 正直なところ、幸と基依を会わせたくはない。 基依が幸に気があると決まったわけではないが、二人が仲良く話してるところを見るのも嫌なのだ。 けれど・・・ 「お祭り?明が行くなら一緒に行くよ。昴にも声かけよ!」 帰宅した幸に聞いてみると、迷うことなく参加の答えが返ってきた。 「あ、彼氏とはいいの?せっかくのお祭りなのに」 明は苦笑いをしながら聞いてみる。 「えーいいよ。だってお祭りはずっと三人でいってたじゃない?」 「そうだけど・・でも、去年は俺行ってないよ」 「あー去年ね」 幸は冷凍庫から出してきたアイスをパクリと食べながら何かを思い出すように視線を上に向ける。 「去年はねぇ。実は色々あったの。明には言ってなかったけど」 「色々って?」 「うーん。ほら、俺達夏期講習で仲良くなったメンバーでお祭り行ったでしょ?」 「うん」 「実はね、その中に昴のことを好きな子がいて。それでその子と昴をくっつけようみたいな狙いがあってみんなでお祭り行くことになったんだよね」 「え・・そうだったんだ」 明は複雑な表情で相槌を打つ。 「でも俺はそれ知らなくてさぁ。だからちょっと微妙な空気になっちゃって」 「あー・・」 なんとなく想像できる。 昴は幸にベッタリだ。そして幸もそれが当たり前なので気にも留めない。 そんな二人を昴のことが好きな子が見たらどう思うだろうか。 傷つくか、嫉妬するか。とにかく面白くはないだろう。 「まぁ、でもその後も結構遊んだりしたし。仲良くできたと思っているけど」 「でも今はその子達とは会ってないんだろ?」 「みんな高校違うからね。まぁ去年はそんな事情があったわけ。だから今年は久々にまた三人で行こうよ」 「・・うん。そうだなぁ」 のり気ではないが嫌とも言えず気の抜けた返事をする。 幸が一緒に行くことはかなりの不安要素だ。 けれど・・それよりもお祭りで基依に会えるかもしれないという期待の方が勝ってしまう。 明は基依に『俺も行く予定!』とだけ打って返信をした。 夏の夜は長い。十八時に家を出てもまだ外は明るくジワリと首筋から汗が吹き出してくる。 「昴が予定空いててよかったよ。バスケ部忙し過ぎじゃない?」 幸が眉間に小さな皺をつけて言う。 「強豪校の運動部なんてそんなもんだよな?なぁ昴!」 明は久しぶりに会う昴に笑いかけながら言った。 自然に接せられているつもりだ。 「うん。1年間の練習メニューがちゃんと決まってるから。でもお盆は休みもあるよ」 「えー。じゃぁほとんど遊べないんだぁ」 「幸は彼氏と遊びに行ってるんだからいいじゃん」 つまらなそうな顔をする幸を明は肘で小突く。 あんまり昴を期待させるなよ、という意味を込めて。 伝わっているのかは分からないが・・ K神社は家から歩いて十分ほどの距離にある。 家を出た瞬間からお祭りに行くと思われる人達がゾロゾロと歩いていくのが目に入った。 毎年の光景だ。 ー基依はまだかな? 明はキョロリと辺りを見回した。 おそらく基依は電車に乗ってやってくるだろう。 駅からなら神社までは三十分ほどだ。 「誰か探してるの?」 そんな明を見て昴が聞いた。 「えっ!あ、いや。同中のやつらもいるかなぁって」 わざとらしく明は周りをキョロキョロと見回す。 基依が来ることは二人にはなんとなく言っていない。 合流しよう、なんて事になっても嫌だからだ。 少しでも顔を見れたらそれでいい。 明はそう思った。 神社に着くとますます人は増え、参道では気をつけていないとはぐれてしまうほどになった。 「幸。ほら、こっち」 「うん」 華奢な幸が押し潰されないように昴が声をかける。 明も「ほい」と言って腕を幸の方へ差し出した。 「はぐれそうになったら掴めよ」 「ありがと」 幸はニコリと笑って明の半袖の端を持つ。 三人で並んで歩く時は自然と幸が真ん中になる。その方が幸を中心に会話ができるし、幸を守れるので都合がいいのだ。 「幸、今日は増田君はお祭り来ないの?」 明がふと思ったことを聞いてみた。 「どうかな?俺がお祭りに行くことは言ったけど、増田君がどうするかは聞いてないや」 「えー。一応聞いとけばいいのに」 相変わらず彼氏には淡白だなと、明は思う。 それがまた逆に彼氏を夢中にさせる魅力になっているのかもしれない。 それなのに・・弟の友人にはなんでもないメッセージを送るんだな・・ そういう態度が周りを振り回すんだ。 先ほど話に出ていた、昴を好きだったという子の気持ちが少しわかる。 「明?どうしたの?」 「あっ、いや。なんでも!」 一瞬頭の中に浮かんだ靄を振り払うように明は頭を横に振った。 「よーし!何か食べようー」 気を取り直して視線を屋台の並びに向けた瞬間、こちらを見ている青年と目が合った。 「おっ!!明!」 その姿にドキリと心臓が跳ねる。 「基依・・」 数人の友人達と一緒に屋台に並んでいた基依が笑顔で手を振ってきた。 それからすぐに友人に何か声をかけると、基依は軽い足取りでこちらに近づいてくる。 「よかったー!会えたわー!すっげぇ人だから見つけるの無理かなってちょっと諦めてた」 基依は目の前にくると明の肩をポンポンと叩きながら言った。 「あ、本当・・会えてよかった!基依は地元の友達と来てるんだよね?」 会えた喜びを隠すように、明は視線を基依の友人達の方に向けて聞く。 「おう。同中のやつら。俺らの方ではこういうお祭りなくてさー」 「へー、そっか」 明が気恥ずかしそうに応えると、基依は明の隣に目を向けた。それからニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべる。 「幸じゃん。なんか久しぶりって感じしないけどな」 「昨日ズルい手使って自滅した基依君じゃん。会うのは久しぶり」 え・・・ 明の胸がザワリと騒ぐ。 「えっと・・なに?幸と基依何かやってるの?」 なるべく狼狽を出さないようにして尋ねる。 「あぁ。アプリゲームで時々対戦してんの。最初は幸がコイン欲しさに勝手にフレンド紹介してきたんだけど、やってみたら面白くてさー」 「・・アプリゲーム?」 時々幸がスマホでゲームをやっているのは見たことがある。しかし何をやっているかまでは気にしたことはなかった。 「そう、パズルゲームだよ。結構面白いぜ。あ、でも明はアプリよりテレビゲームの方が好きなんだろ?幸から聞いた」 「え・・あぁ。まぁ・・」 確かにアプリゲームより腰を据えてやるテレビゲームの方が好きだ。 けれど一緒にやろうと言われたら拒否することはないのに・・ 「明は本当テレビゲーム好きだよねぇ。この間も夜遅くまで昴の家でゲームしてたもんね?」 幸が明を覗き込むようにして笑いながら言う。 「・・・」 その話題を振られゴクリと唾を飲んだ。 あの日のことを言っているのだろう。 幸にバレていないはずだが、なぜだか幸の視線を痛く感じる。 「・・基依君、久しぶり」 明の気まずそうな顔に気がついたのか、昴がその話題を断ち切るように話に入ってきた。 「おー、矢野君じゃん。勉強会ぶり?やっぱK高は夏休み部活忙しい感じ?」 基依が昴の方に視線を向ける。 「まぁ。ほとんど毎日あるかな」 薄らと笑みを浮かべて昴が答える。それから一瞬何かを考えるかのような間の後、幸の方をチラリと見て言った。 「基依君と幸、いつの間にかずいぶん仲良くなったんだね」 その言葉に明の胸がズキンと痛む。先ほどの幸と基依の会話を聞けばやはりそう思うだろう。 なんといったって勉強会の時の雰囲気は良くなかった。それがいつの間にか軽口を叩き合うほどになっているのだ。 それもあの、人見知りの幸がだ。否が応でも気になるだろう。 「うーん。これ仲良いになんのか?幸のワガママに付き合ってやってるだけって感じだけど」 基依はわざとらしく嫌そうな顔を幸に向けて言った。 「えー、何それ。明、やっぱり基依君口悪いねー」 そう言って幸は明に話題を振ってきた。 「え、あ・・はは」 明は引き攣った笑いをするのがやっとだ。 せっかく基依に会えたのに。すっかり幸中心のペースになっている。 なんとなく居心地の悪い気持ちになって視線を下に落としていると「基依ー!」と後ろから声がした。 振り向くと先ほど屋台に並んでいた基依の友人達がたこ焼きを片手にこちらに向かってやってきた。 「おー!わりぃ!ありがと」 基依がヒラヒラと手を振る。 「基依の高校の友達なんだろ。よろしくー」 髪の毛を明るく染めた青年が軽い口調で挨拶をする。 それからふと幸の方に目を向けると、その目を丸くさせて言った。 「えっ、めっちゃ美人じゃん。相変わらず基依ちゃっかりしてんなー」 その言葉を聞いて他の友人達も幸を覗き込むように見つめる。 「おー。本当だ。レベル高〜」 「マジか。Y高にすればよかったわ」 そんな友人達に基依は手を横に振って言った。 「違う違う。高校の友達はこっちの明」 基依が明に視線を向けたので、友人達も一斉に明の方を見つめる。 明は慌ててペコリとお辞儀をした。 「あ、どうも・・」 明が挨拶するのを見ると、基依は親指を立てて幸の方を指した。 「こっちの幸は明の双子の兄貴。K高校の秀才よ。俺らなんて相手にされないって」 揶揄うように言う基依に、友人達が「なんだよそれ!」と笑いながら応える。 そんな様子を見ていた幸がちょっと顰めっ面をして基依に言った。 「ちょっと、あんまりイメージ悪くなること言わないでよ」 「へ?何が?イメージ悪くなるようなこと俺言ったか?」 「・・俺は頭の良さで付き合う相手選ばないから」 そう言うと幸はプイッと顔を横に向ける。 その言葉を聞いた友人の一人がずいっと前に出て聞いた。 「えっマジっすか?!じゃぁ俺らとも友達になってくれる?」 「・・・」 幸は無表情のまま、基依の後ろに隠れるようにして少し下がる。 「あ、幸もしかして人見知り発動してんの?大丈夫だから適当に話せよ」 ちょっと意地悪そうな顔で笑うと基依は幸の背中をポンと押す。 「ちょっと・・」 幸は上目遣いで睨むように基依を見つめた。 そんな幸を見て基依はさらに口の端を上げて笑う。 あっという間に幸を中心にした基依とその友人達の輪ができてしまった。 入るタイミングを逃した明と昴はその様子を黙って見つめる。 人見知りの幸にはきっとキツい状況に違いない。 助け舟を出さなくては、と思っていると隣の昴の方が先に声をかけた。 「幸、何か食べ物買いに行ってこようよ」 幸も基依達も一斉に昴の方に視線を移す。 昴はそんな視線など気にせずさらに付け足すように言った。 「もう少ししたらもっと混んでくるだろうし。今のうちに」 きっとこの誘いに幸は乗るだろう。 明はそう思って経緯を見守っていると、幸は思いがけない言葉を発した。 「うーん。でも俺今そんなにお腹減ってないしなぁ」 幸は眉尻を下げて首を捻る。 「昴、明と行ってきたら?」 「えっ!」 思わず大きい声を出して明は目を見開く。それから困惑した顔で幸に聞いた。 「まって、幸はどうするの?ここで待ってるの?」 「・・待ってようかな。基依君達まだここにいる?」 そう言って幸は基依達にジッと視線を送る。 すると一人の友人が頬を紅潮させて答えた。 「いいんじゃね?お友達帰ってくるまで一緒にここにいても。俺らこのたこ焼き食べようと思ってたとこだし!な?」 周りの友人達もその返事に同意するように頷く。 基依もそんな友人達の反応を見ると笑って明に言った。 「お兄様はここで守っててやるから明達行ってこいよ。大丈夫、こいつらみんな悪い奴らじゃないから」 「・・・」 明は返事をするのを忘れたかのように、口を開けたまま立ち尽くす。 ジワリと先ほどから心に滲んでいた墨が、あっという間に真っ黒に広まってしまったような気分だ。 『なんで?』という言葉が出かかったが、今それを発したら自分の惨めさが浮き立つようでグッと飲み込む。 そんなこと聞くまでもないのに。 幸だから、選ばれる。 幸だから、惹かれる。 昔から変わらないことだ。 明がジッと黙っていると、代わりに返事をするように昴が言った。 「わかった。なるべく早く戻ってくるから」 それから明の腕を強く引っ張る。 「行こう、明」 「・・・うん」 明は昴に引っ張られるままゆっくりと歩き出した。 暗くなるにつれて人が増えてきている。 出店にも光が付きそれが点々と並んでいて綺麗だ。 そんな風景を明はぼんやりと眺めながら言った。 「・・幸、人見知りなおったのかな」 隣を並んで歩く昴は上を向いて考えるような仕草をする。 「うーん。どうかな・・でも高校には明がいないから幸なりに人を見極めようとしてる感じはする」 「?どういうこと?」 「中学まではさ、明の友達と仲良くなるってことが多かったじゃない?それって明と仲の良い子なら大丈夫だっていう幸なりの判断基準があったんだと思うんだ」 「・・・」 なるほど、と頭の中で頷く。そう言われればそうかもしれない。 けれどそれが、明にとっては後から仲良くなった幸に友人達を取られたような感覚にもなっていたのだが・・ 「だから高校での幸はすごく慎重だよ。自分に好意的な人物かどうかを見てる気がする」 「・・でも、それじゃぁさっきのはどうなんだろ。基依の友達なんて会ったばかりなのに・・」 「・・・」 昴はその明の問いの答えを言っていいものか迷うように目を泳がせる。 それからボソッと呟くように言った。 「きっと、幸は基依君のことも信用してるんだと思う」 「え・・」 「基依君の友達なら大丈夫だって判断したんじゃないかな」 「・・・」 「幸があんなに砕けたように仲良くなるのも珍しいじゃない?基依君とは話しやすそうっていうか」 昴はおずおずとした口調で続ける。 気を使ってくれているようだ。 「あのさ・・・このタイミングで聞くのはよくないのかもしれないけど」 そこまで言って昴はスッと息を呑む。 なにを聞かれるのか、その瞬間に気づいた明は昴の腕を引っ張って叫んだ。 「まって!!いい!言わないで!」 「・・・え」 「昴が何聞きたいかわかってるから。でも・・直接聞かれるのはキツい・・」 「明・・」 「多分昴が・・思ってる通りだから・・」 明はそう言って俯く。その様子を見た昴はボソッと小さな声で言った。 「じゃぁ・・好きな人が好きかもしれない相手って、幸・・?」 「・・・」 明はコクンと頷くと自虐的な笑いを浮かべる。 「いやー。本当さ、幸はモテるから。仕方ないよな。昴もライバルが増えてばっかで大変だな」 「・・・明、あのさ・・・」 何かを言おうとしたようだが、昴の言葉はそこで止まってしまう。 明は首を傾げると「何?どうかした?」と昴の顔を覗き込んだ。 「えっ・・」 明の顔が近くにきたことで昴は驚いたのか、後ろに仰け反る。しかしそのせいで後方を歩いていた女性と肩がぶつかってしまった。 「きゃっ!」 女性は小さな声を上げる。 「千晶、大丈夫?」 「かき氷ちょっとこぼれたよ」 どうやらぶつかってしまった女性のかき氷が溢れてしまった様だ。 昴は慌てて振り向くとぺこっと頭を下げる。 「あ!ごめんなさい・・」 「い、いえ・・」 女性は遠慮がちに答えたが、昴の姿を見ると目を丸くさせて言った。 「・・矢野君?」 「え・・・」 昴も顔を上げて彼女の顔を見つめる。 「・・長平さん?」 「うん。えっと、久しぶり・・」 女性は頬を少し染めて俯き加減で応えた。 「千晶、大丈夫?」 友人に聞かれ、長平千晶はコクンと頷く。それから「ごめん、ちょっと先に行ってて?」と声をかける。 友人達が行ってしまうと、千晶は黙ったまま視線を泳がした。 千晶は短めのボブ姿で、背も小さく可愛らしい雰囲気をしている。 明の知らない人物なので昴の高校の同級生とかだろうか。 昴は眉尻を下げると懐かしむ様な顔で言った。 「あの、久しぶり・・あ、かき氷ごめん。服汚れてない?」 「だ・・大丈夫大丈夫!かき氷山盛りにしてもらっちゃったから!バランスもともと悪かったの」 千晶はそう言うと手に持った緑色のシロップのかかったかき氷を見せた。 それからチラリと昴の横にいる明に目をやる。 「・・今日は、幸君は一緒じゃないの?」 「幸もいるよ。向こうの方で待ってる。こっちは幸の弟の明」 昴がそう紹介したので、明はペコッと小さく会釈をした。 「えっ・・幸君の弟?あ、幸君双子って言ってたもんね。そっかぁ。あ、私長平千晶です」 千晶は改めて丁寧に名前を言うとニコリと笑う。 「ど、どうも。四十万明です。えぇっと・・」 どんな関係なのか分からないので、明は昴と千晶両方に目配せをする。するとそれを察した千晶が付け足す様に言った。 「あ、私矢野君と幸君と去年夏期講習が一緒だったの」 「ああ!なるほど!」 明は合点がいったという顔で頷く。 「塾の友達かぁ!確かに去年昴達すごい仲良さそうにしてたもんな!」 明が笑って言うと千晶は目をパチパチとさせて聞いた。 「明君・・は塾にはいなかったよね?」 「俺?うん。俺は別に難しい高校行くつもりなかったから。今Y高校通ってる!」 「え、Y高校?」 千晶は驚いたように黒目の瞳を大きく見開く。 何かあるのかな?と思いながら明は答えた。 「うん。ちょっと家から遠いけど楽しいよ」 「・・そうなんだ」 千晶は少し困った様な表情をみせる。 しかしすぐに後ろの友人の方に体を半分向けると 笑って言った。 「ごめんね。友達も待ってるし私そろそろ行くね。矢野君、またね」 「うん。また・・」 昴が小さく手を上げると、千晶は小走りで友人の方へと走って行った。 千晶が遠ざかると明はチラリと昴の方を見る。 「なに?」 昴がキョトンとした顔で聞いた。 「いや。なんか・・あったのかなぁーと思って」 「なんかって?」 「うーん?なんとなく二人とも気まずそうに見えたっていうか」 「そんなことないよ・・久しぶりに会ったからどう接していいか迷ったって言うか」 「ふーん・・」 なんとなく腑に落ちなかったが、これ以上聞いても仕方がないと思い明は再び歩き出した。 「さっきの、長平さん?俺がY高校って言ったらなんか驚いてたよね。なんでだろ」 「え・・あー。そう言えば・・」 昴は何かを思い出したかのように真っ黒な空に目を向ける。 「長平さん、Y中出身だったはず。もしかしたらY高行った友達とか多いのかも」 「へー!マジか!誰か知ってるやついるかもだな!」 と、そこまで言って明はハッとする。 「そういえば基依もY中だったかも」 「え・・基依君?」 「うん、そうだ!基依もY中。もしかして知ってるかな?」 千晶を追いかけて聞きたい衝動に駆られる。 しかし千晶達の姿はもう見えない。 「どうかな。明が今度基依君に聞いてみたら?」 「うん、そうだなぁ」 自分から話題を出しておきながら、今その基依は幸と一緒にいることを思い出して気持ちが暗くなった。 これから何か買ったら早く戻らなくては。 自ら残るとは言っても、あまり長時間初対面の人といたらきっと幸は疲れるはずだ。 そんなことを考えながら、明はハァと小さな溜息を吐く。 なんで自分はこんなに幸を守らなくてはと思ってしまうのだろう。 もしかしたら好きな人を取られてしまうかもしれないのに・・ でも、幸が悪いわけじゃない。だから幸を悪く思っちゃいけない。 幸が早く誰かと番になってくれたらいい・・ そしたら安心なのに。 どうにか昴と幸をくっつけられないだろうか・・ 思わずそんな考えが頭をよぎり、明は強く頭を振った。 なんて最低なことを思っているのだろう。自分のために兄と幼馴染を番にさせようだなんて・・ 「・・恋愛ってめんどい・・」 明は小さな声で呟く。 「え・・?」 聞き取れなかったのか昴は目をぱちっとさせながら明を見つめた。 「・・ううん。なんでもない」 明は眉尻を下げて笑うとそのまま参道を歩き続けた。 ーー 明と昴が何か買ってくると行って二十分ほど経った。 基依はスマホの画面に目を向ける。 特に連絡は来ていない。 チラリと横に目を向けると、幸が基依の友人達に囲まれながら微笑んで話している。 人見知りだと言っているが、自分に好意的な人間には平気な様だ。 それはきっと『愛され慣れている』からだ、と基依は思った。 「なぁ、明達ちょっと遅いし俺も様子見てくるわ」 基依は幸と友人達に向かって言う。 「え?別行動するとはぐれるぞ」 友人の一人が言った。 「大丈夫だって。とりあえず明に連絡してみるから。幸もここで待ってろよ」 「え・・ちょっと・・」 幸が困惑した表情を見せたが、それには気づかないふりをして基依は小走りでその場を離れていく。 困らせてやりたい。だって、それが俺の・・ 「基依!」 軽い足取りで進んでいたところへ急に腕を掴まれて引っ張られる。 「っ?!」 驚いて横に目を向けると、従姉妹が青白い顔で睨んでいた。 「・・は?千晶?なんでここにいんの?」 「それはこっちのセリフでしょ!っていうか、基依、今幸君といたよね?!ねぇ?」 千晶はすごい剣幕で聞いてくる。小柄な割に力は強く握られた腕が痛い。 「あー。なに、見てたの?いつから?」 基依は観念したように頭を掻いて言った。 「今、たまたま通りかかって気づいたの。最初は知った顔がいるなって思っただけ。けど・・横見たら幸君もいて、しかも何か仲良さそうに話してるし・・」 千晶の肩が小刻みに揺れている。 「ねぇ?なんで?なんで幸君といるの?いつから知り合いなの?!」 「・・知り合ったのは最近だよ。あいつの双子の弟と高校が同じクラスでその繋がりで知り合っただけ」 「それって、明君?」 千晶はハッとした顔で基依を見る。 「え?なんで知ってんの?幸や矢野から聞いてた?」 「さっき、会ったから・・矢野君と、一緒にいた弟の明君と。その時明君はY高だって聞いたから・・まさかとは思ったけど・・」 「あは。マジ?久々の再会したわけ?よかったな。っていうかもしかして今日ここ来たのも矢野に会えるかもって思ったわけ?」 「っ・・違うわよ!」 千晶は顔を赤らめて恥ずかしそうに横を向く。 「お前、あんだけ傷ついただなんだって騒いでたのによく来るなぁ。諦めるって決めたんだろ?」 「決めたけど・・去年のこのお祭りでの嫌な思い出を上書きしたくて・・だから来たの。いいでしょ?それより基依よ!何考えんの?なんで幸君と仲良くしてるの?私があんなに・・」 そこまで千晶が言ったところで、基依は人差し指を立て「シー」と千晶の唇に当てる。 「静かにしろよ。幸や明に気づかれたら困るだろ」 「・・困るって何?」 千晶は眉間に皺を寄せて聞く。 「いや、高校で偶然四十万幸の弟と友達になったからさ。大事な従姉妹を傷つけたのがどんな奴らなのか興味あるし近づけないかなと思って」 「・・・は?」 「お前に散々聞かされたからさぁ。『幸君』のことも『矢野君』のことも。それから、お前がコケにされたことも」 基依は目を細めて千晶を見つめる。 「・・・何か、するつもりなの?」 「別にしないよ。多分ね」 「ちょっと、基依!」 千晶はもう一度掴んでいた腕を強く握る。しかし基依はそれを軽く振り払うとニコリと笑って言った。 「大丈夫だって。ただちょっとつついて遊んでるだけだから。じゃあな千晶。気をつけて帰れよ」 ピラピラと軽く手を振ると、基依は千晶の方は見ないで歩き出した。 特に追ってくる気配はない。 まぁ、地元に帰れば家は隣同士なのだから、きっとすぐに突撃してくるだろう。 その時に改めて話せばいい。 別に大した話じゃない。 先ほど言った通り、あの二人に興味を持っただけの話だ。 掻き回してやりたい程度に。 そのために・・わざわざ明と仲良くなったのだから・・

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