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第42話

「──わかった」  そうは答えたものの僕は拓先生から話を聞くつもりでいた。ただ、その前に母に確かめなければならない、とも思っていた。なんとなくズルズルと先延ばしにしてきたけど、もし菫に〝事故〟ではない何かがあったのだとしたら、母に訊くのが一番早くて確実だと分かっていた。  翌日、講義は三限で終わり、僕は早めに家に着いた。母は珍しく仕事が休みだった。僕は今日、母に菫の事を訊いてみようと決心して玄関のドアを開けた。 「ただい……」  全部を言い終わる前に、居間の方からひとの声が聞こえてきたので口をつぐんだ。聴こえたのは男性の声で、しかも明らかに苛立っていると分かる声音(こわね)だったから驚いた。 「……なんにしても、私としてはおいそれと承知するのは無理です。ふたりの気持ちは分かりましたが、そう簡単に受け入れるのは難しい問題なんです。親戚の説得はもちろんのこと、お宅は犯罪被害者でもある訳ですし……」  僕は上がり(かまち)で立ち止まった。玄関には男性の靴がきちんと揃えて置かれている。ピカピカに磨かれた黒の高級革靴だ。それほど頻繁(ひんぱん)に会うわけではないが、声の主は風吹の父親だと分かった。 「もちろん、あなた達に落ち度があると言ってはいません。でもそういった事を気にする連中もいると分かって(もら)いたいんです」 「……はい。それはもう……」  母の声は消え入りそうだった。僕は居間へ向かって足を踏み出した。僕のせいで、母が責められるような事態になるのはつらかった。批判なら僕が甘んじて受けるつもりでいた。 「──すみません。私も頭に血が上っているようだ。今日の所はこれで……」  ガタガタと立ち上がる音がして、居間のドアが開いた。僕は風吹のお父さんと正面から向き合う形になった。  風吹のお父さんを見たのは久しぶりだった。年齢は五十歳くらいだと思うけど、整った顔立ちに加えて品の良い(たたず)まいのひとだから、実年齢より十は若く見える。風吹のお父さんは僕の顔を見ると、目を見開いて立ち止まった。 「あ……桜くん……。ええと……」  慌てた様子で風吹のお父さんは口ごもった。 「おじさん、お久しぶりです。この度は僕のことで……すみません」  僕は頭を下げた。おじさんは「いや……その……」ともごもごしていた。  おじさんは基本、とても良い人だ。僕が小さい頃から優しかったし、子供の相手も根気よくしてくれる。けどそのおじさんでも、僕達の関係を認めるのは難しいことなのだろう。 「桜くん、風吹は私の……大切な息子なんだ」 「──はい。分かってます」 「私は……」  おじさんは不意に、僕の顔をじっと見た。僕もおじさんを見る。真っすぐ見返し、そらすことはしなかった。  おじさんは目を閉じると、大きく息をついた。 「また……後で話そう。今日は気持ちが落ち着かないから……」 「はい。お願いします」  僕はおじさんに頭を下げた。おじさんは「では、失礼します」と律儀に声を掛けてからうちを出て行った。  僕は居間へと入った。母がソファに座って、両手で顔を伏せていた。 「お母さん……。僕のことでごめんね」  母は首を横に振った。 「それと……訊きたいことがある。菫のこと」  母はゆっくり、両手を顔から離した。そしてノロノロと顔を上げて僕を見る。 「──そう。分かったわ。やっと……訊いてくれたのね」  僕は驚いた。母は、僕から菫について質問してくるのを待っていたのだろうか。 「お母さんの部屋に行きましょ。見せたいものがあるから」  母から言われて、僕はうがい手洗いを済ませてから自室へ荷物を置きに行った。これから聴く話がどんなものになるのか……。緊張して手が震える。  一階の和室が母の部屋になっている。僕は既に開いていた引き戸から部屋の中を覗いた。母は座卓の上に大きい箱を置いて待っていた。 「こっちにいらっしゃい」  母は元々お使い物のお菓子か何かが入っていたのであろう、空き箱に手を掛けた。ゆっくりと蓋を開ける。中には、切り取られたたくさんの新聞記事が入っていた。  母はどこか空虚(くうきょ)な瞳で、でも全身から悲哀(ひあい)を漂わせながら力なく息をひとつ吐いた。 「──バラバラでごめんね。まとめようと思ってファイルを買ったのだけど……上手く出来なくて……」  母は大らかな性格だけど書類に関しては几帳面なひとだ。その母が上手く出来ないとは……。僕は自分の両手を膝の上で握りしめた。 「菫のこと……あなたには交通事故で死んだって言ってたよね?」 「──うん。ずっとそう思ってたけど……」 「本当はね、菫は殺されたの。詳しい事はこの記事を読めば解るけど、お母さんからも話すわね。つらい話になると思うけど、大丈夫?」  僕は黙ってうなずいた。殺された……。どこかで覚悟をしていたものの、その言葉だけで相当な衝撃を受けていた。

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