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1年生の8月のこと

 入学して初めての夏休みだが、美己男(みきお)は帰省せずに寮に残っていた。  1年生はほとんどの生徒が帰省していて、寮内はのんびりと気だるげで眠たい空気が満ちている。  入学当時は周りに比べて体が小さく頼りなかった美己男だが、バレーボール部に入部し、 運動量が増えたせいか最近、身長も伸びてきて体もしっかりしてきた。 「尾縣(おがた)、だいぶん筋肉ついてきたな。入学したての時、小学生にしか見えなかったけど。」  一緒に畑でトマトを収穫しながら大我(おおが)が言った。 「今は?」 「うん、普通に中学生に見える。」 「当たり前じゃん、中学生なんだから。そういえば先生って、何歳?」  美己男は大我に聞いた。 「24。」 「え?わかっ。」 「中学生の尾縣に言われたくないんだけど。」  大我が少し()ねた調子で言う。 「あ、ごめんなさい。学校の先生って、もっと年寄りばっかりかと思ってたからさ。」  美己男はえへへ、と笑いながら言った。 「尾縣にとってはみんな年寄りだろ。俺は大学卒業して新卒で去年、来たばっかだから。 まぁ、教師としては新米だし、臨時だけどさ。そう言われると、やっぱりちょっと傷つくな。」  大我が滴る汗を拭く。    入学してすぐ、大我に助けてもらってから何度か技術準備室に逃げ込んだおかげで大我とはよく話をするようになった。  今週、大我は寮の世話役当番で一週間、泊まり込みの勤務だ。  美己男は寮の裏庭で作っている野菜の収穫に駆り出された。 「大我先生は他の先生とは全然、雰囲気が違うから。」  大我も美己男と二人きりの時はいつも口調が砕ける。  今日は夏休みのせいもあってなおさら教師という顔ではなくなっている。  大きな麦わら帽子にタオルを首にかけ、汗を滴らせている姿は、農作業のアルバイトをしている大学生のようだ。 「まぁ、それは自覚してるけど。」 「それに、先生、(かん)ちゃんにちょっと似てるから、あんまり先生って感じしなくて。」  美己男が笑う。 「尾縣は帰省しないのか?帰省すればカンちゃんに会えるんじゃないの?」  汗を拭いながら、大我が聞いた。 「うーん、でも帰るところないから。」  美己男の母親の知愛子(ちあこ)は今、彼氏と一緒に住んでいる。  そこの家には美己男の居場所はないから帰省する場所がない。 「ふーん、そうか。まぁ、俺は助かるけど。」  大我が収穫したトマトの入ったカゴをよいしょ、と持ち上げた。 「じゃあ、今日のバイト代、アイスな。」 「やった。」  美己男もカゴを持ち上げ、大我の後を追った。       *  * 「どれでも好きなアイス、買っていいよ。」  学校前にある商店に汗をかきながら大我の後について入る。  小さな古い商店だが、学校の生徒が何でもここに買いにくるのでいつも盛況だ。  夏休みの今日は却って人が少ない。 「いいんですかー?たっかいやつ、買っても。」 「おー。好きなん選べ。」  大我とアイスの入った冷凍庫を物色する。  大我の選んだミカン味のかき氷風アイスと同じもののイチゴ味を選んだ。  商店の前にいくつかパラソルが開いている。  うるさいほどの蝉の声を聴きながらパラソルの下に二人並んで腰かけた。 「いかにも夏休みって感じ。」 「ええ?そうか?寮に残るんじゃ、夏休みの感じしないだろ。しかも俺なんかと一緒じゃあ、なおさらつまんなくない?」  大我がガリガリとアイスを齧りながら言う。 「母親の彼氏ん家に行くより全然いい。先生といるとアイス、おごってもらえるし。」 「アイスって、やっすいなぁ。父親んとこは?そこも嫌なの?」  大我が聞く。 「父親はわかんない。よく覚えてない。」 「あ、悪い。」  大我が謝る。 「え?何が?」  美己男は驚いて大我を見た。 「え?何か悪いこと聞いたかと思って。」  大我も驚いて美己男を見る。 「え?全然。何で?父親がいないって、やっぱ悪いことなの?」 「え?いや、そうじゃなくて。」  美己男は大我を見つめた。 「やっぱりって?何か言われたことあるのか?」 「ううん、寛ちゃんが父親がいなくっても俺たちは悪い子なんかじゃない、って言ってたし、平気。」 「でた、カンちゃん。何、聞かせて。俺、すっかりカンちゃんのファンになっちゃってさ。」 「ええ?ファン?何それ、ウケる。」  美己男は嬉しくなって笑った。 「カンちゃんも父親、いないんだ?」 「うん。俺たち、保護施設にいたから周りはみんなそうだったけど。寛ちゃんは特別、 頭良くってカッコよかった。宿題見てくれて、一緒に晩御飯食べて、一緒に寝て。」  大我がチラリと美己男を見た。 「そっか、一緒に飯食って一緒に寝てくれる人がそばにいるのって、いいな。」 「うん。」 「尾縣、お前さぁ、カンちゃん、ていうか男が・・。」 「うん?」 「・・いや、いいや。」  美己男の視線に大我が目を逸らす。 「先生は?いないの?一緒にご飯食べて一緒に寝てくれる人。」  美己男は聞いた。  大我の顔に一瞬、苦しそうな表情が浮かぶ。 「いた・・、あ、いや、もういない。」 「いた?でも離れちゃった?」 「あぁ、うん。」 「そっか、俺と一緒だね。でも、大好きなことに変わりないもんね。」  美己男はニコと笑って大我を見た。  大我は、白けた顔で美己男を見た。 「尾縣は、あれだな、なんて言うか・・。」 「うん?」 「・・バカっぽいな。」  「はぁ?」  大我が吹き出す。 「なんだよっ。先生が生徒にバカとか言っていいのかっ?」  美己男は立ち上がって大我の首に腕を回してギュウと締めた。 「悪い、急にかわいらしいこと言い出すから、ついっ。」  大我が声を出して笑うと、美己男の腕をほどいて立ち上がった。 「そろそろ昼飯の時間だな。戻るか。夏休み、技術の自由製作なら見てやれるけど、教室、 来るか?」 「行くっ。」   美己男は笑って即答した。        *   * 「先生、何作ってるんですか?」  昼食を食べてから技術室を覗いてみると、大我が作業をしていた。 「ああ、尾縣。早速来たの?早いな。」  大我が作業している手を止めてタオルで手を拭い立ち上がった 「顔?」  尾縣が作業しているものに近づき、しげしげと眺めた。  土台に固定されている芯に形成されているものはまだまだ楕円形の白い粘土の塊だが、 よく見るとデコボコと目鼻のようなものが浮き上がっているように見える。  大我が粘土で汚れた手を洗いながら答えた。 「そう。今度、大学の同期の奴が結婚するんだけど、新郎新婦の顔の像を作って結婚祝いにしようってことになってさ。そんなんもらってもキモいと思うんだけどな。」  大我が笑う。 「え?すごいじゃん。先生、そんなのも作れるの?それって、技術で作るようなものなの?」 「いや、技術ではやんない。」 「じゃあ、何で?」 「ああ、俺、芸大で彫刻やってたから。彫塑(ちょうそ)とかも一応やってたんだよ。」 「チョウソ?」  美己男は聞いた。 「うん、彫塑は粘土とかで形を形成していって、彫刻は素材を削っていく・・。 まぁ、いいや。俺の専門は彫刻。でかいやつな。」 「でかいチョウコク・・?銅像みたいな?」 「あー、んー?ええと、銅像ってのは原型を作ってから・・。それもいいか。 銅像は銅でできた像だから銅像っつーの。俺は木工彫刻。」 「モッコウチョウコク?」 「木を彫ることね。」 「木って、ええっ?ブツゾウ彫ってたの?先生、すげぇ。」 「仏像じゃないって。何で仏像?」 「え?仏像って木じゃないの?。」 「いや、そういう意味ではなくて。ってどこいっちゃうんだよ尾縣の発想は。」  大我が笑い出した。 「尾縣ってほんとバカだなー。」  美己男に向かって洗った手の雫をピンッと飛ばした。 「つべたっ。何だよっ、またバカっつったっ。」  美己男は大我の手首を掴む。 「ははっ、悪い。あんまりにも話がかみ合わないからさ。」  大我が笑って美己男の手から逃れた。 「だってさぁ、木の像って言ったら仏像じゃん?」  美己男はそう言って、また粘土の塊を見た。  粘土の横にはこれから作るのであろう人物の写真が貼られている。  机の上には他にも何枚かの写真が散らばっていた。  よく見ると粘土の顔の人物と共に大我も映っている。 「え?うわ、先生だ。銀髪っ。ピアスも!?」  美己男は散らばった写真を手に取った。  今の黒髪で不愛想な表情からは想像もできない姿の大我がそこには映っていた。  今よりも長く伸ばした髪を銀髪にしている。  左右の耳にいくつものピアス。そして右の下唇端にも一つ、銀のリップピアスが光る。  眉と目の間が狭く、細い鼻梁がツンと尖った鼻先まで伸びていて、国籍不明な雰囲気を 醸し出している。  銀髪がそのミステリアスな風貌を引き立たせていて色気が漂う。  酔っぱらっているのかグラスを片手に目元を赤く染め、友人に肩を引き寄せられた姿は (なま)めかしく、その湿った視線に美己男の心臓がドクリと音を立てた。 「同期の奴の顔写真探してたら、そんなんばっかで。」 「えへ、カッコいいー。」  美己男は写真の中の大我に見惚れた。 「ただのイキがってるバカ大学生だよ。」  咥えたばこでマージャン卓を囲んでいる横顔や学園祭だろうか、女装したコスプレ姿のものまである。 「せんせ、タバコ吸うんだ?」 「うん。」 「知らなかった。」 「さすがに中学校では吸えないだろ。」  美己男は大きな木の彫刻の前でチェーンソーを肩にかついでいる黒いつなぎ姿の大我の写真を見つけた。  彫刻は大我の背丈ほどもあり、天を支える大きな手のような形をしていた。  カメラを見る大我の瞳は熱を(はら)んで強く輝いている。 「これ、先生が作ったの?これがモッコウチョウコク?」 「ああー、うん。」 「え?わ、すげぇっ。」  思わず叫んだ。  美己男の体に衝撃が走った。 「すげぇっ。何っ、これっ。こんなの見たことないっ。え?チェーンソー? マジでかっこいい。」  ドクドクと心臓が高鳴り興奮してくる。  大我が驚いた顔で美己男を見た。 「ええ?見たことないって、そんなことないだろ。」 「こんなの作れるなんて、信じらんないっ。」 「いやいや、そんぐらいのもん、その辺にいくらでもゴロゴロしてるよ。 誰も目に留めてないだけで。」 「そうなの?ね?これ、本物?俺、見たい。」  美己男は大我に言った。 「え?本物って?」 「これ、見てみたい。どこにあるの?先生の家?」  大我がポカンとしてから、笑い出した。 「家、持って帰るわけねぇし。持って帰ってどこに置いとくんだよ、こんなでかいの。」  尾縣っておもしれーなー、と言いながら美己男の手から写真を取り上げる。 「じゃあ、どこにあんの?教えてよ。俺、見に行く。」  美己男は大我のシャツを掴んだ。 「もうない。」 「え?」 「もうこの世にない。」 「何でっ?」 「何でって・・、俺が壊したから。」  大我はそう言いながら美己男が掴んだシャツを引き抜くと背を向けた。 「じゃあ、他のは?今、作ってるの見たい。先生がチョウコクしてるとこ見たい。」 「今は、やってないしもう作ってない。」 「何で?」 「何で、何でって、うるさいなぁ。幼稚園児か。才能無いからだよ。」 「才能無いと、作れないの?」  美己男は驚いて聞いた。  大我も驚いた顔で美己男を見返す。 「え?」 「才能、無いとチョウコクできない?」 「そうだな。あ、いや、別にそんなことはないけど。」 「じゃあ、何で作んないの?」 「何でって、だから・・。」  大我が言葉に詰まる。 「今は、もう先生になったし。」  そう言うと、バサバサと図面を開いた。 「さて、何作ろっか。」  そう言ってわざとらしく会話を終了させた。  

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