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第60話

 僕は単刀直入に訊いてみた。拓さんは一拍おいてから『えっ』と言った。 『僕が葵と? それはないな。どうしてそう思ったの?』  拓さんの落ち着いた声の奥には苛立(いらだ)ちのようなものが込められていた。僕は少し気圧(けお)されて思わず口ごもった。 「ええと……それは……」 『ああ、ごめん。桜くんに怒っているわけじゃないんだ。ただ少し驚いて……。それに君に誤解されるのは嫌だったから。声を荒げて悪かったね』 「いえ……大丈夫です。ただ初めて葵くんに会った時、拓さんのことを恋人だと言っていたので」  はぁ、と拓さんが電話の向こうでため息をついた。そういえば以前葵くんが拓さんに会いに弓道場へ来た時も、終始葵くんの態度に困った様子だったのを思い出した。 『葵はそんな勝手なことを言っていたんだね。これは守秘義務違反に当たると思うからここだけの話にしてほしいのだけど……』  拓さんは言いにくそうに言う。今日は守秘義務という言葉をよく聞く日だな。 『彼は少し……虚言癖(きょげんへき)があるんだ。葵に初めて会ったのは去年僕が務めていた高校のカウンセリングだったのだけど、葵が嘘をついている可能性があるということで、担任の先生から話してみるようお願いされたからなんだよ』 「そうだったんですか……」  葵くんに虚言癖があるというのは純粋に驚いた。拓さんの職業はスクールカウンセラーだから、僕たちの大学に来る前は葵くんの高校でカウンセラーの任についていたのだろう。 『葵は僕のカウンセリングを受けているうちに僕に親しみを持ってくれたんだ。彼が僕を信用してくれたのはとても嬉しいことだったけど……少し依存され過ぎてしまったとも感じていたよ。だから、僕と葵は恋愛関係なんかじゃない。それは分かってくれるね?』 「──はい。分かりました。お仕事中すみませんでした。葵くんのお(うち)の事については本人から聞くようにします」 『そうだね。そうしてもらえると助かるよ。お役に立てなくて申し訳ない』 「いいえ。こちらこそお忙しいところ失礼しました」 『今度また、ゆっくり話したいな。出張から帰ったら連絡するよ』 「あ……はい。では失礼します」 『うん。じゃあ、またね』  僕は電話を切って顔を上げた。風吹はさっきと同じく険しい表情で僕を見ている。 「拓さんってもしかして、まつ……いや、黒田拓見(くろだたくみ)か?」  風吹は低く、静かに訊いた。 「う……うん、そう。葵くんが以前うちの学校の道場に来た時、拓さんと親しいって話をしてたから何か分かるかなと思って電話してみたんだ」 「そうか……。それで何か分かったのか?」  僕はてっきり風吹から怒られるかと思っていた。でも風吹は表情こそ厳しかったけど、落ち着いた声をしている。 「ううん。拓さんは葵くんの家族の事は良く分からないって。電話番号を聴けると思ったんだけどダメだった」 「ふーん……。なら仕方ねぇな。とりあえず戻ろう。そろそろ点滴も終わりそうだ」  僕たちはまた葵くんのいる病室へ戻った。ちょうど点滴が終わって看護師さんが片付けをしているところだった。葵くんは目を閉じて眠ったままだ。進藤先生は壁の方を向いてスマホを耳に当てていた。誰かに電話しているらしく、低い声で何かしゃべっていた。 「もう少ししたら会計が終わります。患者さんは眠っておられるのでこちらまで事務員を来させますね」  テキパキと動きながら僕たちに向かって看護師さんが言った。「はい、ありがとうございます」と風吹が答える。  看護師さんが出て行ってすぐ、電話を終えた進藤先生がこちらを向いた。 「君たち、成川くんは僕の病院へ連れて行くよ。なんとか空きベッドをひとつ用意できた。とりあえず今日はそこで休んでもらうから」 「えっ、でもご迷惑じゃないですか? それに葵くんはお金ないって……」 「大丈夫。これでも一応院長で経営者でもあるんだ。それほど大きな病院じゃないけどね」  進藤先生は痛々しい表情で葵くんを見て「これも何かの縁だ」とつぶやいた。 「葵くんの知り合いの方に電話してみたんですが、ご家族のことまでは分からないと言われてしまいました。僕、役に立てなくてすみません……」  僕が言うと、先生はじっと僕を見つめた。 「君は……優しいんだな。小学生の頃と変わらない」  進藤先生は僕に向かってほほ笑んだ。その笑みを見た時、確かに僕は小さい頃この人と会ったことがあるのをボンヤリ思い出した。

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