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第9話
「基依ー!!聞いて!!」
同い年のいとこ、長平千晶は、昔からなんの確認もなしに部屋に飛び込んでくる。
しかも決まって一方的に自分の話をするばかりだ。
「なんだよ、もー。今ゲームしてんの」
友達に勧められたアプリゲームが面白くて、基依は千晶の方は見ないで答えた。
千晶は遠慮なしに基依の部屋の床に座る。
中学生になったのだから異性の部屋に入ることはそろそろ遠慮してほしいところだ。
千晶の父親と基依の母親は兄妹だ。
基依の母親は結婚後も両親の近くに住むことを希望した。そこで長平家の敷地にあった曽祖父母が住んでいた空き家を建て替えし、基依達一家が暮らすことになったのだ。
そのため千晶の住む長平家と基依の神垣家は隣に家が並んでいる。
幼い頃は自由に両方の家を出入りしていた。
その名残で千晶は今も平気でやってくる。
一緒に育ったのでもう双子の兄妹のような感覚なのだろう。
「あのね、りぃちゃんとバスケ部の試合見に行ったんだけどね!すごいかっこいい人いたの!」
千晶が興奮気味に話始める。
今日はバスケ部に好きな人がいるとかいう友人の付き合いで練習試合を見に行ったらしい。
「対戦相手の中学の子だったんだけどね!背が高くて!しかもまだ一年生みたい!同い年だよ!」
「へー。背が高いんだからそりゃ他よりは上手いんじゃねーの?」
あまり興味が持てず基依は適当に返す。千晶は昔からそこそこミーハーで、好きなアイドルや俳優が出来るたびに話してくるのだ。
「もー!違うんだって!確かに背が高いから有利なところはあるけど、とにかく上手いの!それにかっこいいの!もう私ずっと見ちゃった!」
「おい、Y中の方応援してやれよ」
「それはりぃちゃんが一生懸命応援してたから大丈夫だよ!ね、今度さ基依バスケの試合見に行くの付き合ってよー」
「は?なんで俺が?」
基依は眉間に皺を寄せて、千晶の方をチラリと見た。
「お願い!今度総合体育館で市民大会あるの!でもY中は出ないからりぃちゃんは応援行かないって言うし。他の友達にはミーハーだって思われたくないから、基依に付き合ってほしいの」
両手をパチンと合わせて千晶は頭を下げる。
「・・えー。面倒くさいなぁ・・」
とは言いつつ、千晶にお願いされると弱い。
「・・ハァ・・わかった。でも飽きたら俺は帰るからな」
「本当?!ありがとう!基依!」
千晶は嬉しそうに基依の肩を両手でポンポンと叩いた。
今まで千晶が騒ぐのは芸能人だけだった。
それが今回はどうやら同い年のただの中学生のようだ。どんなやつなのか少し興味がわいた。
「あっ!あそこ!K中学いた!」
体育館中にボールの音が響く。
千晶は観客席から下のコートを見下ろして指を差した。
青いジャージを着た集団が集まってミーティングをしている。
背中にはK中学校の文字だ。
事前にバスケ部の友人にK中学について聞いてみたところ、今まではY中とさほど変わらない実力だったそうだ。人数もそこまで多くないらしい。
それが今年はすごい一年生が入り以前よりもずっと強くなったそうだ。
「あれは絶対αだって。もうオーラが違う」
友人はそうも言っていた。
性別検査は来年行われるので、基依はまだ自分の第二次性を知らない。けれど間違いなくβだろう。それは自分自身がよくわかっている。この社会はほとんどβという普通の人間でできているのだ。
αなんて希少種にいられたら、そりゃなかなか勝てないだろうなと基依は思った。
「ほら、あの人だよ。あの後ろの方にいる背の高い子」
千晶が指差す方に視線を向ける。
集団の中で後方に一年生は固まっているようだ。
その中で他よりも一人、背が飛び出している人物がいた。
綺麗な目鼻立ちで整った顔をしている。清潔感があって嫌味もなく女子が好きそうな顔だなと基依は思った。
横の千晶はすでに目が釘付けだ。
「ね!かっこいいでしょ!バスケも上手いからちゃんと見ててよね!」
「へーへー」
基依は気の抜けた返事をしたが、試合が始まるとその選手のプレイに基依は目を見張った。
他の選手とは動きが違う。
まだ一年生なのが信じられないくらいだ。
基依が真剣に試合を見ていると、隣に同い年くらいの五、六人の集団がやってきて大きな声で話しながら座った。
「おっ!始まってるじゃん!K中の試合!」
「矢野出てるよ!すげーなあいつ!」
「今年からバスケ始めたんだろ?それですぐレギュラーだもんなぁ」
「ていうか、矢野が一番背が高くね?一年生なのに」
K中という単語が聞こえ基依は耳を立てる。
どうやら千晶のお目当ての人物の話をしているようだ。
「幸、ここ座れよ。見やすいから」
「ありがとう」
か細い声のお礼が聞こえた。
その『ゆき』と呼ばれた人物の声が、それまで聞こえていた男子中学生の荒々しいものと違っていることに違和感を感じ、基依はチラリとそちらに目をやった。
男とも女とも取れそうな細くて綺麗な顔をした人物が、一番見やすそうな真ん中の席に座っている。
身なりを見る限りでは男のようだ。
ピピっとホイッスルが聞こえた。
どうやらハーフタイムになったようだ。選手達がそれぞれのベンチに集まって話している。
すると、『ゆき』と呼ばれた彼が観客席の前の手すりに両手をかけ身を乗り出すように下を覗き込んだ。
それから誰かに向かって手を振っている。
基依が下を見ると例の背の高い『やの』の隣にいる人物が手を振り返した。それから隣の『やの』に声をかける。すると『やの』もヒラヒラと手を振った。
「ふふ。昴、緊張してるのかな」
『ゆき』はほくそ笑むように言う。
『すばる』というのはどちらの人物の名前なのだろうか。
とりあえず少なくとも彼の名前が『やの』だということはわかった。
それからK中学はみごと初日に二連勝し、次の日の準決勝へと進んだ。
案の定千晶から明日も付き合ってくれと言われ、基依は怠そうな顔をしながらも付き合った。
今までバスケに興味はなかったが、応援するチームが決まっていると意外と熱が入るものだ。
千晶がキャーキャーと騒ぐので、基依もそれにつられて試合に見入ってしまう。
気がつけば基依はすっかりバスケ部の試合観戦者の常連となっていた。
何度となく試合を見ているうちにK中学の彼の本名は『矢野昴』だということもわかった。
そして矢野昴が出ている試合には高確率で観客席にあの『ゆき』と呼ばれた人物もいた。
こんなに頻繁に応援に来るのだ。
きっと仲の良い友人なのだろう。
基依はぼんやりとそんなことを思った。
そんな、なんとなく存在を知っている彼らの輪郭がハッキリとわかることになったのは中学三年生の夏だ。
夏休みに入り受験勉強をするのも面倒くさいと冷房の効いた部屋で寝転んでいると、バタバタと千晶が音を立てて入ってきた。
「基依!!ねぇ!大変!」
「だからー。お前勝手に入ってくるのやめろよなぁ」
基依は怠そうにゆっくりと起き上がる。
「そんなことどうでもいいから!それより聞いてよ!!矢野君と!お話ししちゃった!」
「・・・はぁ?」
基依は眉間に皺を寄せて千晶を見つめた。
昴を見たのは六月の大会が最後だ。
その大会での敗北をもって三年生は部活を引退になる。
「もう矢野君が見れない」とメソメソと泣いていた千晶に付き合って、基依は元気づけるためにカラオケにまで行ってやった。それで千晶も区切りがついただろうと思っていたのに。
まだ矢野昴の話をするのかと、基依は呆れた顔でため息を吐く。
「あのね!夏期講習に!矢野君がいたの!」
千晶は基依の表情など気に留めることもなく、声を弾ませて言った。
「しかも!同じクラス!もうびっくりし過ぎちゃって、思わず声かけちゃった!」
「はぁ?マジで?」
千晶が行くことになったのは二つ隣のK駅にある塾だ。
家の近くにも塾はあったのだが、公立の中でもレベルの高いK高校を希望していた千晶はK駅の塾の方が評判がいいと母の勧めでそこに通うことになった。
そのため友人は一人もおらず心細いとボヤいていたのだ。そんな塾に矢野昴がいたという。
「それで、なんて声かけたんだよ?」
「K中の矢野君ですよね?って!バスケの試合で何回か見たことあって上手ですよねって言ったら『ありがとう』って笑ってくれたの!」
「何回か、じゃなくて何回もだろ」
基依は呆れたように言う。
「うるさいな!」
ペチンと千晶は基依の頭を叩いた。それからすぐに胸の前で両手を組むと上を向いて嬉しそうに言った。
「あ〜!これから夏期講習楽しみだなぁ!矢野君と毎日会える〜!」
「うえ。夏期講習って毎日あんの?」
「お盆以外はほとんどあるよ!うちら受験生ってわかってる?基依はちゃんと勉強してんの?」
「俺はY高希望なんで。別に必死に勉強しなくてもいけるし」
「そうやって油断してると落ちるからね」
千晶は意地悪そうに舌を出して言ったが、それでもテンションが高いのは分かる。
昴と会えることがそうとう嬉しいのだろう。
それから千晶は夏期講習から帰ってくるたびに昴のことについて報告しにくるようになった。
「矢野君ね、すっごい頭いいの!やっぱり噂通りαみたい!」
性別検査が行われた二年生以降、昴はαだと噂されているのを聞いた。もちろん成績も優秀なのだと。
そんな昴が塾に行く必要があるのだろうか?と基依が疑問に思っていると、それを察したかのように千晶が言った。
「矢野君、幼馴染の子が一人は嫌だからって一緒に夏期講習来てるんだって!優しいよねぇ」
「幼馴染?なにそれ、恋人とかじゃねーの?」
「ちがうよ!幼馴染って言ってたもん!男の子だよ、四十万幸君っていうの」
「ゆきくん?」
基依の頭に昴の試合のたびに見かけたあの少年の顔が浮かぶ。
「うん。幸せって書いて幸君。幸君もすっごくかっこいいよ!綺麗な顔してて!」
どうやら基依が思っている人物と同一人物のようだ。
「幸君ってすごくモテるんだよ。あ、幸君Ωなんだけど」
「へぇ・・」
それも知っている。性別検査の後くらいだろうか。彼の首元に空色の首輪がつけられるようになったのは。
それを見てやけに合点がいったのを覚えている。
—あぁ、だから・・彼はあんなに綺麗なのだとー
「矢野ってαなんだろ?それで幸君がΩって、それ本当に幼馴染なのかよ」
「ただの幼馴染だって幸君が言ってたもん!っていうか幸君彼氏いるし!今クラスの子と付き合ってるらしいよ。前は一つ上の先輩と付き合ってたんだって!すごいよねぇ!」
千晶は目を輝かせながら言う。本心からすごいと思っているのだろう。
恋愛話で盛り上がるのが好きな千晶からしたら、恋人が絶えないというのは憧れることなのかもしれない。
「節操ないってことだろ・・」
基依はボソリと呟く。
一年の頃から何度も観戦にきている幸を見かけた。最初は何人かの友人と共にだった。
それがいつからだろうか。幸は複数人ではなく特定の人物と二人で来るようになったのだ。あきらかに友人という距離感ではない。
特に相手の幸を見る目は分かりやすいくらいだった。
彼は試合ではなくて幸を見ているのだ。
αの幼馴染の試合の観戦なんて本当は付いてきたくなかっただろう。
けれど幸が行くと言えば断れない。幸の望むままに一緒にいるような、そんな雰囲気だった。
そんな彼も三年になってから見なくなった。
今の千晶の話が本当なら、その彼はきっと一足先に高校生になり生活環境が変わったのだろう。
程なくして幸は違う男と観に来るようになった。
それが今の彼氏なのかもしれない。
そしてそんな彼氏がいるにも関わらず、塾に一緒に来てもらうのは幼馴染の昴とはどういうことだろうか。
「・・千晶」
「うん?」
「あんまり本気になるなよ・・」
「えー?何がぁ?」
千晶は能天気な声をあげる。
「・・・面倒くさいことに巻き込まれても知らないぞ」
基依はそう言うと小さくため息を吐いた。
この受験の大切な時期に恋愛のことで浮かれていて、変なことに巻き込まれなければいいのだが・・
そんな基依の心配をよそに、千晶はどんどんと昴や幸と仲良くなっていった。塾のクラスで気の合うグループができたらしい。
夏期講習の後はそのグループでファストフードで喋って帰ったり、時にはカラオケに行ったりもするようになった。
「おばさんから千晶の帰りが遅いからって、迎えに来させられたんだぞ」
夜、二十一時。
基依はY駅の改札前で腕を組んで千晶を出迎えた。
「ごめんって〜。もぉーママには一応連絡したのになぁ」
千晶は謝りながらも頬を膨らませる。
「連絡したからって遅くなっていいってわけじゃないだろ。この辺夜は暗いんだし」
「わかってるよー。でも遊んでたわけじゃないのにぃ」
「カラオケに行ってるっておばさん言ってたけど?」
「カラオケで勉強してたの!えらいでしょ!?」
「いや、普通にもっと静かなところでやれよ」
呆れ顔でそう言うと基依はゆっくり歩き出した。
「カラオケって結構静かなんだよ!防音だから!図書館だと大人数で勉強したり教えあったりし辛いし。ちょうどいいのー」
「へーへー。そうですか」
両手を頭の上でクロスさせて基依が答える。
だからと言って集中して勉強できるわけじゃないだろう。思っていた以上に千晶はすっかりそのグループで集まることにのめり込んでいるようだ。
「あ・・そういえばね。今度K駅の近くの神社でお祭りがあるんだって」
千晶はなぜだか頬を染めて思い出したかのように言う。
「お祭りー?行くのか?受験生が?」
基依はわざとらしく嫌味な顔をして見せた。
「いいでしょ!気分転換!・・・それでね、そこで友達がね、矢野君と二人きりにしてくれるって言ってて」
先ほどよりさらに頬を赤くさせて千晶は俯いて言った。
「二人きり?なんで?」
「や、矢野君に告白・・したいなって思ってて・・」
「えっ?」
「ほら、夏期講習終わったら会えなくなっちゃうし。これから受験でもっと忙しくなるから言うなら今のうちかなって」
「・・・」
基依は気恥ずかしそうに言う千晶を見つめる。
小さい頃からミーハーで好みの人を見つけるとすぐに騒いでいた従姉妹が、いつの間にか本気の恋愛をしていたようだ。
今まで一緒にいた千晶とはまるで別人を見ているような気がする。
「・・それで、千晶と矢野を二人きりにしてくれるってこと?みんなが協力してくれんの?」
基依は驚きと戸惑いを悟られないように会話を続けた。
「みんなではないけど・・女子の友達が協力してくれるの。男子には知られたくないし」
「・・ふーん」
「上手くいくか分からないけど。でも矢野君恋人がいないのは確認済みだから!だから頑張る!」
千晶は両手でガッツポーズをして見せた。
そもそも、千晶がどこまで昴と仲良くなっているのか基依はよく分かっていない。
みんなで遊ぶ仲間の一人、その程度なのだろうと思っていた。
しかし千晶はそれなりに自信がありそうにも見える。
「頑張れよ・・」
基依は可能性を信じて小さな声でエールを送った。
その日は午後から雲が広がってきた。しかし雨は降らなさそうだ。
これならお祭りは大丈夫だな、とぼんやりと思いながら基依は自分の部屋の窓から空を見上げる。
興味本位でちょっと行ってみようかとも思ったが、バレたら千晶が怒るのが目に見えているのでやめておいた。
きっと結果はどうであれ、あと数時間後には「基依ー!」と大きな声でこの部屋に入ってくるだろう。
夕飯を食べ終えゴロンと布団の上で寝転がった。
もう外は暗い。窓からは生暖かい風が入ってくる。外が涼しくなるのはまだまだ先だなぁ、などと思っているとバタンと下で玄関の開く音がした。千晶が来たに違いない。
「あら、千晶。どうしたの?」
母親が少し驚いた声をあげている。
何かあったのだろうか?ほどなくしてバタバタと階段を駆け上がる音が聞こえ、基依の部屋の扉が勢いよく開いた。
しかし予想していた「基依!」という声はなく、千晶は無言で目を赤くして立っている。
「・・・」
初めて見る可愛らしい薄ピンク色の浴衣を着ていて、基依は思わずそちらに目がいった。
かなりの気合を入れて行ったのが分かる。ほんのりと化粧もしているようだが、目元のメイクは少し崩れてしまっていた。
「・・千晶、どうしたんだよ?」
基依が恐る恐る聞くと、千晶はゆっくりと裸足の足で近づいてきた。
それから基依の前まで来ると、ペタンと横座りをして両手で顔を覆うようにして言った。
「・・ダメだった・・」
「・・・」
良い結果がくるとは思っていなかったが、基依はどう返していいか迷い一瞬口をつぐむ。
しかしすぐに千晶の頭をポンと叩くと、普段と変わらないトーンで応えた。
「まぁ、頑張ったんだろ。お疲れ様じゃん」
「・・・」
「受験前に一区切りつけたってことで、切り替えていこうぜ」
基依が軽い口調で言うと、千晶は俯いたまま頭を横に振る。それから顔を上げると、睨みつけるように基依を見つめて言った。
「一区切りはつけてない。ちゃんと矢野君に告白できなかったから」
「・・ちゃんと?」
「・・二人きりにはなれたの。みんなが協力してくれて矢野君と二人で買い出し行くことになったんだけど・・その途中で幸君から矢野君に電話がかかってきた・・・」
「電話?」
「幸君は後から合流することになってて。それで幸君から神社に着いたから矢野君に迎えに来て欲しいって電話がかかってきて」
「・・へぇ。でも幸君は千晶が矢野君に告白するつもりなこと知らなかったんだろ?それならタイミング悪かったってことだよな」
「・・・私と矢野君を二人きりにさせるって計画は幸君には言ってなかったけど・・でも幸君は私が矢野君を好きなことは知ってた」
「千晶から言ったのか?」
「ううん。幸君から『長平さん、昴のこと好きなの?』って聞かれたの。それで頷いたら『昴のことで何かあったら言ってね』って言われて」
「何かあったらってなんだよ?」
基依は眉間に皺を寄せる。
「私は、それは協力してくれるってことだと思った。だから矢野君の好きな物とか好きな場所とかこっそり幸君に聞いたりしたし、幸君も矢野君の小さい頃の写真とか見せてくれたこともある」
「ふぅん、なるほど。それで今日は?」
「・・・矢野君は幸君からの電話に『今、長平さんと買い出しに出てるから、他の子達が待ってる場所伝える』って言ってくれたの。だけど幸君・・」
千晶は言葉を切ると両手の拳をキツく握った。
「身体が熱くなってきる、人が多くて不安だから矢野君が迎えに来ないなら帰るって・・」
「身体が熱い?」
「それを聞いて矢野君、一瞬血の気の引いたような顔したんだよね。それですぐに迎えに行かなきゃって言って・・二人で幸君を迎えに行くことになったの」
千晶はその時にあったことをポツポツと話し始めた。
千晶と昴が神社の入り口に着くと、幸は端の方で壁にもたれるようにして待っていた。
「幸!」
昴の声に気づき幸が顔を上げる。それからすぐに隣にいる千晶に気づくと眉尻を下げて言った。
「長平さんごめんね。ここまで昴に付き合わせて・・」
「・・ううん。大丈夫」千晶は精一杯の笑顔で言う。内心では複雑な心境だ。
「幸、大丈夫なの?」
幸の顔を覗き込むようにして昴が聞いた。
「熱いって・・もしかしてヒートがきそうとか?」
それを聞いて千晶も幸の顔を見る。
千晶の周りには今までΩの子は一人もいなかった。幸が初めてのΩの友人だ。
第二次性については学校で教わった知識程度しかない。
『ヒート』とはなんだったか。授業で習った知識からそれが『発情期』を指すことを思い出した。
幸の頬は少しだけ紅潮している。幸を見るといつも美人だなとは思っていたが、今日はさらに妖美さが増しているように見えた。
「さっきまで彼氏といたんだけどさぁ。その時は平気だったんだよ。でも神社向かってる途中からちょっと変だなって」
「抑制剤は?ちゃんとピル飲んでるんだから発情期が近いのは分かってるでしょ?」
昴は語気を強めて言う。
「ピル飲んでてもまだ周期はよく分からないよ。アプリに記録するの忘れちゃったし」
幸は不貞腐れたように頬を膨らます。
「俺そういうの忘れやすいってわかってるでしょ。心配なら昴がしてよ」
「っ・・」
何か言いたげに昴は下唇を噛む。
そんならやりとりを千晶は黙って見守るしかない。
千晶が入っていけそうな雰囲気ではないからだ。
それにΩのことについても口を出せるほどわかっていない。
薬を飲めばヒートが周期的にくることも初めて知った。
もしかしたら授業で言っていたかもしれないが、関係のないことだと忘れてしまっていたのかもしれない。
昴は小さくため息を吐くと千晶の方を見て申し訳なさそうな表情で言った。
「ごめん、長平さん。少しだけここで幸と待っててくれないかな・・」
「え・・矢野君は?」
「幸の抑制剤買ってくる。近くに幸のお母さんが働いてる薬局あるから」
「で、でも・・」
ヒートを起こしかけてる幸をどうしたらいいのかなんて分からない。
千晶が戸惑いっていると幸がギュッと千晶の腕を掴んで引っ張った。
「長平さん、こっち。あんまり人のいないところで待ってよう」
「え・・・」
「どこにαの人がいるか分からないから・・昴、抑制剤なるべく早くお願い」
「・・わかった。ごめん長平さん、幸をよろしくお願いします」
昴はそう言うと、人混みの中を掻き分けるようにして走り出した。こちらを振り向くことはない。
少しでも早くしなければならないという、焦りが伝わってくる。
そんな昴の背中を見送ると、千晶は幸に連れられるまま人のいない神社の奥まった林の方へと入って行った。
「ここで待ってよ」
幸は大きな石に腰をかける。
千晶もその隣に座るとチラリと幸に目をやった。
「幸君、大丈夫?辛い?」
「まだ大丈夫だよ。今は身体がちょっと熱ってるだけ。でも少しずつΩのフェロモンが出始めちゃうだろうから人のいない所じゃないと怖くて」
「そう、なんだ・・あ、私みたいなβは大丈夫なんだよね?」
千晶は自分を指差す。
「うん、多分ね。Ωのフェロモンにあてられるβもいるみたいだけど、俺はまだ子どもだしそんなにフェロモンが強くないと思うから」
「そういうものなんだ・・ごめんね、私何も分かってないや」
「仕方ないよ。Ωやαのことはそうじゃない人には理解出来ないものだと思うから」
αという単語が出て、千晶の頭に昴の顔が浮かぶ。
「αも・・やっぱり大変なの?」
「どうかな。昴を見てるとなんでも出来て羨ましいって思うけど」
「た、確かに!矢野君は頭も良いし運動神経も良いよね!」
千晶がテンション高く言うと、幸はクスリと笑う。それから千晶の浴衣姿に目をやってから言った。
「長平さん、今日すごく可愛いね。浴衣似合ってる」
「あっ、本当?ありがとう」
照れくさそうに千晶は胸元に手をやる。
美人な幸に褒められるとそれだけで自分の価値も上がったようで嬉しい。
しかしそんな高揚した気持ちでいる千晶を見据えるようにして幸は言った。
「もしかして、今日昴に告白しようとしてた?」
「え・・・」
千晶の心臓がドクンと跳ねる。
「さっきまで、昴と二人でいたんだよね?もしかして告白するために二人でいたの?」
「・・・」
千晶は速くなる心臓の鼓動を感じながら、どう言おうか頭を巡らせた。
正直に言うべきだろうか。幸は自分が昴のことを好きなことを知っている。
協力だってしてもらった。なんとなく男子達に知られるのは嫌で今日のことは秘密にしていたが幸は別だ。黙っている方が失礼かもしれない。
千晶は少しだけ声を震わせながらポツリと言った。
「・・そう。今日、矢野君に好きって言うつもり」それから千晶は頬を赤くするとパッと自身の手元に目をやった。昴に告白した訳ではないのに恥ずかしくなったからだ。
「・・・」
幸は何も言わずに大きな黒い瞳で千晶を見つめる。しかしすぐ口元を緩めると微笑みながら言った。
「そっか、いいんじゃないかな。長平さん優しくて明るいから昴も長平さんには好印象持ってると思うよ」
「・・え、本当?!」
千晶は嬉しくなり思わず立ち上がる。
昴と仲のいい幸がそう言うなら信頼できる情報だ。
「私、矢野君にはただの塾の友達の一人くらいにしか思われてないって思ってたから!本当はあんまり自信なかったんだけど幸君がそう言ってくれるなら頑張る!」
高揚した気持ちのまま千晶は早口で話す。
それからハッと我に帰ると、また恥ずかしくなりストンと幸の隣に座った。そしてチラリと横目で幸を見る。
「・・応援してくれる?幸君」
幸は口元にだけ微笑みを残したまま千晶を見つめて言った。
「うん・・昴が長平さんと付き合うの賛成」
「・・!」
その言葉が嬉しくて千晶は目を見開く。お礼を言わなくては、と口を開きかけた時だった。
それを遮るように幸は続けてこう言った。
「でも、最後に俺を選んじゃったらごめんね」
「・・・え」
幸が言った意味が理解出来ず、千晶は笑ったまま固まる。
「えっと・・それって・・」
言葉の意味を問いただそうとしたが、それは「幸!」という声で断ち切られた。
声のした方に目をやると、昴が汗だくでこちらに走ってくる。
「・・ハァ・・大丈夫・・?」
昴は千晶達の前まで来ると、呼吸を整えながら聞いた。
「うん、俺は平気。昴こそちょっと落ち着きなよ」
幸がそう言って昴の腕に手を伸ばそうとした瞬間、その手を払うように昴はバッと自身の腕を引っ込める。
それから幸から一歩下がり口に手を当てた。
「幸、ちょっと匂いが強くなってる・・」
「え・・」
千晶はクンと鼻を幸の方に向ける。しかし何も分からない。けれど改めて幸の表情を見てみると、暗くなっていて気づかなかったが先ほどよりも頬が紅潮している。
「幸君のヒートが始まってるってこと?」
千晶の問いに昴は口元を押さえたままコクリと頷いた。
「早くこれ飲んで!」
昴はビニール袋から小さな白い箱を取り出す。
それが抑制剤の薬のようだ。
しかし幸はすぐには手を伸ばそうとはしない。
昴の顔をジッと見つめているだけだ。
「幸、お願いだから早く!」
じれったそうに昴が懇願する。
『ヒート』というものはそんなに大変なことなのかと、昴の様子を見て千晶は思った。
一緒にいるのはこうやって幸を守るためかもしれない。そんな二人の絆の強さを感じ、先ほどの幸の言葉を思い出す。
幸に何かあった時、例えば恋人といても昴は幸の方へ駆けつけるのかもしれない。
『最後に俺を選んじゃったらごめんね』
あの言葉にはそういう意味があったのではないだろうか。
千晶が心配そうに見ていると、ふと幸と視線があった。
それから幸は昴の方に視線を戻すとゆっくりと口を開く。
「昴、長平さんが昴に何か話があるみたいだよ」
「・・?話?」
昴は戸惑った表情で千晶の方へ目を向けた。
突然幸に話を振られ、千晶の身体に緊張が走る。
まさかこのタイミングで言ってくるなんて—
昴に見つめられ千晶は「あ・・えっと・・」と口籠った。
「俺、抑制剤あっちで飲んでくるから」
幸は昴が手に持っていた薬の箱を取ると、二人から離れるように茂みの奥へ入っていく。
「ま、待って。幸一人は危ないから」
「大丈夫。誰もいないよ。それより長平さんの話聞いてあげてよ」
千晶に目配せしながら幸は言うと、千晶達から見えない位置へと移動していった。
「・・・」
「・・・」
突然二人にされて千晶は混乱と緊張で黙ったまま俯く。
昴も千晶から話すのを待っているのか無言のままだ。
何か言わなくては・・
そう頭では分かっていても言葉が出てこない。
千晶が両の掌をクロスさせて気まずそうに指をいじっていると「長平さん」と名前を呼ばれた。
「は、はいっ・・!」
裏返った声で返事をして千晶は顔を上げる。
—矢野君の方から何か言ってくれる!?
そううっかり期待したのも束の間、昴の表情を見てそれは酷い勘違いだったと気がついた。
そもそも昴は千晶の方を見てはいなかった。
茂みの奥、先ほど幸が入っていった方を不安そうな顔で見つめていた。
「・・や、矢野君?」
千晶は遠慮がちに声をかける。
すると昴は視線は茂みの方を見つめたまま、申し訳なさそうに言った。
「・・ごめん、長平さん。幸が心配だから長平さんの話は今度でもいい?」
「え・・・」
「今は、幸を一人にしたくなんだ」
「あ、あの・・ま、待って。すぐ終わるから。矢野君に伝えたいことがあって」
千晶はそう言うと、一旦一呼吸をする。
「わ、私、矢野君のこと・・」
意を決してそう言った時だった。
突然後ろから数人の話し声が聞こえてきた。
声を聞く限り大人の男性のようだ。
千晶は一瞬声のする方を見たが、もう一度正面の昴のいるところに視線を戻す。しかしそこには昴の姿はない。
「や、矢野君?」
横を向くと茂みの奥の方へと進んで行く昴の背中が見えた。
「長平さん!こっち!幸のところに行こう。やっぱり一人にはしておけはいから」
「・・え、う、うん」
千晶は戸惑いながらも急いで昴の後をついて行く。
今度こそ本当に告白の機会が絶たれてしまった。
先ほどの言葉を昴はどこまで聞いていただろう。
恥ずかしさと惨めさで目頭がどんどん熱くなる。
それを昴に勘付かれないように千晶は俯いて歩いた。
——
「それで、結局何も言わずに帰ってきたってわけ?」
そこまでの話を聞いて、基依は頬杖をつきながら聞いた。
「・・そうだよ。言えるわけないじゃん」
ズズッと鼻を啜りながら千晶は基依を睨む。
「だって私の『話』なんかより幸君の方が大事なんだよ?それを見せつけられたんだよ?矢野君がこっちを見てなかったのもすごくショックだった!傷ついた!・・別に、わざとそうしたわけじゃないのはわかってるけど」
「どうだかなぁ?そうなるように『幸君』がわざとした感じもするけどなぁ」
「え?」
千晶は眉間に皺を寄せる。
「いや、わかんないけどさ。でも幸君はお前が矢野のこと好きなこと知ってたんだろ?しかも協力するつもりもあったんだろ?その割には『自分の昴』って感じを出しすぎじゃない?」
「・・・」
「きっとわかってたんだよ、幸は。矢野は自分を選ぶって。その上で協力するような顔して見せつけたんだよ。自分達のつながりの強さを」
「・・なんで、私に・・?」
「さぁ。直接幸に協力なんて頼んだから、反感でも買ったんじゃね?」
「・・・」
千晶はそこまで聞いて考え込むように黙った。
まさかそんなはずはない、とでも思っているのだろう。
基依自身もちょっと捻くれた見方かなとは思っている。
けれどあながち間違ってもいないのでは、とも思う。
αとΩだなんて、ただでさえマイノリティな存在なのにそんな二人が小さい頃から幼馴染でいるのだ。
きっと他人が簡単に入り込めるような関係ではないのだろう。
けれど千晶は運悪くそんな二人の間に入ろうとしてしまった。だから幸によって見せつけられたのだ。
『君の入る隙はないんだよ』と。
基依はチラリと千晶を見る。
先ほどと変わらず、鼻の頭を赤くさせて考え込んでいるようだ。
うるさいところはあるけれど、素直で明るい大切な従姉妹だ。
それこそ『幸君と矢野君』のように、小さい頃から一緒に育ったかけがえのない存在だ。
そんな千晶にこんな惨めな思いをさせた。
αが、Ωが、そんなに特別なのか?偉いのか?
直接関わったわけではないのに、基依の中に彼らを厭悪する気持ちが生まれた。
結局千晶は昴に告白をすることはなく夏期講習を終えた。
これでもう繋がりもなくなるだろうと思っていたが、驚いたことに夏期講習が終わっても千晶達は時々勉強会を開いたり遊びにいったりしていた。
「なんだかんだ楽しいんだよね、みんなで会うの」
千晶はあっけらかんとした顔で言う。
受験の良い息抜きになるのだそうだ。
千晶の口から昴の話題もほとんど出なくなった。
諦めがついたのならそれがいい。
千晶にはもっといい人がいるはずだ。
あの二人のことは気にせず、新しい道をいけばいい。
そう思っていた矢先、千晶は志望校をK高校から私立の女子校に変更した。
「なんで?」と聞くと、少し気まずそうに千晶は言った。
「K高校は矢野君や幸君が受けるから・・」
「・・でも、だからって千晶が志望校変える必要ないだろ。ずっと前から行きたいって言ってたのに」
「いいの。私、もうあの二人が一緒にいるところ見るの疲れちゃった」
「・・・」
平気な顔をして遊びにいっていたけれど、どうやら千晶はそれなりに疲弊していたらしい。
みんなで集まる度に、幸と昴の入ることのできない二人の関係に気を使いながら過ごしていたようだ。
受験が本番近くになると、千晶もさすがに遊びに行くことはなくなりそのまま塾の友達との関係は疎遠になっていった。
「見て!かわいいでしょ!」
薄い水色のチェックのスカートをヒラリとさせて、千晶がニコリと笑う。
「あー。今日から女子高生かぁー!基依、私が同じ学校にいないからって寂しがらないでよ」
「俺はやっとうるさいのと離れられて清々してまーす」
基依もまだ着慣れないブレザーに腕を通しながら言う。
今日は二人とも高校の入学式だ。その前に千晶が制服姿をわざわざ見せに来た。
「うちの女子校、近くの男子校との交流も盛んなんだって!文化祭とか楽しみだな」
「あんまりミーハー発揮するなよ。引かれるぞ」
「うるさいな、わかってるよ!」
基依と千晶はこずりあいながら家を出て行く。
今日から新しい生活の始まりだ。
千晶に今度こそいい出会いがありますように。
基依はコッソリとそう願った。
「四十万明です。よろしくお願いします」
その名前を聞いても最初はまったく気が付かなかった。
ただ出席番号が前後だったから話しかけただけだ。
しかし出身中学を聞いてすぐにピンときた。
この顔を知っている。K中学のバスケ部の試合で、必ずと言っていいほど矢野昴の隣にいたやつだ・・
千晶には明のことは話さなかった。
新しい環境にいる千晶には昴のことも幸のことも思い出してほしくなかったからだ。
明はいたって普通の、明るく話しやすい奴だった。気になるところがあるとすれば、自分に自信がなさそうな印象を受けたくらいだ。
周りに気を使い、自分が必要とされることはないと思い込んでいるように見えた。
基依が幸のフルネームが『四十万幸』だということを思い出しのは、明と出会った次の日だ。千晶が幸の苗字を言ったのもたしか一度だけで、基依もすっかり忘れていた。
四十万という変わった苗字ではなかったら思い出しもしなかっただろう。
雰囲気も顔も全然似ていないので、兄弟とは思えない。きっと明は従兄弟か何かだろうと思った。
それからは半信半疑で明に探りを入れた。いきなり踏み込んだ質問をしては変に思われる。少しずつ話を聞いていくうちに、明と幸には繋がりがあることを確信していった。
そしてそれを決定づけたのは明の誕生日を祝ったあの日。
明が幸と双子だとカラオケで知ったその後。
目の前に『幸』と『矢野君』が現れたのだ。
今まで千晶を通してしかその存在を認識していなかった二人が目の前に立っている。
千晶を傷つけた、その深い絆とやらがどれほど強固なものなのか。
基依はそれを確かめてやりたくなった。
そのためには二人に近づく必要がある。
この幸とは全く正反対の双子の弟を、利用させてもらえばいい・・
ーー
「明!この間は会えてよかったな!」
基依はボールを体育館の床に勢いよく叩きつけながら言う。
今日は一週間ぶりの部活動だ。
正直運動は好きではない。運動音痴というわけではないけれど疲れることが好きではないのだ。
それなのにバスケ部に入ったのは明と仲良くなるためだ。
だからこの学校の部活動が緩くて助かった。
K高校のような練習熱心なバスケ部なんて絶対にごめんだ。
「うん。あの時は幸と一緒にいてくれてありがとな」
明はウォーミングアップのために屈伸運動をしながら応える。
「全然!幸、別に平気そうだったぜ。俺の友達とも普通に話してたよ」
「それがすごい意外なんだよなぁ。幸警戒心めちゃくちゃ強いのに」
「悪い奴らじゃないからな。幸だって話してて大丈夫だって思ったんじゃん?」
「・・うん。そうかもなぁ」
心なしか元気がなさそうに明は頷く。
出会った頃の印象に比べると、最近の明はどことなく暗い。
明るく取り繕ってはいるけれど、取り繕っているのがバレバレな笑顔なのだ。
しかもそれは、だいたい『幸』の名前が出た時になる。
小さい頃からあの幸と一緒にいたのだ。比較されることもあったのだろう。
幸の存在を肯定的に取ることができない気持ちもわかる。
しかしこちらとしてはそんな明の感情に考慮しているわけにはいかない。
あたかも興味がないような顔をしながら、明を通して幸と知り合いになることができた。
計画通りだ。
千晶の話や明の話を聞いていて、基依なりに幸に取り入る最適な接し方は何かを考えてみた。
幸は『好意を持たれること』に慣れている。
誰もが自分に関心を向けると思っているのではないだろうか。
ならばそれを逆手に取って、最初から関心がないふりをすればいい。
いつも脆い壊れ物のように扱われる幸を、雑に扱い気の使わない言葉をかける。
今まで周りに集まってきたやつとは違うのだと思わせる。
この作戦はどうやら思った以上に的を得ていたようだ。
連絡先がわかってから、幸は警戒心が解けた猫のように懐に入ってきた。
ツンとした態度をとりながらも、喉を鳴らしながら近寄ってくる。
気がつけば夜中までメッセージを送り合うほどになっていた。
初めて恋人ができた中学生かよ・・
そんなことを思って一旦連絡を止めてみたが、なんとなく気になってしまう。
まるで寂しさを埋めるような、不安定さを忘れるためのような。
そんなメッセージが送られてくるからだ。
恋人がいるのに。
常に側で守ってくれる幼馴染がいるのに。
それだけじゃ幸は満たされないのか?
だったら・・俺が・・
バァアンと強い音がして、基依はハッと顔を上げた。
目の前で屈伸運動をしていたはずの明が足をおさえてうずくまっている。
「明、大丈夫か?」
基依は明の横に屈むと背中をさすりながら聞いた。
「だ、大丈夫・・だと思う。ちょっと膝が急にグキッってなって・・」
「膝が?」
「なんか外れたみたいな感じがして・・ビックリして転んじゃった。ごめん」
「いや、謝んなくていいって。それより大丈夫か?立てそう?」
「・・う、うん」
明は痛みが走るのか右膝を庇うようにして、ゆっくりと立ち上がる。
しかしほぼ片足立ちのような状態だ。
バスケの練習が出来るとは思えない。
「大丈夫か?四十万。今日はもう帰って病院行ったほうがいいよ」
二年の先輩が近づいてきて言った。
「・・はい」
明も無理と判断したのか素直に頷く。
基依はその様子を見て、パッと手を上げた。
「はーい。じゃぁ俺明送って行きます。一人じゃ心配だし」
「えっ?!」
明は驚いて横によろける。そんな明の腕を掴むと基依はニコリと笑って言った。
「ほら、そんなんじゃ危ないじゃん!家まで送ってやるから安心しろって!行こうぜ!」
「えっ・・いや、でも基依は練習・・」
「大丈夫だって。明を一人で帰す方が心配だし。荷物まとめてくるからここで待ってろよ!」
そう言うと基依は軽い足取りで荷物が置いてあるロッカーの方へと駆けていく。
なんてラッキーな展開だ。
こんな暑い中練習なんてやってられない。
これでダルい練習をさぼれる。
それに・・
明を送って行けばまた幸に会えるかもしれない。
直接会おう、と言うにはまだ早い。
もう少し、もう少しだ。
すぐそばには来ない、絶妙な距離でいることで他のやつとは違う存在だと思わせる。
幸から望むまではこちらからは動かない。
そして幸から近づいてきた時には・・
自分の手で、あの綺麗な顔を歪ませてみたい。
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