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第57話

 二人分の荷物を持って近づくと、風吹は僕に気づき、こちらに向けて手を上げた。 「()り、重かっただろ。凄い汗だぞ。水飲んどけ」  サッと立ち上がり僕から荷物を受け取った風吹が言う。僕は「うん」と相槌(あいづち)を打ってから風吹の隣に座る人物に頭を下げた。  男性は少し無精(ぶしょう)ひげが伸びていて、髪も洗いっぱなしのザンバラだ。薄い青のYシャツにスラックス姿をしているけど、アイロンも当てていないのかお世辞にもパリッとした服装とは言えなかった。  その人はパッと見、三十代後半くらいに見えた。ただ「やぁ、こんにちは。桜くん、久しぶりだね」と言って笑みを見せた時、目尻に浮かんだ皺がはっきり見えた。予想より年上なのかもしれない、と思った。 「あ……あの、こんにちは。ええと……僕お知り合いでしたっけ?」  男性は目を細めて微笑んだ。人好きのする優しい笑顔だった。 「あー、やっぱり覚えてないか。俺は医者なんだ。君が小学生の時に診察して数回会っただけだから忘れちゃってるよね」 「先生……なのですね。お世話になったのに忘れていてすみません」  僕が頭をさげると男性は首を横に振った。風吹が「とりあえず水分取れ」と言って僕を椅子に座らせる。 「さっきアイツ、葵だっけ──を担いで歩いてたら進藤(しんどう)先生が手伝ってくれたんだ。葵は奥のベッドに寝かせて貰ってる」  水筒から水を飲む僕に風吹が説明してくれる。 「進藤です。以前、桜くんが入院してた病院に勤めてたんだけど、三年程前に開業して今は別の所にいるんだ。桜くんはまだ大前田(おおまえだ)病院に通ってるのかい?」  大前田病院は僕が小学生の頃から通っている病院だ。菫が行方不明になって僕が倒れたのもこの病院に入院している時だった。 「あ、はい。もう半年に一度の定期検診だけですけど。最近は少し体調が悪い程度なら近所のお医者さんにかかってます」 「そうか。大分元気になったようで良かった」  進藤先生は目を細めて安心したように笑った。見た目は少しだらしのないオジサンに見えるけど、優しいひとなのかもしれない。 「あのう……すみません。成川(なるかわ)さんのお連れの方ですか?」  白いナース服を着た女の人が近くまで来て声を掛けてきた。ナルカワ、という名を聴くのは初めてだったが、風吹が「はい」と答えたのでそれが葵くんの名字だと分かった。 「成川さんの容態の事で先生からお話があるのですが……。保護者の方の連絡先はご存知でしょうか?」  看護師さんは少し困った様子で訊いてきた。葵くんはまだ高校生だし、身体の状態など個人的なことは確かに保護者の確認が必要だろう。 「すみません。僕達はたまたま、成川さんが倒れたとこに行き合わせただけです。友人でもないし家族の連絡先も知らないです」  風吹が淡々と答える。丁寧に答えてはいるけど、『俺たちは関係ない』というニュアンスを如実(にょじつ)(かも)し出していた。  看護師さんは困った顔をして後ろを振り向く。でも彼女を助けてくれそうな同僚は見当たらなかった。  僕としても何とも言いようがない。葵くんとは友達と言えるほど親しくないし、家族と連絡を取れるはずもなかった。 「本人に意識はありますか? もし薬の処方だけで帰れるなら俺が家まで送ります」  風吹はとりあえず今僕らが出来る最善の方法を提案する。看護師さんは少しホッとした顔をした。 「一応、お名前と住所を聴くことは出来ました。今、点滴を受けているのですが眠っています。それと……保険証を持ってないようなのでお支払いが十割負担になってしまいますが……」  風吹は無言で看護師さんを見返した。僕は風吹を良く知ってるから分かるけど、内心ブチ切れてると思った。今時保険証も持ち歩いていない葵くんに頭に来てるんだろう。でも看護師さんにそれを言っても仕方ないから、我慢して黙っているようだ。 「横から申し訳ない。私は医師の進藤といいます。差し支えなければ先生から私が容態を伺って、診察代をお支払いします。成川さんのご自宅へも車で送れますよ」  進藤先生は胸ポケットから名刺入れを取り出し、一枚引き抜いて看護師さんに差し出した。看護師さんはサッと目を通して頷く。 「それは助かります。今、先生に話してきます」  言うと看護師さんは大急ぎで診察室のドアへ向かう。  正直僕も、進藤先生がいてくれて助かった。診察料がどのくらいになるか分からないけど、風吹も僕も学生だしあまり高額だと立て替えることが出来ないかもしれない。  ほどなくして看護師さんが進藤先生を呼びに戻って来た。先生は奥の診察室へ入っていく。僕は風吹に「進藤先生がいてくれて良かったね」と言った。

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