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第15話

悲しいと言えば慰めてくれる。 寂しいと言えばそばにいてくれる。 みんなそうだった。 自分が特別何かしたつもりはないけれどなぜだか大切にしてくれる。 けれど・・ それで、本当に満たされたことなんて一度もない。 ーー 幸が思っていたよりも基依の到着は早かった。 部屋の中は冷房をかけて涼しくしてはいるが、まだ顔は赤いし汗も引いていない。 「外、暑かったでしょ。はい」 基依に氷の入った麦茶を差し出す。すると基依はそれを一気に飲み干してからこちらに視線を向けた。 「・・明は?」 「いないよ。今は俺一人だけ」 幸は明の部屋に隣接する壁をコンコンと指で叩いてみる。 「さっきまでいたけど、飛び出して行っちゃった」 「・・飛び出して行ったってなんで・・」 「多分・・俺が基依君と寝たことがショックだったのかな」 幸は自身のベッドに腰掛けると肩をすくめた。 「っていうか、何ですぐバレたんだよ?」 基依は額の汗を手で拭いながら口を尖らせる。 「それは、俺が言ったから」 「言った?」 訝しむように基依の眉間が歪んだ。 「そう。明と昴が俺に色々秘密にしてたことを教えてくれたから。だから俺も秘密はないほうがいいかなって」 「・・別に、言わなくてもいい事だってあるだろ」 「・・ダメだよ。そんなの・・」 「なんで?」 「なんでって、そんなの俺と明は双子だから。一つでも秘密ができたら少しずつ均衡はズレていく。そのズレを飲み込んで上手く付き合っていくのが普通の人間関係なのかもしれないけれど・・」 幸は手元の親指と人差し指を擦りながら俯く。 「俺はそれが苦手。ズレた人とは離れるようにしてる。でも明は双子だから離れられない」 「・・つまり、お前は人付き合いが下手ってことか」 「・・そんなのわかってるでしょ」 「まぁな」 基依は軽く息を吐くと、床の上で胡座をかいて腕組みをした。 それからベッドに座る幸をジッと見上げる。 「それで、俺はどうすればいい?聞いてやるよ、なんでも」 「・・なんでも?」 「あぁ。愚痴でも懺悔でもお願いでも。幸が何言ったって俺は変わらないから」 「・・・」 「だから、言ってみろよ」 「・・・・だった」 「・・・え?」 「・・好きだった、昴のこと」 そう口からこぼしたら、一緒に涙も一つだけこぼれ落ちてきた。 昴のことを好きだと、はっきり口にしてしまったら、もう戻すことができなくて消えてしまうような気がして・・ だからずっと飲み込んでいた。 気づかないふりをして、自覚していないような顔をして。そうやって昴の隣を自分のものにしてきた。 「・・明が、羨ましくて妬ましかった。昴に好かれてるくせにまったく気付かないで。その上俺と昴は両思いだなんて思い込んでる。バカだよね」 幸は俯きながら、少し捻くれたように話す。 「・・矢野が明のことを好き?本当に?」 眉間に皺を寄せて基依が首を傾げた。 「矢野は幸のことを好きなんだと思ったけど。いつも幸のそばにくっついて、幸が傷つかないように見張ってるみたいだった」 「・・えっ」 幸は一瞬目を丸くさせると、そのまま顔を上げてクスクスと笑った。 「ふふふ、やっぱりそう見えるよね」 それからハァと一息吐くと、何かを諦めたような顔で言った。 「・・そういう風に見えるように、俺がお願いしたから。俺を守ってって。昴はそれに従っただけ」 「従う?なんで・・」 「それは、言いたくない・・とにかく、基依君もそうやって勘違いしてたように明もそう思ってたってこと。でも、本当は違う。昴が好きなのは明。でも俺はそれを知っていても昴を解放してはあげなかった。それから・・・」 幸の言葉が止まる。 一瞬躊躇う様に目を泳がせたが、すぐに基依に視線を送るとその瞳を逸らさずに続けた。 「・・明が傷つくと分かっていて・・最低なことをした」 「・・最低なこと?」 「うん。本当に・・最低なこと。でもね、もっと最低なのはそれで明を傷つけてもなお・・明への嫉妬心が消えないこと。自分の方が不幸だと思ってしまうこと・・」 そう。 いつだって、傷つけられるのは自分ばかりだと思っていた。 Ωに生まれてしまったから。 この世界で最も弱く脆く一人では生きていけない性。 だから、自分を守ってくれる存在が必要なのだ。 そしてそれは、昴が良かった・・ けれど、昴が選んだのは明だった。 昴が明のことを好きなのだと、はっきりわかったあの時。 昴に触られ与えられる快感に思考はぼんやりとしていたが、それでもはっきりと聞こえてきた。昴の明を想う声が。 それを聞いて熱くなる体とは裏腹に、心はどんどんと冷えていく。 抱いて欲しいと疼く身体を抑え込み昴を止めた。 明に間違えられたまま抱かれるなんて・・そんな屈辱的なことは耐えられない。 それから、彼の罪悪感を利用して縛り付けても、それは本当にただ彼を無理やり繋ぎ止めているだけだった。 だから昴の代わりを見つけて、抱いてもらい守ってもらう。 悲しいと言えば慰めてもらい、その寂しさを埋めてもらう。 けれど・・それは結局代わりでしかない。 昴ではない。 本当に心から満たされて寄り添えたことなんて一度もない。 ただ純粋に、昴にそばに居てほしい、昴の一番になりたいと思っていた・・ そんな幸の気持ちに昴が気づかないはずはない。けれど昴の心は頑なに明に向けられていた。 明はそんな昴の気持ちに気付きもしないで、昴と俺が両思いになることを心から信じていた。 そんな明の態度が、どれだけ俺の心を傷つけてきたか。 消えたくなるくらい悔しくて惨めだった。 だから、明の好きな基依と寝ることに罪悪感なんてなかった。 むしろ、基依に求められたことに優越感さえ感じていた。 ほら、選ばれるのはやっぱり俺なんだ、と・・ けれど・・なんで、こんなに・・ 虚しくて、空っぽなんだろう・・ 気がつくと幸の目からポロポロと涙が溢れる様にこぼれ落ちてきた。 「・・あっ・・」 その涙がポツリと手に落ちて、幸はギュッと掌を握りしめる。 「・・・本当・・俺って・・」 そこまで言って、喉を鳴らす。それから消え入りそうな声をなんとか絞り出して続けた。 「・・最低な、人間だ・・自分のこと、ばかり・・」 自分が一番可哀想なのだからと、周りの人の感情を無視してきた。 想ってくれる相手の気持ちを蔑ろにし、気遣ってくれることに胡座をかいてた。 そうやって、自分のことばかり考えていたから・・想ってくれる人達と心から向き合って来なかったから・・ だから自分には何もないのだ。空っぽなのだ。 きっとこの涙は、それに気がついた悲しさからきてる。 「・・・」 幸がポロポロと涙をこぼしている間も基依は無言のままだ。 俯いている幸からは基依の表情は分からない。 今、どんな顔をしているのだろう。見るのが怖くて顔を上げられない。 幸は小さく鼻を啜ると頬に伝う涙を拭おうとした。 しかしその瞬間、基依の両腕が優しく包み込むように幸の体を抱きしめた。 「・・・え」 幸は驚いて目を見張る。 「・・基依君・・」 「今、こうされたいかなって思って」 基依がどんな顔で言ったのかはわからないが、優しい声が聞こえてくる。 「・・・ありがと」 幸は小さく深呼吸をすると基依の背中にしがみつくように腕を回した。 彼には不思議な安心がある。何をしても受け止めてくれる、そんな安心感だ。 なぜそう思えるのだろう、そんなことを頭で巡らせていると基依がボソリと言った。 「・・幸が最低だって言うなら、俺も最低だよ」 「・・え?」 幸は抱きしめられたまま視線を上に向ける。 目が合った基依が口元だけあげて笑った。 「聞きたい?俺の最低ぷり」 「・・・うん」 消えそうなくらい小さな声で頷く。 その返事を聞くと、基依は再び幸を強く抱きしめながら話し始めた。 「・・俺は、もともと中学の頃から幸のことを知ってた。矢野のことも。知ってて、知らないふりしてた。それで幸達に近づくために明を利用した」 「・・・え?」 幸は抱きしめられたまま目を見開く。 「どういうこと・・?」 「中学生の時、俺のいとこが試合で見た矢野に一目惚れしてさ。いとこに付き合わされてバスケ部の試合よく見に行ってた。その試合会場に幸がいつもいることも気づいてた。多分・・・その頃から幸のこと、無意識に目で追ってたんだろうな」 「・・・」 「それで、そのいとこが・・幸と矢野と知り合う機会があって、それから二人の話をよく聞くようになってさ」 「・・・そのいとこって・・長平さん?」 「・・うん。あれ?気づいてた?」 「前に、基依君はY中って聞いた時に、長平さんのこと思い出したから。俺の知り合いでY中なの長平さんだけだし」 「あー。なるほど」 「・・そっか。長平さんの・・それじゃぁ俺達の話聞いてても納得」 幸が基依の胸の中でクスリと小さく笑う。 「長平さんには、悪いことしたなって思ってるんだ。期待させるようなことも言っちゃったし」 「・・あぁ。『千晶は優しくて明るいから矢野も好印象を持ってる』みたいなこと言ったんだろ」 「・・本当にそう思ってたんだよ。長平さんは、明と少し似てるから」 「え・・」 「明るくて裏表がなさそうなところが明と一緒。あの頃、明が俺達から距離を取りたがっている事には気づいていたし、昴もそれを不安そうにしてたから。長平さんが明の代わりになってあげられるんじゃないかって思った。でも・・結局、昴を誰にも渡したくないって思った俺のせいで長平さんに嫌な思いをさせたよね」 「・・・」 「そのことは・・聞いてる?」 基依は「・・あぁ」と掠れた声で返事をする。 「千晶の落ち込み方が半端なかったからな。それを見て、俺は・・・お前らの仲を掻き回してやりたくなった。いとこを傷つけられた軽い復讐心もあったし。高校生になって同じクラスの明が幸や矢野と関わりがある事に気がついた時は、こいつを利用すればいいんだって思ったんだ。だから興味もないバスケ部にも入ったし」 「・・何それ。確かに最低・・」 幸はそう言うと少しだけ身体を離し基依を見上げる。 「明は、基依君と仲良くなったことをすごく嬉しそうに話してたよ。明がそういう風に話す友達は基依君が初めてだったと思う」 「・・・」 「これ聞いたら心痛むでしょ?俺の大事な弟を利用したこと」 「そうだな・・だから言ったろ。俺も最低だって」 「・・でも、それくらい長平さんのこと大切に思ってたってことだよね?俺に復讐したいくらい」 「・・それもあるけど・・でも・・」 「・・なに?」 基依は口を閉じたまま幸を見つめる。それから頬をなぞると、幸の耳元に顔を近づけてボソッと言った。 「俺はずっと、幸を矢野から奪いたいって思ってたんだと思う」 「・・っ」 ふっとかかる息でピクリと幸の肩が揺れる。 「さっき言ったろ。中学の頃から幸のこと、無意識に目で追ってたって。矢野じゃなくてこっちを見ろってずっと思ってた」 「何それ・・知り合いでもないうちからそれって、こわ・・」 冷たい口調で返すが幸の耳は真っ赤だ。 「幸みたいにフラフラしてる奴には俺くらい最低でしつこい奴があってると思うけど?矢野じゃ優しすぎて幸なんか手に負えないよ」 「・・・ねぇ、もしかして口説いてる?」 「違う。告白してる」 基依はそう言うと、再び幸を強く抱きしめる。 幸はその体温を感じたまま、スゥッと息を吸った。 今までそばにいた匂いとは違う。 けれど、昴や明と同じ落ち着く香りだ。 基依に話を聞いてもらったら、ずっと心にあった靄が少し薄くなったような気がする。 自分の最低さとちゃんと向き合えた。 だから・・もう一度、明と話をしたい。 だって明は今まで最低な自分を丸ごと受け入れてくれていた、かけがえのない片割れだから。

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