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第37話
その後、風吹とは二人きりになれる日があまり無いまま日々が過ぎて行った。大学はレポートや課題が山積みで、僕はこなすだけで精一杯の日々を送った。
風吹は同じく課題に追われながらも、部活にバイトに忙しかった。帰宅するのは夜十一時近くなる日が増えて、その後課題に取り掛かるため、僕の部屋に来るのを遠慮しているみたいだった。
それでも、毎日チャットでやり取りした。学校も一緒に行って、お昼ご飯を学食で食べたりもできた。身体の深いふれあいは無くても気持ちが通じていることで、僕は幸せな毎日を送れていた。
「ねぇ、弓道場ってドコ?」
講義終了の後、僕が部活へ行こうとキャンパス内を歩いていた時、突然後ろから話しかけられた。振り返って見ると、目のクリっとしたショートカットの可愛らしい女の子が立っていた。
「弓道場ですか? 僕今から行くので案内しましょうか?」
その子は大きな目を更に大きくして僕を見返した。
「うわ、もしかして男子なの? それとも僕っ娘 ?」
「えっと、男ですけど……」
「へー、カワイイじゃん。この学校にもレベル高い子いるんだねー。本気で目指そうかな」
僕は思わずじっとその子を見返した。私服を着ているけど、この大学の学生ではないのだろうか?
「もしかして高校生? 学校を見学しに来たんですか?」
僕が訊くと、その子はニッコリ笑った。とても可愛い笑顔だった。
「そーだよ。高三なんだ。今日は学校見学っていうかひとに会いに来たんだけど」
「ああ。弓道部員の誰かですか」
「部員……じゃないかな。なんか職員になった~とか言ってたんでさ」
では講師か教授なのだろうか?
「弓道場にいるんですか? その方は」
僕が訊くとその子はうーん、と言って首を傾げた。
「多分ね。このガッコに来たの今年の四月からだけど、慣れなくてしばらく弓引けなかったから久しぶりにやりたいなって言ってたから」
「なるほど。それで見に来たんですね。あ、えーと……僕、花里っていいます。良かったらお名前いいですか?」
「オレ? 名前は葵。呼び捨てでいーよ。てか、敬語じゃなくていいし」
オレ……?
「あの……もしかして男の子?」
「そーだよー。アハ、お互い勘違いしてんじゃん。まぁオレもほぼ女子だと思われるけどさ」
葵くんは屈託なく笑う。とても愛らしい笑顔だった。僕より身長も低いし、化粧もしてなさそうなのに唇が赤い。くるっと巻いた長いまつげが印象的だった。
話している内に弓道場に着いた。道場の前には自転車が数台置いてある。自転車置き場が遠いので乗ってきてしまう学生も多かった。
道場内に入ると、射場の周りにみんながたむろしている。僕は葵くんに「ちょっと待ってて」と言ってから、みんなの後ろから覗 いてみた。
射場には一人しか立っていなかった。ストレートの黒髪の男性が弓を引いている。背がスラリと高く、美しい射形だった。引いているのは上級者が使う竹弓だった。
長い会 から放たれた矢は、真っ直ぐ的に向かいパンッという音を立てた。「皆中!」 と周りの部員が騒ぐ。
当の本人は一礼してから、僕達の方を振り返った。
「お騒がせしてすまなかった。練習の邪魔をしてしまったね」
申し訳なさそうに笑った顔は、線の細い美しい造作をしていた。身長は風吹より少し低いくらい。ほっそりとした容姿だけど、弓を引く人特有の広い肩幅をしていた。
彼は弓を壁際の弓立てに立てかけると、見学していた学生達に向けてまた丁寧に一礼した。
「では皆さん、存分に練習してください」
にっこり笑うと、女子達から「キャー」という声が上がる。彼はそんな黄色い歓声など慣れたものだとも云うように、静かな笑みを浮かべたまま僕達の方へと歩いて来た。
「タク」
僕の後ろに建っていた葵くんが言った。僕は振り向いて彼を見た。葵くんの視線はこちらへ歩いて来た男性を真っ直ぐとらえている。
タクと呼ばれたその人は、葵を見て明らかに困惑 した顔をした。
「葵……。こんなところまで来たのか」
「だって、タク連絡しても返事くんないじゃん」
葵くんはむくれた様子で言った。言われた彼はスッと目を細める。
「僕はしばらく連絡しない、と伝えておいたはずだよ。新しい勤務地に慣れるまで待ってほしいと。僕から連絡するまで我慢してほしかったよ」
タクが諭すように返した。途端に葵くんは泣きそうな顔になる。
「それは……分かってたけど、オレどうしてもタクに会いたくて……」
声を震わせて葵くんが言う。僕はさっきからこっちばかりを気にしている部員達が目についた。
「あの……ここではなんですから、良かったら場所を移動しませんか? あっちにベンチがあるので」
目の前の二人に向けて提案した。タクという人は僕を見て、眉を上げてから微笑んだ。
「ありがとう。確かに注目の的になってしまってるね。じゃあ、あっちに行こう」
僕はホッとして後ろに下がった。練習をしに道場の中へ行こうとすると、タクから声が掛かった。
「君も来てくれないかな? 見たところ葵をここまで連れてきてくれたようだし、お礼も兼ねて」
「いえ、そんな。僕は大した事してませんから」
僕が断ると、タクはフッとほほ笑んだ。
「──やっぱり、覚えてないかな? 桜くん」
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