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第9話 大事件

 事件が大きく動いているのだと、わかった。  十月も中旬を過ぎた頃、円の元に大きな仕事が入った。  警察庁副長官を務める桜谷陽人の右腕、重田優士が解析対象として運び込まれてきたのだ。 「霊・怨霊担当統括の藤埜清人を襲撃した罪で、一応は捕縛している。恐らくは反魂儀呪の巫子様、枉津楓の術が行使されている。その辺りの解析を頼む」  室長である朽木要からの命はいつも通り至ってシンプルだ。  だが、これがシンプルな仕事ではないことは、一目でわかった。 (何だ、この複雑な呪術。何重にも術を重ねてあるような。しかも、自分の術で誰かを縛ってもいる。からまり過ぎて、解ける気がしない)  足を縛られ、後ろ手に拘束されて目隠しと猿轡をされ、球体状の結界の中に浮かんでいる優士の姿は、智颯も衝撃だったのだろう。  その姿を見て絶句していた。  解析対象が人間なのも、初めてだ。  以前に研修した泊りの解析が始まった。  解析対象が運ばれてきた次の日の朝には、桜谷陽人が結果を閲覧に来た。 「さすがにまだ、結果は出ていないと思っていたよ。花笑の解析士は優秀だね」  そう言いながら笑んだ陽人は、普通に怖かった。 (何の期待もせずに足を運ぶほど暇な人じゃないだろ。昨日、徹夜で頑張っておいて良かった)  その日の午後には、忍に連れられて直桜様と護が来た。  呪いの雨の浄化の日に円が送ったメッセージを護が喜んでくれたのは、嬉しかった。  初めて会った直桜様は、思っていたよりずっと普通の人だった。   (もっと神々しい人を想像してたけど、その辺にいそうな大学生って感じだな)  しかし、送り込まれた神気は常軌を逸していた。  あんな神力を常に受け取っている護の気がしれない。 (惟神のバディってタフじゃないと務まらないんだな。眷族なら平気なの? よくわからん)  直桜の後に智颯が送り込んでくれた神力は、温かかった。 (いつもキスする時とか手を握ってくれるときに流してくれてるの、神力だったんだ。本人も意識してないっぽかったけど、慣れているせいか、智颯君のほうが良い)  祓戸大神と四神では、また違うのかもしれない。  最強と謳われる惟神の神力に触れる機会なんて、きっと滅多にないのだろうが。 (俺には強すぎる。最強の名前は伊達じゃないな。あの人の力は人を救いもするけど、きっと殺しもする。怖くて、あまり触れたくない)  直桜の神力に触れてみての、正直な感想だった。 (でも、智颯君が直桜様を好きな理由は、ちょっとわかる。彼も、人をちゃんと見ようとしてくれる人だ。俺のことも、ちゃんと見てくれた)  その上、褒めて労ってくれた。  大袈裟なわけでも、わざとらしくもない。正直な気持ちで向き合ってくれる。心地の良い人だった。  その後も優士の解析を続けた。  人を解析する場合、この場所は牢獄にもなる。  部屋の周囲には花笑の草が数名、見張りに付いた。  解析を始めて四日目、再び直桜たちが解析室を訪れた。  地上では、どうやら大変な事態になっているらしい。事件経過は花笑の草が時々報せてくれていた。  桜谷陽人が意識不明の重体で倒れ、藤埜清人が反魂儀呪に拉致され、霧咲紗月が神倉梛木と奪還に向かうなど、数年ぶりの大事件だ。  諜報担当と怪異対策担当は臨戦待機している。  つまり、反魂儀呪との全面対決という大きな捕物がいつ始まってもおかしくない状況だ。  そもそも重田優士を監禁して解析に掛けている状況が既に、普通ではあり得ない。 「稜巳の封印が解ければ、重田さんが清人に掛けた言霊術も解ける。稜巳の封印解呪っていう目的さえ達成できれば、楓が重田さんに掛けた封印術を俺が浄化できる。だから、タイミングを知りたいんだ」  直桜の言葉に、円は目を見開いた。 「一人で、浄化する、気ですか?」 「智颯がいるし、惟神の力が二人分使える。護の解毒術も使うよ」  直桜が智颯を振り返る。  円の隣に座る智颯が、直桜を見上げて頷いた。 「そうじゃ、なくて……」  重田優士に掛けられた封印術は高位術だ。しかも、直霊までも縛っている。  本来なら高位の浄化師が十人掛かりで一週間以上かけて解呪する呪いだ。 「重田さんの術を解呪して、すぐに紗月たちの元に向かう。直後なら、まだ槐も楓も逃げてはいないはずだ。逮捕できるかもしれないし、bugsの話も聞けるかもしれない」 「直後って……」  一体、どれほどの速さで浄化するつもりなのか。  神様が考えることは、わからない。  一つ確かなのは、直桜が極めて本気だということだ。 「だから、清人に掛かっている重田さんの言霊術が解けた瞬間を知りたい。重田さんの霊元でモニタリングできる?」 「勿論、できますけど」  問題はそこじゃない、と思った。 「ありがと。やっぱり円《まどか》くんは頼りになるね」  ぽん、と肩に手を置かれて、ぐっと身が強張る。 「あ、ごめん。あんまり労っちゃいけないんだっけ」 「いや、その、ありがと、ございます……」  直桜が手を離した途端に気恥ずかしくなって、身を縮こまらせた。 「俺の周りには、円くんみたいな術者がいないから、凄いなって思うよ」 「13課でも円ほど解析に長けた術者はいない。最近、智颯が円の手解きを受けて慣れてきたくらいか」  忍の言葉に、智颯が異を唱えた。 「僕は円《えん》の真似事と、円が円滑に仕事できるような援助をしている程度です。核になる部分は円にしか出来ない仕事です」 「やっぱり円くんの天職は解析士ですね。草の仕事に拘る必要はありませんよ」  護が円の隣に立って、微笑み掛けた。  引きこもる前にも、護は円に同じ言葉をくれた。 「天職、とかじゃ、ない。これしか、できない、だけ」  あまりにも恥ずかしくて、顔を隠す。  貰って嬉しかった言葉なのに、自分で否定してしまった。 「それでいいんじゃないの? 得意なことが一つあったら十分だよね。他の誰にもできない仕事なわけだし。草は他にもいるかもだけど、解析士は円くんだけでしょ?」  ちらりと目を上げたら、直桜と目が合った。 (この人、本当にさらりと、俺が欲しい言葉をくれる。智颯君とは違う意味で心地いい)  直桜が円の頭を撫でた。  突然の行為に、体が固まる。 「飯でも作るか。この後、どの程度かかるかも、わからんしな」  忍が立ち上がったのに合わせて、護が動いた。 「私も手伝います」 「じゃぁ、俺も手伝う。智颯、動きがあったら教えて」 「わかりました」  直桜の言葉に智颯が返事を返す。  ようやく智颯と二人になって、円はそっと胸を撫でおろした。  解析室という、円にとってはプライベートな空間にこれ程の大人数が詰めるのは初めてだ。それだけでも落ち着かない。

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