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第68話

「いえ、大丈夫です」  僕は拓さんに返事をした。拓さんはまつ毛の長い目を軽く伏せてふんわりした笑みを見せると、僕のそばから離れた。 「じゃあ風吹見ててくれる? さっきから矢が左に寄っちゃうんだ」  僕はわざと明るく、大きめの声で言った。固くなってしまったその場の空気がほぐれるように。 「オケ」  風吹が答えて僕の後ろに回ると、時任さんが放った矢がパンッと音を立てて的に()たった。そのお陰で道場の中はいつも通りの雰囲気に戻った。  その後も、拓さんは部活によく参加していた。僕と拓さんは昔からの知り合いということをみんなも知っていて、拓さんは他の学生より僕に声をかけることが多かった。ただ、僕に指導しようとはしなかった。  風吹はいつも通り飄々(ひょうひょう)としていた。誰とでも気安く話をするし、先輩には礼儀正しく接している。拓さんに対しても会えば挨拶をする。でも自分から話しかけることはなかった。拓さんも風吹をあからさまに避けているわけではないものの、積極的に会話を持とうとしていない。  それは風吹が拓さんに僕の指導を任せなかったことと関係があるものだと、みんなが解釈しているように感じた。拓さんが風吹に気遣うような態度を見せるので、部員たちはどこか拓さんに同情的になっていた。人気者でみんなから一目置かれていた風吹がどことなく浮いた存在になってしまって、僕は気持ちがささくれ立っていた。  そんな中、時任さん達三年生が引退する時期が来た。次期主将は二年生の二階堂(にかいどう)さんというひとだった。  二階堂さんは時任さんのように屈強(くっきょう)な身体つきをしておらず、ヒョロッと背の高い三白眼(さんぱくがん)の男子学生だ。この二階堂さん、一見とっつきにくそうだけど後輩思いの良い先輩だ。僕が体調不良で部活を何度も休んでしまった時も、多くは語らず「無理するなよ」とだけ言ってくれた。部員ひとりひとりを良く見てくれているし、まとめる力があると判断されたのだろう。  今はまだ、時任さんほどの求心力はないかもしれないけど、時間とともに皆んなの信頼をかち得そうだと思う。  後進に道を譲った時任さんだけど、実は結構道場に顔を出している。時任さんは大学院に進む準備をしているそうた。進路は院一本に絞っていて、特に就職活動をしていなかった。主将の任から解放されたせいか、時任さんはのんびり部員の様子を見ながら指導したり、フリーの時間に自分も練習したりしていた。  風吹が道場にいない時は、時任さんが僕の指導をしてくれた。風吹がバイトに行ってしまい、僕が自主練してるときなど、いつの間にか現れて僕の近くにいたりする。時任さんはくどい説明はせず、必要なことだけ伝えてくれるのでとてもありがたい存在だった。  そして拓さん。  拓さんとは道場以外の場所でも会っている。場所は学校の食堂が多かった。風吹と僕は基本同じ講義を取っているので、学校でもほぼ一緒に行動していた。  ただ、金曜日は一限目までしかなく、午後が丸々空いているから風吹はそこにバイトを入れていた。バイトの始まりの時間に間に合うように動くと、学食でお昼を食べる時間がなくなる。風吹は僕の握ったおにぎりかコンビニで適当にお昼ご飯を用意して、バイト先のガススタで昼食を取っていた。だから金曜日の午後は、僕と風吹は別行動になる。その時間に、拓さんが食事に誘ってくることが増えたのだ。  最初のきっかけは偶然だった。僕は学食が安いから食事をしてから帰ろうと思い、校内を食堂に向かって歩いていた。その時たまたま、拓さんとすれ違った。風吹が隣におらず、僕がひとりなのが分かって、拓さんは一緒に食べようと誘ってきた。それ以来、金曜日のお昼ご飯は拓さんと取ることが多くなっていった。  拓さんはいつも首から少し大きめのスマホケースを下げている。そこにたくさんのキーホルダーを付けていた。いわゆるアクキーと呼ばれるものや、小さな人型のぬいぐるみがついたものもあった。 「これ可愛いと思わない? この前相談に来た女の子からもらったんだ」  ニコニコしながら拓さんは僕にぬいぐるみを見せた。フェルト生地で作られたアニメキャラのような顔のぬいぐるみだった。  高校の時、女子達がリュックにそういったぬいぐるみのキーホルダーを付けていたのを思い出した。彼女たちはそれを〝ぬい〟と呼んでいた気がする。自分の〝推し〟のキャラクターや芸能人を手作りのぬいぐるみにしていたのだ。僕は単純に器用だな、と思っていた。そして彼女たちの情熱に尊敬の念を抱いてもいた。推しのためなら徹夜も厭わない子がたくさんいたからだ。 「可愛いですね。何かのキャラですか?」 「ふふふ……。実はこれ、僕を作ってくれたんだって!」 「えっ、拓さんをですか? あ……確かに似てます。すごい、良く出来てるなぁ」  そのぬいは前髪が二つに分かれていて、目は垂れ目だった。優しそうな顔は拓さんの特徴を良くとらえている。縫い目は少し大きめで素人っぽい感じがしたけど、生地の色や服のデザインも凝っていて、一生懸命作ったんだな、と思えるものだった。

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