6 / 9

中学2年 8月のこと

 美己男(みきお)の2回目の夏休みは所属しているバレーボール部が全国大会に出場することになり、部員たちが寮に残っているせいで去年に比べてずいぶんと賑やかな夏休みになった。 「技術の大我(おおが)先生から差し入れ頂きましたー」  美己男が食堂で昼食中の部員に声をかけると、いえーい、と歓声が上がった。  毎日の練習でへとへとの部員たちに寮の世話役当番の教諭たちが毎週のように差し入れを持ってきてくれる。今週、当番に当たっている大我からは大きなスイカが差し入れられた。  キャプテンに夕食時にデザートで出すから大我先生にも声かけてきて、と頼まれ昼食後の自由時間に技術室に顔を出すと、大我は教室で製図机に向かっていた。 「先生、差し入れありがとうございました。みんなすげー喜んでたよ。晩飯の時デザートで出すから一緒に食べようって、キャプテンが」 と美己男は声をかけた。 「おお、じゃあ、お言葉に甘えて行くかな。今年は賑やかで良かったな、尾縣(おがた)」 「うん。レギュラーじゃない俺たちまで差し入れもらえて超ラッキー」  大我が鮮やかな手つきで製図用紙に線を引いていくのを隣に座って見つめる。 「尾縣ってバレーボール得意だったの?」 「ううん、全然。ここの学校、1年は絶対運動部に入らなきゃじゃん?俺、足が遅いからバレーボールならあんまり走んなくていいかなって思って」  あはは、と大我が笑った。 「一応、考えたんだ」 「うん。格闘技系は絶対無理って思ったし試合中にあんまり走らなくていいの、バレーか卓球しか思いつかなくて。結局練習でめちゃくちゃ走らされるけどね。でも今は楽しい」 「おかげで背も伸びたしな」 「うん。先生は?中学の時、何部?」 「俺は美術部」 「へぇー、中学の時から美術、好きだったんだね」 「まあな。ちっこい頃から漫画大好きでさ。よく描いてたら、親も友達も上手い上手いって褒めてくれて。で、調子に乗って俺って才能あるかもって勘違いしちゃってたんだよ」 「えー?勘違いじゃないじゃん。芸大行って、あんな凄いチョウコク作って」  そう言って美己男は大我を見た。 「全然凄くねぇよ。ほんとに才能ある人っていうのは・・」 と言いかけて口を(つぐ)んだ。 「才能とか俺、全然わかんないけど、なくても作れるんでしょ?俺、見たい。先生がチョウコクするところ。目の前で見てみたいな」 「彫刻するところって、尾縣が言うとなんか変なんだよなぁ」  大我が笑いながら言う。 「じゃあ、何て言うの?普通」 「え?普通?彫る」 「彫る?じゃあ、彫って。チョウコク彫ってよ」  美己男はどうしても大我に伝えたくなった。  どんなに自分が衝撃を受けたか。  どれほどあれを見てみたい、と思ったか。  どんなに自分の胸が高鳴ったのか。     多分、あれは感動した、っていうやつだと思う 「だからっ、もうやんないんだって」  しつこく言い(つの)る美己男に大我が大きな声を出した。  美己男はその声にビクリとして 「ごめんなさい」 と、とっさに謝るとなぜか大我のほうが傷ついた顔で美己男を見る。 「あ・・、いや、悪い」  大我はそう言うと早足で教室を出て行き美己男はポツリと1人、教室に残されてしまった。 「あ・・」     ああ、怒らせちゃった  最近少しは人をイラつかせなくなったと思っていたのに、と美己男は悲しくなる。  写真の中の彫刻と大我の熱い瞳が忘れられなくてつい言い過ぎてしまった。ツン、と鼻の奥が痛くなる。   大我先生に嫌われたくないのに    ガラリとドアが開いて大我が戻ってきた。 「あ?せんせ?」  美己男は鼻をズズと啜りながら、急いで戻ってきたのか少し息を弾ませている大我を見る。 「どっち?」 と言いながら大我がフルーツオーレを差し出した。 「コーヒー」 「え?なんでっ」  大我が慌ててコーヒー牛乳を後ろに隠した。 「どっちって訊いたじゃんっ」  背中に隠したコーヒー牛乳を奪い取ろうとして手を伸ばす美己男に大我はのけ反りながらフルーツオーレをグイと押し付ける。 「なんだよ、尾縣にフルーツオーレ買ってきたのに」 「じゃあ、訊くなよぅ」  そのまま美己男は大我に抱き着いた。 「おわ、尾縣?」 「先生ごめんなさい。俺のこと嫌いになんないで。俺、ほんとに先生のチョウコク見てみたかっただけで、怒らせるつもりなくって」  美己男の心臓がバクバクと音を立てる。  大我の体から力が抜けるのが伝わってきた。 「いや、俺こそごめん。でかい声、出しちゃって。怒ったわけじゃないから」 「ほんと?俺のこと、嫌いになってない?」  情けない涙声に大我は美己男の胸をグイと押して体を離した。 「なるわけないだろ。ほら、お詫び。これで尾縣のこと嫌いになったら俺、教師って言うより、もう人として終わる」  美己男は涙を(こら)えながらまだ冷たいフルーツオーレを受け取った。 「ありがとうございます」 「ん」  大我がホッしたように笑う。 「尾縣はなんか、ほんと」 「え?バカっぽい?」 「いや、すごいよ」 「えへ?俺?」  美己男は驚いた。 「すごいバカってこと?」  大我が吹き出す。 「違うよ、いや、まぁ、そうとも言えるか」 「ええ?意味わかんない」  美己男はストローを咥えながら大我を見た。 「んー、そうだなぁ。大事なもののために戦ったり、好きなことをちゃんと好き、って口に出したり、やりたいって気持ちだけで一生懸命になったり、そういうの普通はなかなかできないんだよ。そんで、そういう気持ちを無視していくと、どんどんできなくなっていく」 「そうなの?何で?」 「何でだろう・・。傷つくのが怖いのかな。俺は、多分、そう。もう、これ以上傷つくのが怖いんだと思う」 「離れちゃった人、先生を傷つけた?」 「・・んー?」  大我は曖昧な返事をする。 「チョウコクすることも?チョウコクすると先生は傷つく?」  あはは、と大我が笑った。  その声は美己男には泣いているように聞こえて、また鼻の奥が痛くなる。 「そうだな、彫刻は自分の才能の無さに傷ついたんだろうな」  美己男は我慢できずに、うー、と泣き出した。 「え?なに?尾縣?」  大我が慌てて美己男の顔を覗き込んだ。 「せんせー、俺、先生のチョウコク見てめちゃくちゃ感動したんです。だから彫って欲しかった。本当は寛ちゃんとも離れたくなかったのに離れちゃって。だから先生も、好きな人と本当は離れたくなかったのかなって思って。でも1回、離れたら今度は会いに行くのがすごく怖いっ。それで先生も、きっと怖いんだって思って」 「ああー、尾縣、尾縣っ。相変わらず気持ち言葉にすんの下手くそだな。泣くなって。参ったな」  大我がティッシュペーパーをガサガサと引き抜いて美己男の手に押し付けた。  んー、と美己男はティッシュの束を目に押し付ける。 「ごめんなさい」  エグッと喉を鳴らす。 「大丈夫か?そんなんで尾縣はしんどくならない?」 「・・んん、わかんない」  はぁ、と大我がため息をつく。 「ありがとな、俺の代わりに泣いてくれて」  大我はサリサリと美己男の頭を撫でた。 「んー」 「そろそろみんなのとこ戻んな。夜、スイカ食いに行くからよろしくって、キャプテンに言っといて」 「分かった。晩飯も一緒に食おうね」  美己男は大我を見上げて言った。 「え?」 「スイカだけじゃなくて、今日は晩飯も俺と一緒に食おうね」  美己男の言葉に大我が笑う。 「尾縣ぁ、そうやって(あお)るとこは直した方がいいって。勘違いされるって言ったろ?」 「別にそんなつもりないってば。勘違いって?どういう意味?」 「マジで気付いてないとこがほんと(たち)悪いっての。そういう時は俺と、じゃなくて、俺たちとって言えよ」 「じゃあ、勘違いじゃないじゃん。俺が先生と飯、食いたいって言ってんだから」 「だからな、そういう風に・・。あー、めんどくさい。とにかく晩飯、食いに行きますから、よろしく」  大我はそう言うと美己男に背を向け製図机に向かった。 「うん。じゃあ、後で」  美己男の声に大我は後ろを向いたまま 「はーい、お願いしゃーす」 と手を挙げた。
0
いいね
0
萌えた
0
切ない
0
エロい
0
尊い
リアクションとは?
コメント

ともだちにシェアしよう!