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第9話

僕は胸が詰まる思いで晩御飯を食べた。  風吹はその日、帰ってくるのが遅かった。いつもなら夜十時くらいには僕の部屋へ来るのに、十時半を回ってもベランダから音はしなかった。僕は夕飯後、歯を磨いて、お風呂にも入ってしまった。  この五年の間についた習慣のひとつは、お風呂でデリケートゾーンを丹念に洗うことだった。風吹が僕のお尻の穴を攻めてくるようになってから、余計な物が出てしまうのではないか、といつも心配だったからだ。  高校生になってスマホを持たせてもらった時、一番最初に僕がやったのはお尻の洗浄方法を調べる事だった。男性同士のセックスのことも調べた。風吹が僕のバックをペニスで使う事は今までなかったけど、手で触ってもらうのだって不快な思いをさせたら悪いと思っていた。  今日、風吹に僕たちの関係を終わらせることを言うつもりなのに、僕のやっていることは矛盾している。でも風吹が夜来てくれると思うと、綺麗にしておきたくなる。僕はなんて未練たらしく、意地汚い性格なんだろう。  その後十一時近くなっても、風吹は部屋に来なかった。僕は段々眠くなってきた。昼間の暑さにやられて、身体が疲れていたのかもしれない。  電気は点けたまま、ベッドに横になっていたら眠ってしまったらしい。パジャマの上着の裾をたくし上げられた感触で目が覚めた。慣れた手つきで僕の胸元をその手が這い回る。 「ん……風吹?」 「ごめん。遅くなった。ちょっと寄りたいとこがあって、思ったより時間が掛かった」 「そうなんだ。今、何時?」 「十一時半くらいかな」  僕が寝入っていたのはほんの三十分くらいだったみたいだ。 「ご飯は食べた?」 「ああ、食った。家で風呂入ってから、さっきこっち来たんだ。下で食べて食器も洗ったよ。美味かった」 「少なくなかった?」  僕がそう訊いたのは、カレーを一人分しか残さずに、残りを冷蔵庫に入れてしまったからだ。六月にもなると食べ物を常温で出しっぱなしにするのは怖い。カレーは特に食中毒の原因にもなるから余計だった。 「丁度良かったよ。マジで桜は料理上手いよな。ごちそーさんでした」  風吹は僕を後ろからギュッと抱きしめる。そしてまた手で僕の胸を探り始めた。見つけた、という感じで僕の乳首を指先で押した。ビクッと僕の身体はその快感に震える。 「ね、ちょ……ちょっと待って」 「何がだよ。もう眠いだろ? 早く終わらせないと明日がキツいぞ」 「そーじゃなくて。その……あンッ」  風吹が僕の乳首を指でつまむ。ダメだと思うのに、僕の身体は風吹が触りやすいように勝手に身をくねらせる。「いい声」と言って風吹は僕の首筋に唇を当てた。僕の息は早くも甘い吐息を吐き始めた。  風吹の手が、僕の下半身の前側に伸びてくる。僕は決死の思いでその手を自分の手で押し留めた。 「だから待ってって! 話があるんだ」 「話ィ? 今はいいだろ? 明日聞くって」 「だ……だめ。今じゃなきゃダメ!」  僕の必死な声を聴いて、風吹もさすがに手を止めた。身を起こして、少し緊張した様子で僕を見る。 「どうした? また具合が悪いのか?」  僕は自分も起き上がって、風吹に向かい合わせで座った。 「桜……? 大丈夫か?」  風吹が僕の髪を梳くようにかき上げてから頬に手を当てる。僕は歯を食いしばって、その暖かくて優しい手から自分の顔を離した。 「──前から、言おうと思ってたんだ。大学生になったら、風吹に言わなきゃって……」 「……何を?」 「風吹が僕の……オナニーに付き合ってくれてることについて」  風吹は胡坐(あぐら)をかいた自分の膝に、脱力したように両手を置いた。 「ずっと……僕のわがままに付き合ってくれて、ありがとう。でももう、風吹は僕に構っていちゃいけない。風吹は風吹の、大切な人生を歩かなきゃ」  情けない事に僕の声は、軽い嗚咽(おえつ)を交えて震えていた。 「風吹はずっと、頼りない僕を放っておくことが出来なかったんだと思う。でも僕ももう、独り立ちしなくちゃ駄目だって思ってる。風吹はこれから僕の都合に振り回されないで、自由に過ごしてほしい。もっとみんなと遊んだり、飲みに行ったり、合コンに出たりしてほしいんだ。そしてちゃんと素敵な……こい……恋人を」  作ってほしい、という言葉を言い切ることが出来ない。 「……お前、俺にされるの嫌なのか?」  風吹が低い声で訊く。僕はブンブン首を横に振った。 「なら何が問題なんだよ」  怒ってる声。僕は風吹を見られなくて自分の手を見つめた。 「風吹が僕の面倒を見るのを、もうやめていいって言いたかったんだ。僕たちの関係は……普通じゃないでしょ? これ以上風吹を──僕の人生に巻き込みたくない」

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