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第5話

 淡い水色の揃えだ。中に着た衣の帯は紺だった。衣装の色はシュンリュウの陶器のような肌の色を際立たせ、結ってなお黒髪は艶やかだ。唇に紅を差されたのは驚いたが、これは貴族の男オメガのならわしなのだという。 (紅なんて、女の人みたいだ)  僕がオメガだということも知っていたのか……思ったが、ここまで来て抗うつもりはなかった。これで登城する準備は整ったということなのだろう。 「ほんに、なんとお美しい。そしてキーシャオさまに……」  着付けをしてくれた女人が呟いた時だった。 「口を慎まぬか」  官吏長は厳しく彼女を諫め、彼女は慌てて深く礼をした。彼女たちも地味な色目ではあるが、袖の長い立派な衣装を身につけている。  何を言おうとしたのだろう。だが、それももうすぐわかることだ……。シュンリュウは皇子のお召しを無事に済ませ、早く家に帰ることだけを考えていた。一旦、という言葉は気になって仕方なかったけれど。 (母さん、目を覚ましたかな。ちゃんとお世話してくださっているだろうか。僕の今の姿を見たら、驚いて元気になってしまうかも)  輿の中でそんなことを考え、くすっと微笑んでいたら、輿はやがて、ウー国宮廷である、大鳳城に到着した。  ずっと輿の中で都の様子は見えていなかったのだが、いきなり城を前にしてシュンリュウは震え上がるほどに驚いた。朱塗りの柱が続く、錚々たる建物だ。これが天子さまや皇子さま方が住まう場所なのか。落ちついていたのに、シュンリュウは急に怖くなってきた。自分とはなんの接点もないこの城で、僕を待っているものは……。 「ぼうっとするな。さっさとついてこい」  シュンリュウは頭から布を被せられ、まさに女人の格好になって追い立てられた。城の裏手の道を進み、岩の隙間から中へと入る。城に入ってからも、いくつか隠し扉をくぐり、くねくねとした狭い廊下を進んだ。 (まるで秘密の抜け道……みたいな?)  ああ、これはきっと人に知られてはならないことなんだ。僕はまさか陰謀に巻き込まれるのでは……。だが、ここまで来たら進むしかない。逃げたところで迷うだけだという後ろ向きな自信があった。 「ここで終わりだ」  官吏長が木の壁をぐるりと押すと、急に目の前が拓けた。仕掛け扉……子どもの頃、母に読んでもらった絵ばなしを思い出す。だが、目の前に現れた煌びやかな部屋の様子にシュンリュウの感傷は打ち破られた。 (えっ?)  あでやかな花が刺繍された、重たそうな緞帳の前、磨き上げられた籐の長椅子に男が気怠そうに横たわっている。だが、シュンリュウを見たとたん、目を大きく見開いた。シュンリュウも同じだった。 (僕と同じ顔……?) 「これはどうだ、まるで鏡を見ているようではないか!」  シュンリュウは心の中で呟いたが、男は大きな声で驚きを口にした。濃い青の衣装を着て、きらきら煌めく色の帯を締めている。シュンリュウはその色を銀色というのだとあとから知った。――きっと彼が皇子に違いない。 「キーシャオ皇子だ」  官吏長が告げ、シュンリュウは慌てて腕を組んで膝をついた。 「ヤン・シュンリュウと申します。お、お会いできて光栄です」 「なんと声も同じではないか。これはますます好都合」 (好都合ってなに……もしかしたら……)  キーシャオはすこぶる機嫌がよさそうだったが、目が笑っていなかった。だからシュンリュウは返答できなかったのだが、なんとなく、自分がここへ呼ばれたわけが予想できた。 「もっと近ぅ寄れ」 「は、はい」  言われるままに側へ寄ると、キーシャオはシュンリュウに立ち上がるように命じ、それこそ頭の先から爪先まで舐めるように検分された。 「私たちは瓜二つ、体型も背丈も同じくらい。そして声も同じだ」  キーシャオは向き合ったシュンリュウの顎をくいっと捉えた。彼も唇に紅を差している。宮中における男オメガの印だ。シュンリュウはおずおずと答えた。 「はい、私も驚いております」 「シュンリュウ、おまえ、鏡を見たことがあるのか?」  顎を離し、再び長椅子に横たわると、キーシャオは尊大な口調で訊ねた。鏡は高級品だ。貧しい農村にあるわけがない。 「いいえ、ございません。自分の顔は泉に映して見ておりました。それで怖れ多くも私の顔がキーシャオさまとそっくりであることがわかったのです」 「泉か。そうであろうな。では、生まれた日を知っているか」 「存じません。春であったとは聞いておりますが」  都から離れた農村では、確かな暦というものがなかった。星や月の位置から大まかな季節を計っているのだ。 「ああ、暦は都にしかないのであったな。私も春生まれだ。まさか生き別れた双子ではないかと思ったが、誕生の年や日がわからねば、それはなんとも言えぬな」  キーシャオはくっくっと笑う。わかっているなら訊かなきゃいいじゃないか――シュンリュウは嫌な気分になった。上流の人たちというのはこれほどに下々の者を見下しているのか。彼の性格もあるだろうが……悔しくなって、シュンリュウは再び膝をつき、キーシャオを見上げた。 「キーシャオ皇子さま、此度はどのような用件で私を呼び寄せられたのでありましょうか。早く、その儀をおうかがいしとうございます。私は急いでいるのでございます」 「田舎のおっとりした者かと思えば、皇子に口答えするとは、なかなか気が強いではないか。それに、その言葉遣いはどこで覚えた?」 「母に教えられました」 「母だと? いったいどのような素性だ」 「存じません。母と私はずっとセンの村で畑仕事をして暮らしておりましたゆえ」 「ふん、落ちぶれた貴族の素性かもしれぬな」 「ですが、これで教育のひとつは省けるかと」  官吏長が口を挟み、そうだな、とキーシャオはうなずいている。教育と聞き、シュンリュウの予想はますます確信を帯びた。  稀に、そういうことがあると聞いたことがある。農村から突然人がいなくなる。それは……。シュンリュウは再度、言い切った。 「皇子さま、用件をお訊きしとうございます」 「わかった。私もゆっくりと構えてはいられないからな。そこへかけるがよい」  部屋使いの者が椅子を運んできて、シュンリュウは少々身体を強張らせながら座った。座ったとたん、ふかふかとして、身体が沈んでしまいそうになる。だが、その驚きを顔には出さず、背筋を伸ばしてシュンリュウはキーシャオ皇子に向かい合った。 「そんなに怖い顔をするな、話しづらいではないか」 「緊張しているのでございます」 「面白いやつ」  ははっと笑い飛ばし、キーシャオはやっと事の次第を説明し始めた。 「この度、私は隣国、ファンの皇太子、浩然(ハオラン)どのに嫁ぐことになった。我がウー国がファン国に従うという誓約のための政略結婚だ。つまり、人質みたいなもの……私は子を産むためのオメガ妃として、次期皇帝のハオランどのに差し出されるのさ」  キーシャオは自嘲気味だった。隣国の皇太子に嫁ぐ……。オメガに生まれた皇子には皇位継承権が認められていないとシュンリュウも聞いていた。キーシャオのその様子は、しばらく続く。 「我がウー国は、この広大な華(か)大陸の歴史に名を刻む由緒正しい国だ。近年は国力が衰えたが、西方の民族の寄せ集めにしかすぎない、新興のファン国などに従うのは、屈辱でしかない。……我が国とファン国の歴史もおまえには学んでもらわねばな。さて本題だが、私はこうして、国のためにハオランどのに嫁がねばならないのだが、実は、私には恋人がいるのだ。宮廷の警護をしている者で、身分違いゆえ、この世では叶わぬ恋だ」  シュンリュウは息を呑んだ。では、愛する人がいながら別の人と結婚せねばならないのか? この時初めて、シュンリュウはこの高飛車な皇子に心を寄せた。そんなことって……。

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