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第53話
「あの……すぐに参考書買ってきます。その後隣で少しお話してもいいですか?」
僕は本屋の隣を指差した。隣のビルにはコーヒーショップのチェーン店が入っている。拓先生は軽く頷いた。
「じゃあ、先に入って席を取っておくよ。体調があまり良くないんだよね。急がなくていいから」
「はい。ありがとうございます」
僕は先生にお辞儀をしてから、急いで参考書の棚へ向かった。とりあえず何か買って帰らないと風吹に変に思われる。僕はネットで検索して、ある程度目星をつけておいた本を探した。
幸い参考書はすぐに見つかった。僕は会計をしてから小走りで隣の店に向かう。コーヒーショップに入って座席を見渡しても拓先生は見つけられなかった。キョロキョロしていると奥の方のブースから拓先生が顔を出した。こちらへ向けて手を振っている。
「ごめん、さっきはここしか空いてなかったから」
僕が近くへ行くと拓先生が謝った。「いえ、大丈夫です」と答えたものの、店はそこまで混んでいなかったので、先生が店の最奥へ席を取ったことを少し不思議に思った。
とりあえず、カフェオレを買って拓先生のいる場所へ戻った。僕が向かい側の席に座ると、拓先生は身を乗り出して来た。
「桜くんはあの頃とあまり変わってないね。相変わらず可愛らしい。あ、男の子に可愛いと言ったら失礼かな」
「いえ……。背はもう少し伸びてほしかったんですけど、あんまり伸びなくて。もっと男らしくなりたいんですけど」
「そう? でもお陰ですぐに桜くんだって分かったよ。面影が変わらないで助かった」
僕はゴクンと唾を飲み込んだ。拓先生に事件の事を訊かなくては……。
「実は……僕は君に謝らなくちゃならない事があるんだ」
躊躇 いがちに、拓先生が言った。僕は自分が質問しようとしていた気勢をそがれしまい、息を止めて拓先生を見返した。
拓先生はその澄んだ美しい瞳で真っ直ぐ僕を見ている。
「あの事件……君にとってとてもつらかったと思う。僕は君と話がしたくて何度かご自宅を訪れた事があるんだけど……もう引っ越しされてて会えなかったんだ」
僕は驚きのあまり呆然としていた。拓先生は当然、僕がずっと事件の事を知らなかったとは思っていないだろう。でも当時小学生の僕に会って話をしたいと思う事情とは……。
「僕はあの時入院していて……そのまま引っ越してしまったので……」
どんな反応をしていいのか分からなくてモゴモゴと僕は答えた。拓先生は一度ギュッと目を閉じてから、思い切ったように目を開けて僕を見つめる。
「あの事件……菫ちゃんが殺された事件の犯人は僕の義理の弟なんだ」
今度こそ、僕は自分の心臓が止まったかと思うくらい驚いた。自分がどんな顔をしているのか自覚はなかったけど、目を見開いてポカンと口を開けていたと思う。
「……驚いたよね。すまない、こんな事をこんな場所で伝えて……。でもずっと謝りたくて……君の居場所が分からなかったから、もう一生伝えられないと思っていた。だから大学で君を見かけた時は、本当に驚いたんだ。そしてどうしても伝えたくて……」
拓先生の言葉を聞きながら、風吹が言った犯人の名前が頭をよぎる。マツウラソウヤ。風吹は偶然の一致かもしれないけど拓先生関係ある可能性もある、と言っていた。それが当たってしまう事になるとは……。
「弟は母の再婚相手の連れ子なんだ。僕とは全然血の繋がりはないけど……あの事件の時は家族だったから、僕があいつを止められなかったのが申し訳なくて……」
僕は息をするのも上手く出来なくなっていた。頭の中では拓先生の言う事を理解出来ていたが身体は固まったまま動かなかった。
拓先生は何も答えられない僕を見て、悲しそうな顔になる。
「……驚くのも仕方ないし、許して貰おうとも思ってないよ。でも僕は君に、謝る以外の方法がないんだ」
拓先生は深く頭を下げた。僕は正直頭が真っ白の状態だった。頭を下げたままの拓先生を見て、強張った口元をどうにか動かそうと頑張った。
「……拓先生が……悪いわけではないです。頭を下げて頂いても……僕は……」
衝撃を受けていたせいか、喉がカラカラになって上手く声が出ない。僕は一口、カフェオレを口にした。今になって、拓先生がなぜこんな奥の席に座ったのか分かった気がした。オープンな場所で話せるような内容ではないからだ、と思った。
重々しく顔を上げた拓先生は歯を食いしばりながら言う。
「僕は義理とはいえ兄弟として、弟を止めなければならなかったと思う。ただ……ソウヤは人見知りで、初めて会ったときから取っつきにくくて、接し方が分からなかったんだ。学校も休みがちでね。友達もひとりもいなかった。僕は何度もコミュニケーションを取ろうとしたけど、ずっと黙っていて……時々薄ら笑いを浮かべるだけだった。正直気味が悪かったよ」
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