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第39話

「……お久しぶりです。小学生の時は引っ越しが急に決まったので、挨拶(あいさつ)もなくすみませんでした」  拓先生は首を横に振った。 「いや、無理もないよ。あんな事件があった後じゃ……」   「ねぇ、オレのこと忘れてない? てか、ふたり知り合いなの?」  葵が割って入ったので、拓先生はため息をついた。うんざりした顔をしている。  ──事件……? さっき拓先生は事件と言っただろうか? 「なーんかズルいよね。仲良さそーだしさ。オレ、わざわざ拓に会いに来たのに」  ぷっと頬を(ふく)らませて葵が言う。拓先生は天を仰いで大きく息を吐いた。 「桜くんとは久しぶりに会ったんだ。少しくらい待っていなさい。この後着替えたら一緒に帰るから、それでいいか?」 「マジ!? いいよ全然、それでいい! じゃあ早く話終わらせて」  葵は急に元気を取り戻すと、ニコニコしながらベンチに座った。どういう関係なのかわからないけど、葵はとても拓先生が好きなんだな、と思った。 「拓先生はこの学校の先生をされてるんですか? 僕、全然気づかなかった」  拓先生は少し首を傾げて顎に手を当てる。 「先生……とは少し違うかな。僕はこの大学のスクールカウンセラーをしてるんだ。授業をしている訳じゃないから、なかなか会う機会がないかもね」 「ああ、そうだったんですね。カウンセラーになられたなんて凄いです」 「そんな事ないよ。ただ、桜くんが転校した後の理久くんを慰めていたら、もしかして僕にはひとの心の問題に携わることが合ってるんじゃないかって思いついたんだ。そういう意味では、今の仕事は桜くんのお陰かもしれないね」 「そんな、大げさです。理久くんはあの後どうでした? 中高一貫校を目指してるって言ってましたが……」 「うん……。それはやっぱり無理だったみたいだ。僕は翌年、違う子の家庭教師に付いたから家庭教師協会の担当者に確認しただけだけどね」 「ねー、まだ? ここ暑いよぅ。早く行こ」  葵がしびれを切らしたように言った。拓先生はハァとため息をついて肩を落とすと、「分かったよ。今着替えてくるから」と言った。 「桜くん、良かったら連絡先を教えてくれるかい? 着替えて荷物を取って来るから」 「──あ、はい。是非」  二つ返事で答えたのは拓先生の言った〝事件〟という言葉が気になっていたからだ。菫の〝事故〟があった当時、先生は大学二年生だったはず。成人する年齢だし、覚えていることもたくさんありそうだ。後で訊いてみよう、と思った。 「あのさ、桜って拓のこと好きなの?」  拓先生が道場へ入って行ったあと、僕も部活に出ようとしたら葵の声が追いかけてきた。僕は驚いて振り向いた。 「好き……? ええと、拓先生と初めて会ったのは僕が小学生の時で……今日は久しぶりの再会なんだ。好きとか……そういうのとは違うんだけど……」  何と答えていいのか迷って、しどろもどろになってしまった。それでも葵は嬉しそうな笑みを見せた。 「それならいんだ。オレ、会ったばっかだけど桜好きだからライバルになりたくないもん」 「ライバル? それって……」 「うん。オレは拓のコイビトだから。オレが好きなひとのこと、桜が好きだったらヤだなって」 「そ、そうなんだ。僕と拓先生はそんなんじゃないから……」 「分かった。でもこれからも好きにならないでね。拓って綺麗だし優しいから、みんな好きになっちゃうんだよ」  僕がなんて答えようかと迷っていると「桜」と声が掛かった。 「どうした? 何かあったのか?」  こちらに向かって歩いてきながら風吹が言った。風吹と僕は同じ講義を取っている。でも実験の班が別になってしまった。風吹の班は話し合いがあるというので僕より部活に遅れて来ることになったのだ。  風吹は僕と葵の顔を交互に見る。葵は目を大きく見開いて口をポカンと開けていた。 「は? ナニコレ。現実? なんか異次元のイケメンなんだけど……」  葵は誰にともなくつぶやいている。風吹はそんな葵を完璧な無表情で眺めていた。 「風吹。このひとは葵くん。まだ高校生なんだ。今日はひとを訪ねて大学に来たんだって」  説明した僕に風吹は視線を移す。 「──トラブルじゃないんだな?」 「うん。もちろん違うよ」  風吹はホッとした様子で僕に向かってほほ笑んだ。「うわ、綺麗。CGみてー」と葵が囁く。 「待たせてすまない」  拓先生が戻ってきた。僕と葵の前にいる風吹を見て、拓先生は少し目を見張った。 「君は確か……天ヶ瀬(あまがせ)くんかな?」  どうやら拓先生は風吹を覚えていたようだ。それもそうかもしれない。僕と風吹はよく一緒にいたし、風吹は誰が見ても忘れられないくらい特徴的だから。

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