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2年生の8月のこと

   2年の夏休みは所属しているバレーボール部が全国大会に出場することになり、 部員のほとんどが帰省せずに寮に残っている。  去年に比べて賑やかな夏休みだ。 「技術の大我(おおが)先生から差し入れ頂きましたー。」  美己男(みきお)が食堂の部員に声をかけると、いえーい、と歓声が上がる。  毎日の練習でへとへとの部員たちに寮の世話役当番の教諭たちが毎週のように差し入れを 持ってきてくれる。  今週、当番に当たっている大我からは大きなスイカが差し入れられた。  キャプテンに夕食時にデザートで出すから大我先生にも声かけてきて、と頼まれ昼食後の自由時間に技術室に顔を出す。  大我は教室で製図机に向かっていた。 「先生、差し入れありがとうございました。みんなすげー喜んでた。 晩飯の時、デザートで出すから一緒に食べようって、キャプテンが。」 と美己男は声をかけた。 「おお、じゃあ、お言葉に甘えて行くかな。今年は賑やかでいいな。」 「うん。レギュラーじゃない俺たちまで差し入れもらえて得した。」  大我が鮮やかな手つきで製図用紙に線を引いていくのを隣に座って見つめる。 「尾縣(おがた)は何でバレーボール部に入ったの?」 「ここの学校、一年は絶対運動部に入らなきゃじゃん?俺、足が遅いからバレーボールなら あんまり走んなくていいかなって思って。」  あはは、と大我が笑った。 「一応、考えたんだ。」 「うん。格闘技系も怖くて絶対無理って思ったし。試合中にあんまり走らなくていいの、 バレーか卓球しか思いつかなくて。結局、練習でめちゃくちゃ走らされるけどね。 でも今は楽しい。」 「おかげで背も伸びたな。」 「うん。先生は?中学の時、何部?」 「俺は美術部。」 「へぇー、中学の時から美術、好きだったんだね。」 「まあな。ちっこい頃から漫画大好きでさ。よく描いてたら、親も友達も上手い上手いって 褒めてくれて。で、調子に乗って俺って才能あるかもって勘違いしちゃってたんだよ。」 「えー?勘違いじゃないじゃん。芸大行って、あんな凄いチョウコク作って。」  そう言って美己男は大我を見た。 「全然凄くねぇよ。ほんとに才能ある人っていうのは・・。」 と言いかけて口を噤む。 「才能とか俺、全然わかんないけど、なくても作れるんでしょ?俺、見たい。 先生がチョウコクするところ。目の前で見てみたい。」 「彫刻するところって、尾縣が言うとなんか変なんだよなぁ。」  大我が笑いながら言う。 「じゃあ、何て言うの?普通。」 「え?普通?()る?」 「彫る?じゃあ、彫って。チョウコク彫ってよ。」  美己男はどうしても大我に伝えたかった。  どんなに自分が衝撃を受けたか。  どれほどあれを見てみたい、と思ったか。  どんなに自分の胸が高鳴ったのか。      多分、あれは感動した、っていうやつだと思う 「だからっ、もうやんないんだって。」  しつこく言い(つの)る美己男に大我が大きな声を出した。  美己男はその声にビクリとして 「ごめんなさい。」 と、とっさに謝った。  なぜか大我のほうが傷ついた顔で美己男を見る。 「あ・・、いや、ごめん。」  大我はそう言うと早足で教室を出て行った。  美己男はポツリと一人、教室に残されてしまった。 「あ・・。」      ああ、怒らせちゃった  最近、少しは人をイラつかせなくなったと思っていたのに、と美己男は悲しくなる。    写真の中の彫刻と大我の熱い瞳が忘れられなくてつい言い過ぎてしまった。  ツン、と鼻の奥が痛くなる。    大我先生に嫌われたくないな・・    ガラリとドアが開いて大我が戻ってきた。 「あ?せんせ。」  急いで戻ってきたのか、少し息を弾ませている。  美己男は、ズズと鼻を(すす)って大我を見た。  大我の手にはコーヒー牛乳とフルーツオーレが握られていた。 「どっち?」  と言いながら大我がフルーツオーレを胸に押し付けてくる。 「コーヒー。」 「え?なんでっ。」  大我が慌ててコーヒー牛乳を後ろに隠した。 「どっちって聞いたじゃんっ。」  美己男は背中に隠したコーヒー牛乳を奪い取ろうとして手を伸ばした。  大我がのけ反りながら美己男にフルーツオーレをグイと押し付ける。 「なんだよ、尾縣にはフルーツオーレなのっ。」 「じゃあ、聞くなよぅ。」  そのまま美己男は大我に抱き着いた。 「おわ、尾縣?」 「先生、ごめんなさい。俺のこと、嫌わないで。俺、ほんとに先生のチョウコク、見てみた かっただけで、怒らせるつもりなくって。」  美己男の心臓がバクバクと音を立てる。  大我の体から力が抜けるのが伝わってきた。 「いや、俺こそごめん。でかい声、出しちゃった。怒ったわけじゃないから。」 「ほんと?俺のこと、嫌いになってない?」  美己男は涙声で聞いた。  大我は美己男の胸をグイと押して体を離した。 「なるわけないだろ。ほら、お詫び。これで尾縣のこと嫌いになったら、俺、教師って 言うより、もう人として終わる。」  フルーツオーレを差し出してくるのを美己男は涙を(こら)えながら受け取った。 「ありがとうございます。」 「ん。」  大我がホッしたように笑う。 「尾縣はなんか、ほんと。」 「え?バカっぽい?」 「いや、すごいよ。」 「えへ?俺?」  美己男は驚いた。 「すごいバカってこと?」  大我が吹き出す。 「違うよ、いや、まぁ、そうとも言えるか。」 「ええ?意味わかんない。」  美己男はストローを(くわ)えながら大我を見た。 「んー、そうだなぁ。大事なもののために戦ったり、好きなことをちゃんと好き、って口に 出したり、やりたいって気持ちだけで一生懸命になったり、そういうの普通はなかなかでき ないんだよ。そんで、そういう気持ちを無視していくと、どんどんできなくなっていく。」 「そうなの?何で?」 「何でだろう・・。傷つくのが怖いのかな。俺は、多分、そう。もう、これ以上傷つくのが 怖いんだと思う。」 「離れちゃった人、先生を傷つけた?」 「・・んー?」  大我は曖昧な返事をする。 「チョウコクすることも?チョウコクすると先生は傷つく?」  あはは、と大我が笑った。  その声は美己男には泣いているように聞こえて、また鼻の奥が痛くなる。 「そうだな、彫刻は自分の才能の無さに傷ついたんだろうな。」  美己男は我慢できずに、うー、と泣き出した。 「え?何?尾縣?」  大我が慌てて美己男の顔を覗き込んだ。 「せんせ、俺はぁ、めちゃくちゃ感動したんです。先生のチョウコク見て。 だから彫って欲しかった。本当は寛ちゃんとも離れたくなかった。だから先生も、好きな人と本当は離れたくなかったのかなって思って。でも一回、離れたら今度は、会いに行くのが すごく怖いっ。それで先生も、きっと怖いんだって思っちゃって。」 「ああー、尾縣、尾縣っ。言ってる事、ぐちゃぐちゃだぞ。泣くなって。参ったな。」  大我がティッシュペーパーをガサガサと引き抜いて美己男の手に押し付けた。  んー、と美己男はティッシュの束を目に押し付ける。 「ごめんなさい。」  エグッと喉を鳴らす。 「大丈夫か?そんなに人の気持ちに強く反応しちゃって、尾縣はしんどくならない?」 「・・んん、わかんない。」  はぁ、と大我がため息をつく。 「ありがとな、俺の代わりに泣いてくれて。」  大我はサリサリと美己男の頭を撫でた。 「んー?」 「そろそろみんなのとこ戻んな。夜、スイカ食いに行くからよろしくって、キャプテンに 言っといて。」 「分かった。晩飯も一緒に食おうね。」  美己男は大我を見上げて言った。 「え?」 「スイカだけじゃなくて、今日は晩飯も俺と一緒に食おうね。」  美己男の言葉に大我が笑う。 「尾縣ぁ、そうやって(あお)るとこは直した方がいいって。勘違いされるって言ったろ?」 「別にそんなつもりないってば。勘違いって?どういう意味?」 「マジで気付いてないとこがほんと(たち)悪いっての。そういう時は俺と、じゃなくて、 俺たちとって言わないと。」 「じゃあ、勘違いじゃないじゃん。俺が先生と飯、食いたいって言ってんだから。」 「だからな、そういう風に・・。あー、めんどくさい。とにかく晩飯、食いに行きますから、よろしく。」  大我はそう言うと美己男に背を向け、製図机に向かった。 「うん、じゃあ、後で。」  美己男の声に後ろを向いたまま 「はーい、お願いしゃーす。」 と手を挙げた。

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