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第59話
「──可能性としては合意がなかったという方が有力だろうな。裂傷の具合からすると一度ではなく数回に渡って繰り返されている。治る間もなくまた……というところかな。この子の身体はガリガリに痩せてるよ。下から出すのが辛 いから、食べる量を減らしているか、ほぼ食べていないかもしれない」
「──」
僕はあ然とする思いで葵くんの顔を見た。まだ少し幼さの残る頬のラインのせいか、服を着ているとそこまで痩せているように見えなかった。青白い顔も食事が取れていないせいなのか……。
葵くんは……拓さんと付き合っていると言っていたはず。まさか拓さんが……?
「う……ん」
ふいに葵くんが声を上げた。眩しそうに目を細めながらゆっくり瞼 を持ち上げる。
葵くんは最初、進藤先生の顔を見て眉を寄せた。次に僕と風吹の顔を確認し、目を見開く。
「さ……くら? ここどこ?」
葵くんが若者らしからぬしわがれた声で言った。僕は葵くんの手を握って「病院だよ。大丈夫」と答えた。
葵くんは周りを見回してから急に目を見開く。「オレ、帰らなきゃ……」と言って起き上がろうとする。葵くんは腕で自分の半身を起こそうとしたけど、すぐにバタンとベッドに寝てしまった。ぶら下がった点滴がグラグラ揺れて、針の刺さった腕から少し血が出ていた。
「葵くん、まだ無理だよ。点滴も終わってないしもう少し寝てて」
「点滴……オレ金ないし払えないよ。もう、やめるから……」
点滴の針を抜こうとする葵くんの手を、進藤先生がやんわりと止めた。
「料金は俺が払っておくから大丈夫だよ。とにかく今は身体に栄養と痛み止めを入れないと駄目だ。俺はこれでも医者だからね。見過ごす事は出来ないよ」
葵くんは不安そうな顔で進藤先生を見上げていた。進藤先生は安心させるようにほほ笑んだ。無精ひげの生えた顔のせいで場所が場所なら胡散臭 く見えるかもしれないけど、ここでは心強く感じる笑みだった。
葵くんは軽く口を開けてから、すぐに閉じた。その目には涙がにじんでいた。
「……すみません。ありがと……ざいます」
震える声で言うと力尽きたように目を閉じた。またスースーと寝息を立てる。
「──きちんとお礼が言えるんだな。なぜこんな子が……」
進藤先生がつぶやく。僕も同じ気持ちだった。葵くんは少し子供っぽいところがあるけれど、話していて嫌な感じはしない。良くも悪くも素直で天真爛漫 なイメージだ。その彼が、なんでこんなひどい目に合っているのだろう。
「……すみません。僕、少し外に出てきます」
風吹が驚いたようにこちらを見た。でも僕は風吹と目を合わさず病室のドアへ向かった。スマホを握りしめて外へ出る。強い陽射しに一瞬目がくらんだ。
僕は日陰を探して病院の裏手に移動した。病院裏は駐車場になっていて二十台ほどのスペースがある。今は半分くらい埋まっていた。
駐車場の隅には、ひょろりとした木が植えられていた。幸い葉は生い茂っていて、小さな木陰を作ってくれていた。僕は木の下に入り、木漏れ日がキラキラと降り注ぐ中でスマホを自分に向けた。
スマホの画面は陽射しが反射して見えにくかった。僕は目を凝らしてアドレス帳から拓さんの番号を探す。タップして耳に押し当て、プ、プ、と通信が始まる音を聞いたのと、後ろから足音が聞こえたのが同時だった。
拓さんは二回目のコールで電話に出た。『もしもし。桜くん?』という拓さんの声が耳元に響く。
「はい。桜です。すみません、急に電話して」
『いや、大丈夫だよ。嬉しいよ、君から電話もらえて。どうしたの? 何か用事?』
「あの……葵くんのことで話したいことがあって。今、時間は大丈夫ですか?」
『葵……? 葵がどうかしたのかい?』
僕の質問には答えず、拓さんは聞き返した。少し困惑しているようだったが、声は落ち着いていた。僕は後ろに立っている風吹をちらりと振り返った。眉根を寄せて険しい表情をしている。
「葵くん、さっき倒れたんです。今は病院で点滴を受けてるんですけど、その……怪我をしてるみたいで……。拓さんは葵くんのこと、何かご存知ですか?」
〝拓さん〟という名前を聴いて、風吹の表情は更に険しくなった。僕は風吹から目をそらし、会話に集中する。
『葵が怪我を……? どうしてそんな……。いや、僕はここ数ヶ月葵とは会っていないんだ。だから最近葵がどうしているかも分からない。今も出張で岡山に来ているんだけど……』
「そうなんですか、岡山に……」
拓さんが近くにいれば、あわよくば葵くんを迎えに来てもらおうと思っていた僕の思惑はくじかれてしまった。それに拓さんは社会人だ。僕たちの通う大学はまだ夏休みだけれど、スクールカウンセラーの拓さんにはこの学校以外の仕事もあるのだろう。
「それでしたら、葵くんの家の電話番号は分かりますか? 親御さんに連絡を取りたいんですけど……」
『うーん、申し訳ないけど分からないな。葵の親のことはあまり詳しく知らないのだけど、子供を放置しているような状況じゃないかと思う。葵は日常生活を送る資金もバイトで稼いでいると言っていたことがあるから』
「──ネグレクトみたいな状態だと……?」
『そうだね……。僕もそこまで葵と親しい訳じゃないから深い事情までは分からないんだ。すまない、役に立てなくて』
「あの……拓さんと葵くんは付き合ってるんじゃないんですか?」
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