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第49話

「そ……んなに見つめたら……恥ずかしいよ」  僕が言うと、風吹はフッと柔らかな笑みを浮かべた。どことなく、泣き出しそうな顔をしているようにも見えた。 「いや……桜が可愛くってさ」  臆面(おくめん)もなく風吹は言う。僕は顔が真っ赤になってしまうのが分かった。その時、僕のお腹がグゥと音を立てた。 「そっか、腹減ってるよな。お前吐いてから水しか飲んでないし」  風吹が今度は僕のお腹を手でスリスリした。僕は風吹の手を掴んで、引っ張って起こしてもらう。 「風吹もお腹空いてるよね。僕何か作るよ」  時間は午後七時を回っていた。僕達は服を着てから一階へ降りた。母が出かけていてエアコンが効いていない部屋は、ムアッとしていて暑かった。取り急ぎクーラーをつけて台所に向かう。  冷蔵庫には鶏もも肉があったので、ソテーにする事にした。鶏肉の皮をパリッと焼く方法は、上から重しを掛けるといい、とネットに書いてあったので、僕は毎回それをやっている。  風吹が料理を手伝ってくれようとしたけど、丁重にお断りした。風吹は勉強も出来るし、色々な事を器用にこなす方だけど、料理は得意とは言えなかった。風吹の作る料理は大体、味が濃くて水を大量に飲む羽目になる。お手伝いの申し出は有難かったので、とりあえずサラダ用にレタスを食べやすい大きさにちぎってもらった。  食事の後、僕達は居間のソファに座った。風吹も僕も、最初は黙ったままお互い寄り添っていた。僕は風吹の手に自分の手をからめ、ゆっくり深呼吸した。 「……どんな状況だったの? 当時……」  僕は風吹に問いかけた。風吹とセックスして、食事をしてお腹が膨れた事で気持ちが少し落ち着いた気がした。ただ、菫を思い返すと胸の奥に強い痛みが走った。 「……あの頃、俺もガキだったし見たり聞いたりしたことをちゃんと理解出来てたかどうかは正直分からない。覚えてる限りの事になるぞ」  うん、と僕はうなずいた。風吹は僕の頬を手でそっと撫でる。 「──事件の後、桜のおじさんもおばさんも記者とかテレビ関係者に追い回されて大変そうだった。二人共、菫が突然死んだことを受け入れられずに呆然としてた。でも警察と話したり、葬式の準備しなきゃならなかったり、やる事は山ほどあるからな……。親戚のひとも手伝いに来てた。うちの母さんも色々引き受けたりしてたよ」 「そっか……。由香里さんにはずっとお世話になってたんだね」 「まぁ、親戚ってことを抜きにしても、母親同士仲いいからな。母さんは……菫が死んでめちゃくちゃ哀しんでたし、死ぬほど怒ってた。マジで血圧上がり過ぎて血管ブチ切れるかと思うほどな」 「うん……想像できる。由香里さんがいてくれて、お母さんはホントに助かったと思うよ」  僕はごくん、と唾を飲み込んだ。 「……風吹は……菫に会ったんだよね? あの日……」  風吹の全身にキュッと力が入った。僕を抱き寄せる腕が、小さく震え始める。 「……会った。友達と公園でサッカーやった後、家に帰る時菫とすれ違った」  風吹は僕の肩を強く抱き寄せる。 「菫は小さい肩掛けバッグを持ってて、コンビニにでも行くのかなって思った。俺は『買い物か?』って声かけた。菫は『うん』と答えたあと、何か言ったんだけど、ちょうどその時車が横を通って聞こえなかったんだ。菫はニコッて笑ってから『じゃー、またね』って言って手を振った。俺は『着替えて来るから待ってろよ、付き合うから』って言ったんだけど『大丈夫、大丈夫』って言って菫は行っちゃったんだ」  風吹は食いしばった歯の間から、苦しげな息を吐いた。 「俺、なんであの時もっと強く止めなかったんだろうって……今でもものすごく後悔してる。別に泥で汚れてたって構わないから、一緒に行ってやれば良かった。まさかあれが菫との最後の会話になるなんて……」  僕は何も言えなかった。生きていく上で後悔する事など山ほどある。不可抗力だと分かっていても納得できない。風吹にとっては、菫が殺された日の事は時を巻き戻してもう一度やり直したい、と思う一番の出来事だろう。  僕は首を横に振ってから風吹に抱きついた。風吹もしっかり抱き返してくれる。そうしてしばらく、お互いの体温を感じ合っていた。 「……事件の後、俺も警察から色々聞かれたよ。ただ、犯人はすぐに捕まったから、通り一遍(いっぺん)の質問だけ受けた感じで終わった」 「そっか……。風吹も大変だったんだね。ごめんね、僕は何にも出来なくて……」 「それは仕方ねぇだろ。どっちにしてもお前は入院してたんだし……。それにあの時はマジでいなくて良かったよ。みんな混乱してたから、多分、桜は入院してなかったとしても、ばぁちゃんとこ預けられたと思うぜ」 「うん、そうかもね……」  僕は風吹のTシャツの胸元をギュッと握った。訊くのが怖い質問はたくさんある。次の問いもその中のひとつだ。

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