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中学2年 3月のこと

 新学年に向けての教科書販売の日、美己男(みきお)は寮から皆と話しながらダラダラと体育館に向かった。 「尾縣(おがた)君は高校進学すんの?」  ルームメイトの小田と一緒にリストの教科書を集めながら歩く。 「うん。隣の県の工業科に行こうかと思って」 「ああ、尾縣君、技術、得意だもんね。いいなー、得意なもんあって」 「小田っちは?」 「俺はとりあえずどこでもいいから受かったところ行くかなー。ダメならなんかアルバイトする」  体育館の端には3年生向けに進路相談のブースがいくつか出ている。  3年生は2学期から進路によって専門授業を選択することができ、今のうちから相談をして準備をしている生徒もチラホラと見かけた。 「俺、ちょっと進路相談で高校のこと聞いてくる」 「わかった。先、部屋戻っとく」  小田と別れて進路相談のブースに向かう。  美己男は大我(おおが)が『美術・技術系』と書かれたブースにつまらなそうな顔で座ってるのを見て笑った。 「すみませーん。いいですかぁ?」  そう言いながら大我の前に座ると 「尾縣君はダメです」 と嫌そうな顔で返答される。 「態度わるっ」  美己男は笑いながら言った。 「冷やかしお断りなんでー」 「冷やかしじゃないですー」 と美己男も返す。 「えー?なに、マジで進路相談?」  うん、と美己男は頷いた。 「せんせー、俺、隣の県の工業科、受けたいんだけど」  大我が、え?と目を見開いた。 「本気(ほんき)?」 「本気」  マジかっ、と言いながら大我はバタバタと机に積んだ封筒を漁り始める。 「ちょっと待って。えーと、どれだっけ」 「何でそんな慌ててんの」 「え?だってさ、全然、お前そんな急にっ」  ザザザー、と机の上の封筒が雪崩(なだれ)を起こして床に散らばった。 「わぁっ、せんせっ、焦りすぎっ」 「悪い」  そう言いながら大我と一緒に美己男は封筒を拾い集めた。 「ええと、それで、コースは?何を専門にしたいの?」 「うーん、まだ、そこまでは考えてないんだけど。とりあえず資料もらっていい?まだ時間あるよね?」  大我の慌てぶりがおかしくて美己男は笑った。 「せんせ、明日も学校来る?」 「お?おお、ここにいるけど」 「そっか。じゃあ、明日これ終わってから技術室でゆっくり話したい」 「わかった」 「うん。明日までにこれ見とく。ありがとうございました」  美己男は資料を手にポカンとしたままの大我を残して寮に戻ると 「おー、お帰りー」 と2段ベッドの上から小田が顔を覗かせた。 「ただいま」 「相談できた?」 「ううん、とりあえず資料もらってきただけ」  そう言ってパンフレットを見せる。 「すげー。この学校の工業科、けっこう人気あるよね。就職率高いって」 「うん。だから受験の倍率もちょっと高いみたい」 「そうなんだ。でも大丈夫だよ、尾縣君、技術の成績抜群だし、推薦受けられるって。2年で図面引いてるところ見てびっくりしたもんなぁ。部屋のベッドが壊れた時もちょびっと見ただけですぐ直しちゃって、ちょっと感動した」 「ええ?感動?小田っち、ちょっと盛り過ぎだよ」 「ほんとに。そういうのできる人、そんけーする」  友達の贔屓目(ひいきめ)な言葉だとしても嬉しい。 「ここの学校、普通科もあるじゃん?普通科、偏差値めちゃ高なんだよなー」  小田がパンフレットをめくる。 「うん、普通科はね」 「しかも、1クラスは特進クラスだってさー。そんな奴ら、学校カーストのトップ間違いなしだよな。特進の生徒とは怖くて目も合わせらんないって噂、本当かな。特進様って呼ばれてるらしいよ」 「何それ、ウケる」  小田の話に美己男は笑った。  ここを出たら、寛太朗が住んでいる隣の県に戻りたい、美己男はそう思っていた。高校に行けなかったとしても、どこかの住み込みでも何でもしてあそこに戻りたい。戻ったからと言って寛太朗に会える確証はないし、ましてやまた一緒にいられるとは思っていない。  母親の彼氏の家には行けないし1人になってしまうからここを出た後のことを考えると怖くて仕方がない。  何もかもが怖かった子供の頃のことを思い出す。     だったらせめて、寛ちゃんと一緒に過ごしたところへ戻りたい   寛ちゃんがいるかも   いつか道で偶然会えるかも   いつか俺を、見つけてくれるかも  そう思えば1人でも頑張れそうな気がする。   それに、もしかしたらこの高校の特進クラスを寛ちゃんが受験するかもしれない  その可能性に気が付いてからは他の選択肢はないように思えた。 「尾縣が工業科行きたいって言い出すと思わなかったからさぁ、ちょっとびっくりしただけだって」  昨日の進路相談での慌てぶりを笑った美己男に大我が言い訳がましく言う。 「そんなに驚く?おかしいかな?」  美己男は不安になって訊いた。 「ああ、違う違う。そういうことじゃなくて。尾縣が3年生なんて信じられないっていうか、考えてもなかったから。成長したなぁ、って思って。なんかさぁ、感慨深い?って言うの?」 と独り言のように話している。 「せんせぇ、ほんとに行けるのかな、俺」  不安が募ってきて美己男は呟いた。 「え?まぁ、受験しなくちゃいけないってことだからな。あそこの工業科は設備も揃ってるし、実技が多くて授業内容も良いって評判だから他の工業高校より倍率は高いよな」 「うん・・」 「隣の県ってことは、小学校の時に住んでたところに戻るってことだろ?」  大我が訊く。 「うん」 「戻りたいんだろ?」 「うん。戻りたい。でも、工業科に行きたいのもほんと。俺、先生に色々教えてもらって、もの作ったり、図面引けるようになったりして、楽しくってさ。だから、もっとやってみたいし、うまくなりたい。それに・・」 「それに?」 「あの高校には寛ちゃんも来るかもしれないから」 「あそこの普通科にカンちゃんも行くかもってこと?」  美己男は頷いた。 「それって確かか?他の高校に行く可能性のほうが高くない?」 「んー、でもあそこ特進あるから」 「は?え?特進?カンちゃん、特進に行くかもしんないの?」  大我が驚いた声を出した。 「うん・・、わかんないけど。小学校の時からそんなこと言ってたし・・」 「え?ちょっと待て。カンちゃんって、そんな頭良かったの?小学校から?」 「うん・・。中学受験とかも言われてたけど、それは色々、難しいからって言って。高校の特進、目指すって」 「はぁ?え?マジか・・」  大我が衝撃を受けた顔をしている。 「だからぁ、カンちゃんは頭良いって言ったじゃん」  美己男は口を尖らせて言った。 「そうだけど、それほどとは思ってなかった。尾縣、それで・・・、それでもカンちゃん、追いかけるつもり?」 「え?」  大我が眉間に皺を寄せて言う。 「尾縣、知ってんのか?あの高校の工業科と特進クラスがどんなに違うか」 「あー、うん」  昨日、小田も話していた。特進クラスは工業科とは目も合わさない、という噂。 「カンちゃんがもし特進クラスにいたとしたら、もう小学生の頃のカンちゃんとは違うよ、きっと。尾縣とカンちゃんの世界はあまりにも違ってると思うけど」     わかってる   いや、わかってないのかも   心のどこかで寛ちゃんも俺に会いたがってくれている、と期待しているのかもしれない   だけど 「せんせ、俺、ここを出て行くのがすげー怖い。ここを出たら、どこにも行くところがないから」 「どこにもないってことは・・」 「でも、寛ちゃんに会えるかもって、思えたら1人でも頑張れる気がする」  大我はしばらく黙っていたが、手を伸ばすと美己男の頭に乗せサリサリと撫でた。 「分かった。カンちゃんとこに無傷で帰すって約束したもんな。一緒に頑張ってみるか 「うん、よろしくお願いします」  美己男は小さく頷きそう言った。
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