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第44話
「喉をかきむしるみたいにしたかと思ったら、ばったり倒れたの。ベッドの上だったし、すぐにナースコールを押して対応出来たから良かったけど、もし普通に外で立っていたら大けがをしたかもしれなかったわ」
「そんなことが……」
「やっぱり覚えてないのね……。色々精密検査をしたけど、元々の持病以外の病気は発見されなかったらしいわ。お母さんはその日の夕方には地元に戻ったから、検査の話は後からおばあちゃんに聴いたのだけどね」
母は片手で自分の口元を覆った。
「精神科の先生にも診て貰ったそうだけど、あなたは菫が味わった最期の苦しみを感じ取ってしまったんじゃないかって言われたそうよ。シンクロニシティ……共時性 ? とか……そういう事を聴いた覚えがあるわ」
「ぼ……僕が菫の……?」
血の気が引く想 いがした。菫の断末魔 の恐怖と痛みを、僕も感じていたという事だろうか?
「気を失ったあと、数時間後にあなたは目覚めた。その時おばあちゃんに『菫は無事? 菫に何があったの?』って訊いたって。おばあちゃんは隠すことは出来ないと思って、菫が行方不明になっていると正直に答えたそうよ。そうしたらあなたは自分の頭を抱えて泣き始めた。いやだ、いやだ、って何度も言いながら泣いて泣いて……高熱を出したの」
母はテーブルの上で記事を持っていた僕の手を取った。
「そしてもう一度目が覚めた時、全部忘れてた。おばあちゃんは菫のことをあなたに訊いてみたけど、何を言われているのか分からないって顔をされたと言ってた。あなたはたまたまテレビで菫が……遺体で発見されたことをニュースで流れていたのを見てしまったけど、まるでどこを見ているのか分からないような目をして、黙ってそのニュースを見ていたって。そして終わるとハッとして、全然違う話を始める。あなたは菫の事件に関しては、何も見えてないし、覚えてない状態だったそうよ」
僕はガタガタと震え始めた。それでは、僕は頭がおかしくなっていたのだろうか。
「ショックよね。ごめんね、今まで言えなくて。お医者さんは桜が……自分の心を守るためにつらい記憶をわざと消してしまっていると思うって言ってたわ。自覚したら、あなたは菫の最期の苦しみを思い出してしまって、最悪の場合心が壊れてしまう。だから、あなたが自分から事件のことを訊いてくるまで、言わないようにしようって決めてたの」
母は僕の両手を自分の両手で包み込んだ。
「桜、あなた思い出したの? 今どう? 苦しくない?」
「──違う。気絶した日のことは……思い出してない。でも最近、菫にあった出来事をもっと良く訊かなきゃと思ってて……」
「そうなのね。誰かから何か聞いたの?」
「この前、僕……般若の面を持ったまま倒れたでしょ? あの時目が覚めて、由香里さんとお母さんが話してるのが聴こえちゃったんだ。由香里さんが〝なんで菫ちゃんがあんな目に合わなきゃならなかったの〟って言っててそれで……」
「ああ、あの時……。ごめんね、桜が起きてると思わなくて」
「ううん、いいんだ。この先、僕が菫の死の原因を知らないまま生きていくことは無理だもの……。今までずっと逃げてきてごめんなさい」
僕は菫が悲惨な死に方をしたことから目を背けて来たのか……。菫の死の原因を知ることを無意識に拒否していた。そのことにゾッとしてまた震えがきた。
「お母さん……。僕……僕の頭は変なの? ニュースまで見てるのにそれも見なかったことにしてるなんて……」
母は驚愕 の表情で僕を見た。そして大急ぎで首を横に振る。
「そんな訳ないでしょう! あなたは自分の心を守ったの。あなたに嘘をついた事は謝るわ。でも菫が亡くなった事を隠したままにするのは出来ないと思った。だから小学生のあなたには事故だと伝えたの。そうしたら、あなたは納得してくれたから」
母は僕の手をギュッと握る。謝ってくれたけど、母の方こそ、相当辛い思いをしてきただろう。それなのに、僕が更に追い打ちをかけるようなことをしてきたのだ。しかも何年もに渡って……。
「桜、自分を責めては駄目よ。あなたは頭が変になった訳でも、卑怯者 でもなんでもない。極限の苦しみから自分自身を救っただけ。お母さんはあなたが今まで、菫の死の真相を知ろうとしないでくれて良かったと思ってる。桜はひとの痛みが分かる優しい子だもの。事実を知って心も身体 も壊してしまったかと思うと、その方が怖いわ。もちろん、今も怖い……」
母の目から落ちた涙が頰を伝い落ちて行く。僕はギュッと目を閉じて、僕の手を握る母の温かさを感じ取った。僕はこのひとにずっと、ずっと守られて来たのだと、今更ながら自覚した。
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