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第17話

Ωの首輪はハイブランドから出ている物もあれば、雑貨屋で手頃な値段で買える物もある。 いずれもΩを守るための物に変わりはないのだが、それが『誰かの所有物』の証にもなることをあの頃は知らなかった。 とにかく幸を守るために渡さなくてはと必死だった。 でも、きっと幸は知っていたのだろう。 だからあんな、複雑な表情をしていたのだ・・・ ーー 明と基依がいなくなり、昴は息を殺すようにして幸が話し始めるのを待った。 そうする理由をわかっているのか、幸はソファからゆっくり立ち上がるとリビングの窓をカラリと開ける。 「・・匂い、嗅がないようにするために我慢してたんでしょ?昴、さっきからほとんど口を開いてないから」 昴は鼻を手で押さえて横を向いた。 βの明達は恐らく気づいていなかっただろうが、リビングには幸のフェロモンが微かに漂っている。 しかし興奮して場を乱してはいけないと、昴は匂いを嗅がないように堪えていた。改めてこの本能が憎らしい。 幸が窓を開けた事により惑わすような匂いが薄ぎ、くらりとする目眩も治ってきた。 昴は鼻に当てていた手をそっと離す。 それを見た幸が呆れたようにため息を吐いた。 「そんなにキツかったなら外に出てればよかったのに」 「・・明の、そばに付いていたかったから・・」 「何それ?俺から守るため?」 「っ・・そう言うわけじゃ・・」 「そういうことでしょ。匂い嗅がないように堪えてたくせに、明が傷つくと思ったら話に割って入ってこようとしたじゃない。俺から明を守ろうとしたんでしょ」 「・・・それは・・」 昴はそこまで言って口籠る。 実際、幸が基依から告白された事を明に言った時、明の事を庇うため咄嗟に前に出てしまった。 幸なら、明を傷つけようとすることもあるかもしれないと決めつけて・・ 「・・ごめん。俺は・・」 何か言い訳を、と口を開こうとした瞬間目の前がフッと暗くなった。 「・・・」 気がつくと幸の唇が昴の唇に重ねられている。 しかしそれはすぐに離れ、幸は観念したように首を捻って笑った。 「本当、昴は全然俺のこと好きにならないねぇ」 「・・・え」 「当たり前か。昴はずっと、明一筋だもんね」 「・・・」 「俺みたいに、本命は別にいるくせに自分に都合のいい人に甘えるような不誠実な人間じゃないんだよね」 「・・・幸」 「あ、不誠実だってわかってたことに驚いてる?俺、そこまで鈍い人間じゃないからね」 「・・・わかってるよ・・」 昴はそう言うと、幸の瞳を見つめる。 今まで逸らしてきた、綺麗で繊細でそして責められてるように感じる瞳だ。 ずっと、幸に見られることが怖かった。 自分の汚さも卑劣さも、そして本心も全部わかっているのは幸だったから。 そして、それをわかっていてもなお求めてくれる瞳を、受け入れられず気づかないふりをしてきた。 明への想いが諦めきれなくて。縋る幸の瞳を避けてきた。 そのことをちゃんと謝らなくては・・ 「幸、ごめん・・」 「・・・」 「俺は、分かってた。分かってたのに・・幸の気持ちに・・」 「もういいよ」 昴に全てを言わせないように、幸が凛とした声で遮る。 「大丈夫、分かってるから。俺の方が明より昴の隣にいたんだよ?まぁ、無理やり奪ったようなものかもしれないけど・・それでも俺の方が明より昴のことわかってる。そういう自負があった。だから・・いつか俺を選んでくれるかもなんて、下手な期待もしたのかな」 「・・・」 「・・俺ね、自分がΩであることが実はそんなに嫌じゃなかった。だって、昴がαだったから・・昴と番になれるのは自分だって。明とは絶対に無理なことが俺とは出来る。だから、Ωっていう性に縋ってた。Ωはβだって惹きつける力があるみたいだし。だからいいように使って、沢山の人を昴の代わりにして傷つけてきた・・」 「・・幸のこと、好きだって言ってた人達はΩだから好きだったわけじゃないと思う。幸だから、好きだったんだ・・」 「・・でも、昴は俺を好きにはならないじゃない」 ツンとした顔をして幸が上目遣いで睨む。 しかしすぐにクスッと笑うと両手を前でふ組み、腕を伸ばして言った。 「昴、俺は昴が好き。小さい頃から。俺じゃ、ダメ?」 さらりと、飾らない顔で幸が言う。プライドを隠している時の顔だ。 傷つくのを恐れて強がりながらも、勇気を出して言ってくれたことがわかる。 だから・・今度こそちゃんと応えなくちゃいけない。 「・・・ごめん、幸のこと守りたいって気持ちはある。でもそれは幼馴染としてだ。それ以上の特別な気持ちは持てない・・・ごめんなさい」 昴はじっと幸の目を見た。本当は申し訳ない気持ちで今すぐ下を向きたいが、それはしてはいけないと心で言い聞かせた。 今まで避けてきた分逃げてはいけない。 「幸を傷つけて怖い思いをさせた。その償いのために・・幸の気持ちとは向き合わないくせに側にいることで許されてる気になってた。俺も、幸に甘えてたと思う・・だから、もうそうやって甘えない。ちゃんと、俺のやり方で幸にあの日のことを償うから」 「・・・ダメだよ、昴」 「え・・・」 「あの日、俺につけられた傷は永遠に消えない。だから償うつもりなら昴は俺から離れられないよ、一生・・でも・・・忘れることはできると思うんだ。だから・・」 幸はそこまで言うと首の後ろに手を回し、空色の首輪を外した。 「これは、返すね。これをしてると忘れられないから」 「・・・幸」 昴は差し出された首輪を見つめる。 「でも、これをしてないと危ない・・」 「何言ってるの?首輪なんて自分で買えばいいんだよ。っていうか、実は結構持ってる。時々店で好みのデザインの物見つけたら買ってたし。ただ・・昴の前ではつけなかっただけ」 「・・・なんで」 「そんなの・・・これが昴が俺にくれた物だったからに決まってるでしょ」 「・・・」 少し照れくさそうに幸が横に目をやった。 「知ってた?Ωに首輪をプレゼントする意味。普通のカップルがペアリングつけるみたいな感じで、この人の恋人は自分だって主張するためだったりもするんだよ。だから・・昴がこれをくれた時、ちょっと嬉しかった」 「・・・それは・・」 「わかってるよ。昴にそんなつもりは全くなかったこと。わかってたから、悔しくて・・逆に意地でも昴の前ではこの首輪をつけててやるって決めた。これの存在をアピールするたびに昴が苦しそうな顔するの気づいてたのにね」 「・・・それは、俺にとっての戒めでもあったから・・」 「うん・・だから、もうこれはいらない。あると忘れられないでしょ、俺も昴も。これからは俺は俺のお気に入りの首輪をつけるよ」 そう言うと、幸は強引に首輪を昴の胸元に押しつけた。昴は落ちそうになるそれを慌てて受け止める。 少しくたびれて傷がついている首輪を、昴は指で擦りながら見つめた。 空色は、幸に似合いそうだから選んだ。綺麗で汚れのない涼やかな色。 「・・そういう、特別な意味を持ってはいなかったけど・・でも、幸が大切なことは変わらないから・・だから・・」 「・・・わかってる。だから忘れて、もう一度昴とちゃんと幼馴染になりたいんだ。大切な幼馴染に」 「・・・」 「好きだって言えてよかった。聞いてくれて、応えてくれてありがとう。これで区切りがついた。明日からはただの幼馴染。ね?」 「・・・うん」 昴は喉の奥から絞り出すように声を出した。 もう一度、隣に住む小さい頃からの友達として同じ時間を歩めるだろうか。 歪ませたのは自分のせいだと、ずっと責めてきた。忘れてはいけないと。 けれど、幸は忘れることはできると言ってくれた。 傷痕は残っていても、もう一度幼馴染に戻ることを許してくれた。 その、幸の覚悟を裏切ってはいけない・・ 「あ、そうだ・・電話しなくちゃ」 幸が何かを思い出したかのようにスマホをいじり始めた。 その声と表情はすでに普段通りに戻っている。 「・・誰に?」 昴が少し驚いて聞くと、幸は眉尻を下げて言った。 「増田君。ちゃんとお別れの話しないと」 「・・・」 「今の状態で付き合うのは、増田君に悪いから」 「・・一緒に行こうか?」 昴が心配そうに言うと幸がグーの手で昴の腕を叩いた。 「いて・・」 「昴もそこそこに鈍くて最低だね。好きな人が他にいるから付き合えないって言いに行くのに、その相手が一緒に行くとかありえないでしょ」 「・・あ、そっか・・」 そういうことか、と昴は気まずそうに頭を掻く。 確かに自分は恋愛のことに関しては疎いことが多いかもしれない。 ずっと明に片想いをしてきたので、発展したその先の付き合い方が分かっていないのだ。 「・・とりあえず昴は、まだ明を諦めないんでしょ?」 幸がチラリと昴に目を向ける。 「・・・」 昴は考えるように黙った後「うん・・」と小さく頷いた。 「まだ、明からちゃんと返事もらってないから・・」 「え、そうなの?」 「うん。だから、まだ諦めない・・」 そう。気持ちは伝えたけれど、どうなりたいかの返事はもらっていない。 今まで通り大切な幼馴染のままでいるのか、それとも別の特別な関係になれるのか。 今問い詰めたら明は迷ってマイナスな方へ判断してしまうかもしれない。 だから焦らないで、明の気持ちが整理できるまで待つことにしよう。 例え何かあったとしても、俺が一番に選ぶのは明なのだから。

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