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泣いて×甘えて×吐き出して
これは非常によろしくない。何が良くないか。己の精神状態である。
イライラして心臓が落ち着かない。大声を出しそうになってしまうのを必死で抑える。
何にイラついているか。むろん、自分自身にだ。
今日は朝から調子が悪く、声も思ったように出ないし、体も思うように動かない。夏の暑さのせいだろうか。
自分が本来、出せるはずの実力を発揮できず、イライラが募る。吐くため息にも、腹立たしさが乗ってしまった。
休憩時間になって、オレはまっさきに外にある喫煙所へ向かった。久しく吸っていないタバコをポケットから取り出し、ライターで火をつけて、思いっきりその紫煙の肺の中に連れ込んだ。
はぁ、と怒りとともに吐き出す。微量、気がまぎれる。
何がいけなかったのか。何が原因なのか。いろいろと考えを巡らせる。その合間に、また煙を吸って吐く。
こんなことをしていると、また本数が増える。自分の機嫌一つでタバコの本数が増えることにも、ムカついてしまう。
パイプ椅子に座りこんでガシガシと頭を掻いた。
すると、背後に気配を感じる。
申し訳ないが、今のオレは誰であろうと、優しく対応できる自信はない。そっとしておいてほしいことを隠さずにいると、その人は遠慮なくオレの隣に同じようにパイプ椅子に座った。
キンッと金属音が聴こえた。火がフィルターを焼いて、バニラの煙が漂ってくる。
隣に座った人物は、そのバニラのタバコを吸って吐く。甘いそのにおいに、ささくれだった心がほぐれていく。
一本、二本と吸い終わり、三本目に手を伸ばしたところで、止められた。
「吸いすぎ」
優しい声でたしなめられる。
彼は、高野久秀さんはいつもの穏やかな表情で、オレを見つめている。
「ストレス解消にタバコなんてね、吸うもんじゃないよ」
「そういうアンタはええんか」
「俺はほら、自制ができる大人だから」
「……悪かったな、子どもで」
自慢げにする久秀さんに、ひねくれた言い方をしてしまう。こんなの良くないとわかっているのに、今日のオレはいつものように甘えることができない。
むりやり三本目のタバコを吸おうとすると、さすがに看過できなかったのか、それをひったくっていった。
「やめなさいって」
「子どもやからええもん」
「子どもはタバコなんて吸いません」
オレのタバコを自分のポケットに入れて、久秀さんはオレの頭を撫でた。
「ガキ扱い……!」
「はいはい。いい子いい子」
カッとなるが、久秀さんは気にせずオレの頭を撫で続ける。
それすらも今のオレには、イライラを加速させるだけの材料にしかならないのだが、抵抗できない。
ただ、久秀さんにされるがままになってしまう。
「思うようにできなくてツラい?」
「……うん」
タバコを消した久秀さんは、片方の手をオレの手に重ねる。そして、手首を軽くつかんできて、引っ張った。
久秀さんの胸に引き込まれ、ぎゅっと抱き締められる。
「……イライラする。ムカつく」
「誰かムカつくやつでもいんの?」
「自分にムカつく」
抱き締められたまま、ブツブツとつぶやく。その間も、久秀さんは背中を撫でてくれる。
それが心地よくてさらに言葉が止まらない。
「もっと上手くできるはずなんに、うまくいかへん」
今日、ずっと思っていたことを口に出す。自分の不甲斐なさを責め立てるように言葉を続ける。
久秀さんは何も言わずに聞いてくれる。
オレの話を聞いてくれているのはわかる。だけど、それ以上は何もない。相槌だって打ってくれないし、オレが話すことに何も反応してこない。
だけどその沈黙が逆に良かった。話しやすい雰囲気を作り出してくれていたからだ。
気づけばオレは自分の気持ちをすべて吐露していた。久秀さんはただ静かに耳を傾けていてくれた。
オレがすべて話し終えると、彼はようやく言葉を紡いだ。
「お前はよく頑張ってる」
たった一言だったが、それだけでオレの心を満たしていった。褒められて、嬉しかった。オレを認めてもらえた気がして。
「まぁ、俺としてはもうちょっと頼ってほしいんだけどな」
久秀さんの言葉を受けて、オレは顔をあげた。
眉を下げて困ったような顔の久秀さんと目があった。
「俺にだったら、いくらでも八つ当たりしてくれていいよ。全部、受け止めてやる」
その声音はとても優しくて、慈愛に満ちたものだった。
この人は本当にオレのことを大切に想ってくれているんだろう。そう感じ取れるほど、温かい感情の籠ったもので、自然と涙腺が緩んでしまう。
「……っ」
ポロリと一筋の雫が流れ落ちた。
一度流れ出したそれはなかなか止まることを知らず、次から次に溢れてくる。
「ごめんなさい……っ」
嗚咽混じりに謝った。
久秀さんは優しく微笑みながら、オレの頬を流れる水滴を拭う。
「我慢しないでいい。泣いてもいいんだ」
もうダメだった。堰き止めていたものが決壊したかのように、大粒の涙を流してしまう。
「おれ、がんばりたいけど、がまんしたいのに!」
泣きじゃくりながらも必死に伝えようとすると、久秀さんはうんうんと優しく相づちを打ってくれた。
「どうしてこうなるんやろ……。ほんまに嫌になるわ」
「そんな日もあるよ。誰にでもある」
「こんなんじゃあかんのにっ」
「完璧主義だねぇ」
ポンポンと背中を叩いてあやしてくれる。その手つきがあまりにも優しいものだから、余計に涙が止まらなかった。
「無理しなくていいよ。疲れたら休めばいいし、しんどい時はしんどいで良いと思うよ」
「……でも」
「俺はね、ラスティのことが大切なの。だから、自分を大事にしてもらいたいな」
「……うぅ」
「大丈夫だよ。少しずつでいい。焦らずいこうよ。な?」
「うん」
「よし、いい子だ」
ぐずり始めたオレを慰めるように、久秀さんは何度も「大丈夫」「ゆっくりでいい」と言ってくれた。久秀さんはずっとオレを抱き締め続けてくれた。
「落ち着いた?」
「……うん」
久秀さんに抱き締められたまま、しばらく泣いたあと、オレはようやく落ち着きを取り戻した。久秀さんは変わらずオレの頭を撫で続けている。
「なんか恥ずかしいとこ見せてもうたわ……」
「そんなの、今さらじゃない?」
茶化したように久秀さんは言って、オレの体を離した。
すこし、名残惜しいと思ったのは秘密である。
「おおきに」
「なんのことやら」
わざとらしく肩をすくめる久秀さんに、オレは苦笑するしかなかった。
「ほら、顔洗ってこいって。天下のラスティアス・ライジェルがそんな顔でどうすんの」
みんなには上手く言っとくから、と久秀さんはオレの背中を押して、送り出してくれる。大きく力強いその手の平から、あたたかいものが流れこんでくる気がした。
「久秀さん」
「なんだよ」
「ありがとうございます」
「どうしたしまして」
改めて礼を言うと、久秀さんは笑って答えてくれた。
そのままトイレに向かい、洗面台で自分の顔を見た。
鏡には目を腫らした男が映っており、なんとも情けない。
「かっこわる」
そんな自嘲が浮かんだ。
バシャバシャと顔を洗い、もう一度、鏡を見た。
今度は大丈夫そうだ。
「よし」
散々と泣いて、溜まっていたものを吐き出して、顔を冷たい水で洗ってすっきりした。
今の自分なら、この後の稽古は問題なくやっていけるだろう。
「頑張ろう」
拳をグッと突き出し、鏡に映った自分とグータッチをする。
そして、オレは久秀さんたちの待つ稽古場へ戻ったのだった。
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