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風邪のち誕生日

『本当にごめん。風邪ひいたからデートは無しな』  そう久秀からメッセージが入った。  慌てて電話をすると、ガラガラに嗄れた声で久秀は口調する。 「そういうわけだから。うつしたら大変だし、デートはまた今度行こう」 「熱はあんの?」 「んー、三十八度」 「お見舞い行こうか?」 「ありがとう。気持ちだけもらっておくよ」  電話の向こうの久秀は心底残念そうで、声に覇気がない。  それもそうだろう。今日は久秀の誕生日で、なんとかお互いのスケジュールを調整してオフにしたのに。  二人で彼の兄が経営するレストランで食事をして、買い物をして、今人気の怪獣映画を見てから甘い時間を過ごすはずだったのだ。  この日を一番楽しみにしていたのは、意外にも久秀本人で、ラスティに甘やかしてもらうのだと意気込んでいた。  さすがにそんな彼を放っておくわけにもいかず、ラスティはドラッグストアで冷却シートやスポーツドリンクを購入し、誕生日プレゼントも携えて彼のマンションへ向かった。  合鍵を使って部屋に入ると、トイレから出てきた久秀と鉢合わせる。 「は? え、なんで?」 「お邪魔しまーす」 「お、おお、いらっしゃい」  戸惑う久秀を置いてリビングへ。  ローテーブルの上に買ってきたものを載せて、呆然と立ち尽くす久秀に向き直った。 「久秀さん、飯食った?」 「え、まだだけど……って、お前なにしにきたんだ?」 「お見舞いやけど」 「来るな、って言わなかった?」  困惑の色を隠すことなく、久秀はラスティを見つめる。 「気持ちだけ、って言われたけど、来るなとは言われてへんよ」 「そういうのを屁理屈っていうんだぞ」  風邪をひいていても久秀は相変わらずだ。ラスティの頭をわしゃわしゃと撫でて、困ったように笑った。 「医者には行ったんか?」 「そりゃ一応な。風邪だとさ」  ゴホゴホと咳をして、ソファの上にほったらかしにされてた薬袋を顎でしゃくって示してみせた。  インフルエンザの類でなくてよかったと、ラスティはほっとしてドラッグストアで購入した商品を広げて見せる。 「水分は多く取らなアカンよ。熱もちゃんと冷やさんと。食欲がなくてもええから、ゼリーとか一口は食べるように」 「そりゃどうも」  ソファに腰かけた久秀にひとつひとつ説明してやる。 「あ、あとそれと、お誕生日おめでとう」 「……お祝いはついでかよ」  久秀の膝の上にプレゼントの入ったショップバッグを乗せる。それはラスティが愛用しているシルバーアクセサリーのブランドで、中身は鳥の羽根を模したネックレスだった。 「ありがとう。どうせなら元気なときにもらいたかったな」 「じゃあ来年は体調管理しっかりせんとな」 「お前、今日はちょっと優しくないね」  ついにふてくされた久秀にラスティは声をたてて笑うと、アイランドキッチンに立つ。 「冷蔵庫のなか見てもええ?」 「いいけど、買い物行ってないからなんもないぞ」  許可を得て冷蔵庫の中を確認する。  なにもない、と言っていながらニンジンや白菜、ネギ、ジャガイモ、そしてベーコンや鶏肉、玉子が入っている。  調味料入れを探すと、コンソメの素があった。 「ポトフ……いや、コンソメスープが作れるなぁ」  炊飯器の中は茶碗二杯分のご飯が残っていた。 「おかゆさんか雑炊が作れんなぁ。久秀さん、おかゆさんと雑炊どっちがええ?」 「……ええ? ああ、ごめん、ちょっと寝てた」  気だるそうに立ち上がろうとするが、力が入らないのか久秀はそのままソファに座り込んでしまった。 「久秀さん、もうベッドで寝とったら?」 「……そうする。食材とか好きに使ってもらっていいから」  傍に駆け寄って久秀の肩を担ぐ。自分より背も高く体も大きいので多少難儀はしたが、ラスティは久秀をベッドに転がすと布団をかけた。 「あー、ぐるぐるする」 「そんだけ熱があるってことやろ。おとなしく寝とき」 「ああ」  熱のせいで真っ赤な顔でぐったりと目を閉じる久秀が痛ましい。  久秀はどちらかというと健康的なイメージだ。体を鍛えているということもあり、筋肉質であるし、体格もがっちりしている。花粉症で苦しむことはあれど、風邪をひいて寝込む姿というものは、これまで見たことがない。  汗で額に張り付いた髪を払ってやると、久秀はくすぐったそうに小さく笑う。 「俺の坊ちゃんは頼りになるなぁ」 「はいはい。ええからねんねしときなさい」 「オーケー、マム」  軽口を叩くだけの元気はあるようで安心した。  彼をそのままに、ラスティは再びキッチンに向かう。  久秀が買ってきた食材を拝借し、コンソメスープを作る。ご飯は雑炊にして、玉子と鶏肉も入れよう。ネギは薬味に使えるから残しておこう。コンソメスープに少しだけショウガを足すのがラスティのこだわりだ。  熱を出したとき、実家ではチキンスープを両親が作ってくれた。イギリスの病人食の定番で、日本びいきの両親でもそこは譲れなかったらしい。  そんなわけで、幼少期からの慣習でチキンスープを作ろうと思ったが、さすがに脂っこいものを食べるのはいくら久秀でも辛いだろう。ましてや、食事を摂っていないのであればなおさらだ。  久秀には『ライジェル家』ではなく『ラスティ』の料理を食べてもらいたい。  これはささやかな、ラスティなりの独占欲だった。  熱が出たときに見る夢というものは、なんとも不明瞭で不安定なものだ。  体が小さくなったように感じたり、逆に大きくなったように感じたりする。見えてはいけないものが見えたり、浮遊感に無意識に体が動いてしまったりもするのはよくある話だ。  これを熱せん妄というらしく、脳のホルモンバランスが崩れることによって引きおこる症状らしい。  ふわふわと落ち着かない。右に左に動いてみても、その浮遊感は無くならず、意味のないうめき声が口から零れる。  高所からの落下は嫌なものだ。  今も久秀はそんな夢を見て、地面に着くタイミングで声をあげて、目を覚ました。 「……あ」  目を覚ましても、視界はぐるぐると回る。喉が渇いて、汗が気持ち悪い。トイレにも行きたい気がする。  しかし、体が思うように動かない。  四十二年間生きてきて、熱を出したことなど数える程度しかない。その数回も、ここまでの高熱ではなかった。 「久秀さん?」  ラスティの声がした。  目を懸命に開け、ラスティの居る方へ顔を向ける。リビングへ続く扉のそばにラスティが立っていて、こちらを心配そうに見ていた。 「久秀さん、大丈夫? すごいうなされてたで」 「……ッ」  声をだそうとしたがそれは声にならずに消えてしまった。咳も出るし頭は痛いし体全体は鉛のように重かった。こんな状態で大丈夫だと言えるほど図太い神経を持ち合わせていない。  喉が渇いたことを伝えようとしたがそれもまた声にならなかった。 「喉渇いた? なんか飲む?」  ラスティはそっと歩み寄ってきて、ベッド脇のサイドボードに置かれたスポーツドリンクの蓋を開けて差し出す。  それを受け取って一口飲むと、ほっとひと心地ついた。 「あー、生き返る」 「大げさやなぁ」  ぼふんと枕に頭を沈めて、大きく息を吐いた。 「熱測ろうか」  体温計を手渡して腋窩に挟ませると、ほどなくして小さなん電子音が鳴った。小さな画面に三十九度と表示された。 「熱上がっとるなぁ。もう一回病院行く? 点滴打ってもろたら熱下がるよ」 「……めんどい。動ける気がしない」 「ほな、おとなしくしとくんやな。飯食えそう?」 「食う」  ラスティは困ったように笑って、部屋を後にした。その足音を聞きながら目を閉じる。頭が痛いし体はだるいし辛いが、傍にラスティがいることで少し気が紛れた。  やがて彼はいい匂いを連れて戻ってきた。 「雑炊とコンソメスープ作ったで」 「ありがとう」  再び体を起こすと、ラスティがそれを支えてくれる。やはり全身がだるくて頭もくらくらするが、なんとか座って食事を始めた。 「……うまい」  優しい塩味が口の中に広がって気分が落ち着いた。 「食べきれんかったら残してええよ」 「……お前がいてくれて、本当によかったよ」  感動した口調でそう言うと、ラスティは嬉しそうに笑って頷いた。  そして、コンソメスープを啜るとショウガの風味がきいており、ほっとするような味だった。体の内側から温まるような感覚に、また久秀は感動する。 「美味い……ううっ」  顔を覆って体を震わせる。熱を出して心が張り詰めていたのだろう。雑炊とコンソメスープの優しい味に、ポロリと涙がひとつ零れた。 「久秀さん、なんで泣くの」 「お前が俺の恋人でよかった。俺は幸せもんだ」 「大げさすぎやって」 「なぁんで、誕生日に風邪なんてひいたんだろうなぁ」 久秀が鼻を啜る音は聞かなかったことにして、ラスティはそっとティッシュボックスを差し出した。  受け取ったティッシュで目元を拭い、鼻をかむと少し落ち着いた。  出された雑炊とコンソメスープを全て平らげて、スポーツドリンクで喉を潤すと、少しだけ体に元気が戻ってくる。 「ちょっとトイレ行ってくる」 「せっかくやし着替えたら。汗かいて気持ち悪いやろ」 「そうだな」  ベッドから降りて、久秀はふらつきながらもトイレに向かった。  その間に、食器を片付けて新しい寝巻と下着を用意する。トイレから戻ってきた久秀は、蒸しタオルで体を拭いて、ラスティが用意した部屋着に着替えるとベッドに横になった。 「ねんねする?」 「ん」  うとうとしてきた様子を確認して、そっと布団をかける。 「なぁラスティ」 「なに」  静かな声で名前を呼ばれ、ベッド脇に腰かけて続きの言葉を待った。 「……ありがとな」  そう言って久秀は目を閉じる。ほどなくして寝息が聞こえたのでホッと胸をなでおろす。気を張っていたのか表情は険しいものだったが、熱に侵された寝顔は幼い。 「おやすみ、久秀さん」  そう呟いて、そっと髪を撫でる。風邪をひいたのは不可抗力だが、そのお陰でこうして二人きりで過ごせたのは嬉しかった。  久秀の生まれた記念すべき日なのだから、愛を確かめ合う行為もしたかったのだがそれは我儘だろう。 「オレも楽しみにしとったのに」  久秀がよろこぶように、いろいろ勉強してきたのだ。彼に褒めてもらいたくてよろこんでもらいたくて。いつもより大胆になるつもりだった。  しかし、今の久秀にそれは酷な話だ。一番、ショックを受けているのは他でもない久秀本人なのだから。 「愛してるよ」  ありったけの愛を込めて、ラスティは囁いた。  目が覚めるとあたりは真っ暗で、時間はわからないがまだ真夜中のようだ。体が熱い気がするのは、きっと熱のせいだろう。  額に違和感を感じて触れてみると、冷却シートが載っていた。その冷たさにほっとして息を吐くと、すぐ傍から声がした。 「……あ」 「久秀さん?」  声の方へ視線を向けると、そこにはラスティがいた。どうやら看病をしてくれたようだ。 「大丈夫?」 「……なんとか」  久秀の額に汗で張り付いた髪を払うと、その手を掴んで頬に押し当てる。ラスティの手は冷たくて心地がよかった。 「ラスティ……」 「ん?」 「愛してるよ」  熱に浮かされて出た言葉だというのはわかっている。それでも言わずにはいられなかった。 「うん。オレもやで」  そんな久秀の告白をラスティは笑って受け止めてくれる。それが嬉しくて、久秀はラスティの手に頬ずりする。 「熱、下がらんなぁ」 「……うん。でもだいぶ楽になった」 「よかった」  ラスティはそっと顔を近づけて、唇を重ねた。触れるだけのキスだったが久秀は満足だった。しかし、ラスティは物足りないようで、再び唇を寄せる。 「こら」  その唇を手で押し返して制すると、不満そうな目で睨まれてしまった。 「なんで?」 「風邪うつるぞ」 「そんなん気にせん」  ぐい、とラスティの手に力が籠る。病人相手に遠慮しないラスティに久秀は苦笑するしかない。しかし、愛しい恋人のおねだりを無下にするのは心苦しい。 「……ちょっとだけな」  そう呟いてもう一度唇を重ねる。軽く触れるだけのキスを何度か繰り返すと、やがてラスティが舌を差し入れてきたのでそれを受け入れて絡めた。  熱があるせいか頭がぼんやりとして、キスもどこか現実味がない。それでも、ラスティの息遣いや体温は本物だ。 「久秀さん、オレのこと……好きにしてええよ」  唇が離れて、至近距離でラスティが囁く。彼の意図するところはわかっている。 「病人に無理させるなよ」 「大丈夫やって」  何が大丈夫なのか久秀には皆目見当もつかないが、恋人にそんなことを言われて断ることはできそうもない。病人だと気を遣ったのか額へのキスだけで済ませてくれたのだ。そのくらいはしてあげたくなるものだ。  ラスティを抱きしめて首元にキスをすると、くすぐったそうに笑うのが可愛らしい。そのまま耳たぶを甘噛みすると、ラスティは久秀の髪を優しく撫でた。 「久秀さん、ええよ」  その一言が合図だった。  文字通り熱に浮かされたように、気が付けばラスティを組み敷いて彼の体を貪っていた。  いつもよりも性急に求めてもラスティは拒まない。それどころか嬉しそうに笑って応えてくれる。  それが嬉しくて愛しくてたまらなくて、ますます激しく求めてしまうのだ。 「……っ、は……」  もう何度目の絶頂を迎えたのか覚えていないほど、二人はお互いを求めあっていた。ラスティが手を伸ばして久秀の頬を撫でると、彼はその手に自分の手を重ねてキスをしてくれる。 「ん……ぁ……」  唇を合わせたまま絶頂を迎えて、蕩けきった声で甘く喘ぐと久秀も満足げに目を細めて笑った。それからゆっくりと体を起こすと再びラスティの中を抉る。 「あ! ああぁッ!」  その衝撃にラスティは体を弓なりに反らして悲鳴を上げるが、すぐにまた快楽に流されてしまう。  久秀にしがみつくように背中に腕を回して、足を絡める。 「だめ、イク、イッちゃう!」  悲鳴のような声を上げてラスティは体を痙攣させた。何度も繰り返される絶頂に意識が遠くなるが、それを許さないとばかりに強く穿たれてしまう。 「ひっ! あああっ!!」  もう何も考えられないほどの快楽を与えられ続け、ついにラスティは意識を失った。  次に久秀が目覚めたときには、それまでの高熱が嘘のように平熱まで下がっており、体もすっきりしている。  溜まっていたものを出したおかげなのだろうか。それともラスティが看病してくれたおかげだろうか。  後者だと嬉しい。そう思いながら隣のラスティに視線を送ると、彼はまだ熟睡していた。 「ラスティ」  名前を呼んでそっと髪を撫でる。汗でぺったりと額に張り付いた髪を払い、その額に唇を寄せてキスを贈る。そしてもう一度名を呼んだところで、彼が目を覚ました。 「……ん……?」  寝ぼけ眼で何度か瞬きをして、ぼんやりとした眼差しを久秀に向ける。まだ半分夢の中にいるようだが、久秀が口を開く前に優しく笑った。 「おはようさん」  その言葉に少しだけ目を瞬かせた後、小さく笑って頷いた。 「ああ、おはよう」  窓の外は明るく、天気もいい。今日はデートをしてもいいなと考えながら久秀はラスティを抱き寄せる。 「お前のおかげで治ったみたいだ」  ありがとうと呟くと、ラスティはくすぐったそうに笑う。  そのままシーツの中で足を絡ませて体を密着させると唇を重ねた。軽く触れるだけのキスを何度か繰り返してから顔を離すと、ラスティの頬は赤く染まっていた。 「どうした?」 「なんか恥ずかしいなぁって思って」  そう言って照れたように笑うので、つられて久秀も顔が熱くなる。 「いいから」  そう言いながら再び唇を重ねる。今度は舌を差し入れて深く口づけを交わす。ラスティの口腔内を思う存分蹂躙して、満足したところで解放すると彼は肩で息をしていた。 「もう、朝から激しいわ」 「お前が可愛いから悪いんだよ」  そう言ってもう一度キスをすると、ラスティはくすぐったそうに笑うのだった。 「いい誕生日になった。こんな調子なら、来年も風邪ひいてもいいかもな」 「イヤや。元気な久秀さんをお祝いしたい」  冗談めかす久秀にラスティは首を振って、ぎゅっと抱き着く。 「朝から晩まで久秀さんと一緒におりたいし、楽しんでもらいたい。それはイヤ?」 「イヤじゃないさ。お前を独り占めできるなんて光栄だよ」  額にキスを贈って、久秀は嬉しそうに笑う。 「結果的にお前から甘やかしてもらって俺は大満足。ありがとう、ラスティ」  祝われる本人にそこまで言われてしまっては、ラスティはうんと頷くことしかできない。 「……久秀さん、お誕生日おめでとう」 「ありがとう」  改めてお祝いをすると、久秀は一番いい笑顔で応えたのだった。

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