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第52話

「……? 桜? どした、気分悪いのか?」  僕が黙っていたせいか、風吹が心配そうに訊いてくる。僕は風吹の肩に顔を埋めたまま、首を横に振った。 「大丈夫……」  そう答えたものの、風吹は僕の様子がおかしいと分かったようだ。「少し横になっとけ」と言って僕の身体を腕だけで持ち上げた。  ベッドに寝かされて、布団を掛けられる。僕はすぐにまぶたが重くなった。ウトウトしていると浅い眠りの中で、更に甘い苺の香りが強くなった。  その記憶と、意識が曖昧(あいまい)な感じが似ている。僕は何か……甘い苺味のもの……多分ジュースを飲んで、その後眠くなったんだ。  眠気に襲われながら、誰かに抱きかかえられて膝の上に乗せられた。落ちて行こうとする意識に抵抗して僕は自分の腕を強くつかんだはず。僕を抱える誰かは優しくその手を外して……そこからは思い出せない。  思い出せないのに、意識を失っていた時の不快な感覚はどこかに残っていたようだ。僕はそれを思い出して……それで気分が悪くなったのだろう。  次に目を開けた時は、一時間くらい過ぎた後だった。風吹はひとりで勉強していて、テスト範囲の勉強をかなり進めていた。  僕も風吹に追いつく為に、その後頑張って勉強した。僕が必死で問題を解いていると、風吹は「下で飲み物貰ってくるわ」と言って部屋を出ていった。それからしばらく戻って来なかった。  僕はやっと問題集を最後まで解いて、次の課題に移ろうとした。そこで風吹が一階に行ったまま戻って来ないことが気になり始めた。喉も乾いていたので、僕は一階へ降りた。  風吹は母と居間にいて、何か話し込んでいる様子だった。僕が行くと二人ともこちらを見た。ふたりでニコリと笑みを浮かべる。 「悪い、ちょっとおばさんと話してた」  風吹が言った。何を話していたのか少し気になったけど、きっと菫の事だろうと検討をつけた。僕が菫の事を知らなかった間も、二人はずっと黙っていてくれたのだ。話したい事もあるだろうな、と思った。 「そっか。僕もちょっと休むね。もう頭がパンパン」  そういうと二人は笑った。母が立ち上がり「お茶入れるわね」と言って部屋から出ていく。 「大分進んだだろ? 明日は見直しだけで済みそうか?」 「うん……。でもまだ工業力学が心配。明日さ、ちょっと本屋に行って参考書がないか見て来たいんだ」 「ああ、いいかもな。駅前ならデカい本屋あるから専門書もありそうだ」 「あのさ、風吹も勉強見直したいだろうし、僕ひとりで行ってくるね。すぐに帰ってくるから」  風吹は一瞬目を見開いた後、少し眉をひそめて僕の顔を見た。 「いや……心配だから一緒に行く。すぐ戻ってくるなら構わねぇよ」 「……ありがと。でもほんと、これ以上風吹に迷惑かけられないし。もし今回のテストで成績良くなかったら、風吹のお父さんに会わず顔がなくなるよ」  僕が言うと風吹は真顔になって口ごもった。風吹は父親から僕たちの関係を認められないと言われていると思う。それは真実だったようで、風吹は反論しなかった。 「……分かった。俺は少し集中してやっとくよ。待ってるから、どこも寄り道せずに早く帰って来るんだぞ」 「うん」  僕が素直に頷くと風吹は僕の頭を撫でた。風吹にとって、僕はいつまでも小さい子供みたいにみえるのかな、と今更ながら思った。  その後、風吹が夕飯と風呂のために一旦家に戻った。風吹がいない間に、僕は拓先生にメッセージを送った。 『連絡ありがとうございます。明日、少しだけ会えますか? 駅前の本屋に行く用事がありますが、体調が良くないので長くはいられません。ちょっとでもお話出来たら嬉しいです』  我ながら堅苦しい文章になってしまったと思ったが、とりあえずそのまま送った。拓先生からはすぐに返信が来た。 『明日会えるんだね。嬉しいよ。ちょうど出掛ける用事があるから十一時くらいでいいかな? 本屋の入り口付近にいるよ。体調が良くないのは心配だね。あまり時間を取らせないようにするからね』 『分かりました。そのくらいの時間に着くように行きます。よろしくお願いします』  僕が返事を返したら、ベランダ側からガタンと音がした。風吹はもう来たみたいだ。お風呂でちゃんと洗ったのかな、と思うくらいの速さだった。  僕達は深夜まで勉強してから一緒にベッドで眠った。翌日、風吹がひとりで勉強している時間に僕は本屋へ向かった。    本屋の前に行くと拓先生が出入り口の近くに立っているのが見えた。時間は十時五十五分。早目に来ていてくれたようだ。 「こんにちは。お待たせしました」  僕が挨拶すると拓先生は読んでいた本から顔を上げた。 「やぁ、こんにちは。全然待ってないよ。さっき着いたところだから」  柔らかに微笑んで拓先生が言う。女性客がちらほらこちらを見ているのが分かる。拓先生は風吹とは違うタイプだけど、美男子だからとても目立つ。僕は自分が見られている訳でもないのに、何だか気恥ずかしくなった。

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