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第43話
「菫が亡くなった日は覚えてるでしょ?」
「うん。五年生の時の八月十日だったよね」
「そう……。あの日はまだ夏休みの真っ最中で、日曜日だったわ。お母さんはあなたに付き添ってこっちの病院に来ていたから、菫はお父さんと一緒に過ごしていたの。殺されたのは……十日の夕方だったみたい。
家から少し離れた土手の水門のところに遺体が放置されていた。長く伸びた草藪 に隠されて、三日見つからなかった。見つかった時は腐敗が進んでいて……」
母は声を詰まらせた。僕は呆然としていて何も言えなかった。
「あの日──菫が帰ってこないって、お父さんから連絡があって、お母さんはすぐに地元へ戻った。私たちは寝ずに必死で探したわ。もちろん警察も動いたし、地元の青年団のひとたちも総動員で捜索にあたってくれた。警察犬も出動してくれたけど、雨が降ったりしたからなかなか発見できなかったの」
僕は見るともなく、箱の中を見た。新聞記事は思ったより小さなものだった。週刊誌の記事を切り抜いたようなものもあったが、それも大々的、という感じではない。
「お父さんは八月十日、町の弓道協会の会員が審査を受けるから、付き添いで審査会場へ行ってたの。会場に指定されていた道場は遠かったから、お父さんは帰るのが遅くなってしまったのね。家に戻って、すぐに夕飯にしようとしたけど、いくら呼んでも菫がいない。
家中探して、靴がないことに気が付いた。どうやらどこかへ出かけて、まだ戻ってないらしいと分かった。夏休みの間、菫には午後四時以降遊ぶのを禁じていたわ。お母さんもいないし、お父さんは普通の日でも帰りが遅いからね。菫はいつもきちんと守ってた。でもあの日に限って、なぜか夕方出かけたみたいなの」
僕はゴクリと唾を飲み込んだ。母の言葉は分かるのに、頭が追いついていかない気がした。
「お父さんは審査会場を出る時、菫に連絡を取ってたわ。その時は午後三時くらいで、菫はちゃんと家にいたそうよ。お父さんは今から真っ直ぐ帰っても一時間半は掛かるから、誰が来ても玄関は開けず、電話も知ってる番号以外は出ないようにって言って聞かせたって。菫は『そんなの分かってるって』と答えてから『気を付けて帰ってきてね』と言った。それが、菫との最後の会話だった」
「──菫はその後出かけたんだ……」
「そうね。なんで出かけたのかは分からないけど、お財布を持っていたからコンビニに行こうとしていたのかもしれないわ。まだ時間的には四時になってなかったしね。その時、風吹くんに行き会ってるの」
「風吹に?」
「ええ。風吹くんは菫に、どこ行くんだ? って訊いたそうよ。菫はちょっとお使いって答えたみたい。風吹くんは早めに帰れよって言って、自分は家に戻ったの。サッカーをやってきた帰りで泥だらけだったから」
そんなことがあったのか。風吹からは今まで一度も聞いたことがなかったけど……。
「風吹くん、何度も謝ってくれたわ。俺があの時、一緒に行ってやれば良かったって」
「……」
僕は母に訊きたいことが幾つかあった。その中で一番気になっている事をまず訊いた。
「犯人は……捕まったの?」
「ええ。警察は菫がいなくなったあと、うちの近所や町内の聞き込みと防犯カメラの確認をしてくれたのね。菫の遺体が発見されてすぐ、犯人も捕まった」
「……どんな奴なの? そいつは」
母は箱の中から一枚の切り抜きを取り出した。それをテーブルの上に置き、僕に向けて差し出す。
紙面には『○○県小五女児死体遺棄事件/被疑者逮捕』という見出しが出ていた。
「犯人は同じ町内に住む中学三年生/十四歳・男性/少年A……」
「そうよ。その犯人は菫のことを何度か見かけたことがあったんだって。ただちょっと良くわからないことも言っていて……」
「わからないこと?」
「神の声が聞こえたって。菫を……殺せと言う天からの指令がきた、とか言っていたらしいわ」
「──なにそれ……」
「意味が分からないよね。お母さんも、何年も何年も考え続けた。でもね、無駄なの。人殺しの気持ちを理解しようとするのは、無理だし無駄なことなのよ」
母の声も、表情も、脱力感が溢 れていた。どれほど悩み、苦しんだことだろう。僕は……何故 、僕は──
「お母さん、さっき『やっと訊いてくれた』って言ったよね? あれは……どうしてなの?」
母は下に向けていた視線を上げた。僕を見て、言い淀 むように眉根を寄せた。
「桜は……覚えてないみたいだけどね、あの日、菫が殺された日、あなたは入院先の病院で突然気絶してしまったの」
「気絶……」
「ええ。それもただ意識を失ったんじゃなくて、ベッドで静かに本を読んでいたのに、急に大声を上げて……。いえ、大声というより悲鳴だった。物凄い勢いで苦しみ出して少し暴れたわ」
僕は呆然とするしかなかった。僕自身はその出来事を全く覚えていなかった。
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